Episode_05.02 黒蝋禍


 以前ユーリーとヨシンが騎士デイルの頼みでヘドン村まで摘みに行った「鬼姫芥子」これは有用な薬草ではあるが、その薬効を悪用した好ましくない薬物が最近王都リムルベートに徐々に蔓延し始めていた。


 その「好ましくない薬物」は一般には「黒蝋こくろう」と呼ばれている、黒から暗褐色の樹脂の塊である。元は南の大陸にあるアルゴニア王国の奥地で呪術者シャーマンの祈祷に使われていた幻覚作用と鎮静作用のある秘薬なのだが、次第に処方を変え主に貴族や傭兵、奴隷、労働者の「憂さ晴らし」に効く薬として作り替えられたものだ。


 かなり以前から中原地方には蔓延しており、生産性の低下や濫用がもたらす精神錯乱による犯罪等が問題になっていた。それがリムル海を渡って西方辺境地域に侵入し出したのはここ数年のことである。しかし、西方辺境地域この地に辿り着くまでに、その薬はより強く効き、より酷い副作用をもたらすものに姿を変じていた。


「その薬って、そんなに悪い物なのか?」

「うん……良くないね、酷い常習性……つまり一度、二度と使ったらもう止められなくなるんだ。止めたいと思いながら、仕方なく次々と買い求めるしかなくなる。でも使うのは殆どが貧しい人達だ、悲惨だよ……」


 ヨシンの質問にアルヴァンは暗澹たる表情で語る。その薬物欲しさの余り娘を娼館に売り飛ばしたり、一家離散の憂き目を見た者が増えつつあるのだ。そして、主な購買層が低所得者になるため、売り捌く者達も必然的にそれらの者の近くにいる「地回りのやくざ」や「近所の破落戸ごろつき」になる。その販売網はノーバラプールの盗賊ギルドが仕切っているという噂もあり、とにかく細かく市井に行きわたっているのだ。そして、何よりも性質たちが悪いのは、そう言う者達に薬物を融通して利益を得ている者の中にリムルベート王国の「貴族」らしい存在がいるという事だった。


「えっ……えぇ? そんなことするの?」


 驚きの声を上げるユーリー。ユーリーとしては一番身近にいる貴族はウェスタ侯爵家である。高潔なウェスタ家と、そんな悪事に手を染める悪者が一括りの「貴族」であることに驚きを隠せない。


「そうなんだ……まったく! 腐った連中は頭にくる!」


 ユーリーの驚きにアルヴァンが珍しく怒りを表情に出して答える。本当に腹が立っているのだろう。親友の怒りはユーリーとヨシンに伝播する。そしてヨシンが口を開く、


「アーヴは、そんな奴らをやっつけたいんだな……」


 こういう時のヨシンは非常に剣呑な雰囲気を纏う。思い当たる貴族の名前を言えば今すぐにでも屋敷に斬り込みそうな勢いである。しかし、事情の複雑さを察したユーリーがそれを窘める。


「だめだよヨシン。そんなことが出来るんなら、とっくにやってるよ!……アーヴは、そんな奴らの証拠が欲しいんでしょ?」


 ユーリーの言葉に「あぁ、そっかぁ」という表情のヨシンであるが、対するアルヴァンは神妙に頷く。実はこの「黒蝋」の流通経路の特定とその根絶はガーディス王子からウェスタ侯爵領当主ブラハリーへ直々に内密に命じられたことであった。ブラハリーとしては、断りたい面倒事であったが、昨年末のオーク戦争で騎士団を動かしたことへの「お目溢し」に対する借りがあったことと、自分達と同じ「貴族」が係わっている可能性があることなどから、結局引き受けた訳だった。


 そして得意のアント商会の密偵に探らせたところ、幾つかの子爵家、伯爵家が関係しているらしい・・・ことが分かった。それらの貴族が領地との物資のやり取りに紛れ込ませる形で王都に薬物を運び込んでいるとほぼ確実となったのだが、肝心のところで「確証」が得られない。彼等の隠ぺいと警戒は並大抵では無く、いかに優秀なアント商会の密偵といえど、その確証を得るまでには辿り着かなかったのだ。


 調査は行き詰まりを見せたがそれでも粘り強く調査を続けた結果、それらの爵家の内、幾つかの家の子息が薬物を持ち出し勝手に売り捌くことで小遣い稼ぎをしているのでは? と思われることが分かった。


 「貴族」と呼ばれる爵家であるが、その台所事情は多くの場合「ギリギリ」または「火の車」であることが多い。体面を保つため、または考え無しに贅沢をするのだから当然であるが、そういった家の子息は往々にして金を持っていないのが普通である。食うに困るまでは行かないが、仲間と連れ立って酒を飲み、女を買い、博打に興じるような遊びは出来ないのが普通である。


 そんなはずなのに、不自然に「羽振りが良い」グループが見つかったのだ。二十歳前の爵家の子息達が中心となったこのグループは、中心メンバーがほぼすべて王立アカデミーの卒業生か高等部の在校生である。そして、アルヴァンも今年の五月から王立アカデミー高等部へ通い始めたところだ……


