Episode_06.06 出発


「あら、じゃぁ一月半も私一人なの?」

「そうなるんだけど……」


 ハンザの言葉は別に険を含むものではないのだが、それに応じるデイルは少し申し訳なさそうにしている。デイル自身も、任務は仕方ないのだが、一月半も家を空けるのは心配、と言うよりも「寂しい気分」なのである。毎日当たり前のように作ってくれる食事もしばらく食べられないと思うと気が重い。決して邸宅や他の騎士の前では見せないデイルの一面である。


 二人の会話は自宅で食卓を囲んでのものである。並べられた食事は全てハンザの手作りの料理だ。香草を束にして大きな口に突っ込みそのままグリルされた魚や、葉物野菜のソテー、豚の塩漬けを戻してスープとしたものには溶き卵がフワリと浮いている。ウェスタ城下のラールス家屋敷で、味付けに悪戦苦闘していた頃が嘘のような出来上がりである。


 そんなハンザは、朝デイルを送り出してから、一通りの家事を済ませて市場へ買い物に出かけるのが日課になっている。その日採れた新鮮な野菜や豊富な魚介類、近郊の農村から届く家畜の肉類等が溢れんばかりに売られている市場の活気は、王都リムルベートに引っ越した頃のハンザの眼には「戦場」または「出陣前の駐屯地」のように映ったという。


 それが今ではもう慣れてしまって、人ごみを掻き分けて馴染みの店で望みの物を安く調達する術も心得ている。


(値切るときは、厳しい口調よりもよっぽど女らしく話した方がいいのだな)


 などと言う心得もわきまえ始めていて「新妻」振りに磨きがかかっている。値切って買い物をすることを覚えたハンザは、最近上手く値引き交渉が成功するのは自分の頼み方が上手くなったと思っている。しかし、これは彼女の勘違いであり、実際の所は自身の持つ一風変わった雰囲気が、店の者に覚えて貰いやすいことに起因している。


 もともと華美な服装は好まないハンザだから、それなり・・・・の服装、つまり町の女房に見えるような地味な恰好である。腰には念のため短剣を差しているが、それ以外は何処にでもいる女性の姿である。しかし、小柄ながらスッと伸びた背筋と、歳の割には可憐で凛とした容貌がすれ違う人をハッと振り向かせるほど存在感を放つのである。


 その上で市場の少し乱暴な雰囲気にも全く動じず、露店に因縁をつける破落戸ごろつき風の連中を、あっという間の早業で打倒して追い払うことしばしば・・・・であるから、露天商や商店主たちにはとてもウケが良いのだ。悩みといえば、買い物中に優男風の若い男から声を掛けられる事くらいだった。その度に「あっちへ行け!」と追い払っているのだが、まんざら悪い気もしないハンザなのである。


「まぁ任務ならば仕方ないわね……アルヴァン様をしっかりお守りしないと」

「そうだな……かなりお厭そうだったからな」

「ルーカルト王子かぁ……よく父も非難めいたことを言っていたけど……」

「うん、俺は一、二度しかお顔を見たことは無いがちょっと神経質な風に感じたな」


 そう言いながら合間合間に、食事を口に運ぶ。魚の香草焼きは奇抜な外見をしているがハンザ曰く「市場の屋台でこうやって焼いて売っていたから作り方を聞いた」とのことで、確かに香草の香りが魚独特の生臭さを消して更に良い香りを与えている。


「これ、美味いな」

「よかったわ、お口にあったようで」


 その遣り取り以降、しばらくは食事に専念するデイルの様子を見詰めるハンザはしみじみ・・・・とした感じで言う。


「あなたも大変ね……」

「ん? あぁ、任務だから仕方ないが、しばらくこの食事がお預けかと思うと切ないよ……」

「あら、食事だけなの?」

…………

……


 新婚気分の余韻を楽しむ夫婦が住み暮らす小さで家は、夜の早い内から明かりが消えるものである。


****************************************


 九月も半ばを過ぎた或る日、ウェスタ侯爵領当主ブラハリーと公子アルヴァン、それに家中から選抜された八名の騎士と二名の見習い騎士は王城の第二城郭内でガーディス王子からの訓示を聞いていた。皆の前に立つガーディス王子、その対面にはルーカルト王子が立ち、その斜め後ろにブラハリーとアルヴァンが控える格好だ。そしてウェスタ侯爵領正騎士団十名とリムルベート王国第一騎士団三十名、それに随行する渉外担当官五名の一団が更にその後ろに控えている。


