Episode_08.05 臨月の騎士
今、デイルとハンザが住み暮らす家にはラールス家の所領地から二代に渡って使える母娘がやって来て滞在を続けている。その母とは、ウェスタ城下のラールス家屋敷に仕えていた老女である。そしてその娘とは、あの冬の日に母の埋葬に立ち合った未だ一介の哨戒騎士だったデイルの寄宿する部屋に、ハンザと共に夕食を運んだ侍女である。
何故デイルとハンザの二人で暮らしている家に「ラールス家随一の
一方、そんなハンザを家に残し、デイルはブラハリーに従い正騎士五十騎とその従卒兵を率いて「演習」に出かけてしまった。最近は一年に春と秋の二度、殆ど恒例行事となっている「ノーバラプール北部地方演習」に参加しているのだ。第一騎士団から騎士二百とその従卒兵を、そして第二騎士団である各爵家の騎士がほぼ同数加わる演習は大規模なものである。その目的は、ノーバラプールを事実上占拠している「市民政府」に軍事的な圧力を掛けることなのだ。
この演習は、七年前のバリウス伯爵幽閉事件に端を発した軍事行動で、当初はノーバラプール側も傭兵を雇い、万が一の衝突に備えていたようだが、
「同じ緊張状態を何度も繰り返されれば人間は『鈍く』なる。最近では二百前後の傭兵部隊が遠巻きに演習を見ているくらいだ」
というのは何度も演習に参加しているハンザの父ガルス中将の言葉である。一方リムルベート側にもそう言った「緩み」が生じるのは必然であるが、
「折角費用を投じて騎士団を動かすのだ、騎士や兵士が緩んでいては話にならない」
というガーディス王子が度々「引き締め」のために参加している。今回はそんなガーディス王子の参加する演習なのである。そうであるからこそ、今やウェスタ侯爵領正騎士団の「筆頭騎士」となった夫デイルにとって、次代の王であるガーディス王子やその周囲を固める近衛騎士達に
(お役目でもあるし、ブラハリー様のご配慮でもある。仕方ないのよね……)
と納得するハンザだが、やはり寂しさとも不安とも取れない気持ちになるのだ。そんなハンザの気持ちを見透かしたかのように、最近頻繁に訪ねてくるようになったのが「マルグス子爵家の縁者」でノヴァという女性だった。なんでも昨年の「使節団」の道中で若殿アルヴァンを初めとする一行と知り合い、親交が生まれたということだ。
快活な性格でよく笑うノヴァをハンザは一目で気に入っていた。夫デイルに言わせると見掛けによらず「物凄く強い」ということだ。そういう所も含めて気に入っているハンザである。子爵家の遠縁と言う事だったが、溌剌とした振る舞いは自分が良く知る開拓村の女性のようでもある。
そんなノヴァは一人で来ることもあれば、アルヴァンと共に来ることもある。今日は午後にアルヴァンと共に家を訪れて
「コーサプールの漁港で牡蠣貝を買ってきたの、ちゃんと火を通して食べてね」
と言って置いて行ったのだった。そんな二人は傍目にも仲が良く、邸宅近くの住まいにも流れてくる口さがない噂 ――ノヴァという女性はアルヴァン様の婚約者らしい―― というのもあながちウソでは無いように感じる。
「あのノヴァちゃんなら、アルヴァン様のお相手にぴったりよね……」
そんな独り言を漏らすハンザは、大きく膨らんだ腹を無意識に撫でる。その掌の感触に答えるように、お腹の中で赤子が身じろぎするように動くのだ。良く動く赤子だと皆が言うほどの活発さである。そんな腹の子にポンポンと返事をするように臍の下の辺りを叩き返すハンザは不意に玄関先に人の声を感じる。
「こんばんわー」
「あら、まぁこんばんはノヴァ様。一体どうされました?」
「えーと、そのー牡蠣貝! 御相伴に……」
そんな会話の後で、玄関に繋がった台所から笑い声が上がる。老女の娘が、
「流石に生は怖いので
とちょっと甲高い声で言うと、姿は見えないものの、ノヴァが
「あっ、それは美味しそうですね!」
と答えるのだった。その遣り取りを奥で聞くハンザは
「今日はシチューなんだって、きっと美味しいよー」
と、お腹の子に語り掛ける。それに答えるようにポンと腹を蹴る感触にハンザは一人微笑むのである。
