Episode_04.25 オーガー


 ――「後方で待っていなさい」


 そう命じる騎士は特に怒った表情でもなければ敵意が有る訳でもなかった。ただ私達のことを心配しての言葉だったのだろう。だけど、私はユーリーと離れたくなかった。何故か分からないが、もう二度と離れてはいけない、と感じたからだ。しかし、結局引き離されてしまった。ユーリーは兵士だ、戦うことが仕事だという。「直ぐに戻る」という彼の言葉を信じるしかないのだろうか……?


 出会った時から不思議な感じがした。最初に会った時はほんの数分だった。それでも強く印象に残るのは「私と似ている」と言う事だった。次に会った時は、絶望と恐怖の中から私達を救い出してくれた、ついさっきの事だ。その後、震える私を抱き締めてくれた時に見た光景は決して幻覚じゃない。あの時、あの光景の中で、赤子に戻った私の隣には赤子の時のユーリーが居た。そして、同じ光景を共有していた。確かに共有していた――


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 戦闘が行われている場所から少し離れた後方にリシアとエーヴィーは退避している。周囲には誰もおらず、只足元に兵士達が降ろしていった荷物が整然と積まれているだけだ。その場所に立ち尽くすリシアは、心ここに在らずと言った様子である。一方のエーヴィーは今更ながらに恐怖がぶり返してくる。


 激高してリシアを突き飛ばしたイザムも怖かったが、彼をあっさり殺してしまったオーク兵が怖かった。そして、そんなオーク兵をあっさり倒したあの三人も怖かった。目を瞑ると無惨に殺された死体の映像が浮かび上がってくる。


 エーヴィーの左手は無意識にリシアのローブの袖を掴んでいる。何かに触っていないと怖すぎておかしくなってしまいそうに感じるのだろう。ふと、ローブを掴むその手が引っ張られる。


「え?」


 と、エーヴィーがリシアを見ると、彼女は正に歩き出そうとするところだった。


「ちょっと待ってくださいリシア様」


 そう言って引き留めようとするが、その声はリシアに届いていない。仕方なく前へ廻って押し止めようとするが、リシアはそれを振り払う。そして、兵士達が戦いを始めた森の南へ向かって行くのだった。


「あーん、もう待ってください! リシア様ぁ」


 泣きたい気持ちを押し殺してエーヴィーはリシアの後を追うのだった。


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 北の高台に陣取る弓兵と猟師達。その集団の中にいるルーカは、場所柄戦場の様子を俯瞰することが出来る。既に戦いが始まって二時間近くが経過しようとしているが、殆ど趨勢は決まっているようだ。


 右手側の眼下、テバ河の河岸に上陸した哨戒騎士部隊は見覚えのある大柄な騎士パーシャを先頭にオーク兵三百と対峙していた。上陸当初こそ態勢が整わず押される場面もあったが、パーシャが先頭に立ち橋頭堡を築くと後続の兵や騎士が徒歩で上陸し、戦線は拮抗した。そこへ南から三十騎の騎士がオーク兵の背後を突くように突撃したので、結局オーク兵側が統制を乱し壊滅していた。


 さらに南に目をやると、柵の切れ目から広場に侵入した正騎士と従卒兵が綺麗に東西に延びる槍衾隊形を作り、北側に残ったオーク兵二百制圧しつつ、東北から飛び込んで来た新手の二百匹程のオーク兵を押し返している。ここにはやがて哨戒騎士部隊と正騎士三十騎も加わるだろう。そうなれば広場の制圧も終わったも同然である。


(流石、正騎士団だな……指揮の統率がとれている……広場の制圧は終わったな)


そう思ったところで、一つ気になることを思い出した


(ん? そう言えばオーガーは何処へ行った?)


 そう訝しく思った次の瞬間


ググォォォォォォッ!!


 ルーカの耳に、厭な記憶しか思い起こさせないオーガーの咆哮が聞こえてきた。その咆哮に反応して、ルーカは反射的に走り出していた。なぜなら、その咆哮を上げたオーガーの至近にいる部隊はユーリーとヨシンの部隊だったからである。


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 第十三哨戒部隊の兵士達の被害は死者十名に、負傷者二十三名である。損傷率としては隊の半分が死傷したことになるが、負傷者は全員直ぐに治療を必要としない軽傷であり、従って士気は旺盛である。そして今、森に侵入したオーク兵達を崖淵に追い詰め包囲している。


 追い詰められたオーク兵の数はもはや三十程である。当初の二対一の比率を覆し、ここまで優性を取れたのは、待ち伏せ作戦の成功と各人の錬度の高さの賜物である。戦場の常識から言っても稀有な出来事と言えるだろう。


 そして、残ったオーク兵と第十三部隊の兵士達が睨み合うその場に、ユーリーとヨシンも到着する。更に、ほぼ同時に、騎乗の哨戒騎士も戻ってきた。その時、


ググォォォォォォッ!!


