Episode_04.14 樫の木村からの援軍
11月5日 樫の木村
「ねぇ待って! あなた本当に行くつもりなのっ?」
「ああ、誰かが行かなきゃならない」
「それは分かるわ、でもなんであなたなの!」
自然と大き目の声で口論する二人は小さな家の中。続く奥の部屋から赤ん坊の泣く声が聞こえる。その声にハッとなったフリタとルーカは、言い争いもそっちのけで泣き声を上げるシャルの方へ駆け寄ると、あやし始める。
しばらくして、ようやく泣き止んだと思ったら今度は乳を欲しがる。フリタは、「はいはい」と言いながら服の前を肌蹴てシャルの口に乳首を持っていと、シャルは元気よくそれを吸いだした。
「……吸いたいの?」
それほど豊では無い胸から、よくもまぁ毎回毎回乳が出るものだ。と、その様子を何となく眺めていたルーカに、フリタが訊いてくる。
「バカ……シャルの分が無くなるだろっ」
そう答えるルーカは少し頬のあたりを紅くしている……照れてるのだ。
「だって、あなた好きじゃない」
「そりゃ好きだけど! 今はシャルのものだよ……そうじゃなくて『召集』のことだけど、やっぱり行ってくるよ」
その言葉に、フリタがじっとルーカの目を見る。その眼差しは「何が有っても付いて行く」と我を通してきた昔のフリタとは違う。
「どう言ったって行くのね。なら、私の弓を持って行って頂戴!」
「え?」
「だって、ルーカの弓ゴッツイでしょ。あれで森の中に入るとちょっと困るんじゃない?」
確かにその通りである。ルーカの戦闘用複合弓は特注品で、威力と連射性を両立するためにロングボウを少し切り詰めた長さ ――フリタの肩辺りの高さ―― がある。あれでは確かに森の中での取り回しには苦労しそうだ。
その点フリタの弓は
「でも、今まで俺にだって碌に触らせなかったのに、突然どうしたの?」
そのフリタの弓は「魔弓」である。「アマサギの弓」とルーン文字で刻まれた弓は、不思議な亜麻色かかった白い材質で出来ており、スッと首を持ち上げた水鳥のシルエットをしている。そして「魔弓」と言うだけあって、射撃の命中度を上げる魔術と持ち主を矢から護る魔術が付与されている。
売り買いすれば、弓の魔術具は評価が難しいが金貨五百枚前後の値が付く品物だ。フリタはこの弓を或る人物から相続したのだが、武器としての価値よりもその人物への想いから、これまで滅多に他人に触らせなかったのだ。
「……いいのよ、もう……あの弓よりも大切な物をもう手に入れちゃったからね」
そう言うと、乳を飲み終わったシャルを抱き上げ背中をポンポンと叩く。ゲップが出たのを確認して再びベッドに寝かしつける。満腹でご機嫌のシャルはそのままウトウトしだすと、いつものように直ぐ寝てしまうだろう。
そして、ルーカの方を振り向くフリタは、スッと側に近づくと胸をはだけたままでルーカを抱き締める。
「あなたとシャル……この二つが有るなら、他に何もいらないわ……だから」
そこで一旦区切ると、ルーカの後ろ頭に手を回し自分の胸に引き寄せる。特に抵抗しないルーカはされるままに胸に頬を当てるとその心音を聞く。乳の匂いがした。
「絶対帰って来てね!」
「ああ、約束するよ」
母親になった穏やかな表情のフリタはそのままの姿勢でルーカを抱き続けるのだった。
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今日の昼ごろに桐の木村の住民が一人、樫の木村へ訪ねてきた。ヨーム村長宅を訪れたその男が言うには
「小滝村が襲撃された件で、奪還作戦の為に案内と弓が使える猟師を『召集』するって話で、褒美は出るみたいですが、各集落から一人は召集に応じるようにって命令です」
それを聞くヨームは、小滝村襲撃事件の事は噂で聞いていたし、事件の行方を憂慮していたのだが、奪還作戦の話を聞き、顔を綻ばせる。自ら哨戒騎士団を去ったといっても、未だにウェスタ侯爵には忠誠の念を持っているのだ。しかし、
「桐の木村の下流からテバ河を渡り対岸の小滝村へ行くならば、猟師の案内など要らないのではないか?」
「いや……なんでも第十三部隊ってのが森を回って裏山から攻め入るらしいんで、その案内ってことです」
それを聞いて腕を組むヨーム。オークの軍勢の数に関する情報は無かったが、今の話が本当ならば、敵は千近い軍勢なのかもしれない。
(恐らくテバ河を渡って正面を攻める部隊に呼応して裏を突くのか……危ない作戦だな。しかしあの侯爵様がそうまでするとは……第十三部隊……んん?)
