Episode_06.02 サハン・ユードース男爵


 ユーリーはこの日の午前、二日振りにサハン・ユードース男爵の屋敷を訪れた。目的はサハンから初歩的な魔術を習うことである。数か月前にほんの十日間ほど滞在した時はほぼ毎日教えを受けており、お蔭でユーリーは苦手な「力場術」と「放射術」に対する理解を深めることが出来た。


 その後、屋敷に滞在する理由が無くなってからも、


「ブラハリー様からは頂き過ぎた・・・・・感がある。お前に教えることで埋め合わせをしよう」


 というサハンの言葉に甘えて通い続けているユーリーなのだ。やはり基礎もしっかりと出来ていない者が独学で学ぶ行程は、努力に見合った成果が無く、しっかりと教えた経験のある者から指導を受ける場合と比較にならない。その上、何事も「分かり出す」と面白いものだが、ユーリーも今はそう言う境地にある。だから、サハンの屋敷を訪れる日を心待ちにしているのだ。


 一方、ウェスタ侯爵家からの謝礼を「頂き過ぎた」と評するサハンの親切は、現役時代の彼ならば考えも付かない発想だったかもしれない。魔術アカデミーマスターの地位を利用し、金を集めてそれを「魔術師の待遇改善」の運動に注ぎ込んでいた当時のサハンにはそんな親切を発揮する余裕が無かったのだ。しかし、今の老い疲れたサハンは自然とそう言った発想ができるのだった。


 更に、サハンとしては、飲み込みが早く魔力量が異常に多くかつ魔術陣の「起想段階」が卓越して早いユーリーに新しい知識を教えることを楽しみにしている面があるのだ。優秀な生徒を得た時の喜びは、特に娘アンナの消息を追い求め、いつ届くか分からない報せを待つ日々の閉塞感をひと時・・・でも忘れさせてくれる。そして、ユーリーの訪問を最近は待ってさえいるのだった。


 そんなサハンであるが、今日は様子が違うとユーリーには感じられた。いつもは始めに三十分ほどユーリーに瞑想をさせつつ「こうイメージしろ」とか「その図形をこう動かせ」という指示を出してくるのだが、今日は一言も発しない。


(サハンさん、どうしたんだろう?)


 普段と違うサハンの様子を訝しく思うため、深く瞑想に入ることが出来ないユーリーである。


 対するサハン、今日は複雑な思いを胸に溜めこんでいる――


 サハンの屈託の発端は至極単純な出来事であった。昨日、ユーリー宛の手紙がウェスタ城から王都リムルベートのウェスタ侯爵邸宅へ、そして邸宅から間違ってサハンの屋敷に転送されてきたのだった。恐らく邸宅の者がユーリーは未だユードース男爵の屋敷に滞在していると勘違いしたのだろう。その手紙は羊皮紙を折って、その折り目に蝋の封印をしただけの簡単な便りだったが、受け取ったチェロ老人はサハンに報告した。その時は


「ウェスタ侯爵邸宅へお返ししなさい」


 と言い掛けたが、次の日 ――つまり今日―― ユーリーが魔術を習いに来ることを思い出し、預かることにしたのだ。そして何気なく裏側の差出人の名を見て「固まって」しまった。そこには


 ――差出人 樫の木村住人 メオン・ストラス――


 と書かれていた。忘れようも無い犬猿の仲。自分の方針に反対して大昔に魔術アカデミーを出て行った、自分よりも遥かに高位の老魔術師の名前である。全く予想外の場所に、予想外の名前を見つけたサハンはしばらく考えがまとまらなかった。しかし、


(ユーリーの言う魔術を教えた父とは、メオンのことか……なるほど、メオンならば人に教えるなど苦手中の苦手だろう。ユーリーがあんな中途半端な状態だったのも頷ける)


 と思うのだった。サハンの評する「中途半端な状態」とは、最初級の術をすっ飛ばして付与術に偏って習得していた少し前のユーリーのことである。


(最初は、ユーリーに教えた者はよっぽどの阿呆かと思っていたが……あれは訂正せねばな)


 とサハンは思う。教えた人間が「教える」ことに不慣れだっただけのことだ。


 アンナが失踪した翌春に事情を直接訊くために樫の木村を訪れたサハンは、メオンと(一応は)和解している。お互いに歳を取ったせいで、昔の対立が馬鹿らしくなったこと。それに、アンナの身に起きた不幸な出来事のせいで、両者とも角を突き合わせる気分ではなかったことが和解を促した原因だったのだろう。


 しかし、いかに和解したと言っても遠慮は残るのである。メオンに子が有ったなど、今日の今日まで知らなかったサハンであるが、そうであるなら自分がしていることは「大きなお世話」とメオンに受け取られ兼ねない。恩人のウェスタ侯爵家当主ブラハリーとその長子アルヴァンの頼みだったとしても、一応の確認は取っておかなければならない。そう言う気持ちになるサハンである。


 やがて、普段と少し雰囲気が違う瞑想を終えたユーリーが目を開ける。


「あのー、多分三十分以上経ったと思うんですけど……」

「おっと、そうだったな」


 ユーリーのおずおず・・・・とした申し出に返事をするサハンは改めてユーリーの顔を見る。メオンの若い頃は知らないが、少なくともメオンはユーリー程容姿の良い青年では無かったはずだと想像するのだ。メオンはどちらかと言うと頬骨が張り、顎が長い上に鼻が低い風貌だ。勿論そこまでの醜男では無いのだが、目の前のユーリーと


(まったく似ていない)


 と思うサハンである。似ている、似ていないはともかくとしてユーリーが自分とメオンの「犬猿の仲」という事情を承知しているか確認する必要があると感じたサハンは質問を投げかける。


