Episode_03.12 修練の間


――婚約者でしょ私達、でも、明日の昼になっても、まだ家に居たら婚約解消よ!――


 女神のように美しい女性が口付けの後で、悪戯っぽく笑う。そんな素晴らしい夢で目が覚めたデイルは、しかし、自己嫌悪を覚える。


(俺……何やってるんだろう……)


 自己嫌悪の原因はいくつかある、先ず一つは、病身の母を置き去りに王都へ出てきたこと。次は、愛するハンザに、「嘘の片棒」を担がせてしまったこと。最後は、そのハンザに母の面倒を押し付けてきたこと。


 根が真面目なデイルならば、これくらいの理由で簡単に自己嫌悪に陥ることが出来る。その理由も、他の者から言わせれば、一つは、ガルス中将から直々に指名された出世の機会を掴んでいること。二つは、美しい女性から「婚約者」だと認められていること。そして最後は、その将来の妻が献身的な良妻になる可能性大なこと、である。


 「これが僕の悩みです」などと披露すれば、四方八方から石を投げつけられるような贅沢な悩みなのだが、そこに気が付かない所に、騎士デイルが人から好かれる『善さ』がある。


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 今回の「御前試合」は、名目上はあくまで「親善試合」。各爵家から十人の若手騎士を選抜し、先ず同じ家中の者同士で勝ち抜き戦を行う。その後、夫々の家の一番同士が「親善試合」という名目で立ち合うことになっている。不定期で、このような会が催されるが、今回の件はスハブルグ伯爵とコンラーク伯爵の二人の口喧嘩が発端であった。


 「どちらの家臣がより優れた剣の使い手か」という他愛の無い言い争いだが、どちらもローデウス現国王の従弟であり、歳も近いため喧嘩になると中々冷めない。その様子を心配した夫々の家の重臣が、知恵者で名高いオールダム子爵に相談を持ち掛け、オールダム子爵から仲裁を頼まれたウェスタ侯爵ガーランドが


「二家で争うから角が立つのじゃ。スハブルグとコンラークに、オールダムとウェスタの四家で『親善試合』をすればよかろう」


 ということで、こうなったのだ。ただし、困ったことにウェスタ侯爵領正騎士団で選り抜きの若手精鋭の一人が、先月落馬し手を骨折してしまった。その騎士には気の毒なことだったが、その知らせを受けたウェスタ侯爵は、ふと昨年のアルヴァン救出の件で褒美を与えていない哨戒騎士の若者を思い出した。


(そうじゃ、あの者……デイルとかいったな、褒美替わりに参加させよう)


 つまり、デイルが悩んで王都までやってきた事の発端は、ウェスタ侯爵からデイルへの『褒美』だったのである。勿論、デイルはそんなことは知らないが、随分と有難迷惑な褒美である。


 因みに、これまで出てきた爵家の家臣・騎士達は、リムルベート王国の軍制では第二騎士団に編制されている。第二騎士団は地方領主がその領地規模に応じて割り当てられた人数を常備兵としてリムルベート王家に差し出す軍役の一種である。現在総勢六百の騎士とその従卒兵三千六百がその勢力である。一方で、王家直属の第一騎士団は騎士千騎に六千の従卒兵を抱え配下の第三軍と呼ばれる衛兵隊を含めると兵の数は八千を超える。それだけ、王家の治める主要都市の経済規模が大きいことが窺い知れるのだ。


 近年は、ノーバラプールの独立問題があるため、軍事圧力を目的とした「演習」が増加し、そこそこに忙しくしている第二騎士団の面々であるが、基本的に戦乱から遠いリムルベート王国においては、このような『親善試合』は騎士の名声・名誉を世に問う機会となっている。


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 試合前日のデイルは、疲れを取ることもそこそこに、昼間から稽古用の刃引きした大剣を借り受け、体を慣らそうとしていた。そんな、デイルの様子に正騎士の面々は最初冷やかだった。


