Episode_03.14 御前試合


 ウェスタ侯邸宅は、王都リムルベートの山の手に位置している。百人の騎士と六百人の従卒兵が整列して閲兵を受けるのに十分な広大なスペースは備えているものの、彼らの寝泊まり・生活の場所までは流石に手が回らない。よって、居住スペースは、輪番制の警備担当兵の詰所、使用人達の宿舎、身分の高い正騎士の家屋、それに当主ブラハリー・ウェスタとその家族が暮らす屋敷となっている。それに、執務を行う居館、厩舎、備蓄倉庫、修練の間、といった建物が加わる邸宅は、城とは言えないが、王都リムルベートの王城付近を護る砦の役目も、いざという時には、果たせるようになっている。


 そんな、広大な邸宅の敷地内。本来は単独の家屋を与えられる身分のガルス・ラールス中将は、しかし「一軒家など、貰っても持て余すだけだ」といって、他の者に家屋を譲ると、自分は屋敷内の一室に居を構えている。早くに妻を亡くし、娘とは長く「反りが合わない」状態だったやもめ暮らしの老年騎士に、当主ブラハリーが配慮した結果である。


 そのガルスの部屋で、若君のアルヴァン、部屋の主のガルス、そしてデイルの三人がエール酒を注いだカップを突き合わせると、ささやかな乾杯を行う。


 ガルスの注文で、厨房から酒肴になる物 ――干した塩蔵の鱈―― が届けられ、テーブルに置かれている。塩鱈は、薄く削ぎ切りにされると、葉物野菜のピクルスやスモークチーズ、トマト等と共に大皿に盛られ、テーブルの中央に置かれている。


 海産品は内陸のウェスタ城下では珍しいが、このカチカチに硬い鱈の塩蔵品は保存が効くため城下でも広く出回っている。庶民的な食材なのである。


 王都の屋敷だからと言って、特に豪華な物は無い。寧ろ食事や普段の生活必需品などは、小さな子爵家の屋敷の方がよほど豪華な位だ。ウェスタ侯爵家はこういった生活を「善」としているため当然だが、周りの貴族からは余り評判が良くないのは事実である。しかし、ローデウス国王もその嫡男ガーディス王子も、「ウェスタ侯爵家の気風こそ、皆も見習うべき」と公言するため、面と向かって批判する爵家、貴族は居ない。


 早々にカップのエールを空けたガルスに、デイルが小さなエールの樽を持ち上げると器用に酌をする。ガルスはそれを受け取ると、もう一度口に運び、グビリと一口飲み込む。何か言いたそうだが、言い出せないという雰囲気のガルスと、ガルスが喋らないので話し出す切っ掛けが掴めないデイル。二人は無言のままでエールを飲み、薄く削った鱈を噛む、といった動作を繰り返す。


(あー、付いて来て正解だった)


 そう思うアルヴァンが、口を開いた。この二人を、このまま、にしておいたら、きっと日が昇るまで、塩漬けの鱈を齧っていることだろう。


「ガルス中将、折り入った話があるのでは無かったか? 騎士デイルは、明日『親善試合』に参加する身だ。分かっていると思うが、早々に解放してやらんと、明日の大事に差し障りが出るかもしれん……」


 そういうと、カップの中の茶をズズゥと啜る。


「……騎士デイルよ、いや堅苦しいのは抜きだな……デイルよ」

「はい」

「その……なんだ……あの、アレだ」

「はぁ?」

「はぁ、では無い。ハンザだ!」


 流石にデイルも、ガルスの口からハンザの事が出ると、身構える。


(もしかして、母の面倒を見て貰っていることがバレたか?)


 そう思い身を固くするが、対するガルスは酔いとは違う理由で顔を赤らめると、一気に捲し立てるように言う。


「デイル、率直に聞くがハンザの事をどう思う? 性格は男勝り。その辺の街娘の方がよっぽど女らしいと言う位に育ち上がってしまった。その上、今年で二十六だ。行き遅れ、と言われてもおかしくない歳になっている。だが……だが、私の可愛い娘だ。どうか、お主さえよければ、貰ってやってくれんかっ?」


 そこまで一気に言うと、カップのエールを一呷りする。ドンッと音を立ててテーブルに置かれるカップに、アルヴァンがエールを注ぎ足している。普段なら恐縮する所のガルスだが、今は爛々とした眼でデイルの反応を注視している。


 一方のデイルは、思いもかけないガルス中将の申し出に戸惑うが、それも束の間の事であった。


(俺は……元々そのつもりで王都に来たのだ!)


 今回の親善試合で良い結果が出れば、ガルスや当主のブラハリーと直接話す機会もあるだろう。その時、ハンザとの婚姻を認めてもらうよう申し出るつもりだった。拒否されればそれまでの事。母は余命幾ばくも無い、その母の臨終を見取った後に、二人で駆け落ちか、ハンザが拒めば一人でウェスタ侯爵領を出奔する。そういう所まで思い詰めて王都へ来たのである。


「貰うもなにも。頂く所存で参りました!」


 そこまで思い詰めるには、それなりの葛藤があったのだろう。それを乗り越えて結論に達した男の強さが言葉に出る。


「身分が違う。立場を弁えろ。釣り合いが取れない」


 そんな雑念を打倒して達した結論である。そうであるから、今の心情はまるで得意の大剣を心の中で構えているような気持ちである。


「……そ、そうか……そうだったのだな……」


 そうか……そうか……と呟くガルスはアルヴァンの目には一気に五歳は老けこんだように見えた。しかし、悪いものではない。年相応に肩の荷を下ろしたような清々しさが見て取れる。


