Episode_05.13 尾行


(……しかし……こういう世界もあるんだな……)


 ダレスとユーリーがテーブルに戻ってから、腹が減った「白銀党」のメンバーは店の者に、外の屋台から食べ物を買ってくるように頼むと酒を飲みだす。飲まれている酒は強い蒸留酒である。種類は色々だがワインの搾り滓を再発酵させたものや、イモ類麦類を原料にしたものが多い。


 そんな強い酒を粋がって飲んで見せるものだから、飲みだして一時間もしない内に数名は酩酊の域に達している。そんなテーブルの面々を見ながら、外の屋台から届いた鶏肉の炙りを齧り、内臓肉の煮込みを口へ放り込み、汁無しの混ぜ麺をつつくユーリーである。すべての屋台料理は、


(こんな場所じゃ無ければ美味いんだろうな)


 とユーリーを複雑な気持ちにさせるほど美味であった。美味い物は不味い場所では食べたくないのである。


 ダレスが言うには、「気に入った女が居たら上へ連れてけよ。銀貨二枚でヤラせてくれるから」との事だった。他のテーブルではそう言った目的で女を伴ってスッと三階へ消えて行く者もいたが、アカデミー学生を中心とした「白銀党」のテーブルでは、お互いの目が気になるのか、そう言う風にする者は居ない。その代りに他と競うように酒を飲むのだった。


 因みにユーリーは、自分の横に座ったままの、見た目が十八歳位に見える女に対して小声で、


「酔っぱらうと『困る』だろ。だから俺には水を入れて」


 と伝えてある。それ以降、律儀にユーリーの杯には水を注ぎ続ける女はポーッと頬を赤らめつつユーリーの横顔を見つめているのだ。ぽってりとした唇に低い鼻筋、目元は化粧のせいもあるのか、長い睫で縁取られている。美形ではないが少し崩れたところが反って「男好きする」印象を与える、そんな若い女の視線に勿論気付かないユーリーではないが、


(なんか、誤解されることを言ったかも……)


 と少し後悔しつつ、内心は必死に今朝出会ったリリアの飛び切りの笑顔を念じるように思い出している。隣の女から漂ってくる香水と体臭の混ざった蠱惑的な香りは年頃のユーリーには刺激が強いものであるが、魔術の訓練で培った集中力と念想力を最大限に発揮して頭の中をリリアの笑顔で一杯にするユーリーである。


 一方、そんなユーリーの「精神面の戦い」など知ったことではないダレスは、上機嫌で隣に座った少しふくよか・・・・な女の肩に手を回している。肩に回した手でその女の大きな胸を触ろうとしては手を叩かれているのだが、それが楽しいらしく叩かれるたびにゲラゲラと笑い声を上げる。


 酔っぱらった集団の中で一人素面のユーリーは、この時の光景が原因となり人前で酩酊するのを酷く嫌うようになるのだが、それは別の話である。


「なぁダレス」

「なんだぁ? きょうだいー、のんでんのか?」

「チッ、飲んでるよ! それより『仕入れ』ってなんのことだ?」

「しいれは、しいれだよ。あさっただーよ」

(だめだ、こいつダレスの顔みてると、凄く腹が立ってくる……)


 すっかり出来上がってしまったダレスは、呂律の回らない言葉でユーリーに答えるが、あまり要領を得ない内容である。そのダレスの顔を見て衝動的に顔面に一発お見舞いしたくなる気持ちを抑えるユーリーだが、テーブルの他の学生 ――初日にユーリーに投げ飛ばされた者―― が


「仕入れってのは、伯爵のお屋敷から『物』を盗って来ることですよ。ユーリーさん」


 と耳打ちのように囁き掛ける。


(……伯爵、物、白銀団……ヨシ!繋がった!)


 ユーリーが内心でガッツポーズを作ったその時、奥のテーブルから声が上がった。


「おまえら! 今日はヴァレスさんの驕りだ。有り難く飲めよ!」


 タンザの声に、三十人程の「白銀党」は歓声を上げる。それを手で制したヴァレスを先頭に、タンザとアーロンは店を出る様だった。テーブルの間を歩くヴァレスはチラっとだけユーリーに視線を止めたが、直ぐに別の方を向く。みな近くを通る彼にたいして「御馳走様です」とか「いつもありがとうございます」とか口々に感謝の言葉を上げているのだ。


 三人が出て行った店内は、いよいよ無礼講の状態となり騒がしくなる。そんな喧騒の中ユーリーは、正面で本格的に女の大きな胸に顔を埋めているダレスは放っておいて、自分の隣の女に声を掛ける


「なぁ、他のテーブルの奴らも『白銀党』なんだろ?」

「そうよ、でも他のテーブルは貴方達と違って学生じゃないわ。卒業してから、やる事も無くブラブラしてる貴族のボンボン達よ」


 女はそう言ってから、しまったと言う風に口を押えるがユーリーは気にせずニコッと笑う。その笑顔に驚いた表情の女は、一転して益々蕩けたような視線をユーリーに返すのであった


 結局その晩は、そのままダラダラと徐々に解散となっていった。一人二人と帰る者や他の店に行く者達に混じり、ユーリーも帰宅の途につく。テーブルを離れる際にやたらと隣の女が身体を押し付けて来たが、ユーリーが銀貨二枚を握らせると女は少しガッカリしたように引き下がっていった。そして、いつの間にか三階へ姿を消したダレスを放っておいてユーリーが帰宅したのは、深夜を過ぎてころだった。


