Episode_04.15 争いの種


時は溯り11月1日 王都リムルベート


 ウェスタ領から王都リムルベートまでは、国内を南北に通る街道を徒歩で行けば通常三日程の距離である。早馬を乗り潰し、その度に交換する覚悟で行けば丸一日掛かりで到達することが出来るが、馬の調達に金貨二十枚程の出費を覚悟しなくてはならない。


 その一方で、ウェスタの船着き場から船でテバ河を下る場合は一日足らずで到達してしまうのだから、河川交易が如何に重要な物流手段かを窺い知ることが出来る。その河川ルートを使い、小滝村襲撃の知らせを携えた伝令兵がウェスタ王都に到着したのがその日の朝の事だった。


 伝令兵は、朝霧の残るリムルベート港に接岸するなり、船から飛び降り全速力で王都のウェスタ侯爵邸を目指す。足の速さが信条の伝令兵は、本領発揮と言わんばかりに早朝の王都を駆け抜け、まだ朝食の支度が整っていないウェスタ侯爵邸へ飛び込んで行った。


 そして知らせを受けた正騎士達は、直ちに当主ブラハリーへ報告する。丁度これから朝食というタイミングでこの報せを受けた当主ブラハリーとアカデミーに登校する前のアルヴァンは、流石に愕然とした。


「ぜっ全滅なのか?」


 思わず上擦って甲高い声になったアルヴァンが問いかける。


「第一哨戒部隊の生き残りからの報告です。三十一日時点で、敵オーク兵の集団は小滝村に留まっているとのことです」


 報告に上がったのは、年配の騎士である。ガルス中将の留守を預かっている。こちらも苦虫を噛み潰したような表情での返事だ。


「とにかく、いつでも動けるように準備を整えろ。早ければ今晩にでもウェスタに向けて出発するぞ」

「ははぁ」


 当主ブラハリーの命を受け、準備に取り掛かるべく部屋を後にする。その騎士の背後を目で追いながら、アルヴァンは、


(しかし、我らが騎士団を動かすことが許されるだろうか?)


 と一抹の不安を感じていた。


 王都リムルベートに駐留するウェスタ侯爵領正騎士団の数は百名。その目的は王家に対する軍役である。爵位と領地を与えられた貴族達は、夫々の規模に応じてこの軍役を課せられているが、特に大きな領地を持つ「三大侯爵家」ウェスタ、ウーブル、ロージアンは夫々正騎士百とそれに見合う数の従卒兵を王都に駐留させている。


 それら三大侯爵家と中小の爵家の騎士達はリムルベート王国の第二騎士団に配属され、その数合計で騎士六百騎、従卒兵三千六百に上る。この第二騎士団の主な役割は王都、及び直轄都市の防衛。それに王家直属の第一騎士団の援護となっている。


 テバ河がリムル海へ流れ込む、広大な河口湾の西に位置する王都リムルベート。その反対の東に位置する主要都市ノーバラプールが近年「四都市連合」という海洋都市連合体から支援を受けてリムルベート王国から離反する動きを見せているため、王都周辺は常に軽い軍事的緊張が続いている。


 今の所ローデウス国王もガーディス王子も、この件は政治的に解決する方針のようだ。そのため、余程の事 ――例えばノーバラプール側が暴発する等―― が無ければ、直接的な軍事行動は起こらないだろうが、それでもノーバラプールの北に広がる平野で軍事演習という名の示威行動をする必要が生じているのだ。


 それらの背景・経緯を考えると、如何に領地の危急とはいえ軍役を一時的に免れて領地を護るために騎士団を戻すことが許されることは「難しいのでは?」というのがアルヴァンの抱いた懸念だった。


 そしてアルヴァンの懸念は少し形を変えて的中してしまう。


****************************************


 その日の午前、王城へ出仕したブラハリーは早速ガーディス王子の居る第一騎士団長執務室へ向かう。ガーディス王子は王家の伝統として代々王太子が務める第一騎士団の団長に就いている。その上、長く病身のローデウス王の代理として国政全般の最終決済も行っているため、多忙な身の上だ。


 そんな王子だが、些細な相談を持ち込む大臣以下の役人達に追い回される事を嫌い、普段は騎士団詰所内の第一騎士団団長室で執務を行うことが多い。第二城郭内にあり、文官達には敷居が高い騎士団の建物は絶好の避難場所なのだろう。


 対して第二騎士団長の役職にあるブラハリーは、ガーディス王子と同じ建物内に団長室を持っており、基本的にいつでも・・・・ガーディス王子に「お目通り」することが出来る。これだけでも周りの中小爵家貴族から見ると垂涎の特権であるが、ブラハリーは


「御多忙な王子の時間を邪魔する訳にはいかんよ」


 と言って普段は自分の側から会いに行くことは少ない。寧ろ、王子の方が ――この間の親善試合へのお忍びのように―― 気分転換のネタを求めてブラハリーの団長室を訪れる方が多いくらいだ。


