Episode_03.10 婚約者


 九月半ばの午後の空は、吸い込まれる程に高く、そして青く澄んでいる。それを見上げながらベッドシーツを干すハンザの姿を、もしも屋敷の老婆が見たらなんと言うだろうか?


(お嬢様、そのようなことはこの婆がやります!)


 と言うだろうか? それとも


(お嬢様、婆の日々の苦労がお分かりになりましたか?)


 とでも言うのだろうか?


 猫の額とは言い得て妙だが、まさに猫の額ほどの狭い庭で洗濯物を干すハンザは、ふとそんなことを空想していた。今のハンザは町人の女房がするように、地味な服の上からエプロンを身に着け家事に勤しんでいるが、その容姿端麗さでは流石に「町民の女房」では通らないだろう。


 ここは、騎士デイルの自宅である。ウェスタ城下の一画、商業地区から近いこの場所は、下層から中層の程度の所得の有る者達の住居が立ち並んでいる。路地沿いの玄関兼炊事場から中に入ると、部屋が二間続いた後に狭い庭に出る。そんな造りの住居を十世帯分横に並べて一棟とした平屋の長屋造りはウェスタ城下町では標準的住居と言う事が出来る。


 そんな長屋に居を構える騎士デイルの自宅で、ハンザが洗濯物を干している。傍から見ると、いつの間にそのような関係に? と誤解を受けるかもしれないが、これには少し事情があった。


****************************************


 八月終わりのある日、休暇中の第十三哨戒部隊の副長デイルに、王都のウェスタ侯爵邸から召集が掛かった。ハンザの父ガルス・ラールス中将直々の指名で、召集の目的は、


「来る九月十日に、邸宅で当主ブラハリー様と懇意の爵家、貴族達のご家来衆を集めて剣術の試合をする。良い機会だから、貴殿を推挙したので直ぐに王都に来て欲しい」


 という物だった。


 「大抜擢」である。試合の格付けは分からないが、ウェスタ侯爵領当主ブラハリーと懇意の貴族と言えばリムルベート王国の重鎮達だろう。そんな顔触れの面前で剣術を披露するというのは大変な名誉である。


 本来ならば、ウェスタ侯爵領の正騎士の役回りであるが、一介の哨戒騎士であるデイルにも声が掛かった。それほど、ガルスはデイルの事を見込んでいるという証拠だが、娘のハンザにすれば、「父がデイルを気に入ってくれている」ということがとても嬉しい報せだった。


 普段のデイルならば、緊張しつつも喜んで召集に応じただろう。それが、ハンザの知るデイルだった。しかし、この知らせを受けたデイルは召集に応じる返事はしたものの、それから二日、三日経っても王都へ出発する気配がなかった。


 流石に、何かおかしい、と勘付いたハンザが、デイルの自宅まで様子を見に行くと、丁度市場へ向かうため家を出発したデイルとかち合ったのだった。


「どうして王都へ出発しないの?」


 市場へ向かう道すがら、そう問いかけるハンザに、表情を曇らせたデイルはポツリポツリと事情を話し始めた。


 デイルには、年老いた母親が居る。その母親と長屋で二人暮らしなのだが、その母親が去年の年末から長く病を患っている。母はデイルに対して


「心配するほどでは無い」


 と言い、任務に送り出したが、休暇に入り自宅に戻ったデイルは、一層病み衰えた母の姿を目にすることになった。


 気丈にも医者に掛からず薬も飲まず、近所の人達には「デイルが心配するから、知らせるな」と釘を刺し、めっきり細くなった食を周囲に助けられながらデイルの帰りを待っていた母は、流石に任務から戻った息子の姿を見ると張り詰めていた物が途切れたのか、倒れてしまった。


 遅ればせながら、医者を呼んだデイルは、


「胃の腑にシコリがあり、それが食を妨げている。シコリは背中の方に広がっており、相当に痛む筈だ。長年の苦労が体に出たのであろう、『何故今まで放っておいたのか?』とは言わん、これは長く体内に有って静かに進んでいく病だからな。安静にして痛みを除く薬を飲むしか無い」


 つまり、手遅れ、いう医者の診立てにデイルは愕然とした。医者が言うには「持って今年の冬迄」とのことで、今は街の薬屋で処方している疼痛を和らげる薬を日に一度、麦粥や、スープといった食事の後に服用させているという。


 そこまで語ると、突然、デイルはハンザの目の前に回り必死の面持ちで頭を下げると


「お願いですハンザ・・・、力を貸して下ください……母のために、私の嘘に付き合ってください!」


 最近では、他人の居ない場所ではお互いを名前で呼び合うようになっていた二人だが、手を握り合ったり、体に触れたりと言うことは偶然を除けば無い。にもかかわらず、その時のデイルは、驚くハンザの両腕を掴み揺するように懇願していた。


