Episode_05.10 卵と野菜のスープ
「うわぁ!」
ユーリーが思わず声を上げたのは、仕方のない事だろう。それでも咄嗟に両手で二つの卵を割れないように確保しているところは、流石(?)である。対して、ユーリーにぶつかってきた少女は、茫然としてユーリーの顔を眺めている……このまま見詰め合っていても仕方が無いので、ユーリーは
「君、大丈夫?」
と声を掛ける。その声に弾かれたように立ち上がる少女は、
「すみません、前を見てませんでした……ごめんなさい!」
と、堰を切ったように喋りだした。確かに今のユーリーは酷い状態である。貴族風の上等な服こそ着ていないが、襟付きの長袖のシャツには広範囲にネットリとした卵の黄身と白身が張り付いている。
(このシャツ、このまま焼いたら美味しいのかな?)
などと、場違いな考えが一瞬浮かぶユーリーだが、そんな事よりも目の前の少女である。ごめんなさい、ごめんなさい。と何度も繰り返して謝罪する姿を放置するのは流石に気が引ける。
「いいよいいよ! 僕も余所見していたし。それより君、怪我はない?」
「あの! 私リリアって言います! 怪我は有りません!」
「そうかリリアさん、僕はユーリー。ごめんね、急いでいたのかな? もう行って良いよ」
そう言ってユーリーはニッコリと笑うのだが、リリアと名乗った少女は「ブンブン」と首を振るとユーリーのシャツを指さす。
「ユーリーさんの服、汚しちゃったから洗わなくちゃ……」
その後しばらくの押し問答の末、結局折れたユーリーは引っ張られるように少女が飛び出してきた路地の奥へ向かうのだった。
リリアに強引に引っ張られたユーリーは、一旦それを止めると
「わかったよリリアさん。シャツが伸びちゃうから。自分で歩けるよ」
と言った。その言葉にリリアは少し頬を赤らめるものの、無言でユーリーを促し歩き出す。ちなみに、ユーリーは微妙な色合いの葉物野菜を籠に入れて両手に何故か卵を持ったまま、その後ろに従うのだった。
先を歩くリリアを後ろから見る格好になったユーリーは何となくその姿を観察する。背丈は自分の顎辺り。以前知り合った「聖女」リシアよりも少し背が高い位だ。肩に掛かる長さの明るい茶髪の隙間から覗く耳は、先端が少しだけ長く尖っておりエルフの血が混じっていることを主張している。更に身体付きは全体的に引き締まった印象を受けるが、それはまだ成長しきっていない少女特有の物なのかもしれない。そして、街娘には見られない、紺色のシャツの上から黒色の革製ベストを羽織り、黒の膝丈スカートとタイツという恰好で、両手には丈の長い指無しグローブを身に着け、足元は柔らかそうな黒革のブーツという出で立ちが妙に似合っているのである。後ろを歩くユーリーの目の前、革のベストの腰辺りが細長く膨らんでいるのは
(短剣を持っているか……)
とユーリーに推測させる。そんな、全体として黒っぽく目立たない服装のリリアは街娘と言うより冒険者といった格好である。そしてユーリーの視線は革製のベストの下に隠された短剣から、小さく形の良い尻へ、そして細い足へと自然に移っていく。流石に十七歳の青年ユーリー、そういう所に注意が行くのは仕方ないだろう。
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しばらく路地を歩いた後、二人はリリアの家に到着した。家の中に通されたユーリーは、ほとんど無意識に家の中の様子を観察してしまう。居間と寝室に水場と炊事場のスペースがある家は、丁度ウェスタ城下にあった騎士デイルの長屋の自宅より少し広い程度である。室内に置かれている物が醸し出す生活感から
(一人暮らしでは無いな……)
と想像するユーリー、別にやましい気持ちが有る訳では無い。しかし、上半身を薄い肌着一枚に脱がされて、下がズボンだけの恰好で椅子に座っている自分を、もしも同居人 ――例えばリリアの父親―― に見られたら、さぞかし誤解を解くのに難儀しそうだと、変な気を回すユーリーである。
一方のリリアはユーリーのシャツを強引に剥ぎ取ると、頬を少し赤らめながら水場と炊事場の方へ引っ込んでしまった。今はその辺りで何かしているようだ。因みに、昨年の小滝村奪還作戦で
(それにしても、時間がかかるな)
ユーリーは、リリアが何事か急いでいた風だったことを思い出す。ぶつかった拍子に卵をぶちまけたシャツを洗ってくれるのは嬉しいが、なんだか逆に申し訳ない気がするのだ。だから、「そんなに丁寧に洗わなくてもいいよ」と水場の方へ声を掛けようと視線をそちらへ向けたときに、ふと壁際に立てかけられた細身の片手剣と短剣、それにユーリーが持っているようなサイズの
短弓は何でもない普通の品だが、片手剣の方はユーリーが普段使っている物よりも刀身が細く、そして少し短い。更に特徴的なのはその鍔で、上に向かってギザギザと炎が揺らめくような美しい意匠が施されている。そして短剣の方にも同じ意匠の鍔が付いている。見る者が見れば、その二本一組の武器は暗殺者や熟練の剣士が使う、玄人好みの武器であることが分かるのだが、残念ながらユーリーにはその知識が無い。
(リリアの物かな?)
