【見習い騎士編】見習い騎士と山の王子

Episode_06.01 或る日のユーリー


アーシラ帝国歴493年9月


 未だ夏の暑さが残る晩夏の石畳を一人の騎士風の青年が歩いている。そんな彼の頬を海から丘へ駆け上がる海風が吹き抜ける。いつも通りに色々な匂いを青年の元に運び届ける海風だが肝心の涼しさと、愛しい少女の気配は含まれていなかった。


 ふと、そんな感傷めいた気持ちに囚われた青年は登り坂の途中で足を止め、青空を見上げる。照りつける太陽は、ウェスタ侯爵領にいた時も、樫の木村にいた時も、そして今も変わらない。


(変わったのは何だろう?)


 ユーリーはそんな自問自答をするが、それは答えを求めるためのものでは無い。変わったことなど分かりきっている。青年の心にポッカリと空いた穴は、リシアとリリアという二人の少女の輪郭をなぞるような形をしているのだった。


 リシアとの別離がもたらした心の穴は大きいものだったが、実は余りユーリーを動揺させるものでは無かった。何故か


(いつか再び会える)


 と確信めいた予感が有るのだ。


 しかし、リリアとの別れは全く違う情動をユーリーにもたらした。


(もしも、もう会えなかったら……)


 別れ際に、強く再会を誓ったはずなのに。口付けを交わすことで想いを確かめ合ったはずなのに。何故かそんな不安がユーリーの心を荒らすのだ。


 「この世の終わり」と言えば周囲は失笑するだろうが、初恋の結末を失恋とは言わないが「別れ」で迎えた青年にとっては、それほど大げさな喩えでは無いのかもしれない。


 ユーリーは空を見上げていた顔を前に向けると、再び歩みだす。だが十歩も進まない内に段々と早足になると、後は遮二無二そのまま坂を駆け上がる勢いとなる。そしてウェスタ侯爵邸宅を目指すのだった。今は何かに打ち込んでいたい心境なのだろう。


****************************************


 「白銀党」と「黒蝋」の騒動が終結した後、ユーリーとヨシンはウェスタ城下へ戻されると考えていた。しかし結果は彼等の予想とは違うことになっていた。昨年のオーク戦争の被害によって人手不足が極まった哨戒騎士団から、アルヴァンの「鶴の一声」で有望株の見習い騎士二名を碌な説明も無いまま引き抜いたことにヨルク団長が怒りを爆発させたのだった。


「侯爵様、現状の人手不足は火を見るより明らか。この責任は団長たる自分にあります。かくなる上は私自身も現場に戻り一人の哨戒騎士として皆と共に働きます!」


 と役目放棄の宣言をウェスタ侯爵ガーランドへ直接したのだった。


「いやいや、ちょっと待て! 儂が何とかするから早まるな。よいな、ヨルク……」


 その後、ウェスタ侯爵ガーランドの命により正騎士団の休息中の百名から若い者を二十名選び出して哨戒騎士団へ出向させることになった。この命令に侯爵自身は「かなりの反発が有る」と考えていたのだが、いざ蓋を開けてみると選び出す人数以上の正騎士が名乗りを上げたのだった。


 これは、今や哨戒騎士団の英雄とされるデイルとハンザの存在によるところが大きい。また、王都リムルベートの邸宅に詰めている正騎士たちから漏れ聞こえる、若い見習い騎士ユーリーとヨシンの実力に対する評価もそれに拍車をかけたのかもしれない。


 とにかく「哨戒騎士団へ行けば鍛えられる」という風潮が広まっていた結果、当初の予想を裏切り、定員割れと思っていた志願者が殺到する結果となっていた。そういう背景から哨戒騎士団は一気に人手不足から人余りに近い状況となったのであった。勿論それでも有事の際は「正騎士」の役割が優先される臨時の団員よりも、叩き上げの哨戒騎士を育成したい副団長パーシャは


「それならば、見習い騎士ユーリーとヨシンはそのまま王都の『邸宅付き』として置いておきましょう。そして将来的には哨戒騎士団と正騎士団で人材交流を行う下地としておきましょう」


 と言う建設的な提案をしたのだった。その結果ユーリーとヨシンはそのまま王都リムルベートに留まることになっていたのだった。


****************************************


 そして、今ユーリーとヨシンはウェスタ侯爵邸宅内の「修練の間」で刃引きした剣を手に素振りをしている。通常よりも重く造られた素振り用の剣である。それを一日に千回、ひたすら振る。上段からの切りおろしならば、構えて、振りかぶり、振り抜き、止める。そして構えに戻るという一連の足運び付きの素振りである。


