Episode_07.13 彷徨う心
カナリッジの街を傭兵達が出発した同じ日の夜になってから、アルヴァン率いる「使節団」は再度スミの街へ立ち寄っていた。スミの代表者ヘルムは遅い時間にもかかわらず再度一行を快く出迎え、最初の晩の様な宴を開いてくれた。出された料理は
(レオノール様には悪いけど、こっちの方が美味いな)
と一行に思わせるような、慣れ親しんだ普通の料理だった。獣肉にただ塩を振って焼いただけの物がこんなに美味しいとは……と、ユーリーとヨシンはしみじみ思うのであった。
宴の席で話の内容は、ドリステッドでレオノールから聞かされた予言の内容になる。
「もしかして、デイルは……ハンザに子が出来たんじゃないか?」
「えっ……ま、まさか……」
アルヴァンの指摘にデイルの返事は上擦っている。もし本当なら今すぐにでも飛んで帰りたい心境であるが、本当にそうか? と思う。
「出発するまで、その……いつも通りでしたから」
「いや、デイル殿。女子も初めての場合は中々気付かない、そう私の妻は言っておりました」
とは、同僚の騎士の言葉である。三人の子を持つ父親であるらしい。
「いやー男の子かな? 女の子かな?」
「でもデイルさんとハンザ隊長の子供でガルス中将の孫でしょ……男の子でも女の子でも、絶対強い騎士になるよね!」
とヨシンとユーリーが冷やかし半分で声を上げる。因みにこの二人はいつまで経ってもデイルの妻ハンザを「ハンザ隊長」と呼ぶ癖が抜けないのだった。少年時代の擦り込みとは怖いものである。因みにデイルも、たまに言い間違えて妻を「隊長」と呼び叱られたりしているらしい。
「あのなぁお前達、もし女の子で強かったら……大変だぞぉ」
とは意味深なデイルの反論であった。その意味が何となく分かる一同には明るい笑いが起きる。デイルも思わず釣られて笑っているのだから罪の無い話なのだろう。
「そう言えば、ヨシンも良い事言われていたな『幸運の子』とか」
「そうなんですよ。きっと今みたいに右手の猪の炙り肉と左手のクルミパン、どちらを食べても美味しいっていう意味ですよ」
デイルがヨシンに話を振るが、当のヨシンは余り深く考えていないようで自分で茶化した返事をすると、先ず肉を齧りその後直ぐにパンを口の中に放り込んで喉に詰まらせてしまう。
「うー! うー!」
と顔を真っ赤にしているヨシンにユーリーがリンゴ酒の入ったジョッキを渡してやる。それを両手で掴んだヨシンは一気に喉に流し込み事無きをえたようで
「ぷはー! 死ぬかと思った!」
と言うと再び一同の笑いを誘うのだった。
「しかし皆さん、レオノール様が一度に沢山の方の未来を示すのは本当に稀なことですよ。私は聞いたことがありません」
とはヘルムの言葉だ。機嫌良さそうにリンゴ酒を飲む顔は少し赤みが差している。
「そう言えば、ノヴァさんも言われてましてよね。困ったことになってるとかなんとか」
「……」
ユーリーの言葉に一同の視線がノヴァへ向くが、当の本人は心ここに在らずといった風で食事も余り手に付けてないようだった。
「どうしたの? ノヴァ……」
アルヴァンの心配そうな声が掛かる。実はドリステッドを出発してからここまで、ずっとこんな感じだったのだ。アルヴァンが話しかければ、返事はするのだが会話は長く続かない。最初は嫌われたのかと思ったアルヴァンだが、どうもそう言う訳では無さそうだった。常にアルヴァンの隣か、近くに居ようとする彼女の様子からそう感じるアルヴァンなのだ。
「あ、うん……ちょっと考え事で。あの、明日出発ですよね?」
「ああ、ルーカルト王子がオーバリオン王国で待っていると思うから明日の昼には出発しなければ……」
本当は朝にでも出発しなければならないのだが、名残惜しくついつい「昼には」と言ってしまうアルヴァン。明日にはお別れと思うと胸が締め付けられる思いがする。心に決めたことは未だ表に出すのは早いと思っているのだが、リムルベートに帰り父や祖父を説得するための時間を考えると気が遠くなる思いだ。
「そうですか……ではまた明日」
そんなアルヴァンの心中など分かるはずも無いノヴァはそう言うと退席してしまった。
「こら、ノヴァ! まったく、どうしたんでしょうね? 年頃の娘はよく分かりませんなぁ……」
と言って笑うヘルムの顔には困惑したような表情が浮かんでいた。一方、アルヴァンは逃げるように去って行くノヴァの背中を茫然と見つめるのだった。
(お前が変な事、言うからだろ!)
