Episode_02.18 二人の距離感


 あちこち斬りつけられたデイルは、血を流しながらも何とか立っていた。自分の折れた愛剣を見つめながら、恐ろしい敵だったと思う。何者かの援護が無ければ、死んでいたのは自分だっただろう。


(さっきのは、ギルの仲間か?)


 そう思い、後ろにいるであろうギルを振り返るが、そこには誰の姿も無かった。反対を振り返ると、同じくヨシンがキョロキョロと辺りを見渡している。恐らく同じことを考えたのだろう。


(彼等は一体……)


 強敵との対決を終えて、しばし呆然となっていたデイルだが、連れ去られたハンザの事を思い出すと、ハッとしたように運搬船へ向かう。しかし、思った以上に深手を負っており、消耗も激しいデイルは二歩ほど桟橋を進んだ所で膝を付いてしまった。そこに、船の方から呼ぶ声が近付いてくるのが聞こえる。


「デイル! あぁ、デイル。大丈夫なの? 傷を見せなさい」


 駆け寄って来たハンザは、デイルに抱きつかんばかりの勢いである。


「ハンザ隊長、ご無事でしたか……良かった」


 そう言うと張り詰めていた物が途切れたように、その場に両手を付くデイルである。ハンザはそのデイルの前に屈みこむと、その顔を両腕で押し包むように抱き締め


「今は隊長って言うの、止めて……」


 そう囁くのであった。両胸の膨らみに押し包まれたデイルは驚き顔を上げるが、ハンザはニッコリと微笑み、その唇に口づけしたのだった。


 その様子を見ていたヨシンは、


(……俺は何も見ていない、見ていないから……)

と心に誓うのであった。


 デイルが、ハンザらと再会を果たした直後に、城下街を警備する輪番だった第八哨戒部隊と領兵団の衛兵隊が広場に突入してきた。突入してきた哨戒騎士や兵士達は、大勢の盗賊が斬り倒され、呻き声を上げている広場の惨状に唖然としつつも、それらを捕縛していった。広場と運搬船以外にも隣の倉庫内で十人近くの賊の死体が発見されたが、恐らく同士撃ちしたものとして処理された。運搬船内で捕えられた首謀者のランダンを始めとする、まだ息のある賊達は衛兵隊に捕えられ連行されていった。


 一方、誘拐の被害者であったユーリーとアーヴは ――ハンザについては、良からぬ噂が立つことに配慮したデイルが被害者と言わなかったので除かれる―― ヨシンと共に、城に連れ戻されると医務室で手当てを受けた。ユーリーが顔面の打撲、アーヴは左手の捻挫、ヨシンは軽い切り傷を数か所だけで、どれも軽傷だったのでそのまま兵舎に戻された。


 デイルの方は、ムエレと対峙した際に手足に深い切り傷を負っていたが、ハンザのラールス家による取り計らいで、マルス神の神官による神蹟術の癒しを受け、二日後には歩けるまでに回復していた。


 夏の盛りを過ぎたウェスタの城下街、城から続く坂道を下るハンザ隊長とデイル副長の姿があった。デイルは怪我の為、しばらく歩き難そうにしていたが、今はすっかり回復したようでシッカリした足取りに戻っている。その直ぐ後ろを歩くハンザは、あの晩のような女性の服装ではなく、哨戒騎士団の甲冑を着込んでいる。誘拐事件の後、第十三哨戒部隊は任務開始時期を迎えていたが、事件の調査の為に哨戒任務への出発が一カ月繰り延べられていた。その間、デイル副長の回復を待って、ハンザとデイルは、取り調べ、という名目で何度か城へ呼び出されていた。今日は、侯爵直々に話を聞きたい、とのことで城へ呼び出されており、今はその帰路である。


