Episode_05.15 若い二人


 夕暮れ時、王都リムルベートの街並みは美しい。王城の方に沈む夕日が丘の上から街並みを赤く染め、リムル湾の水面にユラユラと残照を漂わせる。そんな昼でも夜でも無い短い時間に、街は昼間の顔から夜の顔へと一気に様変わりするのだ。


 大通りを行き交う人々は慌ただしく夫々の目的地へ向かっているが、中には人待ち顔で通りの隅に佇んでいる者も居る。ユーリーはそんな人々の中の一人だった。待ち合わせ場所のすぐ近く、日が暮れてもしばらくは店を続ける様子の露店の辺りに立ちつつ、通りとそれに交差する路地の方を見やるユーリーはもう随分前からこの辺をぶらつきリリアが来るのを待っている。


(もしかして、忘れちゃったのかな?)


 と不安に思うユーリーである。考えてみれば、昨日の朝にちょっと会っただけの少女が慌ただしく去り際に残して言った約束だ。


(忘れてても仕方ないよな……)


 寂しいが、そういうものかもしれない。リリアを想う気持ちが大きく成るに従い、何とも後ろ向きな考えも大きく成るユーリーである。それでも立ち去り難く、暗くなり始めた大通りに留まっているのだった。


 一方、路地を足早に歩くリリアは、すこし焦り気味であった。昨晩の尾行失敗の後もしばらく夜市を探し回ったのだが、結局追跡対象は見つけられず諦めて帰宅したリリアは、父親ジムが心配で中々寝付く事が出来なかった。しかし、明け方前にようやく睡魔が訪れると、今度は数日に渡る慣れない「仕事」と尾行の疲れから夕方近くまで寝過ごしてしまったのだった。


 日が傾きつつある時刻に目を覚ましたリリアは大慌てで水を浴び身体を拭き清めると、そのままの姿で着て行く服を選ぶ。慌てていても、服を選ぶのに時間が掛かってしまうのは歳を問わず女性の常だろう。カーテン越しに窓から差し込む西日を受けて、まだ小さく発育途中の膨らみが二つのなだらかな影の稜線を作る。その稜線は、あばらが少し浮くように引き締まった腰までの曲線へと続き、そのまま緩い起伏を伴って尻から足へと続いていく。そんな年齢に比較するとやや硬く締まった少女の身体がベッドに服を並べて唸っている。


 こういう場面に着て行くべき綺麗な服を持ち合わせていないリリアは、そういう努力をしてこなかった自分を恨めしく思いつつも、なんとかそれなり・・・・の組み合わせを模索する。そうは言っても根っこにあるのは暗殺と隠密の教育であるリリア、自然と「目立たない」「動き易い」服に目が行くのは仕方が無いだろう。


 結局、白色の長袖ブラウスにフリルが大き目の濃い藍色の膝下丈のスカート、その上から丈の長い綿織物の薄灰色のカーディガンを羽織った格好に落ち着くと、脱いだ服をそのままに家を後にしたのだった。


 初夏の夕暮れ時は涼やかな海風に吹かれているが、それでも走ると汗ばむ気温である。なるべく汗をかきたくないと思うリリアは、しかし早歩きで路地を進む。スカートの背中の側に差し込んである短剣の鞘がカタカタとリズミカルに音を立てる。そして、辺りが薄暗くなったころに路地を抜けて大通りに出たリリアは、直ぐに近くの露店の辺りで手持無沙汰に往来の人を眺めているユーリーを遠目にいち早く見つけ出していた。


(あ、良かった待っててくれた)


 と弾む気持ちを押えて、少し遠回りしてユーリーの横に回り込むと、そのまま近付き斜め後ろから声を掛ける。


「待った!?」

「うわっぁ!」


 おどかした方が驚くほどの反応で、驚きの声を上げるユーリーに思わず笑みが湧いてくるリリアは言う。


「ごめん、ちょっと……じゃないよね、遅刻しました」

「あ、い、いいよ。僕も今着たばっかりだし」


 驚きから立ち直り、照れ隠しのように笑うユーリーの言葉は明らかな嘘だが、別に不愉快なものでは無いと感じたリリアはスッとユーリーの左手を取って


「お腹空いた。なにか食べよう!」


 と言い、そのまま手を繋いで大通りを夜市の方へ歩き出す。少し汗ばんだ手を繋ぎ合う若い二人は、急ぐでも無くゆっくりと夜市の屋台街へ向かって行くのである。


****************************************


 人でごった返す屋台街、その一角で共用のテーブルを確保したユーリーとリリアは数軒の屋台から気に入った料理を買い求めるとテーブルに並べる。鶏のもも肉の炙りは香草と塩が擦り込んであり見た目通りの香ばしい味わい。河口で取れる白身魚を塩焼きにして野菜と小麦麺を添えた物は、白身を崩して薬味と麺と一緒に葉野菜で包んで食べる。甘辛い漬けダレが美味しい。牡蠣と野菜のオムレツは中にトマトが入っていて、牡蠣の身の滋味とトマトの酸味が良く合う一品である。「小滝村」産の桑の実ジュースは蜂蜜で甘味を強めた上で程よく冷やされていて味の濃い屋台料理にもぴったりである。


 喧騒の中のテーブルについた二人は、買ってきた料理を食べながら、周りの声に邪魔されないように自然と大き目の声で語り合う。昨日は何をしていたとか、家では何をして過ごしているとか、どんな物が好きでどんな事が嫌いか、そんな他愛も無い会話をしながら食事をする二人は周囲には自然に恋人同士に見えているだろう。