(そんなに変な事、言ってないよ……もう!)
隣同士に座るヨシンはユーリーのわき腹を、仕返しにユーリーもヨシンのわき腹を突きながら小声で言い合う。そんな遣り取りもアルヴァンの耳には入ってこないのだった。
「あー、アルヴァン様? ちょっと……」
突然立ち上がったユーリーは、茫然とした風でテーブルに視線を落としているアルヴァンの手を掴んで引っ張り上げる。
「どうしたんだ、ユーリー?」
「あ、あの……そう、トイレです。さぁアルヴァン様、行きましょう」
デイルの声に咄嗟にそう答えたユーリーは、意味が分からない風のアルヴァンを引っ張ってユーリーは食堂を退席するのだった。
「なんだよユーリー、別にトイレなんて……」
「いやいや、追いかけなって。多分建物の外に出たと思うよ。こっちは適当に時間稼ぎしておくから」
「えっ……あ、ありがとうユーリー」
食堂を出たところで、やっとユーリーの意図を理解したアルヴァンは、親友に礼を言うと建物の入口を飛び出していくのだった。
(お早いお帰りをー)
その後ろ姿に、親友の幸運を祈りつつ手を振るユーリーであった。
(さて、どうやって誤魔化そうかな?)
最低でも二時間くらいは誤魔化すための口実を考えるため、ユーリーはしばし瞑目するのだった。
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ノヴァは特に理由も無く走っている。スミの街は街といっても周囲を囲む外壁などはない。集会場を出て少し走れば直ぐに森の中だ。
近くには「相棒」のルカンの気配は無い。実はドリステッドを出発してからというものルカンの意識が心の中に入って来なくなっていたのだ。こちらから呼びかけても反応が良くない。距離が離れていれば仕方ないのだが、そのルカンに跨った状態でその程度の反応なのには動揺したノヴァだった。
そして更に、彼女の動揺に追い討ちをかけるのが「アルヴァンは明日には出発する」という事実だった。
「もうどうしていいか分からないわ!」
充分街から離れた森の中、木立が切れてちょっとした広場のようになっている場所でノヴァはそう吐き出すように言う。苦し気な気持ちが言葉になって木々に木霊する。
ルカンとは長い付き合いだ。盟約を結ぶ前からスミの街の近くの森に住み付いていたユニコーンのルカンはよく街の中に入って来ていた。そして、物心が付く前のノヴァと出会ったのだ。だから、ノヴァの記憶には常に純白の一本角の獣が居るのだ。盟約の力によって心の中を交流させることが出来るようになるずっと前から、穏やかな心の交流はあったのだ。だからノヴァにしてみると、ルカンは家族のようなものである。そのルカンの心が分からなくなることが辛かった。
その一方でアルヴァンとの出会いは鮮烈だった。一生ルカンと共に過ごしても良いと思っていた自分の「守護者」という立場への決意を呆気無く翻させ、自分を夢中にさせた青年だ。しかも辛いのは、そのアルヴァンの気持ちも自分に向いていることが分かってしまう事だった。ドリステッドの樹上街で、握られた手を握り返したのは決して偶然では無く明確なノヴァの意志だった。生き物の自然な在り方として、アルヴァンの存在を伴侶として求める気持ちは高まりこそすれ、治まる気配は無い。
(私は、ルカンが求めるような純真な乙女じゃないのね……)
そんな自嘲気味な事が頭に浮かんだ時、ノヴァは森の中をこちらへ向けて駆けて来る足音に気付く。そして息遣いも聞こえる……鋭敏化された彼女の感覚はその足音と息遣いの主がアルヴァンだということに気付いてしまう。
(なんで……なんでこっちに来るの?)