 残暑の熱気籠る日中の「修練の間」で二人の見習い騎士は、周囲からの呆れた視線に気付きもせずに剣を振っている。悲鳴を上げる腕、疲労が溜まって痛い程の肩、切れ切れになる呼吸、それらを表情に浮かべながらも


「九百九十五」

「九百九十五」

「九百九十五?」

「九百九十五」

「だぁ!! 九百九十九」

「千! ってユーリー、七と八は?」

「はぁはぁはぁ……大丈夫、ちょっと僕もつられて間違えただけだから……」


 数え間違いのヨシンに釣られてユーリーも数え間違えたのだが、何とか修正すると千回の素振りを終えた二人である。毎日とは行かないが三日に一度はこの素振りでヘトヘトになってその日の稽古を終えるのだ。何故か少し離れた場所にいる正騎士や従卒兵からの視線を感じながら稽古道具を片付けるユーリーとヨシンに、デイルが近付いていく。


「まったく、お前達は飽きもせずに同じことを良く繰り返せるな……そこまで行けばもう才能だよ」


 と感心したように声を掛ける。勿論デイルも通った道なのだが、自分でやるのと他人がやっているのでは感じ方が違うものだ。因みに、先々月の「黒蝋」事件の際にノーバラプール盗賊ギルドの拠点であった王都リムルベートの港の倉庫で一瞬対立したデイルとユーリーの関係は特に変化は無かった。強いて言うならば、デイルが内心ユーリーに「一目置く」ようになった位だ。


 回復を待って取り調べるとして放免したジム老人はそのまま病死してしまい、その娘リリアは取り調べに応じたものの


「犯罪者の娘は、犯罪者本人と同じ罪に問う」


 というような無体な法が存在しないリムルベート王国では、彼女は只の「一般市民」であった。尤も、倉庫内での彼女の「過剰防衛」を含む「殺人行為」を有耶無耶にしたのはデイル本人だったのだが……


「あ、デイルさん! 千回振りこれ中々良いですよ……達成感があります」

「誰かに数えて貰ったらもっといいんだけど」


 とデイルの言葉にユーリーとヨシンは口々に返事をする。流石に、ここまで疲労を溜め込めば、デイルに「一手ご指南」と言えない二人は、


「今日はちょっと無理なんですけど、明日稽古お願いします!」

「お願いします!」


 と稽古の約束を取り付けるのだった。


「明日は夕方までブラハリー様のお供で王城だから夕方以降になるが、良いのか?」

「夕方だったら、アカデミー・・・・・も終わってますので都合が良いです!」


 デイルの言葉に返答するユーリーと横で頷くヨシンである。爵家の養子と身分を偽り入学した王立アカデミーへそのまま通っている二人なのだった。因みにアカデミーから「白銀党」が駆逐されたのはユーリーの仕業ということになっており学園内でユーリーは非常に「恐れられて」いた。そのユーリーが名門貴族のアルヴァンと、いつも食堂で授業をさぼっているヨシンと突然仲良くしだしたので、周囲はかなり困惑していた。


 しかし、楽しそうに学園生活を送る三人の雰囲気に次第に周囲の警戒は解れていき、今では他の生徒達との交流も生まれているのである。


 そうやってアカデミーに通いつつも、ユーリーは二日ないし三日に一度はユードース男爵家へ魔術の講義を受けに訪れていた。


 一方のデイルも、義父ガルスの後継として忙しい日々を送っている。慣れない貴族の世界に頭一つを突っ込んだ状態のデイルは、何をするにも不自由で融通の利かないこの世界の常識にうんざりする日々である。唯一の救いはウェスタ侯爵邸宅の近く、坂を下りて直ぐの所に家を借り妻ハンザと暮らしているということだった。新妻ハンザは、そんなデイルの鬱憤と疲労感を新居の寝室で充分に発散させているのだろう。


 稽古を終えたユーリーとヨシンは丁度一区切りついたデイルと共に三人で邸宅を出る。外はそろそろ夕暮れという時刻である。デイルは妻の待つ自宅へ、ユーリーとヨシンは商業地区へ外食に、といった具合である。


「お前達は何処へ行くんだ?」

「ユーリーが、美味い内蔵肉の煮込みを出す屋台を知ってるって言うんでこれから商業地区です」

「ほー、そんなにうまいのか?」

「はい、屋台の店主が桐の木村出身の人で、なんでも秘伝の香草で臭みを取るのが秘訣って言ってましたよ。肉も柔らかくておいしいですけど、食べた後の汁を小麦麺に回し掛けて啜ると堪りません!」

「そうだ! デイルさんも一緒に行きませんか?」


 なんとも美味そうにちょっとした名物料理を説明するユーリーと、その後すかさずデイルを誘うヨシン。デイルが一緒に来てくれたら夕食代を奢ってもらえる、という事を目当てにした連携攻撃である。が、