 その声は殊更大きく響き渡ると、地響きを立てて彼等十三部隊に接近してくるようだ。


「なんだ?」

「さぁ?」

「お、おぃ!あっあれ!?」


 と兵士達が不安気な雰囲気は、直ぐに驚愕の表情へ変わる。その様子を見ながら、ハンザは腹に冷たいものを感じる


(オ、オーガーだ……)


 ハンザは実物を見たことが無い、いや第十三哨戒部隊の誰も見たことが無いだろう。ただ、書物で読んだその力は、三個小隊分の戦力に匹敵する、と記載されるだけだった。それが、近づいてくる……


「散か――」


 散開して距離を取れ! と命じかけたハンザは、目の前のオークの集団のさらに向こうから、こちらに迫るオーガーの巨大さ・・・に絶句してしまった。四メートルはあるその巨体は、崖の下に立ちながら、赤く血走った両目は、崖の上の自分達をまるで食糧を見るような目で見ている。その視線に本能的な恐怖を感じたのだった。


ググォォォォォォッ!!


 再び咆哮が上がる。生臭い風圧を受けその場の全員が顔を背けるが、オーガーの発したその声は食糧を見つけた喜色が混じった恐ろしいものであった。


 食人鬼オーガーは、一般的に身長三から四メートル、全身は黒い剛毛に覆われていて、足はやや短めで手が長い。その手足には他の動物や人間と同じように指が五本あり、夫々に鋭く太い爪が生えている。そして人間と狼を掛け合わせたような顔面と赤く血走った両目が特徴的である。雄雌の区別はあるようだが、凶暴さには変わりはないとされる。


 食人鬼と称されるのは、その捕食行動が偏執的であるためだ。人ばかりでなく、エルフを好む個体やドワーフを好む個体もいる。全てに言えることは、行動原理の最優先事項が食欲であることだ。一説には太古の昔から生息する巨人族の末裔が退化した姿だとも言われているが確証は無い。西方辺境地域では天山山脈の西部から南部に掛けた山岳地帯周辺にごく少数の野生種が見られる程度で馴染みが無い。しかし、遥か東の龍山山脈から中央盆地に掛けた山岳地帯には数多く生息しているという。


 そのオーガーは咆哮を上げた後、バンッと地鳴りをさせてオークの集団が固まっている崖淵に手を掛けると(これで数匹のオークが下敷きになった)短い足をバタつかせ、崖を登ろうとしている。その様子に第十三部隊のみならず、敵のオーク兵も恐怖に顔を引き攣らせている。


 全員がその巨体に対する畏怖から動けない中、オーガーはゆっくりと上半身を引き上げると、崖の上に到達する。そして、「邪魔だ!」とばかりに固まっていたオークを左右の手で振り払う。その一撃にオーク兵の大半は吹き飛ばされ崖下へ墜落するか、その場で全身をグシャグシャにされてしまった。こうして、第十三部隊により追い詰めたオーク兵の集団は、味方のはずのオーガーによってあっさり全滅してしまったのだ。


「さ、散開して距離をとれぇ!」


 自分を縛る恐怖を打ち消すかのようなハンザ隊長の指示が響き渡った。


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 第十三部隊の各人は眼前のオーガーの巨体に硬直していたが、ハンザ隊長が発した号令を受けて我に返ると、指示通りに各自が距離を取ろうとする。しかし、彼等を食糧・・と見定めたオーガーは後退して距離を取ろうとする兵の一団に、地響きを立てながら走り寄り、大木の幹のように太い腕を振るった。


ドンッ、ドンッ


 巨体の割に素早い動きと攻撃に、兵士が二人吹き飛ばされると地面に叩きつけられ動かなくなる。オーガーは嬉々としてその二人を掴みあげると犬歯の突き出た口を開け上半身を噛み千切る。噛み千切られる瞬間、兵士の足がバタバタと暴れたが直ぐにぐったりとなっていた。その残酷な光景に、第十三部隊の兵士達は恐怖よりも怒りが込み上がるのを感じている。


 オーガーは残骸となった兵士の身体を投げ捨てると、更なる獲物を物色する血走った視線を投げかける。その、オーガーの正面に下馬したデイル副長が進み出た。更にその左右に騎乗のままの哨戒騎士が数騎進み出る。その光景を見たユーリーは、仲間の兵士を「喰った」オーガーへの本能的な恐怖で麻痺した頭を激しく振るような動作をして、最も良い行動を選択することに集中する。今はそれほど多くの選択肢がある訳では無い。


(今は……デイルさん達の援護だ!)


 ユーリーは、そう決めると素早く「防御増強」と「身体機能強化」の付与術をデイルら哨戒騎士達に掛ける。オーガーの巨体から繰り出される攻撃は、一撃でオーク兵三十匹をなぎ倒すほど強力だった。それに対して自分の強化術がどれだけ効果が有るか分からないが、無いよりはマシだろうと思うユーリーだ。


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