「おい! いま第十三部隊って言ったのか?」
「えっ、は、はい、言いましたよ。第十三部隊です」
「なんと……とにかく分かった。召集には村から飛び切りの猟師を出す、いつ集合なのだっ?」
突然の雰囲気の変わったヨーム村長の態度に、桐の木村の男はビックリするが、集合は六日の夜だと告げると、足早に去って行った。
「十三部隊……騎士デイルの部隊、そしてユーリーとヨシンの……」
そう呟くと、自分も家を飛び出して村の坂道を駆け上って行ったのだった。
その後、ヨーム村長は、先ずルーカとフリタの家へ向かい事の次第を告げた。
「えぇっ……哨戒部隊の案内ですか?」
玄関先でヨーム村長の話を聴いたルーカは流石に一瞬「嫌そうな」雰囲気を出すが、ヨーム村長は構わず続ける
「そうなのだが……その部隊と言うのが、三年前に村が襲撃されたときに駆け付けてくれた部隊で……そして、今はユーリーとヨシンが配属されている部隊だ。だから、頼みにくいんだが……」
そこまで聞いて、ルーカの顔から嫌そうな雰囲気は消える
「分かった、ヨーム村長。でもフリタに話してからだ」
「すまん」
と言うことで、冒頭の会話になった訳である。一方のヨーム村長は、そのままメオン老師宅を目指すが、その道の途中で反対側から歩いてくる村の娘に出会う。
「あら、村長こんにちは!」
「おお、マーシャちゃん、こんにちは。老師のところに?」
「はい、食べ物と洗濯物を」
そう言うマーシャは手に持った籠をちょっと持ち上げてみせる。メオン老師宅へ食べ物と洗濯物を持って行き、昨日の分を持って帰る途中のようだ。昔はそばかすだらけの顔を日焼けさせてユーリーやヨシンと村を走り回っていた少女だが
(まぁ、なんと女らしく成長したものだ……)
と、彼女を見るたびにヨーム村長はそう思うのである。表情の良く動く愛くるしい顔のまま、肌が白くなり背も伸びてきている。村の若い連中には、早くも「俺の嫁に!」と言ってくる者がいるようだったが、本人には全く応じる気がない様子だった。そんなマーシャは、明るい笑顔でヨーム村長に問いかけてきた。
「村長はどちらに?」
「あ、ああ老師の家にな、ちょっと相談があって」
「そうなんですか。だったらメオン老師に、たまには外の空気を吸って散歩でもするように言ってください」
「ああ、分かったよ。言っておくよ」
そんな会話のあと、「それじゃぁ」とお辞儀をしてマーシャは自宅の方へ向かって行った。それを見送るヨーム村長は、ユーリーとヨシンの身に降り掛かった事を可憐な少女に言う訳にもいかず、さりとて、なんだか嘘をついたような、少し後ろめたい気持ちを感じるのだった。
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暫くして、メオン老師の家の戸口に立つヨーム村長の姿があった。
メオン老師の家を訪ねる時はいつも緊張する。元々自分には無い知恵を持っていると尊敬していたのだが、この間ユーリーとヨシンが帰ってきた際の夕食で、「銀嶺傭兵団」の幹部だったと分かってからは尚更だった。自分が騎士を目指して剣の修行に没頭していた時に殊更好きだったのは、その「銀嶺傭兵団」の物語あった。もう四、五十年近く昔の話だが
――虐げられた民を助け、不当な弾圧を強いる強者に立ち向かう――
そんな物語は、その頃出来たばかりの哨戒騎士を目指していた自分にピタリと嵌るものであった。
そんな感傷が胸をよぎるヨーム村長だが、今は別の目的がある。ヨシンの両親にはとても言えないが、メオン老師ならば心配する以外に何か……
(何か……何でもいい、自分に思い付かない何かを……)
そんな「何か」を示唆や助言、協力として与えてくれるかもしれない。そう期待するのだ。特に意識していないヨーム村長であるが、ユーリーとヨシンに向ける関心は並々ならないものがある。
