Episode_03.11 母と娘の絆


 そういう経緯で、デイルを王都へ送り出したハンザは毎日デイルの自宅に母親の看病に訪れている。そんな日々に考えることは、やはりデイルの事ばかりである。


 ウェスタの城下町から王都まで、徒歩で約四日、乗り合い馬車を乗り継げば三日、馬なら二日程度の道のりである。出発迄時間が掛かったが、試合の三日前には王都に到着しているだろう。疲れをとって万全の調子で臨むことが出来るだろうか?


 結果はどうだろうか? ハンザの贔屓目で見ても、デイルは腕が立つ。どう転んでも悪い結果にはならないだろう、だが心配だ。


 四年前にウェスタ侯爵ガーランドが開催した勝ち抜き戦では、偶然に対戦し辛くも勝つことが出来た。あの時の自分が勝てたのは単純に技の多様性で上回っていたからに過ぎない。比べて当時のデイルは、一直線に相手に向かう勢いの良さと、剣に向き合う真摯さが滲み出るような戦い方だった。


 思えばあの時以来、いつしか知らず知らずの内にデイルを目で追い、気に掛けるようになっていった。今では、更に修練を重ねたデイルに、自分は五本に一本も取れないだろう。しかし、全く悔しくない。それで良いとさえ思う。自分の心根は、いつの間にか「騎士」から「女」に変わっていた。今も、結果を気にする心と同じ位、「無事帰ってきてほしい」という気持ちが強い。


 そんな考え事をしていると、後ろからハンザを呼ぶ声が聞こえてきた。デイルの母である。起き出してきて、お茶を入れたようだ。一緒に飲まないかと声を掛けてくれている。


 デイルが、旅立った日の午後にハンザは、ラールス家の掛かり付けの医者をウェスタ城から呼んでいた。デイルの連れてきた医者を疑う訳では無いが、自分の良く知った医者に念のため診せたかったのだ。


 城から呼ばれた医者は、医者というよりも格闘家といった風貌で剃り上げた頭に、筋骨逞しい肉体の持ち主だが、語り口は極めて優しい。中原地方の或る医者の流派を汲む彼は、ハンザに聞いた症状から推測した薬を鞄に詰めてやってきた。


 しかし残念なことに、彼の診立てでもデイルの母は末期的な状態だった。こうなると、酷い痛みを取るための薬以外に処方の仕様が無い。しかし、その時飲んでいた薬は、痛み止めに毛の生えたような効果しか期待できない物で、医者の指示が悪かったのか、デイルに知識が無かったのか、母親の症状には適さない物であった。それでも、幾分か楽になったのは、おそらく「我が子が買ってきた薬」というだけで、効いたような気持ちになっていたからだろう。


 憐れでもあり、健気でもあるが、親子の絆とはそう言うものなのだろう。そう思うハンザは、掛かり付けの医者に新しく薬を処方してもらうことにした。医者が言うには、恐らく一月もしない内に、普通の処方の痛み止めでは治まらない痛みが始まるという。


(母親が痛みに苦しむ様子をデイルには見て欲しくない)


 その思いから、ハンザは更に金額の張る薬をも買い求めた。


――パスティナ紳の慈悲――


 一般にそう呼ばれる薬は、強力な麻酔作用のある飲み薬、または塗り薬である。処方はパスティナ神殿の門外不出の物だという。死に至る程の外傷を受けた者でも、痛みに苦しむことなく安らかに息を引き取ることから、そう呼ばれている薬である。それを、数本取り寄せたのだった。


 しかし、


(これは、出来れば使いたくない……)


 と、ハンザは考えていた。何故なら、強力な麻酔作用によって、服用後は意識が朦朧として会話が成り立たない、こと。もう一つは、一本が金貨二枚もする高額な薬のため、デイルが怒ってしまうかもしれないこと。今のハンザは母親の手前はデイルの「婚約者」だが、今までデイルから正式に求婚されたことは一度も無い。言わば、少し仲の良い他人、である。


 自分のしていることが「お節介」なのではないか?デイルに嫌がられるのではないか?と言うのが心配と言えば、心配であった。


 そのような心配を押し殺したハンザは、明るくデイルの母親に接している。一方、デイルの母親も、今の所はハンザの掛かり付けの医者が処方した痛み止めが良く効いており、調子の良い日はベッドから起き出すことも出来るようになっていた。


「はーい、お母様」


 ハンザは呼ぶ声に返事をすると、部屋の中へ戻っていく。


 テーブルの椅子に腰掛けたデイルの母親は、庭から戻ってきたハンザに笑顔で紅茶を勧める。その膝と肩にハンザは、毛布と肩掛けを掛けると対面に座り、カップに口を付ける。ハンザを見る母の顔は穏やかに笑っている。顔色が悪く、頬もゲッソリとこけてしまっているが、痛みをこらえる表情が無くなるだけで、こんなにも穏やかな表情になるものかと思うハンザである。


「ハンザさん、ありがとうね……」


 手元のカップに目線を落とした母親が言う。


「そんな、ありがとうなんて……、私はデイルの婚約者ですよ。お母様、その内あなたの娘になるんですからね、他人行儀は困ります」

「フフフ……デイルもそうだけど、貴女も嘘が下手ね」

「え?」


(まさか、バレてるの?)


