Episode_03.21 パスティナ救民使「白鷹団」
翌日、目が覚めたユーリーは未だ朦朧とした意識のまま、ベッドから起き上がる。
(あれ? ここってどこだろう?)
頭の芯から背骨を通して尻まで、鉛の棒が突っ込まれているんじゃないか? と思うほど頭も体も動かない。
(昨日、スキュラを倒して……それからヘドンの村に帰って……パーシャさん達に「ありがとう」って感謝されて……、あれ? それからどうしたんだっけ?)
記憶が定かでないユーリーだが、その後は意識を失うように昏倒し今朝に至る訳だから覚えていなくて当然だった。
部屋を見渡しても特に目を引くものはない。妙に重く感じる身体を引きずるようにドアに向かったところで、向こうからドアを開けて入ってきた兵士とかち合う。
「お、ユーリー。目が覚めたか?」
そう言うのは、第四部隊の兵士である。顔は覚えているが、名前が出てこない。
「なんだ、寝惚けているのか。お前の相棒のヨシンなら、『一足先にウェスタに戻る、急ぐから』といって昨日の夜の内に出発したぜ。今頃はもうウェスタに着いているんじゃないか?」
(あーそうだった。デイルさんのお母さんのために薬草採りに行ってたんだな。そうか、ヨシンが先に届けてくれるなら安心だ)
ヨシンの名前を聞いて徐々に記憶が繋がってくる。
「あのー、ここは何処ですか?」
「あー、そうか、お前ずっと寝てたからな……ここはトデン村の村長さんの家だぞ。後でお礼言うんだぞ」
そう言うと、その兵士は負傷して寝ている六名の様子を確認していく。
(そうか、トデン村まで移動したんだな)
ユーリーがそう納得していると、開けっ放しの部屋のドアからもう一人の人物が中に入ってきた。その人物は、灰色のフード付きローブを身にまとった中年の女性のようだ。首から下げた大地母神パスティナの聖印が胸のあたりでキラリと光る。
「あら! もう起きられるの? 若いっていいわね」
その中年女性は、きさくな調子でユーリーに話しかけてくる。フードの奥の顔は「どこにでもいる近所のおばちゃん」のようだ。特に神秘的な風でも厳格な風でもない。
「ユーリー、お前ちゃんとお礼言わないと駄目だぞ。この方は、パスティナ救民使『白鷹団』のジョアナ様なんだぞ」
横から、さっきの兵士が声を掛けてくる。「パスティナ救民使」というのは、大地母神パスティナを信仰するパスティナ教の一派であり、「救民」を掲げて各地を巡回し布教活動と共に慈善活動を行っている団体だ。「白鷹団」とはそのグループの名前だろう。
「あら、いいのよ、いいのよ。それよりも君、ユーリー君だっけ? 魔力欠乏症に掛かっていたわよ。魔術を使う時は注意しないとダメよ」
ジョアナは、そう言うとユーリーの顔色を診る。対するユーリーは「お母さん」に叱られた気分になる。魔力の使い過ぎは初めての経験だが、今後は注意しなければと思う。
「大分良くなってるけど、後一回位は念のために……」
ジョアナはそう言うと、「??」という表情のユーリーの前で手を組み
「いと慈悲深き大いなる母にお願い申し上げます。この者に生きる活力をお分け下さい」
と祈りを口にする。ふぅっと体の中に何かが流れ込む感覚を覚えて戸惑うユーリーである。神蹟術を受けたのは初めてなのだ。何かが流れ込む感覚を治まると、先ほど迄の重い感覚は嘘のように治まっていた。
「あ、ありがとうございます。ジョアナ様」
「いいのよ、いいのよ」
さっきと同じ調子で、手をパタパタと顔の前で振るジョアナだが、ふと一瞬真顔になるとマジマジとユーリーの顔を覗き込む。その様子の変化に付いて行けないユーリーは見つめられるままに固まってしまった。
「……あなた……お父さんとお母さんはご健在?」
「い、いえ……物心付いた時から養父に育てられていましたので……わかりません」
「そう……ごめんなさいね、変なこと聞いちゃって」
そういうと、視線をそらし他の兵士の様子を診はじめる。
(なんだったんだろう?)
