Episode_05.23 見習い騎士と暗殺者の娘


 この日の未明から早朝に掛けて起こった港の南端での事件は、季節外れの不自然な程に濃い朝霧・・・・の中で終結を迎えていた。


 ウェスタ侯爵領正騎士団が制圧した「ノーバラプール盗賊ギルド」の「黒蝋」を密売する一派約百五十名と取引場所に居合わせた地元のやくざ衆五十余名、それに拠点周囲の警備を請け負っていた冒険者や傭兵約七十名は、夫々捉えられるかその場で討ち取られるかしていた。


 捕縛された中頭ドルガへの厳しい責めと、物証として押収された荷車に残された「痕跡」から「黒蝋」の密輸に加担した爵家も突きとめられて、動かぬ証拠が突き付けられていたが、この事実は公表されなかった。貴族には貴族なりの厳しい責めがあるのだろう。実際、密輸に加担した五人の伯爵は事件から一年以内に相次いで服毒自殺・・・・を図り、その原因は「気鬱によるもの」として処理されていた。


 一方、ユーリーが潜入していた「白銀党」は少量の「黒蝋」を所持・密売していた罪で主要人物が捕縛対象となった。彼等は捕縛された当日も、「黒蝋」が押収され自分達の爵家の悪事が明らかになったにも関わらず、呑気に「剥がれ月亭」で騒いでいたのだ。


 欲望が具現化したような店に、ウェスタ侯爵領正騎士団の一員として潜行・入店したユーリーはヨシンらと共に、不良グループの幹部を一網打尽にすることに成功していた。因みに「剥がれ月亭」の店自体の営業内容には、あんな店でも違法な箇所は少なかったので店主は罰金刑のみになり掛けたのだが、寸前の所で「隷属的人身売買」が発覚し結局店主は投獄されることとなった。


 違法な人身売買を密告した勇気ある人物は、なんとその店の給仕をしていた少女だった。事情を聴いた衛兵隊の隊長曰く、「白銀党」を捕縛するために店に客として潜入していた黒髪の青年騎士に「こんなことをしていては駄目だ」と諭されたことに勇気をもらい危険を顧みず店の悪事を訴えたという事だった。勿論ユーリーの知らない所での話である。


 その捕物の裏で、アカデミー学生の「白銀党」一味はその捕縛の追手を逃れていた。ユーリーが自分の身分と立場を明かしダレスらに改心を迫ったのだ。ユーリー(というよりウェスタ侯爵家)が出した条件は王都リムルベート及びリムルベート王国からの国外退去であった。改心して国外退去に応じるならば罪を不問にすると言うのは、彼等が端緒となって事件の全容が明らかになったことへの温情と、ユーリーのちょっとした口利きのお蔭だった。


 ダレスは最初反発する素振りを見せたが、そうすると自分の兄や父へ火の粉が映ると悟った後はしおらしく条件を受け入れた。それどころか、ユーリーを恩人と呼んで、


「ユーリー! 俺は強く生きる! そして一角の男になるんだ。だから困った時は頼ってこい!」


 と言い残して王都を去って行ったのだった。彼を見送ったユーリーとしては、その前途を考えると複雑な心境だった。その上、一発も殴る機会は無かった上に「舎弟」から「恩人」へ勝手に格上げして去って行ったダレスには、本当にうんざりするような、それでいて彼が更生することを願うような複雑な気持ちだった。


 そんなユーリーは、しかし悲しい出来事にも遭遇していた。


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 事件が終息してからも、変わらずに王立アカデミーへ通うことを許されていたユーリーは、授業の合間やサハンからの魔術の講義の合間に足繁くリリアとジムの自宅へ通っていた。


 そんなユーリーが、アルヴァンに頼み込んで(実際は頼んだ時の最初の一言で快諾されたのだが)派遣してもらったれっきとした医者の見立てでは、リリアの父親ジムは


「心臓と肺臓を病んでいる。心臓の力が無い為に血が滞り肺に水が溜まっている、残念だがもう一月も持たない」


 そういって、呼吸を楽にする薬をたっぷりと置いて帰って行った。それからの日々はひたすら処方された薬を与え、せめて呼吸の苦しさを取り除きつつ衰え行く老人を見守る日々だった。そんな日々に何よりもユーリーが辛かったのは、力なく項垂れるように眠る父親を見つめ続けるリリアの様子であった。


 当初は「もう来なくていい」とか「放っておいて」と言ってユーリーの訪問を拒否したリリアであったが、十六の少女がそんなに長く気丈に振る舞えるはずが無い。また、十七の青年がそんなに簡単に人との繋がりを見捨てられるはずも無い。いつの間にか、家の中に入ることを許されたユーリーは、今一人でベッドに横たわるジムを看ている。リリアは「買い物に行く」といって少し前に外出したのだ。