 彼らからしてみれば、デイルは「平民出」の身分の軽い者であり、同じ騎士とは名乗って欲しく無い、と言う意識がある。ウェスタ侯爵領正騎士団の面々が、特に性格が悪く狭小な心の持ち主の集まり、という訳では無い。この時代、この場所では、「それが普通の感覚」なのである。


 意匠は違うが、同じ深緑色の甲冑を付けることさえ腹立たしいと、聞えよがしに言う者まで出る始末だったが、そんな一団から距離を置き『修練の間』と名付けられた稽古場の隅で一人黙々と剣を振るデイルは、


(まぁそんな風に言われるのも仕方ない)


と端から納得しているので、気にも留めない。


 そうするうちに、若君アルヴァンが修練の間に姿を現した。王立アカデミーの中等部に通っているアルヴァンは一年休学したために、来年春で卒業になるが、その後は高等部へ進学することが決まっている。授業が終わると、毎日修練の場に顔を出すのが日課になっていた。そんなアルヴァンは家臣達の中に見覚えのある、デイルを見つけ出すと、笑顔で走り寄ってくる。


「久しいな! 騎士デイル」


 突然声を掛けられて驚いたデイルは、声の主を見て二度驚く。


「あ、アーヴ……じゃなかったアルヴァン様。ご機嫌麗しゅう……昨年の一件は知らぬ事とは言え、無礼非礼の数々、平にご容赦を」


 そう言って頭を下げる。


「そんな、無礼だの非礼だの感じた覚えは無いよ。こちらこそ、ちゃんとした礼を言っていない。非礼なのはこちらの方だ」


 何とも屈託の無いアーヴらしい、アルヴァンなのだ。しかし、それに慣れないデイルは、なんと返事をして良いか分かりかねてマゴマゴとしている。そんなデイルにアルヴァンは続けて申し出る。


「そうだ、良い機会だから一手ご指南頂きたい」


 刃引きした大剣を同じ大きさの木剣に持ち替えるデイルと、片手剣ロングソードを模した木剣を構えるアルヴァンは、修練の間の隅で対峙する。しかし、何と言っても「若君アルヴァン」は、ウェスタ領正騎士団の中でも人気が高い。自然と耳目を集めることになる。


 周囲に自然と人だかりが出来るが、集中するデイルとアルヴァンの意識には入ってこない。対構えに構える二人は、間合いを測る。


 長物である大剣を相手にする場合の片手剣は、とにかく間合いを詰めることである。小さく振り回すのに不向きな大剣の短所を効果的に突く戦法である。果たして、アルヴァンはデイルの間合いの一歩前で止まると、機会をうかがう。その時、デイルの正眼に構えた切っ先が揺れる。


 それを好機と見てとったアルヴァンは、一気に距離を詰めると内側から抉るように、デイルの首に突きを繰り出す。対するデイルは、大剣を操ると巧みにその軌道をそらし……アルヴァンの突きが最も深く達する瞬間に、それを振り払う。


カンッ


 アルヴァンの木剣は乾いた音を立てると、持ち主の手を離れ床に叩きつけられていた。


「オオォ」


 野次馬よろしく、それを見ていた他の騎士達は、思わず感嘆の声を上げる。それほどに鮮やかな一手であったのだ。アルヴァンも別に恥じることなく、取り落とした剣を拾うと「もう一番」と言い構え直す。


 そらから、二回若君アルヴァンに乞われて立ち合うデイルは全て危な気なく立ち回ると、その都度色々と指摘を述べていく。ヨシン辺りが見れば


「教え方の丁寧さが違う!」


 と抗議の声を上げそうなものだが、それは当然、相手の身分が違うから仕方がない。何度となく元気よく挑みかかるアルヴァンだが、三度目の上段切りをかわされざまに、胴を切り払う一撃を寸止めで受けると、そこで勝負有りとなった。


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