少し不審に思うユーリーだが、何でもないだろうと納得すると、トデン村の村長を探すために部屋を後にした。
今月の初めにも行商の護衛として通り掛かったトデン村だが、ヘドン村に比べると活気に満ちている。ウェスタの城下町が近いことと、向こう岸の小滝村と行き来する渡し船の船着き場があることが原因だろう。人口は五千人弱とのことだが、もっと居るような気がする。
村長の家を出たユーリーは、ほどなく表通りでトデン村の村長を見つけ出し、昨晩の宿の礼を言う。わざわざ礼を言いに来た若者が珍しかったのか、村長はビックリした顔をしていたが逆に「お役目ご苦労様です」と頭を下げられてしまった、ユーリーであった。
午後に近くなり、体調も戻ったユーリーは第四部隊の兵士に別れを告げてウェスタに帰ろうと思い付く。そのまま、街道沿いに村長の家まで戻るが、途中で先ほどのジョアナと似た格好をした集団に出くわした。その集団の中心で、一段高くなった所に立つ男性が通りを行き交う人々に対して、大地母神パスティナの教えを説いている。足を止めて聞く者も居れば、そのまま通り過ぎる者もいるといった具合である。
ユーリーとしては、パスティナ神とか、マルス神とか、余り信仰に興味は無い。幼い頃から、宗教・信仰に縁の薄い開拓村で育ったせいだろう。ヨシンも同じであるが、どちらかと言うと、二人のように信仰に関心の低い人間の方が珍しい。しかし、ユーリーはどうしても神や信仰という物に興味を持てないのであった。
一般に中原地方から西方辺境地方に掛けて広く普及しているのは、法の神ミスラ、大地母神パスティナ、戦の神マルス、商業の神テーヴァ、知恵の神オーディス、幸運の神フリギアと言う六大神である。それらをまとめて六神教、と呼んだりもする。一方近年では、中原地方を中心に、それら六柱の神を統べる「最高神アフラ」を頂点とする体系的な神学に基づいた「アフラ教会」が勢力を持ちつつあると言うが、西方辺境ではまだ馴染みがなかった。
リムルベート王国においては、上記の神々への信仰と布教活動は保障されているので、布教活動を濫りに妨害する者は取締の対象になる。あくまで、王権の下に信仰活動を保障しているのであるが、中原の国では、王権の上に神権があり、最高神アフラが統治権を王に与えるという解釈がされる国もあるようだ。
通りに向かい大声を張り上げる男性は、何処か恍惚とした表情で、大地母神パスティナの深い慈悲の心を語り上げている。ついさっき、その恩恵に
(まぁいいか……それよりジョアナさんにもう一回お礼を言わなくちゃな)
そう思うユーリーは、一旦止めていた足を動かすとその場と立ち去ろうとする。そう思いながら、何となく男の顔を見つつ通りを歩きだしたユーリーは次の瞬間、何かとぶつかっていた――
ドンという軽い衝撃と共に、柔らかい感触が残る。ぶつかった相手は同じ年頃の少女のようで、パスティナ救民使の装束を身に着けている。少女と比べると体格の大きいユーリーが突き飛ばす格好になってしまった。
「ヒャァ……」
突き飛ばされた少女は、喉から空気の漏れるような細い声を上げると尻餅をついて転倒する。
「あっ! ごめんなさい。大丈夫ですか?」
ユーリーは慌てて、その少女を助け起こす。弾みにフードが外れて、長い黒髪がこぼれ出す。
「えっ……!」
ユーリーは驚いた、そして硬直した。目の前には、自分と同じ黒髪に黒目というこの地方では珍しい風貌の美しい少女が、こちらも驚いたようにユーリーを真っ直ぐ見つめ返してくる。
(なんだろう……この感じ。顔が似てるからかな?)