 ブラハリーとしては、こちら側から出向くことが多くなると目端の利く者達が


「ガーディス殿下へ、どうかこの件の口利きをお願いいたす」


 等と言い、押し掛けてくるのが目に見えているので敢えて距離を置いているという面もある。一方、父のウェスタ侯爵ガーランドからすれば


「もっと、自分の立場を利用せよ!」


 と小言を言いたくなるほど、ブラハリーは欲の無い態度である。最近は「頑なな性格が解れてきた」と評されるブラハリーでも、性根の実直さが邪魔をして流石に父の様には出来ないのである。


 尤も、そういうブラハリーの距離感がガーディス王子からの信頼を一段と厚いものにしていることも事実である。


 しかし、今回は違う。領地と領民の一大事である。さらに長引けはウェスタ侯爵領のみならず、リムルベート王国の経済にも少なくない打撃を与える事件が起こったのだ。先程アルヴァンが懸念した事情など百も承知のブラハリーであるが、なんとか


(ガーディス王子を説得しなければ)


 という思いだった。ただ、思いが強すぎたのだろうか、普段ならば用事が有って止むを得ず面談を持つときでも、前もって報せを出して面談可能か確認するのが常なブラハリーは、今朝に限って、それをせずに第一騎士団長室を直接訪ねたのだった。


 部屋の前には二名の第一騎士所属の騎士が警備として立っている。白銀色に縁取りの細工が美しい板金鎧は彼らの中でも近衛・・と呼ばれる選りすぐり・・・・・の者達だ。その近衛騎士二名はブラハリーの姿と見ると、笑顔で会釈を送ってくる。


 彼らとしては、滅多にこの部屋を訪ねてこないブラハリー・ウェスタ第二騎士団長がやってきたのだ


(きっと王子が呼んだのだろう)


 と思いサッと両開きの重厚な造りの扉を開ける。その所作はブラハリーを扉の前で立ち止まらせないように配慮したものであった。しかし、もしもこの時ブラハリーが開く扉の前で少しでも立ち止まっていたら、おそらく時間を改めて再度訪問することを選んだだろう。というのも……


「おはようございます! 殿下、実は折り入ってお願い……が……」


 勢い良く室内に入ったブラハリーは中央に置かれた執務机に向かい挨拶をするのだが、その主は右手側の長椅子が幾つかテーブルを囲むように置かれた場所で、ある人物と対談しているところだった。


「やぁ、ブラハリーおはよう。めずらしいな、お前から――」


 そう言ってブラハリーを迎えようと立ち上がるガーディス王子を遮って少し甲高い声が室内に響く。


「ぶ、無礼であろう! ブラハリー! 我ら兄弟の語らいの時間に土足で踏み入るとは何事か!」


 神経質そうな声色でそう喚くのは、ガーディス王子の弟、第二王子ルーカルトであった。ブラハリーの姿を見た途端、細面な顔に青筋を立てて捲し立てる。


 なにかと問題の多い第二王子ルーカルトは、ブラハリーを目の敵にしている。少し前に、ブラハリーがウェスタ領主の座を父から受け継いだ際に、これを良い機会と勘違いしたルーカルト王子が、第二騎士団長の座を父ローデウス王と兄ガーディスに懇願したのだ。その時既に、ブラハリーを第二騎士団長に任命していたローデウス王に対する明らかな「不服」の表明であった。


 ウェスタ侯爵ガーランドをして『人遣いの天才』と言わしめる聡明なローデウス国王は家臣達の不満や提案、又は懸念の表明は広くこれを推奨している。しかし、身内であるルーカルト第二王子が一族の長たる国王の命令に不服を表わすのは、少し状況が違った。


 結局、国王の命令は覆ることなくブラハリーが第二騎士団長に着任した。一方でルーカルト王子は父と兄から厳しい叱責を受け、第一騎士団隷下の衛兵団長官という役職に更迭されたのだった。


 父や兄からすれば、「そこで暫く頭を冷やせ」という愛の鞭なのだが、それが分からない所にルーカルト王子の限界がある。閑職に追いやられ腐る日々は自然と取り巻き連中の質を下げる。没落子爵や名ばかり伯爵が、こぞって目先の利益を得ようとルーカルトの周りに「糞にたかる蠅」のように集まりだす。


 そんなルーカルトは、今日は朝から「鬼姫芥子」の免許令中止の陳情を代弁するために兄の下へ参上したのだった。「鬼姫芥子」 ――少し前にユーリーとヨシンがヘドン村へ採集にいった薬草―― は、有益であるが毒性が強い。自然に自生することのあるこの薬草は用量を守り用いる分には非常に有益なのは、その薬効からも明らかである。


 しかし、用量を超えて、過度に精錬されたその樹脂分を摂取すると、人々は健全な意欲を蝕まれ、怠惰の中に快楽を求め出す。そういうように強いる、強い精神毒性のある薬が作られるのである。