****************************************


 ユーリーが「白銀党」の一団に混ざって慣れない環境に悪戦苦闘していた時、一方のリリアもまた別の状況で悪戦苦闘していた。


 その日の日中に交わした盗賊ギルドの中頭ドルガとの会話で、父の行方に不信感を感じたリリアは咄嗟に或る計画を思い付いていた。そして今、その計画を実行中のリリアは夜の王都リムルベートの商業地区を貫く大通りの裏路地を「無音」で歩いている。路地の先にはギルドの連絡所を出発したドルガの子飼いの手下が、リリアの父ジムの着替えが入った包みを持って歩いているのが「感じ」られる。


 咄嗟の計画は、父の着替えを預けてそれを届ける者の後を追うと言う物である。ドルガがちゃんとリリアの願いを聞き入れて着替えを運ぶのか? という不安はあったが、何故かその点は心配無いように思うリリアである。気色の悪い話であるが、リリアは自分を見つめるドルガの視線に、卑しい感情以外のなにか「熱っぽい」ものを感じたのである。


 凄腕の暗殺者であった父親の教育は、リリアに剣術や弓術、隠密術といった具体的な技術以外の物、例えば十六歳の少女が持つ常識的な判断力を上回る物を与えている。秘密の企みをする時、実行者の性別がどう影響するか? 女ならば取るべき戦略は? 男は女のどう言う部分に弱いのか? という事を開けっぴろげに語り聞かせたジムは、普通の父親ならばとても娘に出来ないような話も(少し躊躇しつつも)隠さずに教え込んだ。


 だから、自分の目を見る相手が好意を持っているのか、それとも欲情のみなのか? という事に気が付くリリアである。また、自分が十六歳の少女で有ることもわきまえている彼女は、更に相手の「保護欲」を掻きたてるように振る舞って見せたのだった。


(でもあんな視線で見られるのはゴメンよ……ユーリーからだったら全然良いのにね)


 ドルガとユーリーを比べるのも可笑しな話だが、リリアは自然とそう考えてしまう。父ジムによればリリアの容姿は「中の上」らしい。万人受けするわけではないが、好む者にとっては絶世の美女に映るだろうと言っていた。リリアにはその意味が良く分からないが「俺に似なくて良かったな」と寂しそうに笑う父ジムの笑顔に、酷く複雑な感情を覚えたことはよく覚えている。


 そういったリリアの心の動きと関係なく、追跡の対象は路地の奥を右左へと折れて進んでいる。それを追うリリアは路地での尾行の定石を無視して、かなり距離を置いた状態で相手の後を付ける。その足取りは全く無音で、服が立てる衣擦れ音も息遣いも聞こえない。更に、路地の先を進む相手が次にどちらに曲がるかも視覚以外の感覚で分かるのは、リリアが風の精霊に働き掛けて自分の立てる音を消し、地の精霊の囁きから相手の歩みを知ることが出来るためである。


 父ジムにも無い才能である。それに加えて全くの暗闇でも、生物の出すオーラを視覚的に捉える暗視能力を持っているリリアは、本人が望めば「恐ろしい暗殺者」に成り得る素養を備えている。リリアの知らないことだが、父ジムはリリアの素養の高さに一時期「本当の暗殺者」に育てるべきか? という葛藤に悩まされていた。しかし、結果は今のリリアが示すとおり、特殊な技術や知識は持っているが、それ以外は普通の少女として育っているのである。


 リリアはこれまでの足取りから、追跡対象者が夜の市場へ向かっていることを察知する。夜市ナイトマーケットは、早朝から日暮れまで開放されている市場の隣に位置しており、一部港湾地区にも面している。取り扱う商品は日中の市場とさほど変わりが無いが、加えて飲食の露店や、大道芸を披露する者等が集まり独特の賑やかさを持っている。


(まずいわね……)


 リリアはそう考えると、追跡対象が夜市に入り込む前に直接視認できる距離へ急ぐ。地の精霊の囁きは、大勢の人間が足を踏み鳴らしている場所では使えない。そのため、対象に近付き視認しなければ、見失ってしまうのだ。人ごみに紛れ込む寸前の追跡対象を間一髪で視界に捉えたリリアは自分も夜市の人ごみ足早に紛れ込もうとするが……


(あれ? ユーリー?)


 その視界の端に十人程の集団の後ろを歩くユーリーの姿が見えた気がした。思わず反射的にそちらに注意が向き、追跡対象者が視界から外れる。しかしユーリーを捉えたと思った視界は引っ切り無しに動く人ごみが映るだけだった。


「しまった!」


 思わず声を上げたリリアは、その時追跡対象者を見失っていた。慌てて人ごみに飛び込むが、どちらを向いてもさっきまで追い掛けていた後ろ姿を見つけることが出来ないリリアは、往来の邪魔になるにも拘わらず夜市の一画で立ち尽くす。


(……ごめんなさいお父さん……次こそは)


 そう心中で繰り返すリリアは、次に着替えが無くなる明後日にもう一度尾行を行うことを決意するのだった。


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