自分よりも少し年下に見える少女が、こんな物騒な武器を持っているはずは無い。しかし、何故かリリアと、その揺らめく炎の意匠を持つ剣がそれほど
ユーリーがそんな事を考えていると、良い匂いと共に居間にリリアが戻ってきた。手にはスープとパンを乗せた盆を持っている。今更ながらに「空腹」を思い出したユーリーの腹の虫が切なく、しかしハッキリと自己主張する。その音に思わず頭を掻くユーリーであるが、
「遠慮なくどうぞ、ユーリーさんの買い物籠に入ってた野菜と残りの卵使ったからね!」
「……『さん』付けじゃなくて良いよ」
「……じゃぁ、私も『さん』無しで呼んでちょうだい」
「わかったよ……じゃぁリリア、遠慮なくいただきます」
リリアの作った料理は、軽く塩漬けにされた鶏のもも肉と刻んだ先ほどの葉野菜を軽く煮込み、溶き卵を加えたスープである。一口すすると鶏肉の旨みと塩気と共に、トロッとした葉物野菜の食感が口の中を占拠する。美味いのだが……しかし、熱い。もも肉から染み出た脂が椀の表面を覆い湯気を立てていないのだが、その見た目を裏切る熱いスープである。
「……おいひい」
「そう! よかったわ!」
そう言うとリリアも自分の分を掬って食べるが
「あっアッツい!」
という言葉と共に、非難するようにユーリーを見てくる。その可愛らしい表情になんとなく笑いが出てしまうユーリーである。結局リリアもつられて笑うと、改めてフーフーと冷ましながら食べ始めるのだった。
そうやって熱いスープを冷ましながら食べつつも、リリアは自分のやっていることが信じられなかった。
――監視していた「白銀党」と昨晩決闘していた青年と、偶然大通りでぶつかった――
これだけでも、盗賊ギルドの「仕事」の経験が無い彼女には非常事態だった。技能はあるが経験が無い彼女は、
(どうしよう?)
