Episode_05.14 魔術具店「魔女の大釡」
学園生活五日目(休校日)
相変わらず早朝に部屋の窓を叩く密偵に、寝足りないユーリーは何とか目を覚ますと昨夜の「剥がれ月」亭でのやり取りを伝える。曰く
――「白銀党」は明日「黒蝋」を盗むために何処かの伯爵家に忍び込む――
というユーリーの情報に、つなぎ役の密偵は少し目を見開き驚いた様子を見せるが直ぐに元の無表情に戻ると珍しく
「わかった」
と声に出して言い、屋敷の敷地から出て行った。まだ日も上がらない早朝の事である。昨晩の疲れが尾を引いているユーリーはもう一度ベッドに戻り、二度寝を決め込むのである。しかし、真面目なチェロ老人は日が、日の出と正午の間に差し掛かるころに、眠りこけるユーリーの部屋へ突入して小言と共に寝惚けた若者を食堂へ引っ張っていったのである。
その後は、昨日不在だったサハンから、いつもよりも短い時間で魔術の指導を受けた後、ユーリーは身なりを整えてアカデミーへ向かう支度をする。貴族の服に剣帯を着けウェスタ侯爵領哨戒騎士団の兵士になった時に支給された鋼の片手剣を腰に下げる。そしてズボンのポケットには、オーガーとの一戦の後、何故か表面が蜘蛛の巣状の白い模様に覆われてしまった「制御の魔石」をしまい込み、「魔水晶」を鞄に入れたユーリーは「行ってきます」といって屋敷を出発したのだった。
しかし、アカデミーに到着したユーリーは、普段と違い人気のない校門付近の様子に今日が休校日だと言いう事を思い出した。誰に咎められるわけでもないが、自然と赤面したユーリーは、
(ちょっと、浮かれてたかな……)
と反省するのだった。
密偵の仕事は重要な情報を掴むことが出来たし、今日はリリアと会う約束もある。密偵の方はさて置くとしても、リリアの事は考えずには居られない。あんな可愛らしい少女は他に居ないだろうと真剣に考えるユーリーは、リリアの父が言った「好む者には絶世の美女に見える」という言葉が示す部類に入るのだろう。そんな浮ついた心持ちだから休校日を忘れるという、
(間抜けな失敗をやってしまった……)
のである。普段はどちらかというと「抜け目の無い」立ち居振る舞いのユーリーだが、微かに芽生えた恋心に気が
このまま屋敷に戻れば、自分の失敗を宣伝するようなものだと感じたユーリーは市街地へ向かう。リリアとの待ち合わせにはまだまだ時間があるので、ふと思い出した魔術具店に行ってみようと考えたのだ。
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第三城郭からサハン男爵の屋敷に戻る道順を途中で逸れて、市街地へ向かう大通りを進むユーリーは先日訪れたドワーフの店員がいる武器屋「山の王国直営店」を横目に見ながら更に大通りを進み、喧しく色々な看板を掛けてある魔術具店「魔女の大釡」のドアを開ける。
「山の王国直営亭」ほど広くない店内には、ユーリーが想像していた通り色々な商品が所せましと置かれている。店の奥の方にはしっかりと鍵の掛かる商品ケースに高級な「本物の魔術具」が陳列されているのが、入口近くの商品棚には、余り実用的とは思えない ――従って取引価格の安い―― 魔術具が陳列されている。
手前の商品棚の商品は、「踏むと音が出ます」と書かれた「蛙石」、「吸うと三回アクビが出ます」と書かれた「アクビ粉」、「仄かに光ります」と書かれた「蛍石」、「目に見えないが一度付くと四日は取れない」と書かれた「消えるインキ」、「一度回すと一週間回り続けます」と書かれた「勝手コマ」などが置かれている。これらは|れっきとした(・・・・・・)古代ローディルス帝国の遺物なのだが、実用的な用途がまるで無いため発掘されても捨て値で取引されている。因みに踏むと音の出る蛙石は銀貨十五枚、一番高い勝手コマで金貨一枚という値段になっている。
(中途半端な値段だなー、それにしても昔の魔術師って変わった人が多かったんだろうな)
という感想と共に陳列された商品を順に見ているユーリーは、背後に近付く店員の気配に気が付かない。そして、
「お客さんお目が高い!」
突然耳元で発せられたその声にユーリーは心底驚いた。
「うぅうわぁ!」
最近驚いてばかりいるユーリーは、そんな声と共に反射的にガバッと振り返る、その拍子に肘が商品棚の上の品物を幾つかなぎ倒す。