(不思議な感じだなー)


 と、ユーリーは目の前で鶏の炙り肉に齧りついているリリアを眺めてそう思う。つい昨日ばったり出会ったばかりなのに、もう馴染んでいるというか息が合うというか、どう表現して良いか分からないユーリーであるが、早い話がリリアと相性が合うのである。


 ユーリーがリリアに感じているものは、長年一緒にいるヨシンに感じる気安さとは少し違うし、数年前から親友となったアーヴとの息の合った感じとも違う。リリアの表情や仕草、話す言葉に、ドキドキする感じとフッと安心する感じを交互に感じるのだ。その癖変に緊張することなく素の状態で居られるのだから、ユーリーには不思議なのである。


(もっと緊張するかと思ってたな……)


 と言うのはリリアの内心である。今も何気なく肉に齧りついているが、特に恥ずかしいような気もしない。父親以外の男性、しかも歳の近い青年と話す機会がこれまで殆ど無かったリリアは、今日は緊張すると思っていた。そして内心に燻る、行方不明の状態である父親を心配する「ズンと重い」気持ちのせいで楽しめ無いとも思っていた。しかし、そんな自分の予想をあっさり裏切り、大通りでユーリーの姿を見かけた瞬間から普段以上に明るい気持ちになったのである。


 リリアは、ユーリーが自分に向ける視線はとても好意的だと感じる。父親ジムから感じるものとはまた違った好意と愛情が混ざったような、自分を温かく嬉しい気持ちにさせるものを孕んでいると感じるのだ。そして、自分もきっと同じ雰囲気を出していることだろうと願うように思うのだ。


(それにしても、お父さんの心配そっちのけでユーリーと会ってる私って……薄情な娘なのかしら)


 と少し後ろ暗い気もするのだが、今は楽しもうと思う。本当の所でジムがどうなっているか分からないリリアであるからしょうがないことである。


 やがて食事を終えた二人は、まだまだ人出の引かない夜市を一緒に見て回る。手を繋ぎ人ごみの中を縫いながら歩く二人は、大道芸を披露する一団に足を止める。後ろ宙返りと前宙返りを太鼓の音に合わせて交互に繰り返す軽業師を見てリリアが言う。


「ねぇユーリー、私アレ出来るよ!」

「えー、嘘だぁー」

「ホントだって、やって見せようか?」

「ちょっとリリア、今スカート履いてるでしょ!」

「あそっか、へへッ……じゃぁ今度見せてあげるね」


 そう言ってウィンクをするリリアにユーリーは顔を赤らめる。そんな二人を余所に軽業師は連続宙返りで目が回った素振りをしてその場に倒れ込み観衆の笑いを誘っている。その後は、ステッキの先から突然炎を出して観衆を驚かせている奇術師の前で足を止めた二人。奇術師が身体の様々な場所から炎を上げているのを見たユーリーが


「リリア、僕も『炎』だせるよ!」

「えー? 魔術師みたいね!」

「信じて無いね? 今度見せてあげるよ!」


 そう言ってリリアの真似をしてウィンクするつもりが両目を瞑っただけになったユーリーである。勿論リリアは可笑しそうにケタケタと笑っている。奇術師の炎の術は、その隣で滑稽な踊りをしていた道化師の尻に燃え移ると、道化師が慌てた素振りで観衆に尻を向けてパンパンと叩いて消そうとする。これも大道芸の筋書きなのだろうが、それに気付く前の観衆は驚きの声をあげ、そして道化師がちゃんと火を消したところに水玉模様の下着が現れた段階で小芝居だと分かりドッと沸き返る。


 ユーリーとリリアは相変わらず手を繋いだまま今度は露店をめぐる。昼間の市場と違い食料品の他に雑貨を扱った店が多いのが夜市の特徴である。特に買い物の予定が無い二人だが、「これは何だ」「これカワイイ」と雑貨を扱う露店を冷かして回る。露店主も慣れたものなのだろう、商品を掠め取ろうとする輩に注意はするが、そうでない二人には声も掛けない。


「あ! これカワイイな……似合うかな、ユーリー?」


 そんな中で髪飾り等の装飾品を置いている露店で足を止めたリリアは陳列されている中から銀色の翼の形をした髪飾りを手に取っている。髪飾りは片翼をかたどった枠と羽の輪郭が細い銀細工になっていて、翼の根本に琥珀色の輝石が埋め込まれている。ユーリーはその髪飾りとリリアを見比べて一言、


「似合うと思うよ!着けてみなよ」


 と言う。横から店主が「銀貨十枚です」と言ってくるが取り敢えず無視したユーリーはリリアが髪飾りを付けるのを見守る。リリアはその髪飾りで後ろ髪を纏めるようにすると後ろを向いてユーリーにそれを見せながら


「どう?」


 と訊くのだ。その間にサッと店主に銀貨を十枚渡したユーリーは、


「凄く似合うよ!」


 と答える。その言葉を聞いて振り返るリリアはとても嬉しそうに笑うのだった。


 そんな風に仲良く夜市を見て回るユーリーとリリアは、屈託の無い笑顔でとても楽しそうにしている。ユーリーは、例え自分の本当の身分が知られたとしても見習い騎士の自分と街娘のリリアなら問題無く付き合って行けると感じている。一方のリリアも、多少の不安は有るものの、盗賊ギルドの女隠密と没落男爵家の養子ならば別に誰に咎められることも無いだろうと考えている。二人は別々に、しかし同じような帰結をもって、お互いの将来を淡く思い描くのだ。惜しむべきは、この二人が夫々に本当の自分を隠していることだろう…………


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