Episode_05.09 青年と少女
ノーバラプール盗賊ギルドの面々が揉めて、ジムが誘拐されたギルドの連絡所からそれほど遠くない場所に、ジムとリリアの家がある。その自宅へ帰る途中のリリアはほぼ丸一日振りの帰宅であった。
昨日は
老齢のせいで体を壊し昔ほど力強くなくなったジムだが、リリアには変わらぬ優しい父親だった。そんなジムが貯め込んだ蓄えは親子二人で細々と、しかし不足の無い生活を送るには充分過ぎるほどである。だから、盗賊ギルドの連中の手先になって弱った体に鞭を打つような仕事をする必要は無いとリリアは思っている。だが、いくらリリアが説得したところでジムは考えを変えなかった。
リリアは、父親ジムの仕事が何であるか、また自分がその本当の娘でないことも分かっている。だが、だからこそ尚更、これまで育てて貰った「恩」があるのだと思う。詳しい経緯をリリアは知らないが、仕事中の突発的な出来事から止むを得ず生まれ立ての自分を保護し、それ以来これまで邪魔にすることなど一度もなく育ててくれたことは彼女にとって事実である。そのジムの恩に報いるために自分が出来ることは? そう問いかけた時、答えは自ずとリリアの中に出ていた。
心を決めると、リリアはジムに相談せずに単身でドルガというギルドの中頭に会い、父親の代りに働くことを願い出たのだ。リリアがドルガに披露した父親譲りの技 ――隠密術、弓術、剣術―― それに、彼女の中に流れるエルフの血がもたらした「暗視」と「精霊術」は、当然その全てを見せた訳では無かったが、卑しい表情で彼女を舐め回すように見るドルガを納得させるには充分だった。
しかし、リリアに引き継がれた「仕事」は、父親ジムが担当していたノーバラプール盗賊ギルドが長年掛けて王都リムルベートに築き上げてきた「黒蝋」取引網に対する妨害者の排除、という本格的なものでは無かった。リリアに割り当てられたのは、ジムの担当する仕事のほんの極一部、取るに足りない貴族の子息による不良集団「白銀党」の監視というものだった。役目としては、下っ端の役が彼女に回ってきたのはドルガの采配によるものである。
初仕事になるリリアを心配して簡単な仕事を任せた、のかと言うとそうではない。ドルガはジムと口論になったとき、さも「ノーバラプールのお頭が約束を反故にした」ように語ったが、実はその棟梁ギャロスは長年手下を務めてきたジムの功労に報いるため約束を守り、本気でその娘リリアを「放っておく」つもりなのだ。如何に盗賊といえども、組織を束ねるためには筋は通すし労には報いる。この姿勢が無ければ無法者の盗賊は配下に留まらないのである。
そういう経緯からドルガも、リリアが自分の元を訪ねてくるまでは、そのつもりだった。しかし、リリアを見た瞬間から「この少女を自分の物にしたい」という下衆な欲望に憑りつかれてしまったのだ。そうであるが故に、棟梁ギャロスにはリリアがジムの身代わりを申し出たという事実は伏せておきたいのである。
もしこの事実が知れれば、リリアの身の振り方はギャロス次第になってしまう。男としては枯れ果てたギャロスが
勿論そんなことをリリアは知るはずもない。父のジムは、お役御免となって今頃自宅でゆっくり朝寝を楽しんでいるだろうと思いこんで、帰路を急いでいるのだ。
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そんな、帰路を急ぐ彼女はふと昨日の夕方に観察していた光景を思い出す。いや、思い出すというよりもこの一晩は常に心の中にあった。あの青年……黒髪に少し華奢な体格をしていた。しかしそれに見合わず、巨漢の「白銀党」の青年に対して、まるで子供と遊んでいるかのように立ち回り、しかし最後には引き分けを演じて見せたあの青年がリリアの脳裏に焼き付いて離れない。その立ち姿や物怖じしない横顔、さらに油断の無い雰囲気は父から剣術を学んだリリアにも「相当出来る」と思わせるものだった。
(あれは何の意味があったのだろうか?)