「当主ブラハリーの子、アルヴァンが今の約定、しっかりと立ち会ったぞ。以後この事に二言を申し立てる時は、それ相応の覚悟をもって行うこと」


 「貰ってくれ」と言う相手に「頂きに上がった」というのであるから、「約定成立」である。子女を猫の子のように、貰う・頂く、ということであるが、父系社会の騎士階級では、これが「常識」であった。


 毅然とした口調でそう宣言するアルヴァンに、騎士の親子は「ははぁ……」と頭を下げる。アルヴァンは、満足気な表情を浮かべており、世が世ならば「カッカッカッカッ……」と高笑いが聞こえてきそうな光景であった。


****************************************


 翌日の親善試合は、主催を受け持ったウェスタ候邸宅内で執り行われた。普段はガランとした屋敷前の広場に四つの幕屋が張られて、夫々の爵家が陣取っている。さらに、貴賓席として設けられた一段格の高い幕屋には、お忍びで訪れたガーディス王子以下、第一騎士団の幹部、王立アカデミーの面々が案内され、軽食と飲み物の接待を受けながら開始の合図を待っている。


 やがてラッパの音が、秋晴れの空の下、正午の合図とともに響き渡ると、主催のブラハリー・ウェスタにより親善試合の開催が高らかに宣言された。


 スハブルグ伯爵家、オールダム子爵家、コンラーク伯爵家、ウェスタ侯爵家の順に先ずは家中から選抜された若手の騎士達が、自家の中で腕試しを行う。試合は、夫々の騎士団の正式採用の甲冑に、武器は刃引きした剣というのが条件で行われる「勝ち抜き戦」である。


 各家中内での応援合戦が繰り広げられる中、前半の勝ち抜き戦は大いに盛り上がりを見せる。そんな中、出番を待つウェスタ侯爵家の選抜騎士達の中では、くじ引きが行われていた。「勝ち抜き戦」と一口に言っても、方法は二つある。一人ずつ立ち合い勝った者に次の者が立ち合う方式は、ウェスタ領の哨戒騎士団でよく使われる方法である。もう一つに、参加者が二人の組を作り、夫々の組で勝ち残った者が、次の組を作り立ち合うという方式だ。今回は、参加人数が多い事と開始が正午である事から、後者の方式が採用されている。


 十人を五組に分けて一回戦、勝ち残った五人を二組と一人に分けて二回戦、更に勝ち残った者と残った一人が対戦し、勝者がその家の代表として「親善試合」に臨むのである。


 くじ引きの結果に従い、組割りを行ったところでコンラーク家の試合が終わり、ウェスタ家の順が回ってくる。呼び出しの声に従い、最初の組が進み出ると、ウェスタ候邸宅の広場は一層大きな声援に包まれた。ウェスタ侯爵家の兵や使用人たちが応援しているため、その声援は一際大きい。


 試合で使う剣は、刃引きしてあるとはいえ鋼の塊である。それを振り回すのだから油断をすると大怪我を負ってしまうし、負わせてしまう可能性もある。それ故に、真剣さながらの集中力が求められる。そして、勝ち進むにつれて、連戦の疲労は体と心の両方へ蓄積する。形式の違いによらず、勝ち抜き戦の難しさはこの点にあると言える。それ故に「何人抜き」と言う数字は意味が大きい。三人抜きと四人抜きでは、「強さが一段違う」と言う風に評価されるのは、そういう意味がある。


 しかし、ここ数年で大きな死地を二度潜り抜け、その経験を土台に修練を積み続けてきたデイルである。更に、昨日のガルスとの試合で、「見切り」の境地を垣間見た今は、訓練だけで剣を学んできた正騎士とは一味違う凄みがあった。


 それでもウェスタ領の正騎士達は、いざ勝負が始まると、自分と各自の家の名誉を掛けて必死に立ち向かってくる。実戦経験こそデイルに劣るが、生まれた時から将来騎士となることを宿命づけられていた青年達は生半可な腕では無い。そんな選抜の騎士達を辛くも退けると、結局「三人抜き」という記録と共にデイルは前半の勝ち抜き戦を終えていた。


 そして、間もなく始まる後半の親善試合。最初の組はスハブルグ伯爵家とオールダム子爵家の代表同士の試合である。両者ともに鋼の地金の光沢を生かした意匠の甲冑であるが、オールダムの方が板金部分が少なくより、動きやすさ、に振った造りになっているようだ。両者は片手剣ロングソードは同じであるが、スハブルグの側はそれに涙滴型の盾カイトシールドを持っている。


 はじめの合図とともに、両者は礼をすると間合いを開ける。オールダムの騎士は間合いを取った後の一拍、空いた左手を何やら動かす。


(んっ? 魔術か!)


 流石に他の騎士は気付かない。皆、オールダムの騎士は信じる神にでも加護を願ったのだろうと思っているだろうが、デイルは違った。一年前のウェスタ城下、北の桟橋での恐ろしい敵との勝負が記憶に蘇る。あの時、ザクアのムエレと名乗った男の凄まじい剣技を思い出すと、今でも戦慄が蘇るほどだ。


 この会場で、その事に気付いたものが何人いるか? それは分からないが、ガルスもまた、その騎士の動作を見抜き括目していた。主賓用の幕屋でホスト役の主の側に仕えるガルスは、勝ち上がる方を確信すると、


(デイルよ……上手くやれよ!)


 と心の中で念じるばかりであった。


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