Episode_05.16 潜入!「黒蝋」の屋敷


――鉛色の空を見上げる自分の視界に懐かしく大切な人の顔が映り込んでくる。色彩の無い世界に突然と現れたその顔は自分を覗き込むように、すこし泣きそうな顔をしている。碧い瞳はまるで自らが光を放つようだが、その色合いは何故か涙を連想させる。そして、その人の口が


「さようなら」


 と動いたのを見た。さようならとはどういう事か? 十数年の月日を隔ててようやく巡り会えたのではないか? と問い掛ける自分の視界がグチャグチャになり、次の瞬間、目の前には愛する少女の姿が浮かび上がる。大きなハシバミ色の瞳と甘い口元、白い肌に映える明るい茶色の髪を銀色の翼を模した髪飾りで留めた少女は、しかし、悲しそうに


「さようなら」


 と告げるのだ。精一杯の抗議を籠めてその両肩を掴もうと手を伸ばすが自分の手は動かない。産着に包まれた腕は動かすことが出来ず、ただただ


「この二人は一緒に居たら不幸になる」


 という老婆の言葉だけが脳髄に響く……


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「ンッハァ!!」


 ユーリーはサハンの屋敷の自分の部屋で目を覚ます。軽く寝汗をかいていることを自覚するユーリーは酷い喉の渇きを覚える。昨晩眠りに就くまではとても心地よく良い気分で居たことは覚えている。しかし、眠りに就いたユーリーの夢は彼に「別離」を暗示するかのようなイメージをひたすらに投げかけてきた。


(リシア……リリア……)


 よく眠ったのか、眠り足りないのか判別付け兼ねる気分のユーリーは起き上がると水差しから直接水を呷る。口の脇を毀れる水の冷たい感触を胸に感じながら今見た夢を思い返そうとするが、その記憶は掌から零れ落ちる砂のように実感を無くしていくのだった。


 まだ暗い部屋の中で、ベッドの脇に佇むユーリーは次の瞬間、部屋の窓を叩く音に思考を現実へと引き戻される。朝日が差し込む前の時間である。その音に釣られるユーリーは、いつものように窓を引き上げる。そこには、普段通りに密偵が居る。特に報告することも無いユーリーだが今日は密偵の方が口を開いた。


「もうそろそろ、屋敷前に馬車が到着する。それに乗るんだ」


 それだけ告げると密偵は去っていく。ユーリーは不意に反発心を覚えるが、それをどうすることも出来ずに心の中に仕舞い込むとノロノロと着替えを引っ張りだして身に着け始める。やがて、屋敷の前から馬の蹄の音と車軸が軋む音が早朝の静寂を破り聞こえてきた。


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 馬車に乗り込んだユーリーは同じ馬車にヨシンが乗っていることに驚く。普段通りの血色の良いヨシンは


「なんか久しぶりだなユーリー……どうした? 具合でも悪いのか?」


 と声を掛けてくる。心にしまったはずの不安を見透かしてくる親友が鬱陶しく感じるユーリーはつい語気を荒げて


「放っといてくれ!」


 と言ってしまう。そして、自分の口から出た言葉に驚くユーリーは、力無い言葉で


「ゴメン……疲れてるかもしれない」


 と言う。昨晩まであんなに元気で幸せに溢れていたはずなのに、今朝はやけに心が沈むのである。やはり夢のせいだろうか? 情緒不安な自分を情けなく思うユーリーは不意にガッシリと肩を掴まれる感触を覚える。見上げるとヨシンがユーリーの肩に手を掛けている。


「……力に成れなくて、すまん」


 ヨシンの意図する所は「密偵」としての働きについてだろう。恐らくユーリーばかりに負担が行き自分は何も出来ないことを指して「すまん」と言っているのだ。それはユーリーの屈託の在り処とは違うのだが、いつも真っ直ぐな親友の言葉にどこか救われる気がするユーリーは、その手を押し返すと、


「ばか、そんなんじゃないよ」


 と言い返すのだった。その短い言葉のやり取りで元気になった気がするから不思議である。やがて馬車は動きを止めると二人はウェスタ候爵家邸宅に到着していた。


 屋敷の中の部屋に通されるユーリーとヨシンはアルヴァンを始めとした正騎士団の面々に迎えられる。その中には良く見知った騎士デイルの姿もあった。


「今回の件、真に大義である。今しばらく任務に専念されたい」


 と会議の冒頭でアルヴァンがユーリーを褒める。褒められたユーリーはしかし、


(自分の手柄というよりも偶然の積み重ね)


