Episode_05.19 包囲網
話は時間を少し溯る
昨晩の密偵達とユーリーの活躍により五つの爵家の敷地内に密輸された「黒蝋」があることを突き止めたウェスタ侯爵邸宅の中の一室は、朝から騒がしくなっていた。持ち帰られた「黒蝋」を所有している爵家の所在地のから、邸宅に滞在していたギルが密偵達の配置計画を練る。その同じ部屋ではデイルとガルス中将が、他の正騎士達と共に用兵について検討している。
今回の事件は「黒蝋」とその密売に関与するグループを集積地で一網打尽にする方針に決している。今はそのための段取りを相談しているのだ。
「父上、やはり兵や騎士を市中に配備・待機させる案は『黒蝋』の持ち込み場所が分かってから、その場所を叩くことを考えると無理がありますね」
「そうだな……ばらけていては連絡が取れないな」
この新しい親子は、非常に仲が良い。形式上は既に「隠居」したガルスであるが、未だに邸宅内の部屋に住み着いているのは当主ブラハリーが引き留めたからであるが、
(自分の経験をデイルに引き継ぐにはちょうど良い)
とガルスは特に不満も無い。一方のデイルは四六時中身近な所に
そして、演習や今回のような事件の捜査では常にデイルとガルス中将の会話で物事の骨格が決まって行く。勿論当主のブラハリーには未だ遠慮がちな態度になってしまうデイルだが、それも「慣れて」しまうまでの時間の問題で、あと数年もすればウェスタ侯爵領の軍事力は筆頭騎士デイル・ラールスが実質的に掌握することになるだろう。
今回の事件は「黒蝋」の集積地を押える実働部隊として正騎士三十と従卒兵三十を選抜済みである。そして、今はその配置について検討しているのだが、デイルは「全員屋敷で待機」が望ましいと思っている。広いリムルベートだが、ウェスタ侯爵邸宅からは、市内のどこでも急げば二時間以内に兵を率いて到着することが出来るのだから、先ず大丈夫だろうという印象だ。
そう考えるデイルを試すようにガルスが幾つか質問する
「集積地が一か所では無かった場合はどうする」
「それは屋敷詰めの正騎士と従卒兵三十づつを配した班を三つ編制し、残りは従卒兵のみの部隊を予備として準備しましょう」
「では、集積地が王都の外だった場合は?」
「それは……ギル? 意見はあるか?」
デイルは自分の分からない部分は無理に答えない。身近に専門家が居るのだからそちらに質問を回すのだ。声を掛けられたギルもその親子の遣り取りは聞こえていたので即答で返す。
「その場合も考慮して、こちらは荷物の追跡班を四名一組で編制しています。追跡距離に応じて順次報告の為に屋敷に戻らせます」
ギルはそう言ったあと「そんなに遠いとは思いませんが」と付け加える。なにせ、爵家の物資に紛れ込ませて王都リムルベート内にわざわざ運び込んだ荷物だ、取引のためにまた持ち出すとは考えにくい。
「ふむ……他になにか心配するべきことはないか?」
ガルスは腕を組んで考える。豪快なようでその実は結構緻密な思考をするタイプなのである。その父の様子にあることを思い付いたデイルは口を開く。
「港がその場所だった場合、物は押えても、人に逃げられる可能性がありますから、港湾局に監視船を出して貰いましょう」
「おお! そうだな、海に逃げられては馬で追えないな」
デイルの案にガルスは冗談めかして答えるとハハハと笑い声を上げるのだった。
結局この朝の打ち合わせで、今晩は三班待機態勢を取り港湾局には当主ブラハリーから手を回してもらうことにする。密偵達は午後遅くに邸宅を出て行くと以後は事件解決まで戻ってこないだろう。そうやって綿密な計画を練り上げたデイルは一人になると「ふぅ」とため息を吐く。
(早く家に帰りたいな……)
想うのは、最近益々色っぽくなった妻ハンザのことであった。
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この日、王立アカデミーは授業のある日だったが、ユーリーとヨシン、それにアルヴァンは登校せずに、ウェスタ侯爵邸宅に待機している。アルヴァンとしては、今回の件を自ら率いたかったが、父ブラハリーから
「でしゃばるな」