「ユーリー、お前に魔術を教えた父とは何と言う名だ?」

「メオンって言います。本当の父じゃなくて養父です、未だ元気ですけど普段は『お爺ちゃん』呼んでるくらい、結構歳なんですよ」


 ユーリーの返事は屈託がない。何という事もなく答える様子にサハンはこの青年がメオンの「養子」であるという一定の納得を得る。そして、その様子からユーリーもメオンも自分という存在に気付いていないと感じたサハンは、ならば尚の事これ以上ユーリーを指導するにあたって、メオンの了解を取らなければならないと感じるのだった。


「これを……お前宛てに届いた手紙だ」

「あ、あれー? すみません」

「その手紙、お前のその『養父』が差出人なのだろう……そしてお前も樫の木村の出身だな?」

「え? はい、そうですけど……」


 「それが何か?」と言いたげな様子のユーリーである。サハンは少し苦い気持ちを噛み殺しながら言う


「実はな、お前の養父メオンと私は昔からとても仲が悪かったのだよ」

「え? そうだったんですか……」


 ユーリーとしては、自分の養父の性格を良く知っているため「きっとお爺ちゃんが頑固な事を言ってサハンさんを怒らせたのだろうなぁ」と思う。そして何となく申し訳ない気持ちになるのだ。


「なんか、ご迷惑かけたみたいで……どうもすみません」

「ハハハ、迷惑をかけたのではないよ。魔術に対する考え方の違いが原因で仲が悪かったのだ……それに迷惑をかけたと言うならば、こちらの方が余程に迷惑を掛けている」


 サハンの言葉、後半部分の意味が分からないユーリーは「迷惑をかけた?」といった表情になる。それに対してサハンは言葉と続ける。


「四年前に樫の木村を襲った事件『魔術師アンナ』は私の娘だ」

「……!……アンナ……えっ!? アンナさん、娘? え、じゃぁサハンさんてアンナさんの!」

「そうだ、アンナの父親だ」

「あぁ……」


 その記憶はユーリーにも鮮烈だった。黒いローブのフードから巻き毛の金髪を毀れさせて笑う美しいアンナの記憶は、樫の木村の河縁で会話を交わした時の印象。そして、くらいびつな歓びに支配された何とも言えない雰囲気を纏わせて養父メオンとフリタ、それに自分に目掛けて黒い光の波を浴びせかけた時の表情、それらが蘇ってくる。


「あ、アンナさんは、その……何者かに操られていたと思います。あの時、お爺ちゃんの張った『対魔術障壁』を打ち破った黒い光に襲われて、僕はその後の事を覚えていないんです……」


 申し訳なさそうに言うユーリーの素振りが余程サハンには辛い。しかし、


「そうか……メオンからは、娘は最後の攻撃を『相移転』で逃れた可能性があると聞いている。お前もそう言う意味では被害者だったのだな……すまない。娘に代わって詫びる」


 そう言って頭を下げるサハン。めっきり薄くなった頭頂部が彼の苦悩を物語っているようだ。しかし、ユーリーはサハンの所作にどう反応していいか分からず、話題を変えようとする。


「でも、お爺ちゃんとサハンさんが知り合いだったとは驚きました」

「……知り合いな……とても仲の悪い知り合いだったな。だから、私がお前へ魔術を教えていることも、もしかしたらメオンは嫌がるかもしれない……」

「まさか! 僕は嬉しいですよ。自分一人で気が付かないところ、分からないところ。自分一人で学ぶには魔術は難しいです」


 ユーリーはサハンの思いがけない言葉に戸惑いつつも、極めて正直な気持ちを喋る。


「この間の港での事件も『対魔術障壁マジックシールド』や『閃光フラッシュ』が無ければ僕も友達もどうなっていたか分かりません。僕はサハンさんに恩があります」

「……そう言ってもらえると嬉しい。だが、このままでは私の気持ちが済まない。メオンには一度私から手紙を書こう……大丈夫だ、幾ら仲が悪いと言っても彼は聡明な魔術師だ。お前から学ぶ機会を奪ったりはしまいよ」


 結局この日は、これ以上の教えは無かった。ユーリーは少し困惑したチェロ老人と会話をしつつ、この老僕が用意した軽食を摂り、屋敷を後にしたのであった。


****************************************


 その日の夕方、アカデミーでの講義を聞き終えたユーリーとヨシンはアルヴァンと共にウェスタ侯爵邸宅へ戻った。未だ日が明るかったので、アルヴァンに乗馬に誘われた二人は邸宅とその周辺を馬の練習を兼ねて一回りしていた。何度も挫けそうになりつつも、しつこく乗馬の訓練を続けていた二人は、アルヴァン程は上手でないにしろ一応馬に乗って移動することは出来るようになっていたのだ。


 邸宅の前の坂を下り、西のロージアン侯爵の邸宅が有る方へ向かった三人は、城郭の中から外へ向かう林の中の道をしばらく進み、やがて折り返して戻ってくる。その行程、一時間程度で日が暮れかけた時刻に邸宅に戻った三人は、アルヴァンが「ちょっと用事があるから、また明日」といって去って行ったため、馬を厩舎に返した後は「修練の間」へ向かったのだった。


 そんな風に過ごしながらも、ユーリーの胸中には今朝のサハンとの遣り取りが小さくユーリーの心にシコリとなって残っていた。しかし、サハンが言うように養父メオンが自分から「学ぶ機会」を奪うというような心配をしているのではない。チェロ老人から、サハンがアカデミーマスターを辞めたのも、家計が借金まみれだったことも、全て失踪した娘アンナの捜索に奔走した結果だと聞かされたからだ。


(いつか探し出してあげたい……)


 苦悩の表情でアンナの事を語ったサハンに対して、何か力になってあげたいと思う素直な気持ちが「シコリ」として残ったのだった。


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