Episode_02.19 ショールと大剣の誓い


 ウェスタ侯爵領にあって、侯爵一族以外の家臣ではほぼ最高位に当たる老齢の騎士に頭を下げられたデイルは、逆に恐縮しきってしまう。そして、


「いやいやいやいや、お、おやめ下さい、ガルス様。助けるなどとんでもない……」


 と言うデイルであるが、焦った身振りで喋る拍子に甲冑がガチャガチャと音を立てる。対する家主のガルスは、鎧下の上からジャケットというゆったりした格好である。


「これは……客人をお招きしての御もてなしに、鎧を着せたままとは無粋でありましたな。これ! 誰かおらんのか?」


 そう言って奥に声を掛けるが、元々家人は年老いた二人だけである。老女は台所に掛り切りであるし、下男は給仕を終えて部屋を出たばかりである。誰も応じる者が居ないので、ガルスは苦笑いをしつつ


「早い内に連れ合いを亡くし、家中は何とも行き届かぬがご容赦を」


 と言いまた頭を下げる。


(勘弁してくれー!)


 と内心悲鳴を上げるデイルであるが、


「どうぞお気遣い無く、そのまま、そのまま」


 と返すのが精いっぱいである。


「そうだな、先ずは一杯飲もうではないか?」


 ガルスはそう言うと、目の前の杯にワインを注ぐ。二つの杯に其々注ぎ、一つをデイルに渡すと「乾杯」といって口を付ける。


 強めの渋みの中にも、芳醇な香りが広がるワインは恐らく上等の物であろう。デイルは最初こそ、味を感じる余裕は無かったが、それでも渇きを癒すために二杯目に口を付ける頃には何となく緊張は解れてきた。その頃にハンザが客間へ現れた。


「お呼びでしたか、お父様」

「ああ、呼んだとも、デイル殿の鎧を……」


 客間へ入って来たハンザの問いに答えつつ視線を上げるガルスの言葉は途中で一旦途切れてしまう。薄い緑色の膝下丈のワンピースに、髪の毛を青色の絹地の帯で纏めた、年頃の娘然とした格好の娘の姿を目にすると、ガルスは一瞬絶句してしまう。勿論デイルもハンザの姿に目が釘付けになっている。


「な……なんですかお父様?そんなにおかしな格好ですか?」


 二人の視線に耐えかねたハンザは、頬を赤らめると俯き加減に言う。流石に甲冑のままでは不味いだろうと思い、服に着替えるつもりで部屋に戻ったハンザであったが、部屋のハンガーとベッドの上に二種類の組合せが既に用意されていて、おまけにその他の衣類を納めたクローゼットは鍵が掛けられていた。恐らく乳母の老女の仕業であろう、


(図られた……)


 と思ったハンザだが、仕方が無いと腹を決め二者択一で選んだ服装なのだ。どちらも前回よりも襟元が大きく開いたタイプで、一つは前ボタンのブラウスとスカート、もう一つはボタンの無いワンピースであった。袖を通して見て、何となく前ボタンのブラウスはボタンの隙間がスカスカして気に入らず、ワンピースの方を選んだのだった。


「いやいや、その……見慣れないものでな。ハハハハ」


 自分の沈黙を取り繕うようで、取り繕い切れていないガルスは話題を変えるように


「そんなことよりハンザ、デイル殿が窮屈そうだろう。鎧を脱ぐのを手伝ってあげなさい」


 ボーっとハンザに見とれていたデイルはその言葉で我に帰る。


「いやいやいや、結構です、自分で出来ますので!」


 そう言って肩の結束ベルトを外そうとするが、焦りも有って中々上手にできない。その様子を見てハンザが手伝うために後ろに回ろうとするが


「出来ますから!大丈夫です」


 と言うと、ベルトを引きちぎる勢いで引っ張る。本来胴の部分から外していく造りの軽装鎧なのだが、肩のベルトが一気に外れると、胴当ての重さで鎧が中途半端にずり落ちる。こうなると、もう片方に荷が掛りますます外し難くなるのである。流石に自分がどつぼに嵌ったことを自覚したデイルはバツが悪そうに、ハンザに手伝ってもらう。