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女ばかり四人の食卓は、それはそれは賑やかな物だ。酒を飲んだり大声で下品な冗談を言い合ったりという男同士の食卓とはまた違う盛り上がりがある。
「もう市場の露店主たちが『ハンザ様はお元気か?』『ご誕生はいつなんだ?』と煩いこと。お嬢様、一体どのような方法であんな
とは、呆れ気味の老女の娘の言葉である。実際市場へ買い物に出るとハンザの知名度はかなり高い。そのお蔭で安く買い物が出来るのは有り難いが、普通は小銅貨一枚でも余分に取ってやろうと企む商人達が、
「これも持ってってくれ」
だの、
「これはご機嫌伺いだ」
などと進んで「おまけ」をしてくれるのは、ちょっと「普通じゃない」と思う娘は不思議そうな雰囲気だ。
「あーっと、そうなのか……困ったな。いや、別に恩を売るつもりは無かったのだが
そう言って笑うハンザであるが、少し顔が引き攣っている。夫デイルの帰りを待つ間にちょっとした「冒険心」を満たす出来事が有ったのは確かだ。その時はまさか胎に子が出来ているなどと思っていなかったハンザは「鬱憤」を晴らすようにヤクザ者を「教育」していたのだった。
ただし、余り触れられたくない事実だったようで、ハンザはあからさまに話題を変える。
「そんなことよりも、婆爺は今でもしつこく神殿めぐりを続けているの?」
「勿論ですよ、お嬢様。ホラ……こんなに」
そんなハンザの問いに、老女は自慢気な様子で皺だらけの首元を肌蹴て見せる。その皺首には
「……そんなに……重くないんですか?」
「そうよ、母さん。腰がますます曲がってしまうわ……それに、母さんが首に掛けても仕方ないんじゃ……」
とはノヴァと、老女の娘の言葉であるが、当の老女はフンッと腰を反らせて見せると
「皆お嬢様と
と言って見せる。その飄々とした表情にノヴァが噴き出してしまい、結局四人全員で笑うのである。なんとも男が足を踏み入れにくい雰囲気であるが、そんな空間に間が悪く立ち入ってしまう者がいた。
「おーいハンザー、具合はどうだー」
と玄関先から声を掛けつつ入って来たのはガルス中将である。大きな荷物を抱えているが、台所兼食堂に足を踏み入れて少し後悔した表情をしている。
「大旦那さま、お帰りなさいませ」
そう言う老女は未だ、胸元を肌蹴たままである。
「ええい、見っともない。早く仕舞わんか!」
「なんと、昔はこの乳を飲んでそだ――」
「わかったから、六十年も昔の話をするな!」
そんな遣り取りに、やはり女達の笑い声が上がる。こうなると未だウェスタ侯爵領正騎士団の「扇の要」と言われるガルス中将も形無しである。もごもごと反論にならないことをブツブツと言うのが精一杯となる。そんなガルスにハンザが声を掛ける。
「それでお父様、今日は一体?」
「おおそうだった。実は木工職人に頼んでいた物が出来上がって来てな……」
そう言うと、大きな荷物を床に起き綿地の布袋を開ける。どうだ! と言わんばかりのガルスの得意げな表情とともに現れたのは精巧な細工を施された「木馬」であった。中々良い出来栄えだと誇らし気なガルスは当然「凄い」とか「ありがとう」とか言う反応を期待していたのだが、
「大旦那様……木馬は少し気が早いのではないですか?」
と老女の冷たい感想が返ってきた。
「それに、まだ男の子か女の子かも分からないのに……」
とはハンザである。
「男が生まれたら、早速これで乗馬の稽古だ!」
と自己弁護のように言うガルスであるが、
「わたし、赤ちゃんは女の子だと思うな……」
とはノヴァの意見であった。金貨三枚という大枚をはたいて発注した贈り物に対する素っ気ない反応にガルスは肩を落とす。
「ま、まぁ女の子だって馬に乗るしね。私も乗るし、ノヴァだって乗るもの……有難う御座います、お父様」
落胆した父親の様子に流石に言葉を繕うハンザは、数年前から比べると「これが同じ人物か?」と思うほど「柔らかい女性」になっているのだった。
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