 七月終わりの夏の日差しは既に西へ傾き、部屋の中には朱色の西日が細く差し込む時刻である。苦し気に咳き込むジムは、その拍子に目覚めるとベッドの横に座るユーリーに気付き目線を送る。そして、ユーリーもジムが目覚めたことを知り枕元の水差しに手を掛ける。


「ユ、ユーリー君」

「はい」

「これは、俺の寝言だと……思って聞いてほしい」


 ゼエゼエと痰の絡む声だが、怖い位に力がこもっている。その気迫めいた力にユーリーは無言で頷き返す。


「リリアは、俺の子じゃない……」


 ジムの一人語りは、聞き取り難く時に詰まり、時に酷い咳に中断されながら、それでも続く――


 ジムは元々中原地方と西方辺境地方の境目、古都ベートの出身だった。ベートの悪名高い暗殺者集団「ザクア」の一員だった彼は「ザクア」と親密な関係にあるベートの盗賊ギルドの若頭ギャロスの幼馴染だったと言う。ある日「ザクア」の仕事で、オーチェンカスクの或る都市の領主邸宅に忍び込んだ彼は依頼主と暗殺標的を取り違えてしまう。


 依頼主は領主の妾のハーフエルフだった、自身が産み落とした娘の将来が開けるように、第一夫人とその息子を暗殺するように「ザクア」に依頼したのだった。その依頼は領主一族の家内対立を背景とした複雑な事情があり、結局「ザクア」に依頼するために必要な莫大な代価はその親戚筋から捻出されていた。そんなお家事情が絡む仕事でジムは大失敗を犯したのだった。


 忍び込んだ屋敷は、以前第一夫人が使用していた屋敷だったが直前に依頼主である第二夫人が主となっていた。その連絡が手違いでジムに届いていなかったのだ。四十代中盤、脂の乗り切った凄腕暗殺者のジムは同僚のムエレと共に屋敷に潜入した。年下のムエレが周囲の警戒をする中、婦人の寝所へ侵入したジムは冷酷な刃をベッドに横たわる夫人に突き立てた。ジムの刃は違う事無くベッドに横たわる女性の心臓を貫いていた。断末の痙攣と共にシーツが床に落ちるとそこには、聞いていた話と違うハーフエルフの風貌を備えた女性が横たわっていた。驚くジムに、部屋に駆け込んでくるムエレがしゃがれた声で告げる。


「ジム! この屋敷はちがう・・・ぞ!」


 若いムエレの慌てた声に、今まで気付かなかった寝室の隅に置かれた小さいベッドから赤子の泣き声が上がる。ムエレはその小さいベッドに駆け寄り三日月刀シミターを振り上げるが、咄嗟にジムが間に割って入りその赤子を抱きかかえる。


「理由はよく分からない……だけど、何故かその泣き声を……守らないといけないって。はぁ……思っちまったのさ」


 その後は滅茶苦茶だった。依頼を間違え依頼主を手に掛け、そしてその赤子を攫ってきたジムに「ザクア」の長老達は冷淡だった。この場でその赤子を殺せ、と言う長老達とその追手を振り切ったジムは他に行く宛ても無くベートの盗賊ギルドの幼馴染ギャロスを頼った。丁度、中頭に昇進して勢いのあったギャロスは幼馴染のジムを匿うとギルド勢力の空白地帯ノーバラプールの株を買い取りジムを連れて、新天地へ旅立ったのだ。


 ジムを連れるにあたっては、かなりの金を「ザクア」に支払い「遺恨無し」の念書を取り付けたギャロスに頭が上がらないジムは、それから身を粉にしてギャロスの為に働いた。ギャロスが、王政の権勢著しいギルドの空白地帯「リムルベート」に目を付けた時もその地均しを買って出て地元のやくざ衆を大人しくさせたのはジムの功績によるものだった。


「でもな……ちょっと急いで働き過ぎたのかもしれねぇ……」


 そんな激動の中年期を過ごすジムの唯一の心の救いは、すくすくと育ち自分を父親と慕うリリアの存在だった。また、どういう理屈か剣の筋が良いリリアはジムの得意とする「双剣術」と「弓術」それに「隠密術」を乾いた海綿が水を吸うように吸収していった。さらに母親譲りのエルフの能力である「精霊術」と「暗視」も備えた娘は、飛び切り恐ろしい暗殺者になる可能性を秘めていた。しかし、その可能性に気付きつつジムはそれを開花させなかった。


「いいか……女の本質は殺すことじゃない……生み出すことだ……だからユーリー君、リリアに……その幸せを……」


 ジムはそう言うと不意に痩せ細った右手でユーリーの胸倉を掴む。


「なぁ……頼めるか? お前に頼めるのかっ?」


 咳き込みながら言うジムの目はユーリーを見詰める。視線だけで相手を殺してしまいそうな暗殺者の気迫がこもっているが、ユーリーはたじろぎもせず、それを受け止める。ここで退く訳には行かない。


