Episode_03.22 清い人


 ユーリーがウェスタ城下に戻ってから二週間、この間に色々なことがあった。まず、ヨシンが一足先にデイルの元に戻ると約束通りに「姫鬼芥子」の花房をデイルに届けた。デイルは早速、薬屋に「痛み止め」を処方してもらうことが出来、母の薬が切れる事態は防がれた。


 ヨシンは、お礼として貰ったデイルの「折れたバスタードソード」を商業地区の武器屋に持ち込み修理を依頼した。武器屋の店主は「持ち込みはちょっと……」と最初難色を示したが、ヨシンの真心と殺気の籠った真摯な態度に打たれ、金貨三枚で修理を引き受けてくれた。


 一方で、ハンザは自分の家であるラールス家の所領とウェスタ城下を度々行き来していた。養子縁組や婚姻に必要な書類、手続き、準備があり、それを父のガルスから命じられたのだが「こんな差し迫った時に」と不満を爆発させると、事情を書き記した手紙を王都の父ガルスに送っていた。


 その手紙曰く、


「デイルの母親は私の母と同然。病床の母上の容態が思わしくない時に、なぜ他の事が手に付きましょうか。これより先、不要不急の要件で所領に呼び出された際に、母上に万が一のことがあれば幾ら父上とて生涯許しません」


 受け取ったガルスは


「……なんで? そんなにまで悪いなど、デイルは言ってなかったぞ!!」


 と困惑しつつも、養子縁組や婚姻の支度は自分が中心に進めようと決心し、王都を出発したのだった。まず所領地に寄り、必要な手配を済ませる。その後は


(当然、デイルの母君の見舞いだ)


 ということである。


 そして、十月二十七日の午後、珍しく晴れ間が覗くウェスタ城下の居住区、その中の一般的な平屋の長屋では、静かな時が流れていた。デイルの母の容態は、医者の言うとおり、良くなることは無く悪化を続けている。


 すでに七日以上、形の有るものは喉を通らない状況で、麦粥の上澄みと、蜂蜜で甘さを強くした白湯位が精々の栄養補給になっている。それも今朝からは喉を通らなくなり、正午頃にやってきたラールス家の掛かり付けの医者は脈を取り、腹のシコリを確かめるだけの診察を終えると、帰り際に「今夜が山だろう」と伝えていた。


 玄関先で、口を押えて声が漏れないように静かに泣くハンザの肩をデイルが抱き寄せると、ハンザは堪らず向き直り、デイルの胸に顔を埋める。幼い頃に母を亡くしたハンザにとって、短い間だったがデイルの母と過ごした日々は掛け替えの無い日々だった。


 デイルは、そうやって母を想ってくれるハンザを心から嬉しく、有り難く思う。二人が奥の寝室に戻ると、母は寝息を立てていた。何ともなくその寝顔を見つめるデイルとハンザであるが、そこに尋ねてくる者があった。ハンザの父ガルスである。


 玄関先に出たデイルは驚いたが、甲冑では無く平服を身に着けたガルスは「そのまま、そのまま」と言うと、敬礼し掛けるデイルを押し留めて家の中に入る。


「お父様……」


 思いも掛けぬ父の登場に驚くハンザだが、ガルスは「シィ」と口に手を当てる素振りをすると、後ろからやってくるデイルに向き直る。


「デイル、水臭いぞ。このような事なら、もっと素直に言ってくれないと」

「申し訳ありません、しかし、私事ゆえ……」

「バカ! 私事だからこそ、包み隠さず言えというんだ」

「お父様! なにもそこまで……」


 隣の部屋で眠る母を気遣い、終始小声の遣り取りである。


「とにかく、滋養に良い物、精の付く物、腫物に効くという物は明日届けさせるし、私も明日また来るからな」


 そう言い募るガルスに、デイルが首を振る。その素振りに訝し気な表情となるガルスだが


「お父様、お気遣いは嬉しいのですがもう既に……既に食べ物も飲み物も喉を通らないのです。医者が言うには『今夜が山』だと……」

「なんと……そうだったのか」


 ハンザの言葉は終盤涙声、それを聞いたガルスも沈痛な面持ちになる。その遣り取りを聞いていたデイルが


「ガル……いえ、父上。母に会って貰えますか……?」


 ガルスを伴って、母の寝室に入る二人。ガルスには、長患いの患者の部屋にしては空気の淀みも無く庭からの明かりが入る部屋は、明るい印象に映った。狭い部屋である、壁際に置かれたベッドに横たわるデイルの母は部屋に入ってきた気配に気づくと目を開いた。


 薬の効き尽くした、ぼやけた目線ではなく、明確な意思を宿した視線にデイルは驚くが、ベッドに近づき語りかける。


「母さん、ガルス中将がお見舞いにお出でだ」

「……そ……うか……い」


 ガルスがデイルの横に立つと深く礼をする。


「この方……が……ガルス……中将、……デイルを……よろし……く頼み……ます」

「勿論です。しかし、今はご自分の病を癒すことが先決」


 デイルの母は力なく首を横に二度振ると


「デイル……これよ……り先は……ガルス……中将の……みを父上……と仰ぎ……慕い……尽くし……なさい」


 そこまで言うと力が抜けたように


「私は……良い息子……と娘……を持っ」


 と言い眠りに落ちて行った。


 その日の夕方、波乱の半生を女手一つでデイルを育てながら生き抜いた一人の女性が息を引き取った。息子と娘に看取られ、彼らが手を尽くして入手した薬によって死の苦痛から護られた女性の顔は、医者が驚くほど安らかで清らかな表情だったという。


 翌々日の午前には葬儀が執り行われた。デイルの母親の信仰は平民出の女性にしては珍しく戦の神マルスであった。きっと任務中の息子の無事を祈っていたのだろう。健康な内は良く神殿に顔を出していたと言う。


 葬儀に参列した人も様々である。よくマルス神の神殿に出入りしている御用聞きの少年や、戦で手足を失ない神殿で生活する者、領兵団の面々、勿論ユーリーやヨシンと言った第十三部隊の面々も駆け付けた。更に城からは家宰ドラウドがウェスタ侯爵の名代として参列した。


 そしてマルス神の神官により冥福を祈る長い祈りの言葉が贈られると、亡骸を収めた棺は厳重に馬車に乗せられる。ラールス家の所領地へ運ばれ、埋葬されることになっていた。それは、デイルが望んだ訳では無い。ハンザが意地を張ったのでもない。まして、ガルスが気を利かせたのでもなかった。極々自然とそうなったのである。


 何故だと誰かが訊ねたとしたら、三人とも「家族だから」と答えただろう。特に理由は要らない。そうだから、そうなのである。


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