Episode_07.14 夜明けの密猟者
スミの街の近くの森でアルヴァンと別れたノヴァは既に心の内を決めている。リムルベートの街がどんなところか? とか、貴族の生活がどんなものか? とかそんなことは心配しても仕方が無い。
(一緒に居たい……ただそれだけ。単純明快で、私らしいじゃない)
そんな想いと共に、森の中を進んでいる。未明の森は、季節柄ようやく天頂に達した月に淡く照らされている。そんな中、相変わらず「
やがてザーッというドルド河の急流が立てる音が響いてくる。先日密猟団を追い掛けて、アルヴァンと出会った河原からは少し下流になる場所だ。あと一時間も下流へ行くと大きな滝がある辺りに出る。その河原に淡い月明かりを浴びて白い幻獣が佇んでいる。
「ルカン……」
「……」
ユニコーン・ルカンはノヴァの声に反応すると顔を向ける。そして少し逡巡したようだが、フーと鼻息を吐くとその場で膝を折って座り込むのだった。そんな相棒に歩み寄るノヴァの心に穏やかな思考が流れ込んでくる。
(……ノヴァ……未ダ小サイ娘ダト思ッテイタノダガ)
「ごめんなさい」
(イヤ、本当ニ謝ラナケレバイケナイノハ私ノ方カモシレナイ)
久しぶりに
「もしかして、
(ソウダ、オ前ノ母親サーラノ病ヲ治セナイ事ヲ伝エルベキダッタ)
「……驚いたわ、そんな事を考えていたの?」
ルカンは頷く。彼が言うのは、ノヴァが「守護者」となる切っ掛けになった出来事である。病んだ母親サーラを治したいというノヴァの願いは内に秘めた思いだったが、盟約前にもかかわらずルカンには知れていたのだった。ルカンはそれが誤った認識だと知りつつ、それを訂正せずにノヴァとの盟約を受け入れていた。だから
(私ハノヴァヲ騙シテイタヨウナモノダ)
「そんな風に言われたからといって、今の私の心には怒りも恨みも無い事くらい
(アア分カル、優シイ森ノ乙女……)
そしてノヴァの頭に彼女自身も記憶していない幼い頃の自分の姿がイメージとして流れ込んでくる。緻密に描かれた絵画を一枚ずつ見せられているような気分だ。産着に包まれた赤子、まだ若い母サーラの乳に吸い付く赤子、ヨタヨタとした足取りで家や集会場の周りを歩き回る幼子、母に叱られて大泣きしている幼子、近所の男の子達と喧嘩をして、そして泣かせてしまった
そして、母の病に思い詰めた表情で目の前に立つ少女、街から離れた森の中で人知れず泣声を上げる少女、盟約を受け入れ守護者になる決心をした少女……
(ズット、ノヴァノ事ヲ見テイタ……此レカラモソウダト思ッテ―― ッ!)
ルカンの思考は次の瞬間、別の事柄に支配される。先程まで穏やかな思い出のイメージを伝えていた思考は、今全く別の差し迫ったイメージを伝える。目の前 ――ノヴァでもルカンでもない視界―― には檻に入れられて傷つき血を流している少女が見える。そしてそれを取り囲むようにしている大人数の人間達が見える。既に
(マタ密猟カ!)
「場所は?」
(下流ダ……滝ノ近ク!)
「どうしよう?」
(数ガ多イヨウダ、私ガ先ニ行ッテ牽制スル……ノヴァハ……アノ人間達ヲ連レテ来イ!)