「皆も良く知るように、今回の使節団の目的は同盟諸国への表敬訪問、および同盟関係の維持、良好な関係の増進である。くれぐれもその事を各自忘れずに胸に刻むように……よいかルーカルト?」


 最後だけ名指しで弟の名を呼ぶガーディス王子の意図は明らかである。


 出発に先立ち、父親の命を受けたルーカルト王子だが、近しい者達に不満をぶちまけていたのである。勿論、前回ブラハリーが第二騎士団長に就任した時の自分の失態は覚えているから、直接父親や兄に言わないだけの分別はあるのだが、それにしても酷い荒れようだったと言う。


 何故王子である自分が? それも気に入らないブラハリーの息子などと共に使節団に成らなければいけないのか? そもそも、オーバリオン王国だけならばまだしも、ドワーフの国や辺鄙な森の国へまで行く必要があるのか? と大いに不満を漏らしていたと言う。


 勿論その状況は、兄であるガーディス王子には筒抜けなのだが父親ローデウス王と違い「とっくの昔に」弟ルーカルトの性情に愛想を尽かしている第一王子は冷淡にこれを放置していた。しかし、弟の周囲に送り込んでいる者からの報告では出発間際の昨日になっても


「俺は行かない! 行きたくない!」


 と部屋に籠って酒を呷っていたというから、流石にガーディス王子も驚いたものだ。仕方なく、ルーカルトを呼び出したガーディス王子は三十四歳にもなって不貞腐れた表情を浮かべる弟に、


「よいかルーカルト、リムルベート王家が如何に強大でも、それは周囲を固めてくれる家臣達、伯爵侯爵家の者達、そして同盟国の助けがあって初めて成り立つものなのだ。今回の使節団の任は辛いだろうが、どうか兄を助けると思い頑張ってくれ」


 と優しく教え諭す声を掛けざるを得なくなった。


(まったく、暗愚もここまで来ると痛々しいものだ)


 そんな思いが訓示の最後にルーカルトを名指しさせることになるのだが、その気持ちを全く読み取れない当の本人は「兄の期待の現れと」その言葉を意気に感じる。後ろで聞いている、詳しい事情を知らないはずのブラハリーやアルヴァンさえも苦笑いが顔に出ないように必死になっているのに、ルーカルトはそう・・なのである。だから、


「はい! リムルベート王国の名に恥じぬよう努めてみせます!」


 とやや気合いの入り過ぎた返事を返すのだった。


「……ウェスタ侯爵家公子アルヴァンよ、この機会を良いものとし存分に見聞を広げて来るが良い」

「ははぁ、有り難き幸せ」


 一方のアルヴァンは卒なくガーディス王子の呼掛けに答える。


 アルヴァンもこの使節団に同行することには、話を聞いて二日間くらいは「グズグズ」と文句を言っていたが、何処かのタイミングでそれをスッパリ切り捨てると気持ちを入れ替えていた。今となっては親友達と諸国を巡る旅に出られることを歓迎する気持ちにさえなっているのだ。


(どうせ、四六時中一緒にいる訳では無いのだからな、大丈夫さ)


 ルーカルト王子の件は、そうやって納得しているアルヴァンである。


 そして「西方同盟連絡使節団」の一行はリムルベート王城を後にするのだった。勇壮な第一騎士団に警護された豪華な装飾の二頭立て馬車が城門を通過し、その後に渉外担当官五名が乗る馬車、物資を積んだ荷馬車そして従卒兵が続く。そして、最後尾にウェスタ侯爵家正騎士団十名とアルヴァンを載せたやや質素な馬車と荷馬車が続き、第二第三城郭の城門を抜けていく。最初の行先は「山の王国」と呼ばれる、ドワーフ達の国である。


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