ガタンッ
「あぁっとっと」
何個かの商品が棚から落ちるのをユーリーは咄嗟の動作で受け止める。しかし、二本しかない手では全てを受け止めることが出来ず、二つの商品が床にゴトンと音を立てて落ちてしまった。
「あらあら、お客さん困りますねぇー」
後ろから声を掛けてきたのは正に「魔女」といった雰囲気の腰の曲がった老婆である。その老婆は、床に落ちた商品を取り上げると、
「あらーこんなところに傷が入ってしまった……売り物に傷が……」
と聞えよがしな独り言と共に、ユーリーの方をチラチラと見る。
「……」
ユーリーは無言である。何とも
「……ここ一週間碌にお客さんが来なかったからひさしぶりのお客さんに思って張り切って声を掛けてみれば商品を疵物にされてしまうしこのままでは家賃も払えないわもう首を括って死んでしまおうかしら……」
と早口でブツブツいっている。それもチラチラとユーリーを見ながらである。やっていることは、客を驚かせて商品を破損させ売りつけるか修理費を取るという酷いものだが、その老婆の様子に何となく愛嬌を感じたユーリーには、それがだんだんと面白く見えてきて、思わず吹き出してしまった。
「ハハハ、ごめんなさい。その疵物はお幾らですか?」
「はい!金貨二枚になります」
「……そんな訳ないでしょ? その棚に『魔法のインキ』銀貨十五枚『蛍石』銀貨十枚って書いてありますよ……」
「あら、そうでしたね。近頃とんと目が悪くなってね、では金貨一枚になります」
「……」
金貨一枚は銀貨三十枚と交換である。ユーリーはその老婆のガメツさに呆れつつも銀貨を二十五枚払い掛けて、ふと思いつき訊いてみる。
「ねぇ、お婆さんはこのお店の人ですよね?」
「そうですよ」
「魔術具の鑑定は出来ますか?」
「ハイハイ出来ますよ。買い取りの方は、高額の物は出来ないですけどね」
「じゃぁ一つ見て貰いたい品が有るので、それを見てくれたら全部で金貨一枚で良いですよ」
「え……あーハイハイ良いですとも」
全部で金貨一枚という言葉に引っ掛かりを覚えたのかもしれないが、結局老婆はそう応じると、ユーリーを手招きして店の奥へ向かって行く。ユーリーの殆ど時間つぶしに近い思い付きであるが、一方で「見て貰いたい品」と言うのも実は存在している、それは養父メオンから譲り受けた「制御の魔石」である。元々翡翠色で滑らかだった魔石の表面に蜘蛛の巣のように掛かった白い線が気になっていたのだった。
奥のカウンターに腰掛けた老婆の前に、ユーリーは「制御の魔石」を置く。老婆は一旦それを取り上げると表、裏と何度かひっくり返し見始める。その内虫眼鏡を取り出し細かい部分を見ながら
「あれ?」
とか
「あーハイハイ」
とか言いったかと思うと、左手を宙で動かし「|魔力鑑定(アプライズマナ)」の術を発動して再び掌の上の魔石を見つめる。因みにこの「魔力鑑定」はかなり高位の魔術である。
やがて見終えたのか視線をユーリーに戻すと老婆はムニャムニャと口を動かした後に喋り出す。皺クチャな顔に曲がった腰であるが、喋り出すとハキハキと老いを感じさせない老婆は言う。
「お客さんは魔術師ですか?」
「いえ、習っていますが違いますよ」
「そうですか……こっちの石は『制御の魔石』のように見えるがちょっと違う物ですね。制御の魔石は魔力の放出過多を抑制するものですが、この魔石はその機能に追加して頻繁に使う魔術を記録して発動を補助する物みたいです」
「そうなんですか」
「かなり貴重な品ですから名前も付いていませんし、取引額も相場はありません。多分この浮き上がった白い線がその記録……投射系の魔術陣に見えますね」
そう言う老婆の言葉に少し安心したユーリーである。なにせ綺麗な翡翠の表面にひび割れのように線が走っていたので「壊してしまったか?」と心配していたのだ。
(多分「
と少し前の戦いを思い出すユーリーである。
結局、金貨一枚で鑑定と「魔法のインキ」「蛍石」を買い取ったユーリーは店を出てしばらくしてから、無駄なお金の使い方だったかも? と少し後悔しつつ商業地区を目指して大通りを歩くのだった。
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