とやんわり注意を受けていたのだった。家臣の中で将来重要な位置に着くデイルにもう少し手柄の積み増しをさせたいブラハリーの意向が分かったアルヴァンは引き下がるしかなかった。一方、ブラハリーとしてはもう一つの理由、つまり息子アルヴァンが若い内から少し目立ち過ぎていることへの危惧、というのもあったのだ。
一部では未だにアルヴァンに対して「廃嫡を考えなければならない不出来な嫡子」とか「勝手に騎士を引き連れて王都を飛び出す暴れん坊」という印象を持っている貴族もいるが、大きな爵家は独自にその内容を調査している気配があったのだ。それらの悪名に隠してあるアルヴァンの才覚が周りに知れれば、要らぬ警戒を与えてしまう。
「当主や侯爵など、多少バカだと思われているほうがやり易い」
というのが、最近のブラハリーの持論なのである。
一方でユーリーとヨシンは遠慮なく選抜組に組み入れられている。これはデイルの差し金である。やはり、哨戒騎士時代から
(いい経験になるだろう……)
といった、将来有望な騎士見習いに経験を積ませてやりたいという親心もデイルにはあるのだった。
とにかく留守番役のアルヴァンと、活躍の機会を与えられたユーリーとヨシンが三人で居るのだから、アルヴァンは自然と不平を言っている。
「いいなーユーリーとヨシンばっかり、俺なんて留守番だよ、お留守番!」
「そんなこと言うなよ、盗賊なんてアーヴの出る幕じゃないってことさ」
そうヨシンが慰める。
「そうだよ、『白銀党』の連中もそうだけど、あんな奴ら大したことないって」
そう言ってユーリーが調子を合わせる。まだ少し不満気なアルヴァンだが、こんなことに拘っても意味が無いと考え直し、別の話題を振ってみる。
「そういえばユーリー、ユードース男爵はちゃんと魔術教えてくれている?」
「あー、あれってやっぱりアーヴがしてくれたの? ありがとうね。お蔭で最近は新しい術を何個か使えるようになったよ!」
「え! 本当かよ……」
アルヴァンの問いに返事をするユーリー、その答えにヨシンが驚いて割って入る。しかも愕然とした雰囲気である。
「どうしたのヨシン?」
「だって、ようやくユーリーの使える魔術の名前を覚えたと思ったのに、増えるんだもんなぁー」
「はぁ?」
「……そんな理由?」
「ん? 何か変?」
お門違いの理由で驚いているヨシンにユーリーとアルヴァンは顔を見合わせると笑いが堪えきれない。ハハハハッと笑い合う二人を見てヨシンが不満そうに口を膨らますので、その顔でもう一度笑う二人であった。
「で、でも、どんな術をおぼえたんだ?」
「あぁ、えっとね『
「すごいなー」
「サハン先生に言わせると、『もっと沢山覚えられるのに戦闘に役に立ちそうな物しか覚えようとしないのは良くない』っていつも叱られてるよ」
「いや、もうあんまり増やして欲しくないな、本当に覚えられない気がする」
ユーリーの言葉に本気で頭を抱えているヨシンであった。そんなヨシンにアルヴァンが言う。
「そう言えば、ヨシンも凄い活躍してるって聞いたよ。マルグス子爵の家宰が、こっちの屋敷家老のドラストにお礼を言いに来たって聞いたよ」
「えっ! ヨシン、何したの?」
「あー、その……謀反を起こした」
「はぁ!?」
ヨシンの素っ頓狂な返事に流石に間抜けな返事を被らせるユーリーとアルヴァンである。
「あんまりにも無駄使いが酷いんで、お屋敷の騎士と使用人の皆と結託して金庫の鍵を強奪したんだよ、そして、返して欲しければ『わけのわからない収集物』を売り払えってね、脅しただけだよ」
凄いことを言い放つヨシンである。ヨシンはサラッと説明しているが、その実は泣く泣く売り払うことに同意したマルグス子爵は、愛する収蔵品に付けられる「余りにも安い」評価価格にショックを受けて、現在は寝込んでいるらしい。しかし、細かい経緯を知らないユーリーとアルヴァンは口々に
「それは、やり過ぎと思うけど、ヨシンらしい!」
と喝采を送るのだった。そんな仲良し三人組みの昼下がりはゆっくりと時間が過ぎ、そして夕方近くには出陣の準備に取り掛かるユーリーとヨシンであった。
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日は沈み、すでに三時間ほど経過しているが未だ密偵からの報せは届かない。準備は万端だし、万に一つの手違いがあっても現場の密偵は皆優秀だ