「アノ人間達」と言った時のルカンの思考は一瞬だが苦悩を見せた。しかしそれを押し殺してノヴァに援軍を求めるように言うのだった。
「分かったわ、ルカン……気を付けて!」
既に立ち上がっている一人と一頭は夫々逆の方を目指して全速力で走り出すのだった。
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「馬蹄陣を組め!」
「怯むな! たかが魔獣一匹だ!」
エイリーの指示とルートッドの怒号が飛ぶ。その声に従うように傭兵達は大柄な
エイリー率いるカルアニスの傭兵団は密猟者達の先導を受けながら、予定通りにカナリッジの街から北上すると夜陰に乗じてドルド河を渡り森の国ドルドのユニコーンの森へ潜入をしていた。そこで、密猟者が中心となり罠を設置すると未明に近い時刻になってから、頃合いを見計い囮の少女をルートッドが短槍で突き刺したのだ。檻の中の少女は怯えた表情を苦痛に歪めると小さい悲鳴を吐いた。
それから十分もしない内に、一団の目の前に白い巨体の
五十人以上の傭兵を目の前にしても引き下がることなく、白い巨体を躍動させるユニコーンの瞳は怒りに燃えたままである。勿論その怒りは自分の目の前で傷つき蹲る少女に再び刃を突き立てるという暴挙に及んだ
(アノ檻ヲ壊シテ、早ク乙女ヲ助ナケレバ……)
怒り満たされた魔獣の思考はそんな結論と共にその巨体を突き動かす。白い巨体が角を振り回すようにして、傭兵達に踊りかかるのだが――
「今だ!」
傭兵達に混じっていた密猟者が大声で合図を送ると、地面に枯草や落ち葉で偽装され隠されていた仕掛け網が跳ね上がる。大きな木の枝の反発力を利用した罠はユニコーンの巨体を宙に浮かせることは出来なかったが、その網に脚や角を絡め捕るには充分だった。
「投網を!」
突然の罠に驚き棹立ちになるユニコーンは暴れるだけ網をその馬体に絡めつける結果となる。そこに木の上から投網が幾重にも投げ付けられると白い魔獣は完全に動きを封じられていたのだった。
「まったく、おっかない馬だぜ」
何重にも網やロープを掛けられて、尻を槍で突かれながら馬車の上の檻に追い立てられるユニコーンを見ながら、首を伝う冷や汗にも似た感触に顔を歪めたルートッドはそう吐き捨てる。実際彼等の傭兵団は捕獲までの最初の衝突で十名が重傷を負っていた。ルートッドは負傷して呻く仲間を横目に見つつ、その間を忙しそうに歩き回る薄黄色のローブを着た小男に声を掛ける。
「オイ、神官! そっちが終わったら、あっちの少女も癒してやれ。用事が済んだんだから『処女』である必要はないもんな」
そう言って端正な顔を卑しい笑みで歪める。神官と呼ばれた小男もその意味は理解しているようで、黄ばんだ歯を剥くようにして笑う。富と商売と約束事の神テーヴァの聖印が不本意そうにその胸で揺れている。
「おいルートッド、お楽しみは街に帰ってからだぞ」
ニヤ付いているルートッドにそう声を掛けてくるのは、大剣を鞘に戻しながら歩いてくるエイリーだ。その後ろには二人の魔術師が付いて歩いている。
「あーエイリーさん、これであいつ等は釣られ――」
「それ以上喋るな!」
エイリーに話しかけたルートッドを魔術師の一人 ――ライア―― が制止する。言い掛けた言葉を遮られたルートッドは不機嫌そうに槍の石突で地面を打つ。
「なんだと?」
そう凄むルートッドだが、それを意に介さないライアは小声で囁くように答える。
「いいか、成熟したユニコーンは見聞きした内容を他のユニコーンと共有できる。この個体は先日捕まえたものよりも大きい、多分成熟したユニコーンなのだろう。我々の
「……だとさ。だから、あんまり喋るなよ」
「ちっ、わかりました」
見ず知らずの薄気味悪い魔術師の言葉ならいざ知らず、首領エイリーの言葉には素直に従うルートッドであった。そう言うと傭兵の集団の方へ歩きながら、全員に撤収の号令を掛ける副官の仕事に戻るルートッドであった。
結局「神官」の神蹟術でも間に合わなかった三名が死亡したが、無事ユニコーンを捕えることが出来た傭兵団だった。そして、一行は密猟者達が痕跡を消す作業をするのをゆっくりと見守ると、白み始めた闇の中をそろそろとドルド河へ移動していく。
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森の繁みに身を屈めたルカンはその様子を見て、ノヴァへ送っている。ノヴァへの意識の交流は元の感度に戻っていた。一時期それが滞ったのは、ルカンが自分の乱れる感情をノヴァに知られるのを恐れて一方的に遮断していたためだった。今遮る必要の無い思考とイメージはノヴァの頭の中に流れ込んでいるだろう。
(思ッタ以上ニ多イナ)
(ルカン、私達が行くまで無茶しないでね)
(ワカッテイル)
そんな短い遣り取りをする間にも、人間の集団は引き上げる作業を終わらせてこの場を離れる素振りを見せ始めている。ここからドルド河までは約二キロ、ドルド河の下流にある大きな滝の上に出るはずだと、ルカンは考える。滝の手前は流の早い浅瀬になっているため、密猟者が良く使う通り道の一つとなっていた。滝が目印になるため、都合が良いらしい。
(私一人デ飛ビ込ンデモ、難シイ人数ダナ……ヤハリノヴァト人間達ヲ待ツカ)
(そうして頂戴!)
