Episode_04.07 命令と葛藤と
(決死隊? なんのことだ?)
そう思うデイルだが、あの節約家のセドリーが柄にも無く気前の良いことを言っているのだから有り難く頂戴しようと思い直す。そして、何気なくハンザの顔を見るが、彼女は顔を伏せたままでこの会話をやり過ごしたいようだった。
補給品の調達は問題無さそうだったので、デイルとハンザはそのまま城下に向かう。時刻は夕方である、夏には爽やかな涼を運ぶテバ河の川風も、この季節は身を切るような冷たさで坂道を下る二人の騎士に吹き付ける。デイルは、板金鎧の襟元に、以前ハンザから
ビュウゥー
一際強い風が二人の外套を揺らす。勿論こんな風は毎年の事でこれからもっと寒くなるのだが、無意識にデイルはハンザの前に出ると風を遮るようにそのまま前を歩く。
「……」
その後ろ姿を、悟られることなく泣きそうな顔で見つめるハンザなのだ。
やがて二人は、道の分岐点に立つ。左へ行けばハンザの住む山の手の住宅区、真っ直ぐ進めばデイルの住む居住区へつながる。三か月ほど前までは、この場所で二三言葉を交わして別れるのが常だった。でも今日は様子が違う。何事か躊躇うような素振りを見せるハンザに、
「今日は、そっちに泊まってもいいかな? うちの長屋、もう荷物も整理したし大家に部屋を返したんだ」
と言うデイルである。勿論殆ど婚約状態である二人、周囲にはまだ伏せているがラールス家の家人には公然の事実である。今デイルがウェスタ城下のラールス邸に寝泊まりしたといっても、誰も咎めるものはいない。
その言葉に一瞬ハンザの表情が緩むが、それでも笑顔にまで辿り着かないものだ。
「いいわよ、勿論」
その言葉に頷くと、二人は道を左に曲がり進んでいく。
普段と様子が違うハンザにデイルは当初、
(俺、何か嫌われるようなことしたかな?)
と疑問を感じていたが、どうも違うようである。もっと別の所にある、しかし二人で居る時は屈託のないハンザをここまで沈み込ませる「何か」ではあるようだ。この時期的にそれが、任務に関するものだと言う事だけは察しがつくのだが……
(ゆっくり話せるところで、訊くしかないか……)
というのが、デイルの結論である。
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やがて二人は、ラールス家に到着した。いつも通りの殺風景な門構えに、小さな屋敷。お蔭で、門の内側の敷地がとても広く感じるのはいつも通りである。
「おかえりなさいませ、お嬢様。あ、デイル様もご一緒ですか。どうぞどうぞ」
出迎えた下男の老人がデイルを客間に通そうとするが、ハンザはそれを遮ると
「客間は寒いから、食堂でいいよね?」
とデイルに訊いてくる。デイルとしては嫌も何も無いので、「どこでもいいよ」と応じてハンザに付いて行く。ハンザは食堂と言っていたが、実際は厨房兼食卓である。普段はここで、下男と老婆の三人で食事を済ませているという。デイルの感覚では至って「普通」であるが、憚りながらウェスタ侯爵家譜代の家臣ラールス家である。家格の割に何事も「ざっくばらん」なのは、ガルスの影響だろう。
食堂に入ると、釜の前で煮炊きをしていた老婆が振り返り、
「おかえりなさいませ、お嬢様……まぁデイル様もご一緒ですか。このような場所で宜しいのですか?」
と流石に訊いてくるが、
「どうも、こんばんは、お構い無く」
「お腹空いたわ」