確かに二人は似ている。髪の色や目の色が「どうこう」という問題でなく、顔形が醸し出す雰囲気が瓜二つだ。元々ユーリーは中性的な女顔で同僚の兵士達によくからかわれるが、最近は男らしくなってきたと自負している。それでも、ここまで似ているものを目の前に出されると「瓜二つ」と言っても可笑しくない。
「あ、あの……」
とユーリーが何か言い掛けた時に、
ドンッ
腹に衝撃を感じると、後ろに突き飛ばされる。一歩二歩と下がってから、そちらの方を見ると顔を真っ赤にした、黒髪の少女よりも、もっと歳の若い少女が怒りの表情でユーリーを突き飛ばしのだと分かった。
「リシア様に何をしたの? この不届き者!」
人の往来の多い大通りにもかかわらず、演説する男よりも良く通る声で少女が一方的に非難してくる。リシアと呼ばれた黒髪の少女は、それを止めようと身振り手振りで何か伝えるが、興奮した少女には届かない。
その内、パスティナ救民使の中にも騒動に気付くものが出てくる。
「どうしたんだ?」
「なにかしら?」
というざわめきと共に、聴衆をかき分けて数人の同じ格好をした男女がこちらへ向かってくる。
「みんな、こいつがリシア様に悪さをしようとしてたの!」
「なんだと」
「リシア様お怪我はございませんか?」
その少女の言葉に、パスティナ救民使の面々は気色ばむ。一方でリシアは相変わらず、身振り手振りで「違う」ということを表現しようとするが……伝わっていない。
(この子、喋れないんだ……)
自分が危機的状況に陥りつつも、リシアを目で追うユーリーはそう納得する。つまり、弁護してくれる人が居ない状況である。
(まずい……かも?)
このままでは、「婦女暴行未遂」の前科が付いてしまう。慌てて弁明するユーリー
「違うんです、歩いていたらぶつかってしまっただけなんです」
その言葉に、横に立つリシアはウンウンと首を縦に振るが、
「おまえ、リシア様が喋れないことをいいことに、卑劣な!」
特に目の前の若い男は、怒りに顔を紅潮させて今にも殴りかかってきそうだ。
「ちがうん……」
「お止めなさい!」
ユーリーが尚も否定しようとするところに、通りの向こうから女性の声が割り込んでくる。声の主はジョアナであった。ジョアナは、ユーリーと若い男の間に割って入ると、騒動の発端を作った少女に向かって
「エーヴィー、あなたは本当にこの少年がリシアに悪さする所を見たのですか?」
「え、あ……でも、ジョアナ様」
「『でも』ではありません。見たのですか?」
「……見ていません、でも気が付いたらリシア様が倒れていて、こいつが何かしようとしてたんです!」
ジョアナは、リシアの顔を見る。リシアは、精一杯という風に顔を横に振って否定すると、自分の右手を自分の左手でつかんで引っ張り上げる仕草をする。
「わかりました。倒れたのは本当だとしても、この少年はリシアを助け起こそうとしてたのですね」
再び首を縦に振るリシア。
「なんだ……」
「また、エーヴィーの勘違いかよ……」
顔を紅くして怒っていた青年も
「いや、済まなかった。申し訳ない」
と謝ってくる。いずれにせよ誤解が解けてほっとしたユーリーであるが、ジョアナはキッとそのユーリーを睨みつけると
「この方は大地母神パスティナの聖女リシア様、お前のような下賤な身の者が気安く触れられる方では無い! 早々に立ち去れ!」
先ほどユーリーに癒しの神蹟術を掛けてくれた「近所のおばちゃん」風のジョアナは何処へ行ってしまったのか? あまりの変わり様に唖然とするユーリー。その隣で、こちらも目を丸くして驚きの表情を隠せないリシア。
「いいから、立ち去れ!」
最後には、ジョアナに突き飛ばされたユーリーは、
(今日は厄日だ、なんなんだ一体)
ブツブツと文句を言いながら一路ウェスタの城下町を目指すユーリーだが、一度だけ足を止めると、トデンの村を振り返る。
「リシア……って言ったな。あの子は一体?」
一体何故、あんなに自分と似ているのだろう? 一体何故、こんなにも気になるのだろう?一目惚れかと言えば、「絶対違う」と断言できる。もっと近くで心の中を抉る感触に戸惑うユーリーは、再び足をウェスタの城下町へ向けるのだった。
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