ふと考えた事にまで返事を送ってくるノヴァに、今は複雑な気持ちを押し殺すルカンであった。
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時間はほんの少しだけ溯る。
ドルド河の河原でルカンと別れたノヴァは夜の闇を矢のように走りスミの街を目指す。一角獣の守護者たるノヴァの力は「盟約」からもたらされる恩恵だ。しかし、純潔な乙女ならば誰でも盟約が結べる訳では無い。元々の素養の高い人物であることが求められるのだ。
現にノヴァは、ある程度の精霊術を使えるし弓にも精通している。ドルイドという生活様式から自然に身に着けた力であるが、元々卓越した才能を持っていたのは確かだった。そして「守護者」となってからはエルフの戦士たちから短槍や剣と盾を用いた接近戦も叩き込まれている。
今は、地の精霊と風の精霊の力を借りて「
「密猟者だ! 大人数が西の滝に集まっている! 応援が必要だ!」
と呼び掛ける。スミの街の人々は守護者ノヴァからの
打ち鳴らされる半鐘の音が届くか届かないか、という時にノヴァはウェスタ侯爵の騎士達が寄宿する集会場の一階に飛び込んで行った。当然屋敷の外で天幕を張っていた従卒兵もその勢いに叩き起こされる。
「アルヴァン! アルヴァン! 大変だ、助けて欲しい」
大声で呼ぶノヴァの差し迫った声と気迫に、騎士達は飛び起きると広間に集まって来る。全員鎧こそ脱いでいるものの盾や剣を持って部屋から飛び出してくる辺りは流石である。勿論、普段は寝起きが良くないアルヴァンも無理矢理に意識を鮮明にして駆け付ける。
「どうした? ノヴァ?」
「アルヴァン! 助けて欲しい、大勢の密猟者が出た……五十人以上居るってルカンが言ってる!」
その声に表情を険しくしたアルヴァンは、咄嗟に同じく広間に出て来たデイルとユーリーの顔を見る。アルヴァンの意志を察した二人は別々だが、力強く頷き返すのだった。
「全員装備を整えろ! 五分で……いや十分で出発する!」
「応!」
アルヴァンの号令に、広間は息の合った返事で満たされると、各自一斉に部屋に戻り支度を始める。
(こういう時って見習い騎士の簡単な防具は便利だな!)
そう思うユーリーは目を擦りながら部屋をでてくるヨシンの腕を掴んでもう一度部屋に戻るのだった。
「ななな、なんだよユーリー!」
「いいから、ヨシン! 悪い奴らをやっつけに行くぞ」
「え……りょ、了解!」
建物の外では、従卒兵達が忙しなく馬の準備を始めている。誰も指示していないが、建物の中から聞こえてきた遣り取りを察しての行動だった。
そんな一行の息の合った動きに軽い感動を覚えつつも、ノヴァは頭の中の罪悪感を振り払う。巻き込んでしまったが背に腹は代えられない切羽詰まった感情が逐一ルカンから流れ込んでくるのだ。
(私は街の皆に!)
ノヴァはそう思い、集会所を飛び出して街の方へ駆けて行くのだった。
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