 と思うのだが、そんな内心を知らずに会議は始まる。ユーリーは初めて見るがヨシンは昔一度ウェスタの街の北の桟橋で共に戦った覚えのあるアント商会の密偵頭ギルが状況を報告する。


「『白銀党』は『黒蝋』を仕入れるために、今晩いくつかの爵家の屋敷に忍び込むものと思われる。我々密偵はこれを尾行しその爵家を突きとめることを第一目標とする。そして本命はその爵家から明後日『黒蝋』が運び出され大きな取引が行われるという現場を押えることだ。この取引の情報は、ノーバラプール盗賊ギルドの動きからも裏が取れている」


 その説明にスッと手を上げるのはユーリーである。周囲が無言で促す雰囲気を察したユーリーは発言を始める。


「取引の現場を押えても、それが爵家と繋がる確証が有りません。言い逃れを許すことになりませんか?」


 その言葉を聞きアルヴァンは尤もだと思う。たとえその場に「黒蝋」が有ったとしても、それの密輸を主導した爵家と結びつけるのは難しいように思う。そうなれば、蜥蜴の尻尾切りと同じで、当面の「黒蝋」の流通は減るだろうが根絶とは言い難い。


「では、なにか……その爵家の屋敷や倉庫と取引場所で押収した黒蝋との繋がりが分かればいいと言う事か?」


 そのアルヴァンの言葉にユーリーが頷く。それを聞くギルも腕を組み、頭を傾げる様子となる。


「何か徴しになるものが有れば良いのだがな……」


 デイルのボソッとした呟きにヨシンが反応する。


「なぁユーリー、魔法とか使ってさ。その場所に置いてあった物が別の場所で見つかっても『前はここに在りました』って分かるように出来ないのかな?」


 その言葉にユーリーは「ハッ」とした。思い付くままに肩に下げていた鞄の中に手を突っ込む。そこには「魔法のインキ」と「蛍石」があった。その二つを取り出したユーリーは、先ず魔法のインキを隣に座るヨシンの腰から腰掛ける椅子に向かって塗りつける。


「うわっ! なんだよ」

「いいから、動かないで!」


 というやり取りの間にユーリーはヨシンと椅子を結ぶ二本の平行した線を「魔法のインキ」を使って書き終える。そして、


「ちょっと、カーテン閉めてください!」


 と言うと、暗くなった室内で「蛍石」を取り出す。蛍石の仄かな明かりがヨシンの左脇と椅子の端に描かれた蛍光色に光る二本の線を浮かび上がらせていた。


「それだ!」


 その光景を認めたギルが喝采の声を上げる。周囲の正騎士達も「おぉー」と感嘆の声を上げるのであった……


 この日の午前に魔術具店「魔女の大釡」で「魔法のインク」と「蛍石」が売り切れたのはこういった背景があったのだ。店の老婆はそれらを買い占めるウェスタ侯爵領正騎士の面々を呆気にとられた表情で見つめていたという。


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 会議が解散となった後、ユーリーとヨシンは久しぶりに剣の稽古で汗を流した。ユーリーは今晩大切な仕事が控えているため「軽くやろう」と言っていたのに、始まってしまえば結局二人ともヘトヘトになるまで剣を打ち合わせるのだった。


 その二人の激しい稽古の様子は、『修練の間』に居合わせた正騎士達の目に留まる。騎士デイルといい、この青年二人といい、ウェスタ侯爵領の哨戒騎士団・・・・・


「普段から、一体どんな訓練をしているのだろう……?」


 と、そら恐ろしく感じさせるほどの印象を、正騎士達に与えていたのだった。見習い騎士の身分で、あそこまで「激しい訓練」を自発的にする光景を見せつけられた一同はヒソヒソ話もそこそこに、各自真面目に訓練に取り組むのだった。


 そんな午前中を過ごしたユーリーとヨシンは、再び馬車に乗り昼前には各自の屋敷へ戻る。ヨシンは何やら借金苦に悩むマルグス子爵家で使用人らと結託し、主の浪費を止めさせる作戦を実行中とのことだった。それなりに充実しているようなヨシンの語り振りに安心を覚えたユーリーは、しばしの別れを告げて馬車を降りる。そして、ユーリーは午後の遅い時間までの間を屋敷で過ごしたのだった。


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 夕暮れ前の王立アカデミーの校門は一層人気が薄い。今日も休校日のアカデミーは自学のために登校していた平民出の学生達がまばらに校門から出てくる程度である。そんな彼等からチラッと視線を送られるユーリーは逆に校内へ入って行く。目指す場所は指導館だ。