会いたくなければ隠れるか、立ち去ればいい。夜の森の中で自分を捕まえることは熟練の狩人にも無理な話である。なのに身体が動かないのだ。
「はぁ、はぁ、はぁ、ほんと……スタミナないな俺……嫌になっちゃうよ」
そんな独り言が聞こえたと思ったらすぐに、木立の間からアルヴァンが姿を現した。
「あ、アルヴァン……」
「はぁ、見つけた……はぁ、はぁ、探したよノヴァ……」
「なんで……追いかけてきたの?」
「はぁ、はぁ、その通り……他にどんな理由で、はぁ、良く知らない森の中を全力疾走するんだよ」
そう言うアルヴァンは膝と肘に泥を張り付けている。どうやら何度か転んだようだ。その泥汚れを恥ずかしそうに手で払うアルヴァンは、フッと視線を上げるとノヴァを真っ直ぐに見る。
「明日、スミの街を出発する。それで、ノヴァに言いたいことが有る」
「な、なに……?」
「付いて来ない? ……いや、付いて来て欲しい!」
「え、え?」
「だから、ノヴァはもう十八歳だろ。俺は……その、俺の場合は年齢制限が無いから。その、つまり……け、結婚しよう!」
極近い距離で見詰め合う二人だが、アルヴァンの言葉に沈黙が訪れる。冷めた沈黙ではない、妙に熱のこもった息を詰めたような沈黙であった。フッと雲が切れて淡い月の光が、そんな二人の上に差し込む。
「な……えっ! えっ? いきなりなの?」
「あ、いや、結婚を前提にして俺に付いて来て欲しい。習慣が違う国だから本当に慣れない場合は難しいし、ノヴァの知らない貴族っていうややこしい世界の住人だし……俺は」
そこで一度息を吐くアルヴァンはノヴァの顔を真っ直ぐに見つめる。薄い月明かりに照らされた短い銀髪の乙女は、絵の世界から抜け出て来たように美しく佇んでいるとアルヴァンの目には映るのだ。
「も、勿論、結婚してくれる気になるまでは、一緒に暮らしたりはしない。しつこく迫ったりもしない。近くの別の貴族の屋敷に住んでリムルベートの街に慣れるように手配するから。手は握るかもしれないし、口付けもするかもしれない、でも誓ってそれ以上の事はしない……って俺は何を言ってんだろう? 今のは忘れてくれ、あ、イヤ、忘れてと言うのはそう言う事をするって意味じゃなくて……」
もう途中から何を言っているのか分からないアルヴァンである。支離滅裂になりかけるのは自分でも分かるのだがどうしようも無い。
「プッ……プハハハハハ」
「な、なんだよ……笑うなよ……」
「だって……ご、ごめんなさい……」
アルヴァンが必死で話す様子を、ふと「可愛らしい」と感じてしまったノヴァは我慢できずに吹き出してしまう。それを非難めいた声で咎めるアルヴァンだが、ひとしきり笑ったノヴァはスッキリとした気持ちになる。
「あのね、私はユニコーンと盟約を結んだ守護者なの……守護者は一生男と一緒になる事も子を持つことも許されないのよ。でもね、アルヴァンに会ってから、私どうやったら守護者のままアルヴァンと一緒になれるか、そんな無理な事ばかり考えてたわ」
そこまで言って一区切りつけるノヴァは意を決したような表情になっている。
「明日の昼まで待って頂戴、『相棒』にはしっかり話をして分かって貰いたいの」
「……分かった、待っている……」
その言葉に頷くアルヴァンと、微笑むノヴァの二人の上には薄い雲の掛かった細い上弦の月が淡い光を放っていた。
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スミの街の集会場ではちょっとした騒ぎが起こっていた。若殿アルヴァンがトイレから中々戻って来ないのだからしょうがない。
それでも、時間稼ぎをしていたユーリーはヨシンの協力もあって何とか二時間ほど粘ったのだが……
「アルヴァン様はどちらだ?」
「あ、いやトイレで気分が悪いといって……結構時間が経ちましたね」
「ちょっと様子を見てくる」
「あ、俺が行きます!」
不審気に尋ねる騎士が様子を見に行こうとするのを、ヨシンが買って出る連携技で何とか時間を稼ぐのだが、そう何度も通用しない。しまいにはデイルから
「ユーリー、お前……嘘をついているだろ?」
と言われて
「嘘ってなんですか?」
とシラを切ったのだがどうしようも無くなってしまった。
「アルヴァン様は何処へ行かれたのだ?」
そう凄んで訊くデイルに追い詰められた気持ちになるユーリーは観念しかけるが――
「あれ、みんなどうしたんだ? デイル、なにコワイ顔をしてるんだ?」
という普段通りの声と共に、腹を摩りながらアルヴァンが現れたのだった。
「アルヴァンさま、腹の具合でも悪いのですか?」
「ああ、最近出てなくてな。旅先では調子を崩しやすいというが本当だったようだ。だが、もう大丈夫だ」
と普段通りの快活な表情で言うものだから、一同胸を撫で下ろしたものだった。そして寄宿する部屋へ戻ろうとする面々には見えないようにユーリーとヨシンにだけ拳を握る仕草を送ってよこす。
(はぁ、頑張った甲斐があったよ……)
ユーリーはその様子にホッと胸を撫で下ろすのだった。
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