「デイルの頼みならば、何でも嫌とは言わないが……嘘とは……何なの?」


 突然のデイルの所作に驚いたハンザが問うと、パッと腕を離したデイルが言い難そうに、呻くように言った。


「その……私の婚約者ということ・・・・・になって貰えないですか!?」

「え……エエェッ!?」


 デイルが言うには、これまで女手一つで育ててくれた母に、せめて心残りの無いように、常々母の口癖だった「嫁は未だか? 結婚しないのか? 相手はいないのか?」という問いに嘘を付いてしまったということだ。


 ハンザの性格からすると、「嘘」と言うのは好きではない。嘘を弄して、その場を逃れようとする行為は唾棄すべきものだと考えていた。しかし……目の前で「一緒に嘘を付いてくれ」と頼む男の必死さと、その理由のせいだろうか? それとも、単純にデイルの頼みだからだろうか? その時のハンザには嫌悪感は全く起こらなかった。


 寧ろ「婚約者ということ・・・・」の部分に反発を覚える程だ。


(そこは、「婚約者になってくれ」でしょ!)

とすら思っていたのだった。


 結局、デイルの嘘の片棒を担ぐことになったハンザは、買い物を済ませてデイルと共に、彼の自宅に着いた。


「か、母さん、こ、こ、婚約者のハンザだよ」


 極めてぎこちなく、そう紹介されたハンザはニッコリと笑顔で挨拶した。


「お母様、初めてお目に掛かります。ハンザ・ラールスと申します」


 そう言ってお辞儀をするハンザに、病床から身を起こしたデイルの母が答える。


「ハンザさんと言うのね……なんて可愛らしい人なのでしょう。デイルがいつもお世話になっております」


 可愛らしいなどと、面と向かって言われたことは十年ぶり位のハンザであったが、デイルの母は構わずに続ける。


「いつも息子から聞いています、部隊の隊長というので……どれだけ『男勝り』の方かと思いましたが。こんなに可愛らしい方とは思いませんでした」


(いつも何と言っていたのだろう……)


 問い詰めたい気持ちで、チラとデイルを見ると、傍目に分かるほど焦った様子であった。その様子が可笑しくて、自然な笑顔になってしまう。


「それで、式はいつになるのかしら?」


「か、母さん、それはこの間話した通りだよ。ハンザの家は侯爵様のご家来衆でも指折りの大きさなんだよ。そんなに簡単に進まないんだ。それより、今は良くなることだけ考えてね」


 そう言って、母を床に就かせようとするが、


「いいえ、いけません。デイル、いつもそうやって大切なところを誤魔化そうとするのは、悪い癖ですよ。それに、なんですか、ブラハリー様から直接お召の声が掛かったというのに、ウジウジと。そのような息子が周りに居ては、病が良くなる筈が無いでしょうに」


 弱々しい口調ながら、ピシッと言う。


「お母様、ご心配には及びません。この度、ご当主様からのお召で王都に行くのは『御前試合』に臨むため。そこで名を上げれば私の父も、ご当主様もきっと快く縁談を認めて下さいますとも」


「デイルは、そんな大舞台で名を上げることは出来るのかしら?」

「勿論ですとも、ね、デイル?」

「あ、ああ、勿論だよ、母さん」


 不安気なデイルの母は息子のその言葉で安心したのか、再び床に就くと間もなく寝息を立て出した。今は薬が効いているのだろう、苦しそうではあるが眠ることが出来るようだ。


 二人は、そんな母親が眠る奥の部屋を後にすると、居間兼デイルの部屋に戻り、テーブルに落ち着いた。長屋造りの狭い部屋で、壁際に置かれたテーブルに斜向かい合って椅子に腰掛けると、


「ありが……」


 お礼を言い掛けるデイルの口元に手を当てて、ハンザはそれを遮る。それほど大きくないテーブルだが、ハンザは椅子から腰を浮かせた状態になる。そのまま、頬の方へ手をやりながら、


「とにかく、デイルは今すぐ王都に向かった方がいいわ。そして、御前試合で良い結果を出してブラハリー様のお褒めの言葉をもらったら、直ぐに帰ってお母様に報告するのよ。良いわね」

「でも、その間は……」


 その間母の面倒をどうする、と言い掛けるデイルだが。


「お母様は、私が面倒見るから心配しないで」

「それでは……」


 更に何か言い掛けるデイルであるが、席を立ったハンザはデイルの直ぐ横に来ると、その唇に自分の唇を重ねる。デイルの頬にあてたハンザの掌が、そのまま包み込むように後ろ頭に周ると、デイルの腕も丁度ハンザの腰から背中を撫でるように抱き寄せる。


 そして、二人の唇は不意に離れる。切な気な溜息を吐いたハンザは、


「婚約者でしょ私達……でも、明日の昼になってもまだ家に居たら婚約解消よ!」


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