芝居掛かったその青年の立ち振る舞いが気になったリリアは得意の隠密術に精霊術を混ぜた彼女独自の技術で完全に気配を消すとその後を付けてみた。リリアの目は、青年が周囲の気配に気を配り、完全に気配を消しているはずの自分にまるで気付いているかのように振る舞う姿を映していた。その青年は、注意深く道を選ぶと何度も路地を折れ曲がり、まるで尾行を「まく」ようにして、最後には一軒の屋敷に入って行ったのだった。
「ユードース男爵」その屋敷の名前はリリアの頭の中に入っている。没落した男爵の屋敷だったはずだ。しかしそんな事よりも、そこに入って行った青年が気になるのだ。その青年の行動について、自宅で待つジムに聞いてみようと思う。そして、そんなことを考えるうちに自宅に辿り着いていた。
(あれ……?)
しかし、この時間ならば絶対ベッドで横になっているはずの父ジムの気配が感じられないことに驚いたリリアは、少し不用心ながら家の扉を勢いよく開ける。そこには見慣れた室内。しかし誰の気配もしない……にわかにリリアの心は心配に満たされていく。
(なにかあったのかしら?)
念のため、狭い家の中を探してみるが荒らされた形跡や、不審な点は見当たらない。自分が出て行った時と同じように、愛用の片手剣とダガーの二本一揃えの武器と弓も部屋の隅に置かれたままである。
(どうしたのかしら……)
不安を感じたリリアは家を出ると来た道を戻り始める。その足取りは徐々に早くなると、やがて駆け足になり、路地にひしめき合う家々の前を駆けていく。
リリアが目指すのは家の近くにあるギルドの連絡所では無い。彼女が知っている中で唯一人が住んでいる、もう少し商業地区の市場に近い所にある連絡所である。リリアは、帰ってこない自分を心配したジムがそこを訪ねるかもしれないと思い、商業地区へ続く大通りに向かい路地を飛び出した。
少し慌てていたのかもしれない、また早朝だから通行人は余り居ないと思い込んでいたのかもしれない。そんなリリアは、勢いよく飛び出したところで大通りを歩いてきた人とぶつかってしまった。
ドンッ
「キャッ」
「うわぁ……」
自分よりも体格の大きい相手に突き飛ばされる格好となったリリアは尻餅をつきながらも、咄嗟に「すいません」と謝ろうとして、しかし、ぶつかった相手を見て固まってしまった。そこには、市場から買ってきたばかりだろう、鶏の卵を盛大にぶちまけた「あの青年」が立っていたのだった……
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ダレスとの決闘の後、リリアに後ろを付けられていることに気付くはずも無いユーリーは、暗くなってしまった道を何度か迷いながら時間を掛けて帰宅していた。そして、翌朝夜明け前に部屋の窓を叩く音に起こされる。まだ薄暗い早朝という時間に遠慮なく窓を叩く「つなぎ」に対して、
(この人たち本当大変な仕事だなぁ)
としみじみ思うユーリーは「白銀党」のメンバーに潜り込むことが出来たことと、近く中心人物と接触できるかもしれないことを告げた。その話を聞いたつなぎ役は、「おぉ」と普段無表情な顔に一瞬驚きの色を見せる。そのことが少し誇らしいユーリーであった。
因みに、ユーリーの顔の腫れはすっかり引いていて内出血の跡も残っていないのは「治癒」術の賜物である。そんな普段通りのユーリーは、つなぎ役が去った後はいつも通りの日課を行うために食堂へ向かう。最近はこの食堂でチェロ老人が作った朝食を食べた後にサハンから魔術の講義と実践訓練を受けるのが彼の日課になっている。
「おはよーチェロさん」
「おはようございます、今日は早いですねユーリーさん。でも、そのチェロ『さん』というのはやめて頂けませんかね?」
「えー、いいじゃない別に」