「最初から大人しく手伝わせていればいいのよ……」


 そう言うハンザは、後ろに回ると、胴当ての横の金具を外し後ろから肩部とネックガードを外すと、いつの間にか客間に戻って来た下男が準備した台に外した部品を並べて行く。


 そして、ようやく胴当てを外した時に、胴当てと鎧下の隙間から青い布が滑り落ちた。


「あっ」


 咄嗟にデイルが声を上げるが、青い布はガルスに拾い上げられてしまった。ガルスは拾った布を何気なく広げてみると、それは女性物のショールであった。


「デイル殿も隅に置けぬな、このように言い交わしたご婦人の品を持ち歩くとは。まるで、宮廷で最近流行の騎士と貴婦人の恋物語のようだな」


 そう言うと、愉快そうにワッハッハと笑い声を上げる。ガルスは気付いていないが、何を隠そう、それはハンザがあの日身に着けていたショールなのである。デイルは、笑うガルスを尻目に恐る恐るハンザの顔を伺ってみる。外した胴当てを台に置いてデイルの近くに戻って来たハンザは耳まで赤く染めると小声で「バカ……」と呟いたのだった。


 そこへ、ハンザの乳母である老女が料理を盛った皿を運んでくる。丁度ガルスがデイルにそのショールを返そうとしている所で、それを見た老女が


「まぁ、お嬢様のショール。見つかったのですね」


 と言い掛けたが、顔を真っ赤に染めたハンザに客間に入るなり睨まれた老女は何事か察して、寸前のところで声を呑み込んでいた。


 食事が供されると、酒も進む。ハンザも会話に加わり父親とデイルに交互に酒を注ぐ。ハンザは、デイルの懐から女物のショールが出てきた時は、一瞬意味が分からなかった。何処かの女性から受け取った品で、父が言うように約束を交わした女性が居るのかと血の気が引いたが、良く見ると自分の物であった。


(きっと返すタイミングを無くしていたのだろう……それとも、私の事を想って持っていたのかしら……)

断然、後者だと信じたいが、どちらにせよ悪い気はしないのだった。


 ハンザが機嫌良い風なので、ガルスもデイルも和やかな雰囲気で話をしている。話の内容は、二年前の樫の木村の襲撃事件や今回の一連の事件についてである。デイルは訊かれるままに、その時どう立ち回ったかを説明していく。ガルスは一々相槌を打ったり、感心したように話を聞きながら、所々でアドバイスをする。デスハウンドに突き倒された下りでは、


「盾の持ち手だが、腕を通すベルトがあるだろう。あれは駄目だ。合戦中に引き倒されて自分の盾を踏んで起き上がれなくなるのは、致命的だからな。あのベルトを金属のフックに変えるんだよ。そうすると、手放したい時に直ぐ手放せる」


 と指摘する。


「お父様は、私にはそのような話を一切してくれませんね!」


 その話を聞いてハンザはふくれっ面をしたものだった。


「ふむ、そのような面妖な手合いは聞いたことが無いな……しかしそれは魔術による自己強化ではないか?」


 話は、先日の桟橋での一件に及んでいる。ガルスが「面妖」と評したのは、暗殺者ムエレのことである。只でさえ強敵であったが、途中から手に負えないほどに素早く強くなったとデイルから聞いたガルスの感想なのだが、流石に四十年近く現役でいる騎士の洞察は鋭い。


「それにしても、綺麗に折られたものだな……」


 そう言いながら、ガルスはデイルの腰に収まっていたバスタードソードを抜いて眺めている。腰に帯剣していないと登城の際に格好が付かないが、予備の剣など持っていない貧乏当世騎士であるデイルは、仕方なく折れたままの剣を腰に差していたのだった。


「その者、腕もさることながら武器も一級品であったのだろうな。シミターか……中原の方から来たのであろうな」

「面目無いことです。何者かの援護が無ければ、まず確実に殺されていたでしょう」


 折れたバスタードソードを受け取りながら、デイルはしみじみと感想を述べる。剣等の武器類は戦士階級にとって身体の一部であり個人の資質の一部でもある。それ故、良い武器を手に入れることも重要な努めとみなされている。一般的に手に入る普及品でこれまで間に合わせていたデイルであるが、今回は偶然助かったものの次も助かる保証はない。


 武器の格付けには色々とある。普及品というのは、一般的な鋼を使った数打ち物の武器である。それでも、鋼の価値が高いため可也かなりの値段がするものである。その上のランクというと、各地にある名工・刀匠が作り出す業物になる。知名度や人気により値段はばらつくが、西方辺境地域では「山の王国」製がダントツの品質・価格・人気を誇っている。中原地方で、それに匹敵するのは「モリアヌス鉱床」製となる。


