Episode_05.17 異変の報せ
ユーリーがレスタ伯爵家の倉庫に忍び込んでいた翌日の午前中、リリアは深刻な気持ちに陥っていた。それは、今日の早朝にギルドの連絡所に届いた父親ギルの着替えを洗濯するために家に持って帰った時から始まっていた。
ジムの着替えの中身は、恐らく失踪前に外出したときの服装であった。下着類とシャツの他にはズボンもあるのだが、そのズボンの腰を結ぶ紐に「ある特徴」を捉えたリリアはサッと血の気が引いた気がしたのである。
盗賊や密偵、暗殺者等の隠密性が求められる仕事を生業とするものは、仲間内でだけ通じる秘密の目印や合図を使う者が多い。暗殺者の父親ジムと、彼に育てられたリリアの親子もそのような幾つかの合図を持っている。そして、今リリアの手にあるジムのズボンの結び紐は、その合図の一つ、深刻な状況を示しているのだ。
――二つ続いた結び目と指三本分を空けて一つだけある種類の違う結び目――
一つの違う結び目は「監禁」を意味している。そして指三本分の空いた空間は「離れろ」を意味する。そして二つの結び目はリリアの事だ。つまりそれは「監禁されている自分を置いて逃げろ」という意味であった。
(なにかの間違いでは?)
と思うのだが、その一方であの父がそのような間違いをするとも思えない。悩んだリリアは、今日渡す着替えを準備すると共に、今日こそは父親の居場所を突き止めようと心に誓うのだった。
そしてジリジリと時間が過ぎるのを自宅で待っていたリリアは、午後の遅い時間になってから家を出る。普段通りの地味で動きやすい恰好となったリリアは、手に新しい着替えの入った包みと大き目の手提げ鞄を持っている。そして迷わずに市街地の方にある大き目のギルドの連絡所を目指して早足で歩く。
本来盗賊ギルドの仕事として「白銀党」を監視しなければならないリリアだが、ユーリーへの関心でその事を疎かにして、今は父親を案じる気持ちのため、完全に頭から消えている。いかに父から隠密や暗殺の技術を学んだとしても、中身は十六の少女であるから仕方ないことだろう。
一方盗賊ギルド側も「白銀党」をそれほど重要視していないので、リリアの態度を咎める者は居ない。もしも、ドルガがジムを拉致せずに自宅へ帰し、リリアが父を説得していたら、今回の事件はもっと違った結果になっていたかもしれない。しかし、全ての出来事の繋がりを知り、ジムを拉致したことを後悔する境地に辿り着ける者は恐らく居ないだろう。
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ギルドの連絡所に着いたリリアは、少し緊張する。尾行しようと企む自分の内心が透けて見えるはずなど無いのだが、その心の内が発覚することを自然と恐れる。更に、苦手なドルガが好色そうな目で自分を舐め回すように見るという状況も出来れば御免こうむりたい。
そんなリリアの願いが通じたのか、連絡所には数人の盗賊ギルドのメンバーしかおらず、リリアが着替えを持って来たことを伝えると
「そこに置いときな!」
と無愛想に言われただけだった。言われた通りにして手持無沙汰にしているリリアに連絡所の盗賊が声を掛ける。
「そんなところに突っ立ってたら邪魔だよ、どっか行ってくれ」
その言葉にムッとしたリリアが言い返す。
「邪魔ってどう言う事よ、人なんて貴方ともう一人しか居ないじゃない」
「今から増えるんだよ!」
「どうしてよ?」
「どうしてって、今日は『取引の日』だろ? あっちこっちから人が戻って来るんだよ」
(取引? 何の事かしら……)
聞きなれない言葉を訝しく思うが、ここは話を合わせる事にするリリア。しかも、そんなに忙しいならば父親の着替えを届けて貰えないかもしれないと思い、
「そうなんだ、そんなに忙しかったら着替え届けて貰えないじゃない……」
と言ってみる。ちょっと困ったような、泣きそうな声を装ってである。案の定、三十代前半に見える盗賊は少し困ったようにリリアの顔を見ると、
「チッ、大丈夫だよ。中頭の遣いもそろそろ来るから。それに取引をやる場所に届けるんだから遣いが来なくても誰かに頼んでやるって……あぁ、もう泣くなよ!」
といってハンカチを差し出してくる。