(大丈夫だろう)
と思いはするものの、やはり心配を隠せないギルはイライラと部屋の中を歩き回っている。今回の件はアント商会会長ジャスカーの「肝いり」で取り組んでいる仕事である。恩の有るウェスタ侯爵家の依頼ということもあるが、その出元がガーディス王子であると知り俄然やる気を出したジャスカーは、引き抜けるところから集められるだけの密偵を総動員して今回の件に当たっている。勿論、褒美として与えられる権益を願っての行いである。
ギルは主人の腹積もりは分からないが、それにしても密偵の数が少ないと常々考えている。表に出せない裏稼業であるから少数精鋭なのは仕方が無いが、それにしても少ないと感じるギルである。
(せめて後十人は欲しいな)
そう言った叶わぬ夢を考えている頃に最初の報せが飛び込んで来た。それから順に各爵家に張り付けていた密偵が続々と邸宅へやって来る。相手が動き出したことを察知したウェスタ侯爵邸宅内は静寂を保ったまま、しかし慌ただしく準備の最終段階に入る。そして程なく、時刻は真夜中を指す頃に決定的な報せがもたらされた。
「『黒蝋』の集積地は港の南端にある倉庫、場所は一か所だが警戒が厳重」
との知らせを受けて騎士デイルの指揮の下、騎士三十名と従卒兵三十名の合計六十の兵力が静かに邸宅を後にする。目指すは港湾地区の南端にある倉庫である。
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ギルの配下、密偵セガーロは「黒蝋」の集積現場に一人留まっている。物陰に身を隠しつつ周囲の気配を、息を詰めて探る。感じ取るだけでも四十人以上が乱雑に積まれた木箱や樽、何かの残骸の陰に潜んで居そうだ。しかも、雰囲気から察するに盗賊というよりも、用心棒、傭兵、または冒険者に近い者が多いように感じる。気配の殺し方が違うと感じるのだ。
(これは結構手強いかもしれないな……)
というのが率直な感想である。同じノーバラプール盗賊ギルドの一派と数年前に城下町ウェスタの船着き場で戦った時とは、相手の質が違うと直感している。
そんなセガーロの心配をよそに、デイル率いる正騎士達は現場を遠巻きに見ることが出来る場所へ到達した。地形的には、目的地の倉庫が一番奥に在りその右を崖、左を海に囲まれた袋小路の地形である。兵士達に包囲網を作ることを命じるとその輪を徐々に狭めさせていく。或る程度まで狭まった時点で騎士達が突入する算段である。
ユーリーとヨシンは散開した兵達の右の一端、壁のようにそそり立つ崖を右手に奥の倉庫へ向かう。ユーリーは既に自分には「加護」ヨシンに「
強化されたユーリーの知覚が、前方十数メートル先で動く気配を捉える。
(三人か……)
そう察知したユーリーはヨシンへ合図を送りつつ前へ進む。それに頷くヨシンもユーリーに続き一層注意して進むのだ。物陰伝いに進む二人は一旦前進を止めると戦闘開始の合図を待つ。合図前に動くのは良くないと考えるユーリーは、前方に見える三人の冒険者風の男達を観察するだけに留める。物陰から見える三人は崖の方へ歩を進めている。そして先頭を歩く男が何か喋りかけている。
(……お嬢ちゃん? 何のことだ?)
話し掛ける先には気配を感じないユーリーである。仲間ではないのだろうか? 今の位置からは良く見えないのでユーリーは身体を半歩ずらして物陰の奥を覗き込むようにする。
(ッ!)
そこには、ユーリーの良く見知った少女 ――リリア―― が怯えた表情を浮かべて立っていた。前方の三人の冒険者はそのリリアを取り囲むように展開すると、奥の一人がその肩に手を掛けようとする。不快感と恐怖が混じったリリアの表情に、碌な思考も無くユーリーの頭の中で何かが「切れた」――
素早く魔術陣を起想すると、滑らかに発動に漕ぎ着ける「
勝負は一瞬で決していた。これまで対峙した相手に明確な怒り等の感情を持つことが殆ど無かったユーリーであるが、今はハッキリと「怒り」を伴って自分の大切な少女を襲おうとした相手を叩きのめしていた。
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