 どちらも金貨数十枚から百枚以上の値段で取引される。さらにそれの上を行くのは稀に市場に出回る魔術具の刀剣類である。これらは魔剣・・と称され、全く違う価格帯で取引されている。有名な所では、リムルベート王家が家宝として所持する魔剣は、相手を斬り付ける事で持ち主の傷を癒す力があると言われている。どんな剣士や騎士でも、一度は手にしてみたいと思うのがそういった魔剣である。


 デイルの稼ぎも決して少ない訳ではないが、業物を買い求めることが出来る程では無い。


(当面は、中古屋の世話になるか……)


 と思っているのである。


 丁度、会話が中断した頃合いを見計らって下男が古びた布に包まれた大剣を持って客間に戻って来た。下男から剣を受け取ったガルスは布の包みを解くと、鞘から刀身を少し抜き具合を確かめる。


「デイル殿、礼と言っては何だが、受け取ってくれないか?私の父親が使ってい大剣だが、刀身が短めで握りが長めに造られている。バスタードソードが得意なデイル殿なら役立てることが出来ると思うがどうであろうか?」


 それは、一目で業物と分かる品だった。折れてしまった剣と比べると、刀身はやや幅広だが長さは同じ程度で、片手でも両手でも扱うことが出来そうだ。鞘は流石に年季を感じさせる痛み具合だが、刀身は傷一つ無く、油が浮いたようにギラリと燭台の明りを反射している。


「さ、流石にこのような業物を頂く訳には参りません」


 買えば確実に金貨百枚近くの値が付く代物に、遠慮するデイルであるが


「デイル殿、この剣は私にとっても父の形見である。戯れに差し上げると言うのでは無い。貴殿に差し上げるのは、貴殿が我が娘の副官だからだ。貴殿ほどの腕でも武器が鈍らならば、万が一の時にお役目に不都合が出るかもしれん。貴殿の落ち度は我が娘の落ち度になり、ひいてはラールス家の家名を汚すことに繋がる。受け取れないと言う気持ちは分からぬ訳ではないが、ここは私と娘のために受け取ってくれないか?」


 ここまで言われたら、断る方が難しいのである。それに、「ハンザのため」と言われて断れる訳が無い。意を決すると、


「それでは御借り致します。この剣が私と共に有る限り、身命を賭して任務に邁進し、ハンザ隊長の名誉を護ります」


 と宣誓すると、ガルスから剣を受け取ったのであった。下男と老女が自然と拍手をしていた。


 結局、日がまだ高い頃からハンザの屋敷に招かれたデイルが、屋敷を出たのは日がとっぷりと暮れた宵の口であった。かなり酒を飲んだデイルだったが、良い酒だったのか心地よい酔いを感じる。河を渡り、丘を吹き上げる風が火照った頬に心地よいと感じるデイルは、ハンザと並んで山の手の道を歩いている。


 屋敷を出がけに「送っていく」というハンザを何とか押し留めようとしたが果たせずに、結局一緒に屋敷を出たのだった。つくづく自分は押しに弱いところがあると思うのだが、悪い気はしない。月明かりの下、人気の無い道を進む二人は、無言であるがどこか和んだ雰囲気を醸し出している。


「あの……」


 ふと、ハンザが声を掛けてくる。デイルは立ち止まるとハンザの方を振り返る。「何ですか?」等と返事をすればまた、硬い印象になってしまうと思い無言でデイルは続きを促す。


「あ、あのだな。そのショールだが……それ、ずっと持っていてくれないか?」


 そう言うと、俯いてしまう。その仕草がとてつもなく可愛らしく、結局ショールを返すのを忘れていた事をデイルの頭から消し去ってしまった。話の内容は何でもないようだが、実は深い意味がある。古来より、婦人が騎士に衣類の一部を託す意味合いは「戦場に於いても常に共に居る」という意味なのだ。誰が始めたことか分からないが、慎み深い婦人の古式ゆかしい積極的な愛情表現である。


「そ、その……返せと言われても、もう絶対返しませんが、よろしいので?」


 酔いが手伝ってか、俯くハンザを真っ直ぐに見つめるデイルが、柄にも無く気の効いたセリフで返事をする。それを聞いたハンザは、ハッと顔を上げる。


「良いも何も……そうしてくれ。約束だぞ」


 そう言うと、ニッコリと微笑むのだった。月明かりに照らされた、美しいその笑顔に吸い寄せられるように、デイルはハンザに近付いていく。


ピピピピィ


 何処からか、水鳥の無く声が響いてくる。月明かりが作った二つの影はしばらく一つに重なったまま動かない。


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