Episode_04 エピローグ この世の果てで見守る者



 天山山脈は別名「西方の屋根」とも言われる、西方辺境地域の北に位置する山々の連なりである。その最も奥の最も高い山の頂には、人間はおろかドワーフもエルフも到達したことが無い。


 当然である。そこは太古の昔から結界が張り巡らされた、この世と隔絶された場所なのだから。


 そんな「この世の果て」と呼べる場所に一人の人影が佇んでいる。その人影は、大きな平たい石舞台のような場所の端に腰掛けると、身じろぎひとつせずに南の方角に広がる夜明け前の雲海をただ眺めているのだ。


 一見すると人間にもエルフにも見えるその姿は、霊感溢れる芸術家が作り上げた神の使徒をモチーフにした座像のようである。しかし、それが生きていることは時折風になびく長い髪と、まばたきの度に現れる碧眼から知ることが出来る。


 やがて、遥か東の雲海の途切れ目から朝日が昇る。遮る物の無い雲の水平線を差し照らす黄金色の光線により、その者の周囲を覆っていた薄い雲が空気に溶けて行く。そうやって周囲を霞める覆いが取り払われると、その者が途轍もなく巨大な石の玉座の端に腰掛けている、と言うことがわかる。


――いと天に近き高御座たかみくら――


 何万年も昔にそう呼ばれていた巨大な玉座は、その主を失って既に数えきれないほどの年月を過ごしている。そして今、その場に居るのは外見が人の男性と変わらない者一人である。


 悠久に思える程長い年月を彼の一族はこの結界の中で過ごして来た。一族の言い伝えによれば、この玉座は世界の事象が形を得た時、最初に出来上がった物だということだ。


 遥か昔、この世界が創造主によって作り出された時。まだ、この場所は存在していなかった。それどころか、空と海と大地それに星海の隔たりさえなかった。ただただ、色彩と方向が異なる力が混在した空間があっただけだと言う。


 そこに創造主は事象の形を欲した。そして「力の根源」龍と「秩序の根源」巨人が生み出された。「力」と「秩序」は互いに影響し合い、いつしかこの世界は空・海・大地・星海に分けられていった。お互いに影響し合うことで事象が作られることを知った龍と巨人。そして出来上がった世界の形を愛でる創造主は、やがてこの世界に住人を求めるようになった。


 龍は自らの力を宿した竜・獣・鳥・魚等を自分の眷属として造り、巨人は我が身に似せてエルフ・ドワーフ・人間等を眷属として作り出した。そして創造主は自らの姿に似せて、使徒を作り出した。その使徒の末裔が彼とその一族である。


 作り出された龍と巨人の眷属たちはこの世界を我が物顔で歩き回り増え栄えて行ったが、創造主に造られた使徒である彼等は大地に降り立つことを禁じられた。


 ――干渉せずに、ただこの世界の形を守り、行く末を見守ること――


 それが創造主の望みだった。だから彼等の種族は常にこの場所や、さらに遥か東の龍山山脈の頂きからこの世を眺め続けた。ひたすら干渉することなく、たとえ創造主が去ろうとも、たとえ龍と巨人が争いを始めようとも、たとえ龍も巨人も滅んでしまおうとも、同族に課せられた使命を守る事だけが彼等の生き方だった。


(しかし)


 彼は考える。


(三百余年の定命の中で、変化に富んだ下界をただ見つめるだけとは、創造主は過酷な使命を課したものだ)


 世界はガラッと変わってしまったと伝わっている。遥か昔、この高御座にまだ秩序の巨人が座していたころとは全く違うのだと言う。龍と巨人は相争い、龍は引き裂かれ力の要素に還元された。そして巨人もまた引き裂かれその意思の様々な断片がこの世界の大気に漂っている。下界の者達は龍の力の要素を「精霊」、巨人の意識の断片を「神」と称しているようだ。


 龍と巨人の争いから更に数えきれない年月が過ぎた頃、世界を制したのはいにしえの人間だった。巨人から秩序の法として「魔力《マナ》」を用いた「魔術」を学び取った古の人間は徐々に繁栄を高めていき、七百年前の或る日、自らの手で新しい「秩序の巨人」を創造しようとした。そして、結果的に失敗したその試みは、この世界と別の次元にある世界とを隔てる境界を薄くし、漂う巨人の意思たる「神」以外の別の「意思」をこの世界に引き込んでしまった。


 創造主が作り出したこの世界の掟が変わろうとしたその時、流石に彼の一族の大多数の者が立ち上がった。古の人間が異界から招き入れた新しい神 ――異神―― への抵抗は彼の一族と、他の大勢の力ある存在・・・・・の介入によって、寸前のところで成功した。しかし、結果的に彼の一族の殆どと、古の人間の大多数が死に絶えてしまった。


 今、地上に満ちているのはいにしえの人間の後に、巨人により造られた新しき人間 ――力を持たない矮小な存在―― だ。だが、数を減らした古の人間は新しい人間と混血していき、今も微かに存在している。一方で彼の一族は大地に降りて新しい人間と交わることが禁じられているために緩慢な滅びの道を歩んでいる。


(緩慢な滅び、これすらも創造主の望みの一部なのかもしれない)


 その者は徐々に明るく成り行く南に広がる雲海を眺めながらそう思った。


(しかし、滅びを受け入れられない者が存在するのは事実だ……)


 彼は二十年前、自分と残り少ない一族の元を去って行った弟の事を思い出す。彼の弟は一族の掟を破り下界へりたのだった。一族の掟は、墜りた者に罰を与えることを求める。これまでも何度か下界にりる者は存在した。だが、それらの者達は全て一族による罰を受ける結末となってきた。その罰とは「死」である。


 しかし七百年前の異紳との戦い ――人間は「大崩壊」とよぶ―― の後、数を減らし衰え消えゆく未来が確定していた状態で、彼は弟を罰することが出来なかった。罰するふりをして弟を行かせたのだ。弟の行為は罪であるが、滅びゆく者の最後の抵抗のように思えたのだ。そして、心の中では弟を応援してさえいた。


 そして、彼の弟が下界に墜りたその二年後、彼は高御座の裏側、つまり北側の雲海の下で弟の命の輝きエーテルが一瞬大きく瞬き、そして消えたことを感じた。純粋に悲しかったが、その一方で最後の瞬きは弟が「自分は生きた!」と全力で表現しているようで羨ましかった。


 それから時は流れて、今から三年前、不意に南の空の下で弟のエーテルに似た輝きを感じた気がした。微かに瞬いたその光は水面を揺らしたさざ波・・・のようだった。しかし彼はそれ以来南の空を眺め続けている。


 そして今、冬の太陽が低い南中を目指して天を駆け上がる時、再び光が不意に足元で瞬いた。それは、さざ波・・・ほど小さく無いが、大波とまでは言えないものだった。しかし確かに水面に痕跡を残すような波動となって彼に伝わってきた。そして、その感触は弟の光にとても似ていた。


(もしかして?)


 彼はにわかに生じた疑問と共に、自分も弟と同様に一族の掟を破るかもしれない未来を予期するのであった。


Episode_04 少年兵と剣の花嫁(完)

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