(……ちょろい……)
と内心は舌を出しつつ、リリアはハンカチを受け取ると涙を拭う。因みに嘘泣きでもしっかりと涙は流れているのだ。そんな涙を拭ったハンカチを男に返しながら
「ありがとう……じゃぁお願いします……」
と力なく言う風で言った後、リリアは連絡所を後にする。そして、離れたところから連絡所の入口を窺う態勢に入る。あとは着替えを持って出てくる盗賊を尾行すれば良い。
そうやって待つ間に、今聞いた話を考えてみる。
(取引の場所にお父さんも居るみたいね……でも取引って何かしら……「黒蝋」って物の取引なのかしらね。そう言えば結構人が集まって来たわ)
「黒蝋」が何であるか知らないリリアは他人事のようにそう考える。そしてしばらく時間が経ったところでリリアの視線の先、連絡所に入って行く盗賊と思しき人物が徐々に増え始める。そしてその内連絡所から出て行く者も現れ始める。やがて、一時間ほど経つと沢山の人が出入りするようになっていた。
じっと連絡所の様子を見続けるリリアの周囲は既に薄暗くなりつつある。そんな中見覚えのある男が連絡所へ入って行く。それは中頭ドルガの子飼いの手下で、リリアが前回尾行を失敗した相手だった。中に入って行ったドルガの遣いは三十分ほど経過した後に連絡所から出てきた。手には父親ジムへの着替えが持たれている。
(ヨシ!)
内心で気合いを入れるリリアは、風の精霊に呼びかけ、自分からの発音を消すと地の精霊に視界の先を歩く男の行く先と気配を伝えてもらう。今度こそは失敗できない尾行が始まったのだ。
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路地の先を行く追跡対象の男の動きを地の精霊の囁きから察知するリリアは、距離をとって尾行を続けている。追跡対象が辿る道順はほぼ前回の尾行時と同じものである。何度も路地を折れ曲がりながら、右左へ向きを変えるがその足取りは夜市の方角へ向かっている。
リリアの心の中には、ユーリーと過ごした楽しい思い出が自然と湧き上がって来るが、今のリリアはそれを必死で押し留める。「恋」といった甘い感情に浸っている場合ではない。もっと真剣にならなくては、と自分を叱咤するリリアなのだ。そのくせ、心の中でユーリーと「恋」を結びつけて考えている自分に気付いてしまう。
(ダメよ……終わったらゆっくりとユーリーのことを考えたらいいの……だから今はダメ)
そう言い聞かせると両手で自分の頬を強めに張る。しかし、その音は風の精霊の働きのお蔭で本人にも聞こえないのだ。
やがて追跡対象は夜市の中へ入り込もうとする。この時すでに距離を詰めているリリアは、彼が路地を出て前を向き歩いているのを確認すると自分も路地から出る。今回はもっと至近距離から尾行するつもりだ。
ドルガの手下がこれだけ面倒な道順を辿るのにはそれなりに理由がある。それは、彼が向かう先が王都リムルベートに潜伏するノーバラプール盗賊ギルドにとって重要な拠点であるためだ。その拠点は彼等の収入源の殆どを占める「黒蝋」の集積場所を兼ねている。ではなぜ、そんな重要な拠点に元暗殺者のジムという厄介な存在を運び込んだか、と言うとそれはちょっとした手違いだった。
あの晩、ジムを麻袋に入れて運び出した手下達は、ドルガの言葉を良くわきまえていた。つまり、自分達が運ぶこの老人ジムはギルドの凄腕暗殺者である、ということだ。何処かへ運んだ後は、そのまましばらくジムの監視役をしなければならないのだが、ドルガの手下達はより人の多い場所、自分達が付きっきりになる必要の無い場所へジムを運び込もうと考えた。その結果辿り着いたのが、「黒蝋」の取引を取り仕切る重要拠点の隠れ家であったと言う訳だ。
これを聞いたドルガは、流石に手下達の不手際を責めたが、運び込まれたジムは意外にも大人しくしているため
(下手に動かすよりもこのまま監禁しておこう)
という結論に達したのである。ジムほどの凄腕になると、移送中にどんな手段で逃亡するか分からない。それよりは、監禁専用の部屋がある拠点に置いておいたほうが良いという判断だった。
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