 指導館の一階自学室に入ったユーリーは既に集まっている「白銀党」の面々を何気なく数える。ダレスを筆頭に五人がそこでユーリーを待っているのだが、そのダレスが声を掛けてくる


「よう兄弟! 今日は気合いを入れて行けよ!」

「気合いを入れようにも、何をどうするかハッキリ聞いてないのだが?」

「あ……そっか、スマンな。今日はアーロンさんの屋敷に行くんだ。勿論表から堂々と『お客さん』として入る。そのあと、深夜に屋敷の倉庫に置いてある荷車から「物」を抜き取るんだ。今回は多目に抜き取ることになってるからな」

「ふーん、それが『仕入れ』ってやつなんだな」


 ユーリーの言葉にダレスが頷く。やがて日が沈み暗くなりかけた頃に「白銀党」の面々は校舎を後にして、山の手の西側に位置するアーロンの屋敷 ――レスタ伯爵の屋敷―― へ向かうのだった。因みに他の屋敷に向かう別の「白銀党」の面々はそれぞれアント商会の密偵が尾行することになっていた。


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 日が暮れた頃にレスタ伯爵家に到着したダレスとユーリーらの一行は、出迎えたアーロンに案内されて彼の自室に入る。一応「酒宴」ということになっていて、アーロンの部屋にはそれなりに豪華な食事やワインが置かれているが、今日酒を飲むのは連れてきた中の三人だけだ。それ以外のユーリーを含む三人は深夜に屋敷をでると倉庫から「物」を抜き取る役割になっている。


 ワインを飲んでご機嫌で騒いでいる三人を後目に(ダレスは羨ましそうにしているが)時間を窺う面々はやがて屋敷の厨房も火を落とし使用人が寝付いた頃を見計らい行動を開始する。


 アーロンの目配せを合図に、ダレスが


「あー小便したくなった、ユーリー一緒に行こうぜ」


 と他の誰も聞いていないのに芝居を始める。そしてダレスに先導されたユーリーともう一人は屋敷の中を歩き、厨房奥の勝手口からサッと屋敷の外へ出る。レスタ伯爵家はそれ程大きくない領地をスハブルグとウーブルの間に持っている。家計は長く「火の車」状態であったとのことで、王家に対する軍役で供出している騎士は十騎のみだ。そしてその騎士達と従卒兵達の殆どは屋敷外に住んでいるということで、屋敷の警備は十数人の兵士のみである。


 それほど大きくない敷地だが、十数人の兵士は皆玄関門近くの詰所に居るようで、だれも見回りを行っていない。そんな手薄な警備を抜けて屋敷から離れて建っている倉庫の扉の前に辿り着いた一行、ダレスは懐から倉庫の鍵を取り出すと簡単に扉を開けて中にスルリと入り込む。


 倉庫の中は、雑然と物が積み上げられており、武具類や馬具類も整理なく壁沿いに積み上げられている。そんな中で中央の広い場所に三台の荷車が置かれていた。荷車にはタープが掛けられて、荷物が積みっぱなしになっている状態だ。ダレスがその内の一台に近付くとユーリーを手招きする。


「ユーリー、この荷車の底板が二重になっているんだ。そしてこうやって……この辺りの板が外れるから」


 そう言うとダレスはユーリーに「わかったか?」という視線を送ってくる。その視線に頷き返すユーリーに更に説明をつづけると


「中に手を突っ込んだら……ほらな。大体五十包み分を抜き取ってくれ」


 そう言って奥の別の荷車に向かって顎をしゃくる。


「分かった……」


 ユーリーは返事をすると、その荷車へ向かう。一方のダレスは入口を警戒するようにしている。もう一人は別の荷車に取り掛かっている状態である。


(チャンスだな)


 そう確信すると、ユーリーは素早くポケットから「魔法のインキ」を取り出し。荷車の左右の車輪と地面を結ぶような線を夫々二本引く。ついでに、もう一人が底板を外そうとして四苦八苦しているのを確認するとその荷車にも同じ線を引く。


(これで良し!)


 流石にホッとしたユーリーは、自分に割り当てられた荷車の底板を外すと中に手を突っ込む。ギッシリと詰められた「黒蝋」を端から五十個抜き取ると底板を元に戻す。


 この夜、「白銀党」が「黒蝋」の抜き取りを画策した爵家は全部で五つだったと言う。その内ユーリーが潜入したレスタ伯爵家以外の四つの場所は、何も知らない「白銀党」を尾行したアント商会の密偵により突き止められ、さらに倉庫内に潜入した密偵によって「目印」まで付けられていたのだった。


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