と拘らない二人である。思いも掛けず、食べる人数が増えたが、そこは長年ラールス邸の台所を取り仕切る老婆である。直ぐに準備に取り掛かると、程なく料理を食卓に運んでくる。チーズを乗せて軽く炙られた黒パンと野菜のピクルス、豚の肩肉の塩漬けのスライスがもられた皿と、ピクルスに使われた野菜の芯の部分と豆と根菜類を煮込んだスープというメニューだ。
それを、ハンザがデイルに取り分ける。ピクルスを煮込んだスープは独特の癖のある味だが、丁度よく柔らかくなった豆と根菜に味が滲みていて良い味になっている。何より冷えた体には有り難い。黒パンもチーズを乗せた炙りたては香が良く、なかなか美味いものだ。全体としては質素な食事であるが、デイルにはこちらの方が馴染み易くて良い。
流石に、使用人の二人は遠慮したのか食事を続ける二人の様子を気にしながら、ワインを出してきて注いだり、外の方へ出て何かしたりしている。
「そうだ、婆爺、今晩デイルは泊まっていくよ」
丁度、厨房の外で何かしていた老女が戻ってくると、ハンザが声を掛ける。
「まぁそうですか、今日は『風呂』を準備してありますので、食事が終わったら使ってくださいまし」
と、平然と返してくる。この老女、実は所領地に一人娘がおり、その娘もラールス家で給仕をしている。その娘から「お嬢様が、遂に女になりました。デイル様と同じお部屋で一夜過ごされたようです」と書かれた。大変に大きなお世話な話の手紙を昨日受け取っており、
(日頃パスティナ神とフリギア神の神殿を掛け持ちして祈願した甲斐があった!)
と喜んでいたのだった……
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そんなことはさて置き、食事が終わった二人は、一旦客間に行くと、ハンザが手伝いデイルの板金鎧を外し鎧掛けに掛ける。
「食事の前に脱ぐべきだったわね」
「いいよ、鎧なんて服みたいなものさ」
という会話を交わしたのち、鎧下の綿入れという恰好になったデイルを「風呂」に案内する。風呂といっても「蒸し風呂」だ。入口手前が脱衣所として使う前室になっており、その奥の石造りの小部屋に据え付けられた釜で湯が沸かされている。小部屋からの熱気で前室も程よく温まっており、そこで服を脱いだデイルは奥の小部屋に入っていく。ハンザが、「着替えを持ってくるから」といって出て行った後の話である。
蝋燭一本の明かりに照らされた「蒸し風呂」の中は意外と広く、何人かで同時に使うことが出来る程だ。部屋の奥には煮え立つ釜と、水の入った桶がある。勿論室内は湯気で朦々としているが、のぼせる程の熱さではなく寧ろ心地よく汗が出る。
(蒸し風呂か……良いものだな)
手ぬぐい一つで股間を隠した状態で木製の長椅子に腰掛けるデイルだが、その手ぬぐいを水の入った桶に漬け軽く絞ると顔を拭う。殆ど庶民と変わらない出自のデイルには、このような贅沢な蒸し風呂を経験する機会が殆ど無かった。先月王都に出かけていた際にウェスタ侯爵の邸宅で使ったのが初めてであるが、その時は他の正騎士達が一緒にいてワイワイと騒がしかった記憶しかない。
(しかし、どうしたんだろう?)
考えることは、ハンザのことである。帰宅してからは、少し調子を戻したようだが、それでもデイルには違和感があった。「どうしたのか?」という疑問よりも「だいじょうぶか?」という心配が先に立つ。しかし、女性と接する経験が皆無のデイルには、どうして良いか分からない。単刀直入に訊けばいいのか? それとも遠回しに自分から話しやすいようにすれば良いのか?