「……リリアは僕が護る! こっちは一度命懸けになったんだ! 頼まれるさ……だからジムは良くなる事だけ考えて……」


 薄暗くなった室内にユーリーの声が響く。その室内の会話を立ち聞きしてしまったリリアは扉の前で買い物籠を持ったまま立ち尽くす。自然と両手が顔を覆う、何故だか涙があふれて止まらなかった……


****************************************


 八月の或る日、中原地方の裏社会に名を轟かせた暗殺者ジムは息を引き取った。娘リリアの幸せをひたすら願いその行く末を若い騎士見習いに預けた男は、しかしこれまでの業を背負ったように相応に苦しんだ末に息を引き取った。その亡骸はフリギア神殿の共同墓地に埋葬され、その葬儀に立ち合うものはリリアとユーリーの二人だけであった。


 ヒッソリとした葬儀と埋葬が終わった帰り道、夏の夜風に吹かれて通りを歩く若い二人は無言だった。ユーリーは酷く落ち込んでいる様子のリリアに良い言葉を掛けたいが、しかし全く思い浮かばない。いつもは「頭の回転が速い」とか「賢い」と親友達から評されているが、存外自分は情けない男だと思うユーリーである。


 一方のリリアは、こんな所まで付き合ってくれるユーリーに心の底から感謝をしていた。しかし自分は暗殺者の娘だ。誰の目にも明らかなほど才能溢れ、将来を嘱望されている騎士見習いと自分では住む場所が違うと思う。七月終わりのあの夕暮れに、家の扉越しに盗み聞いた父とユーリーの会話は「幻想だ」もしくは自分の「願望だ」と思っている。しかし、自分などに構わずもっと光が当たる道を行くべき青年が、何故か自分の側に寄り添ってくれる。この現実だけで胸が一杯なリリアなのである。


(今は この一時は これで善いと……)


 ふと、そんな吟遊詩人の唱う悲恋の詩の一節が思い浮かぶリリアであった。


 やがて二人は、初めて出会った大通りと路地が交錯する場所に辿り着く。港の方からは相変わらずの賑やかしい夜市の喧騒が漏れ聞こえてくる。リリアは振り返るとユーリーを見詰める。ユーリーもそうなることが分かっていたように、リリアを見詰め返す。


「私ね、ノーバラプールのお頭に一度話を通したいんだ。堅気の世界で生きる事を父の恩人に認めてもらいたいの」


 ユーリーは、リリアの抱える背景を知った上でやはり反発する気持ちが有るが、それを押し殺す。


「そうか、ノーバラプールへ行くんだね」

「そうよ、デルフィルとインバフィル経由だからノーバラプールに着くのは秋か、もしかしたら冬になっちゃうかもね……」


 今、リムルベートとノーバラプールの間の街道は封鎖されている。海路でも行き来は厳しく規制されているため、半島を遠回りに迂回する陸路のルートしかないのである。そのルートを旅して、この少女は父の恩人に義理と筋を通そうと言うのだった。


「……しばらく会えなくなるね……でも待ってるよ」

「え……」

「待っている。リリアの事が好きだから、帰って来るのを待っているよ」


 そう言ってほほ笑むユーリーは、そっとリリアの手を握る。その手は少し震えているようだが、リリアには手を伝ってくるユーリーの温かさが感じられた。そして、その温かさが、頑なに装っていた少女の外面を優しく溶かした。胸の奥に在った言葉が一気に溢れ出る。


「ユーリー……私は絶対戻るわ、ユーリーのいる所に。良いわねユーリー、忘れちゃダメよ。今度一緒に成ったら……もう、絶対に、離れない……いっしょに居たいの……ユーリーが好き、だから……」


 言葉の終わりが涙でよく聞き取れない、仕舞にはただの泣き声になってしまうリリアの言葉、しかしユーリーにはその全てがしっかりと・・・・・聞き取れたように感じられた。


 そんなユーリーはリリアを抱き寄せる。優しく抱き締めるつもりだったが、若い情熱はそのまま抱き寄せる力の強さとなる。抱き締められた少女は息が詰まるほどに力を籠める青年の両手の力に全てを委ねた。そしてただ、そっとユーリーの背中に手を回すとゆっくりと、しかし切ないほどの力を籠めて抱きしめ返し、その気持ちに応えるのだった。


 やがて、二人の唇が引き合うように重なり合う。


 ――今はまだ 抱き合うだけの 夏の夜の夢―― 


 何処かで吟遊詩人の唱う悲恋の詩が終わりを迎えた。



アーシラ歴493年8月末

Episode_05 見習い騎士と暗殺者の娘(完)

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