起き出すには少し早い時間だったが、そんなチェロ老人とのやり取りも日課の内である。そんなユーリーの日課に付き合ってくれたチェロ老人に、ユーリーは続けて話し掛ける
「チェロさん、サハンさんは?」
「旦那様なら、少し用事で朝早くから外出しておりますよ」
「ふーん、じゃぁ今日は練習無しだね」
「そうなりますね」
そんな会話の途中でチェロ老人が買い物籠を手にしていることに気付いたユーリーは、何事か思い付いたように尋ねる。
「あれ、チェロさん買い物?」
「はい、卵が有ると思っていたんですけど。切らしていましたので……ちょっと市場に行こうかと」
「じゃぁ、僕が買ってきてあげるよ!」
今日は何やらサハン男爵は用事があるらしく、朝食も取らずに出かけたということだった。したがって、今日はこの屋敷に来てから初の午前中の自由時間があるユーリーは、ちょっとした興味も手伝って、買い物を引き受けたのだった。
「大丈夫ですか?市場は広いですよ」
そういうチェロ老人に「大丈夫、大丈夫」と手を振って見せたユーリーはサハン男爵の屋敷を後にしたのだった。
早朝、日が登る時刻の市場を、買い物籠を片手にウロウロと歩くユーリーからは、「白銀党」のダレスと決闘した時のような雰囲気は少しも感じられない。むしろ、何処かの貴族か豪商の家に雇われている若い使用人が、慣れない買い物を言いつけられて大勢の人でごった返す市場を右往左往しているように見えるだろう。
「どうしたんだい兄ちゃん!」
碁盤の目のように店と通路が並ぶ一角で、農夫風の中年男性が声を掛けてくる。
「卵! たまごありますか?」
「なんだい、卵だったらあっちの方に店が並んでるぞ」
「ありがとうございます!」
あっちの方 ――獣肉や内臓肉、魚や乾物が並ぶ区画―― を指さされたユーリーはお礼を言いつつ、ちょっと気になったのでその農夫の広げている作物を見る。初夏の季節、瑞々しい葉物野菜が並ぶなか、葉の表が鮮やかな黄緑色で裏が紫色の変わった野菜が目に留まる。
「あの、この野菜初めて見るんですけど、美味しいんですか?」
「バカ言っちゃいけないよ! ウチのはみんな美味しいんだよ。これは、ちょっと湯がいて塩と酢で和えると食感がシャキシャキして、でもちょっとネバネバする感じが……そうだな、大人向きだな! あとは刻んで、卵と混ぜてオムレツにするのも美味しいぞ!」
ネバネバという触感は余り馴染みが無いユーリーは「大人向き」という言葉に釣られて、思わずそれを購入していたのだった。
(チェロさんに怒られるかな……)
と余計な出費(小銅貨二枚程度なのだが)を後ろめたく感じたユーリーは、卵を売っている区画で無事卵を買い求めると、帰路に付く。
人ごみから卵を守りつつ、やっとの思いで市場を出たユーリーはそのまま大通りを少し離れたサハン男爵の屋敷へ急ぐ。もう、かなり腹が減っているのだった。大通りには、そんなユーリーを誘惑するように、単身の労働者や自宅に炊事場を持たない人々が朝食を買い求めるための屋台が沢山出ている。そこから放たれる食欲をそそる匂いの誘惑に自然と身体が吸い寄せられつつ、何とかそれを断ち斬るユーリーは自分の前方への注意が疎かになっていた。
不意に路地から人影が飛び出してきたのは、そんな一瞬だった。
ドンッ
と身体がぶつかる衝撃、瞬間跳ね上がり自分に向かってくる卵、同じく跳ね上がり黄緑と紫の葉を交互に見せる野菜。朝日に浮かび上がるそれらの動きの向こうで、明るい茶色の髪を振り乱しながら、「アッ」という口の形で尻餅をつく少女の姿に視線を奪われる。自分に向かって降りかかる卵越しにその姿を見たユーリーは、その白い肌、少し上気した頬、つやのある唇、朝日を受けて輝く細い茶色の髪、そして驚きと共に「八の字」に
(なんて綺麗な娘なんだろう……)
と、生卵の洗礼を浴びながら思うのだった。
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