護るべき存在が増える事の重圧を放棄した、それ故に子を持つことの無かったヨーム村長の生き様は、どこかメオン老師と通じるものがある。そんなヨーム村長にとって、おそらく人生最後の弟子である二人は特別だ。夫々が優れた特性を持っている。知恵と閃きのユーリー、努力と負けん気のヨシン。長らく騎士、剣士として生きてきたヨームには、二人の非凡さが分かる。
だが、それは
そうした気持ちを籠めてメオン老師の家の戸口を叩くヨーム村長、しばらく待たされた後に奥から応じる声を受けて中へ入っていく。
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机の上に広げられた書き掛けの書物を一旦閉じると、メオン老師はヨーム村長に向かい合う。勧められた椅子に腰掛けるヨーム村長は抑えきれないように、座るなり口を開いていた。
「小滝村の襲撃事件はご存じですか?」
「ああ、噂程度に聞いておるよ。早く取り戻さんと来年春の納税で河が使えないのう……それにテバ河沿いの街道や村はいつ襲われるか気が気でないだろう、困った問題じゃ」
「はい、それで侯爵様が軍勢を差し向けることになり、村にも森の案内役として猟師の召集令が掛かりました」
「……はて、何故森の案内役が必要なのじゃ?」
メオン老師の問いは、先ほど報せを受けた時のヨーム村長と同じものだった。流石に、軍の指揮に係わった経験のある人間は察しが早い。そう思いヨーム村長は経緯を説明する。そして、肝心な部分 ――ユーリーとヨシンが配属された部隊の作戦―― について触れたのだった。
「なんと……なんと…………したことか……」
それを聞いたメオン老師は、もともと皺だらけの顔を尚一層にして絶句する。地下の書斎に重い沈黙の時が流れた。
(そう言う事になるのは分かっておった。分かっておったが……いっそ儂が出張っていくか? 光導の杖を使えば……いや、千の大軍相手では不足か。ならば、流星を落とすか? 儂の魔力の全てを燃やせば星海の門を開けることが出来るだろう。あの術ならば千だろうが二千だろうが容易い……しかし……)
しかし、いつかは
(これで良いのだろうか? マーティス……)
という物である。あの男ならば
(儂に
ふと耳元で懐かしい声で「お前が思うようにやればいい」と言う声が聞こえた。そんな気がした。
しばしの沈黙を続けるメオン老師だが、不意に何かを決めたように顔を上げるとヨーム村長を見て言う。その顔は厳しい表情のままだ。
「ルーカが行くのじゃろ、ちょっとウチの
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その日の昼過ぎ、シャルを抱いたフリタ、ヨーム村長、メオン老師に見送られてルーカは樫の木村を出発した。鉄板で各所を補強した分厚い革のブリガンタインに、愛妻から借り受けた魔弓「アマサギの弓」とギッシリ矢の詰まった矢筒を肩に掛け、背中には背嚢にメオンからの預かり物 ――油紙に厳重に包まれた棒状の何かと、小さな袋―― と、当座の携帯食料を詰めた旅姿である。
「行ってくるよ」
その言葉に、皆がしばしの別れを告げる。
「気を付けてね!」
「ダア、ダァ」
メオン老師は一つ頷いて返すだけだが、皺垂れた瞼の奥の眼光は既に戦場の光景を見ているようだ。その懐かしい眼差しにルーカは頷き返すと歩き出す。
こうして送り出されたルーカは、村の外で一度だけ振り返り、フリタとシャルに手を振ると桐の木村へ急ぐ。開拓村、樫の木村からの援軍は小柄なハーフエルフ只一人だが、彼の背中は様々な思いを背負っているのだった。
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