 既に四都市連合の各都市や中原地方で蔓延しつつあるこの薬物は主に南方大陸から海路で持ち込まれているが、最近になり国内で精錬する集団が相次いで摘発されていた。蔓延する薬禍に直面している四都市連合の状況を知り得たリムルベート王国では、いち早くこの薬物の主原料たる「鬼姫芥子」の取り扱いを免許制に移行することで蔓延を未然に防ぐ方針が決定されていた。


 それが「困る」などと言う貴族共は碌な者ではないだろうが、そういう連中に回りを囲まれているルーカルトにはそれが分からない。朝一番で兄と会う約束を取り付け、時間前に到着すると、部屋の前で待たされた後にようやく会談に漕ぎ着け「鬼姫芥子」の免許制を取り止めるよう説得を始めたルーカルトであるが、兄ガーディアスは一向に首を縦に振らない。


(私の大切な友人達・・・・・・が止めてくれと言うのに何故兄は分かってくれないのだ?)


 そんなイライラが募る中に、目の仇にしているブラハリーが飛び込んで来たのだ。


「ウェスタの田舎者風情が、兄様の部屋に土足で踏み入るなど我慢ならん!!」


 鼻息荒く捲し立てる。腰に帯びた剣を抜きかねない剣幕であるが、


「待て、ルーカルト……ブラハリーは『目通り自由』の第二騎士団長だぞ。何事かあって報せに参ったに違いない。なぁそうだろう、ブラハリーよ?」


 最悪のタイミングに最悪の状況である。ここで「いや、そう言う事でもございません」などとやろうものなら、折角庇ってくれたガーディス王子の好意をふいにして、ルーカルトに更なる言い掛かりの材料を与えるだけである。そして、今は何より時間が惜しいブラハリーは、覚悟を決めると口を開く


「実は今朝、領地から報せがあり。北部の開拓者村がオークの集団に襲われ全滅したことがわかりました」

「なんと! どの村だ?」


 流石に驚いた様子のガーディス王子である。ブラハリーは更に説明を続ける。


「は、テバ河東岸の小滝村でございます。さらに悪い事に、オークの集団は千を超える規模のようで、そのまま小滝村に留まっているようなのです」

「ふんっ、ウェスタ領の兵士は腰抜け揃いか。オーク等に村を滅ぼされるとは、領民が気の毒だな!」


 ルーカルト王子の言葉に、コメカミがピクッと動くブラハリーであるが、務めて冷静に続ける。


「まったく、おっしゃる通りであります。そこで、彼の地を奪還すべく王都に駐留しています正騎士団を半数程領地に戻したいのですが……そのお許しを頂きに参上しました」

「そうか……」


 ガーディス王子はブラハリーの言葉に腕を組むと考え込む様子だ。一方のルーカルト王子は止まらない。


「ブラハリー! 貴様そのような口実で、その実領地の手勢を集め謀反を起こす気ではないだろうな? そうで無くても、ノーバラプールの問題を抱えた今、王都からみだりに兵を動かすのは、王家に対する反逆罪だぞ! 兄様、こやつの言葉聞いてはなりませんぞ。こやつこそ、獅子身中の虫かもしれません!」


 つくづく、酷い言い様である。ブラハリーはウェスタ侯爵家の当主、三大侯爵家と呼ばれる勢力の一翼である。その勢力は王家とて無視できるものでは無い。その一大勢力の長に対して「謀反」だの「反逆」だの、果ては「獅子身中の虫」呼ばわりである。もしもブラハリーがその言葉に逆上すれば、それこそリムルベート王国を揺るがす規模の内戦に発展するのである。しかし、暴言を吐くルーカルトはその点に思慮が至らない。


(そんな風だから、父にも兄にも疎まれ始めているのが分からんのだな……可哀そうなお方だ)


 暴言を受けるブラハリーの内心は、この程度の気持ちしか湧かない。しかし、同じくそれを聞くガーディス王子は流石に止める。


「止めんかルーカルトっ!」


 その一喝で、ようやく短慮な第二王子の暴言は治まった。ガーディス王子はそれに対し一度だけ酷く冷たい視線で睨みつけると、ブラハリーの方へ向き直り、


「言葉が過ぎたようだな。これも弟の国を思う気持ち故のこと、許せよ」

「いえ、お気になさらずに、殿下」

「だが、今ウェスタの正騎士を王都から動かすのは良い策とは思えない。他の諸侯の手前もある。なんとか領地の兵だけで対応するように」


 ブラハリーの目を真っ直ぐ見つめ返して、そう命じるガーディス王子である。命令することに慣れきった様子は王者の風格があるが、その視線を受けるブラハリーは


(はて?)


 と違和感を持った。そして、殆ど反射的に、


「お忙しいところ、お手間を取らせました。私は自室に戻ります」


 と言うと部屋を辞していた。

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