と頭の中は混乱していた。しかし、その一方で昨日「白銀党」と対峙していた時の様子と、目の前に居るユーリーの雰囲気が余りにも違うために興味を惹かれる自分を発見するのだった。卵塗れになったシャツを洗おうと言い出したのは、そんな思いも手伝ってのことであった。そして、こうやって一緒に食事をしながら、改めて近くで見て、そして話してみると
(不良グループと喧嘩するような人じゃないよね……こんなに明るく笑う人が、あんな不良連中と同じな訳が無いわ……)
と確信めいたものを感じるのである。しかし、そうなると益々ユーリーが昨日やっていたことに対して疑問が募る。いっそのこと「昨日はなんで
「ねぇユーリーは、何処の人?」
「うーん、今はユードース男爵の養子、かな?」
「なにその『今は』と『かな?』って」
リリアの問いに何気なく答えてしまったユーリーは、続く疑問を笑うだけで誤魔化す。
「じゃぁ、リリアは?」
「え? えっと、お父さんと一緒に働いてるのよ」
「ふーん、冒険者なの?」
ユーリーの問いに言葉に詰まったリリアは、ユーリーの言葉に乗ることにした。
「そうよ、冒険者……かしらね」
「ふーん、楽しいの? 冒険者って」
実はユーリーは余り冒険者に良い印象を持っていない。何と言っても、四年前に樫の木村を襲った事件、襲撃者の中には悲惨な目に合った冒険者が含まれていたからだ。
「まぁ、楽しい時もあれば辛い時もあるって感じよ。それよりもユーリーってあんまり貴族っぽくないわよね……顔立ちは、まぁ品が有るけど喋り出すと『きさく過ぎる』わ」
あまり「冒険者をやっている自分」という嘘について掘り下げられたくないリリアは、話の矛先を変える。貴族の子息に対する言葉としては失礼な物言いだが、ムッとするはずの無いユーリーはドキッとして答える
「よ、よく言われるよ。ずっと田舎暮らしだったからね……」
「へーそうなんだ、田舎って何処?」
「北の方の開拓者村、樫の木村って言うんだ」
「良い所?」
「どうかなー、冬は雪が積もって大変だけど春から秋に掛けては良い所だよ。森には沢山獲物がいるし、川魚を釣ったりして過ごしてたなぁ」
「ふーん、良い所みたいねー」
スープを冷ましながら、食べながらの会話である。
「ねぇ、ユーリーって彼女いるの?」
「えっ、彼女って……いる訳ないよ」
一瞬リシアの顔が思い浮かんだが、どうしてもリシアには恋愛感情では無い物を感じるユーリーは自信を持ってそう答える。
「ふーん、モテそうなのにね」
そう言うリリアの視線の意味を図りかねたユーリーは、自分も同じ質問をしてみる。
「そ、そういうリリアはどうなの?」
「居ない居ない! 考えたことも無かったわ」
「へーそんなに可愛らしいのに……」
以前幼馴染のマーシャにも同じように言っていたユーリー、相手を評する時の言葉を選ぶ際に、余り「気恥ずかしさ」を感じない性格なのだろう。一方そう言われた側のリリアは一瞬で少し尖った耳の先まで赤くすると
「そ、そんなことないわよ!」
と言う。口元が緩んで嬉しそうな、それでいて困ったようなリリアの反応を見て、やっと自分の発言が「口説いている」風になっていることに気が付いたユーリーも遅ればせながら顔を赤らめる。しかし、可愛らしいものは可愛らしいのだから仕方ない。
ちょっとした沈黙が有った後でユーリーが口を開く
「ところでリリア、さっきは急いでいたみたいだけど大丈夫なの?」
何気ない質問のつもりだったユーリーの予想と裏腹に、その言葉にハッとなった様子のリリアは、
「あ、そうだった! ゴメンなさいちょっと行かないといけない所があったの。そうだ! また会えないかしら……もっとお話ししたいな、明日の夜とかどう?」
と慌てた中でも照れくさそうに言う。
「え、いいよ! じゃぁ、さっきぶつかった辺りの大通で明日の夜……夕方かな? 待ってるね」
用事を思い出しつつ、はにかんだ様に「また会いたい」という目の前の少女の申し出を断る術はユーリーには無かった。そんなユーリーの返事を聞いたリリアは、ハシバミ色の瞳が綺麗な目を細めるとニコッと飛び切りの笑顔で頷くのだった。
その後、まだ熱いスープを無理矢理掻き込んでバタバタと後片付けをし、生乾きのシャツに袖を通したユーリーは
「じゃぁねユーリー! 明日よ、忘れないでね!」
と言い残して走り去って行ったリリアの後ろ姿を、しばしの間見送るのだった。
その後、ご機嫌な様子で屋敷に帰ったユーリーは帰りが遅いと心配していたチェロ老人のブツブツ言う小言も上の空で、自室に戻ると習慣的に魔術書を広げて読む恰好になるが全く内容が頭に入ってこなかった。思い浮かぶのはリリアの可愛らしい飛び切りの笑顔だけである。
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