「いやー、止めておくよ。家に帰りたいし」


 そう言いながら、頬を緩めるデイルの惚気た雰囲気を突破することは出来なかった。


(チッ)


 リリアと別れたばかりのユーリー、マーシャに中々会えないヨシン、二人は思わず内心同時に舌打ちしたのだった。しかし、そんな二人の様子など目に入っていないデイルは、


「そうだ……お前達、今度ウチへ遊びに来いよ。ハンザの手料理も中々美味しいぞ」


 とにこやかに二人を誘うのだった。一方「あのハンザ隊長」と「手料理」という言葉が結びつかないユーリーとヨシンは、一瞬返事に窮してしまう。


「……じゃ、じゃぁ今度デイルさんの都合が良い時に誘ってください」

「わかったよ。ハンザもお前達の話を聞きたがっていたから、喜ぶと思う」


 二人の見習い騎士の困惑を余所に、デイルは機嫌よく応じるのだった。


****************************************


 商業区と港湾区の境目は歓楽街と呼ばれているが、全てが「剥がれ月」亭のようないかがわしい・・・・・・店では無い。特に大通りから一つ折れ曲がった歓楽街の目抜き通りに面した店は、どちらかと言えば洒落たレストランだったり、高級な飲み屋だったりする。そして、その目抜き通りへ入らずに大通りをまっすぐ港湾地区を目指すと、屋台街と夜市ナイトマーケットが広がる区画に出るのだ。


 ユーリーとヨシンの目当ては、この屋台街の一角に店を出している名前も付いていないような屋台である。結構な繁盛店なのだが、まだ四十代手前の店主が一人で切り盛りしている。牛や豚、馬や羊などの家畜の内臓肉をトロ火で煮込み、注文に応じて小さい土鍋に移し、芹やリーキなどの香りの良い野菜と一緒にグツグツ煮立つまで温めてから客に提供するため、普段は常に十人強の人々が屋台の前に列を作っているのが普通だった。その客が少し往来の妨げになっていたりもしたのだが、


「あれ?」

「どうした? やって無いのか?」

「いや、でもいつもはもっと行列になっているんだけどなー」


 というユーリーの疑問のとおり、屋台の前は注文をしている人とその後ろに人が一人二人といった具合である。訝しく思いながら屋台の前に行くと、丁度前の客が注文を終えたところだった。


「おじさん、煮込み二人前! 汁多目で鍋は一つで」

「へい! 大二(大銅貨二枚)になります!」

「おじさん、いつもの行列はどうしたの?」

「いや、往来の邪魔だって衛兵隊がしつこく言ってくるもんで、客捌きに人を雇ったんですよ」


 ユーリーと店主がそんなやり取りをしていると、不意に横から若い女性の声が掛かった。


「お客さん、あっちの共用テーブルで座ってお待ちください。これ番号札ですっ……て、あれ! ユーリーさん?」

「え?」


 そう言って声を掛けてきたのは、今店主が言った新しく雇った店員なのだろうが、ユーリーを見知った風に声を掛けてくる。歳頃は十八前後、市場で働く女性が身に着けるような地味な服に白色のエプロンと言った格好だが、ぽってりとした唇に低い鼻筋、そしてまつ毛が長い目元は、なかなか男好きする印象の風貌である。


(あれー? どっかで会ったような?)


と言う、思い出せそうで思い出せないもどかしさを感じるユーリーに、ヨシンが


「知り合いか?」


 と聞いてくるので、


「うん……久しぶり、だね?」


 と返すユーリーなのだが、


「もう……ユーリーさん覚えてないんでしょ! 剥がれ月で働いていたんですよ!」

「あ! ああ、あー思い出した。そうか、お店辞めたんだね。ぜったいそっちの方が良いよ!」


 その女の一言で、ようやく思い出したユーリーである。「白銀党」を捕縛する際に先行して店に入店して、少し話した時以来だったがまともな働き口に就いたことに安堵する。


「おーい! サボってないで持ってってくれ!」


 そんな所に店主から声が掛かった。女は短く「私、アニーって言います」と名乗るとアツアツの土鍋を盆に載せて待っている客の所へ運ぶ仕事に戻って行った。その後ろ姿を見送りつつ、自分達も共用テーブルに空きを見つけて腰を落ち着けるユーリーとヨシンだが、


「なあ……ユーリー。リリアちゃんとアニーちゃんのどっちが本命なんだ?」

「……はぁ!?」


 その後、親友の誤解を解こうとするユーリー、「二股はいかん」とやけに説教じみた風に話すヨシン、そして合間合間にテーブルを訪れるアニーの様子は、人でごった返す屋台街の風景の一部に溶け込んでいたのだった。


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