 ということで、当主ブラハリーの決断でアルヴァン中心に調査を行う事になったのだが、アルヴァンは良くも悪くも顔が知れ渡っている。そのため、アルヴァンの手足となって働く同年代の目端が効き、多少のトラブルは自分で切り抜けられる人材が必要となった。しかし、そんな都合の良い青年はアント商会の密偵の中に見当たらず周りが「どうする?」と頭を悩ませている中で、アルヴァンは「ユーリーとヨシン」を思い付き今回のように手配したのだった。


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 そして、ユーリーとヨシンが王都リムルベートに到着した翌日 ――つまり今日―― 「王都の地理を頭に叩き込む必要がある」という名目でユーリー、ヨシン、アルヴァンは勢いよく邸宅を飛び出すと中心市街地へむかって、坂を駆け下りているのだ。


 因みに「お供します!」と言い張ったお側係りのゴールスは、


「昼から出発するよ」


 という若殿アルヴァンの言葉を信じて、まだ邸宅でのんびり過ごしている。出し抜かれたことを知ったらさぞかし驚き心配するだろうが、そんな老僕の気持ちよりも親友と一緒に王都を散策することに気が逸る三人なのであった。


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 王都リムルベート、人口三十万を数えるこの都市は、元々リムル海とテバ河河口に面したリムル湾を望む丘陵地帯であった。海抜五十メートルほどの切立った崖から始まるなだらかな丘陵地は百数十年という年月をかけて徐々に開発が進み、今や差し渡し十二キロの大きな都市に発展している。最も海抜の高い王城付近が南側の崖に面しており、そこから港のある東北の方角へ向かいなだらかに丘陵地帯が削り取られ市街地が広がっている。


 白っぽい花崗岩を主体に造られた王城は丘陵地帯の頂上、リムル海に面した崖を背に建っておりその周囲を三重の城郭で取り囲まれている。宮殿と王族の居館、それに「近衛」騎士の詰所がある第一城郭、第一及び第二騎士団の詰所と万が一に備えた物資備蓄倉庫や兵が展開できる広場、更に国賓や貴族達が必要に応じて滞在する館が連なる第二城郭、ここまでは、高さ十メートルに達する頑丈な城壁で守られている。そして、各行政庁舎や衛兵団の詰所、各職種ギルドと王立アカデミーの建物が立ち並ぶ第三城郭は五メートル程の城壁に囲まれ東西の通用門と北向きの正門により、市街地と繋がっている。


 また、第三城郭の東・西・北の各門の前に三大侯爵の邸宅が砦のように配置されており、その間を繋ぐように各伯爵家の邸宅や子爵家の屋敷が点在している。この一帯は俗に山の手と呼ばれる閑静な住宅街で所得の高い者や身分の高いものが住み暮らしている区域である。


 その一帯を東の港の方に抜けると、賑やかしい商業地区が延々と港まで続いて行く。更に方向を転じて北を見ると、一般庶民が多く住む居住区が途切れることなく続いて行き、やがて北へ向かう街道に繋がっている。因みに西の方は、王都側の第三城郭内部から森林が広がっており、離れるに従い田畑が増え、やがて本格的な穀倉地帯となっている。


 鳥瞰すると、このような地形の王都リムルベートである。そして、第三城郭の北正門を見下ろす小高い丘に建つウェスタ侯爵邸宅から出発した三人の青年は一路東へ ――商業区へ―― 向かっている。


 アルヴァンとしては普段通りだが、ユーリーとヨシンにすれば


「何かのお祭り?」


 と考えてしまうほどの人ごみでごった返す商業区は、ウェスタ城下の商業区に比べると十倍人の密度が高く、比較にならない大きさだ。その商業地区を貫く大通りは左右の端を石畳で舗装され、中央は綺麗に均された地面である。一応馬車や馬が走ることを考慮されている造りだが、溢れた人々は通りの中央もお構い無しに歩いている。そして、天秤棒を担いで何かを売り歩く者や、通りの左右に露店を出す者、店を構える商店の使用人は大通りにでて往来する人々に声を掛けている。


 歩き難いことこの上無いが、今日は何処かに目的がある訳ではない。この人ごみと街の雰囲気こそが目当てだった三人、特にユーリーやヨシンはあっちをキョロキョロ、こっちをシゲシゲと田舎者丸出しの様子である。そんな二人の様子に、


(先に連れてきてよかった……)


と思うアルヴァンであった。


 何しろこれから、この二人には「没落し掛けた貴族の子息役」をやって貰わなければならないのだ。田舎者のお上りさんでは少し具合が悪いのである。ちなみに、没落しかけたとは言え貴族の身分を勝手に名乗るのは犯罪であるため、何処かの子爵家や男爵家に「当分の間、養子か隠し子として扱う」ことを協力させなければならない。


 しかし、これはそんなに大きな問題では無かった。没落しかけた、そんな貴族は沢山いる上に大体借金に困っているので、ウェスタ侯爵家が借金の肩代わりをしますよ、と持ちかければ、大体の事は言う事を聞いてくれるのである。


(しかし、借金まみれとは……もしも自分の領地で災害や魔物の襲撃があったらどうやって領民を護るつもりなのか……)


 若さ故なのだが、アルヴァンはそう考えると、そんな貴族連中に腹が立ってくるのだった。日頃の贅沢を慎み、領地経営に心を配り、金を溜めることを心がければ必ずしも借金など必要がない程の領地は王家から与えられているはずなだけに、腹が立つ若いアルヴァンなのである。


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