 ドキッとするハンザだが、デイルの母親はそのまま続ける。


「だって、本当にデイルがちゃんと『求婚』したのかしら? あの子が、貴女みたいな素敵な女性に……フフフ、母親が言うのもなんだけど、あの子引っ込み思案でしょ。今でこそ、剣を持って、騎士だ、なんて言っているけど、根はそんな子なのよ」


 確かにそんな所はあるかもしれない。そうでなければ、よっぽどハンザが積極的な行動に出ているのに、軽い口付け止まり、は男女の色事の相場と釣り合わない。そう思うハンザである。


「確かに、求婚は未だですが……でも、私はデイルを愛しています。それに、デイルは芯の強い立派な騎士だと思います」


 その点は断言できるハンザである。


「嬉しい事を言ってくれるわ、あの子を育てた甲斐が有ったのかしらね」


 デイルの母親は、手元のカップを撫でるように手の内で回しながら語り続ける。


「……私達家族は、元々はコルサス王国の地方都市の騎士の家に遣えていたの。父親は、主の騎士の馬廻り役で幼い頃から仕えていたわ。私はその領地の農民の娘ね。平凡だったけど、平和な時だった……その頃に三人兄弟の末っ子で生まれたのがデイルよ」

「お兄様がいらっしゃったのですか……」

「歳の離れた兄弟だったから、デイルが生まれた時、上の子はもう十五歳だったわ」


 そういうとカップの紅茶をすする。


「でも、直ぐに戦が始まったわ。私達の居た領地はベートとの国境沿いだった、戦争に行った夫と上の子は、主の騎士とともに戦死……そして、領地も奪われてしまった。私達は、幼いデイルと真ん中の子をつれて、コルベートへ逃れた。悲しかったけど、それ以上に生きていくことに必死だった。何とか、暮らしに見通しが持てそうになった時に、今度はコルベートで内戦が始まったわ……」


 デイルの母親の語る半生は、壮絶なものだった。戦火に追い立てられるように、夫と子供を失い、西へ逃れる生活だった。コルベートを離れた後は、ダルフィル、デルフィル、ノーバラプール、リムルベートと街を転々とし、ようやく十二年前にウェスタの街に移り住んできた時は流民同様の状態だった。その過程で、残った真ん中の子も病で失っていた彼女に残されたのは、デイルだけだったのだ。


「あの子にも苦労を掛けた。でも、我儘一つ言わずにいてくれた。それがある日、領兵団に入ると言い出したの……、流石に反対したわ。でも、あの子の決意は固かった。騎士になって困った人々を助けると言い張って、半ば家出のように領兵団に入ったわね」

「……」


 ハンザは口を挟むことが出来ない。自分なんかに比べれば、デイル親子は余程に困難な人生を歩んでいたのだろう。


「それが、今では騎士。本当の所は『当世騎士』というのでしょうけど……、自慢の息子なのよ……」


 そういうと、ゴホゴホと咳をする。慌ててハンザが後ろに回り背中をさするが、その手を取った母親は、グッと握る力を込める。か弱く衰えた握力だが、込められた力に別の意味を感じるハンザは、その手にもう片方の自分の手を被せると優しく包み込む。


「大丈夫です。デイルの事は私に任せて大丈夫です……あの人の事は絶対死なせませんし、私も死ぬつもりはありません。いずれ子供が生まれても、決して父母が欠けているようなことにはなりません……」

「約束よ、必ず守ってください……」


 そこまで話して、流石に疲れたのか、デイルの母親はぐったりと脱力する。その軽い身体を抱えてベッドに運ぶハンザは、何故か溢れようとする涙を堪えるので精一杯だった。


 剣士は千の言葉より、一度剣を交えると分かり合えるという。親子は、一度「父さん、母さん、息子、娘」と想い合い、呼び合えば絆が通い合う。ハンザはデイルの母親と今確かに「真心」を通わせ合った。惜しむべきは「もっと早く会っていたかった」ということだった。


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