(うーん……)
湯気の中で一人、手ぬぐいを頭に乗せた状態で腕を組むデイルである。すると、隣の前室から気配を感じる。ハンザが着替えを持ってきてくれたのだろうと思うが、その割には気配が消えない。まさかとは思うが……
ガチャ
という音と共にドアが開くと、前室の明かりを背にハンザが立っていた。
「薪が勿体無いから、一緒に入るわよ」
「え……あ、ああ」
デイルは、髪を上で纏めて、素肌の上に薄い綿の衣を羽織っただけのハンザの姿を固まったまま凝視してしまう。デイルの視線には気付いているが、務めて何気ない風を装うハンザはデイルの隣に座る。そして、しばし無言の時が流れる……
「ねぇ、デイル」
「え?」
唐突に話し出したハンザに、デイルは変な風に掠れた声で応じる
「さっき、事務官のセドリーが言っていた『決死隊』のことなんだけどね――」
ようやく「何か」を心に決めたハンザは、これまでの経緯を
「つまり、俺達の隊が東北の山伝いに森を進み敵陣の背後を急襲するわけだな……ハハッ、まさに決死隊だな」
その言葉にハンザはキッとデイルを見る。睨む訳ではない。デイルの表情を、そしてその奥の真意を確かめるような眼差しだ。それを受けたデイルは気負わず自然に言葉を発する。
「……怖いな。出来ればやりたくない。もしも、もしも三年前の俺だったら寧ろ勇み立って任務に専念したかもしれないが……今は怖いな」
「な、な……んで?」
「だって、想い続けていた女性と想いが通じ合い、一緒になることが約束されて、母は死んでしまったが、立派な父上が出来た……この幸せを投げ打って戦場に、それも決死の覚悟が求められる困難な作戦に……こんな事を言うと嫌われるかもしれないが、俺は怖いと思う」
そう言うと、デイルはハンザに微笑みかける。
「わ、わたしは……わたしも怖いわ。デイルと同じで、数年前の私ならきっと騎士の名誉にかけて喜んで行ったでしょうね。志願を募られれば真っ先に応じていたかもしれないわ」
ハンザの声は少し震えている。
「でも今……なんでこんなに、怖いと思うのかしら……本当は、昨日の会議の時にこの作戦を一緒に上申するつもりだったの」
ハンザは目を覆うように額に手をあてる。
「でも、会議の場で発言するうちに……怖くなってしまって。敵陣の背後を討つ作戦を言い出せなかったわ。だってそうでしょ、こんな作戦言い出した人間がやるべきだもの!」
別に侯爵を非難している訳では無い。凛々しい性格のハンザならではの一本筋の通った考え方である。それを他人に強要するのでは無い。あくまで「自分はこうあるべき」という、これがハンザの行動律なのだ。
汗とも涙ともつかないが、湯気の熱気に濡れて照らされるハンザの表情は苦しそうだ。
「私……もう騎士なんて、隊長なんて続けていられないわ。自分に覚悟が無いのに、部隊の皆に命令なんて出来ない……」
身を
「……ごめんなさい、こんなこと言うと嫌われちゃうわね」
「嫌いはしないさ、俺だって一緒だよ……ハンザは素直だな。そんな隊長だから皆喜んで命令に従う……」
そう言うと、止めていた手をハンザの背中に置く。
「さっきも言ったけど、昔の俺なら勇んで任務に臨んだだろう。そして、困難に飛び込み、きっと死んでいただろう……だって、しぶとく生き残ってまで守りたいものが無かったから……でも、今の俺は昔と同じじゃない。ずっと強い。だから、生き残る。ハンザも一緒に生き残る。何故か分からないけど、自信があるんだよ」
その声に、ハンザは俯けていた躰を起こす。濡れた薄衣が肌に張り付き、その下にある小振りな膨らみを強調する。
「……なんでそんな事がわかるの?」
「だって、ハンザを一人残して死ぬなんて……出来る訳ないだろ……愛している、だから死なない」
その言葉に、やっと笑顔が戻ったハンザ。
(そうよ……何が怖いって、デイルが死んでしまうことよ……でもデイルは死なない、私が護る)
一度挫けた心に新しい信念が宿る。「騎士の誇り」とかそんな大げさなものでは無い。もっと私的でもっと小さい
「……あなたの方が、よっぽど素直よ……でも愛してるわデイル……」
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「英気を養う」とは、大事の前に良く言われる言葉だ。この言葉の解釈は人夫々。或る者は「飲み納め」とばかりに酒を飲み、或る者は家族と静かに過ごす。或る者はひたすら剣を磨き、或る者は熱心に魔術書を読む。
そんな中、精根尽き果てるまで求め合うことで英気を得られる若い男女が居たとしても、誰が文句を言えようか……
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