 午前に登城した二人は、ウェスタ侯爵ガーランドの執務室に通されると、しばらく待たされた後に、侯爵と面談した。アーヴことアルヴァンの素性については、その時まで二人にも伏せられていたが、侯爵の口から真実を告げられると流石に驚いた二人であった。内心では、新兵二人と、内密ながらハンザの三人を誘拐しようとした事件で、しかも解決済みの事件にしては、やけに取り調べが厳重な点を不審に思っていたのだが、アーヴが侯爵の孫であり当主ブラハリーの息子であると告げられると、なるほど、と納得した訳だった。


 侯爵ガーランドからは、


「孫を助けて貰って感謝している。しかし、内密に事を処理したいので表立って褒美は無しじゃ、その内何かの形で労に報いるから待っていてくれよ」


 とのことだった。ハンザもデイルも、褒美など貰えると思っていなかったから、それはどうでも良い事なのだ。それよりも、知らない事、とは言え色々無礼があっただろうと、そっちの方が心配に思うのだ。そんな事を考えながらの城からの帰り道である。


 ハンザは、前を歩くデイルの後ろ姿を見ながら、もう一つ気の重い事を思い出していた。桟橋での一件の後、二人の仲は急速に接近したかと言うと……実はそうでもない。ハンザとしては、傷ついたデイルの姿に、愛おしさに任せて口づけまでしてしまった事を少し後悔している。気恥かしさが邪魔をして、もっと親密になれる機会を逃しつつあることは自覚していた。


(このままでは、無かったこと、にされてしまうのでは? そもそも、デイルは私の事をどう思っているのか?)

と思い悩んでしまうのだ。正に恋の悩みである。


 一方、そんなハンザの悩みなど知らないデイルの方は、あの時のハンザの柔らかい胸の感触や唇の感触を思い出すと気が狂いそうになる思いである。長年理想の女性と憧れていた女騎士から抱擁と接吻を受けた、あの瞬間は天にも昇る気持ちであった。今もハンザの姿を見ると必然としてそのことが思い出され、自分の視線が卑しいものなっているのではないかと恐れすら感じる。現に、あの晩連れ去られたハンザが落とした青い絹のショールを返せずに今も持ち歩いている自分は卑しい男だと思う。


 そうであるが故に、ハンザと接するときの態度が硬く慇懃なものになってしまう。本当は今すぐにでも「想い」を伝えたいのだが、あれはハンザの気まぐれだったかもしれない。自分の事など気にも留めていないかも知れない。たとえ、そうでなくても、平民出の自分と譜代の家臣であるハンザの家では大きく身分が違い、


(そんな大それたことは、できない)

のである。


「はぁ……」


 二人とも、お互いには聞こえないほどの溜息を吐く。最近はこういう空気が二人の間に流れているのである。しかし、今日はより一層気が重くなる任務がハンザの方にはあった。一昨日から城下の自宅に帰っているハンザの父ガルスが再三に渡って


「お前の危急を救った騎士デイルを是非我が家に招待するように」


 と言って聞かないのだった。流石に、家の者には自分も誘拐されていたことは告げてあり、それを伝え聞いたガルスが、


「ハンザが誘拐されたことを咄嗟に伏せてくれるとは……それに剣の腕が立つとも聞いた。立派な若者に違いない、一度会ってみたい!」


 と言い出したのである。ガルスにそう言われ、なんとかはぐらかそうとするハンザだったが、終いには下男をデイルの自宅に「遣い」に出すと言い出したので、結局ハンザが折れて「今晩夕食にお誘いします」という事になったのだ。今頃は乳母である老女が腕によりを掛けて夕食の支度をしているだろう……


「な、なぁ、デイル」

「何でしょうか? 隊長」

「今晩、時間あるか?」


 やっとの思いでそう言葉に出した。後は、デイルの返事次第である。ハンザの誘いを聞いたデイルはハンザを振り返ろうとして、しかし途中で止めると。


「はい、時間はありますがどうしてですか?」


と、すこし硬い声で返事をする。


「そ、そうか……実は父がな、一度その……デイルを夕食にお招きしろと、そう父が言うのだよ。どうだろうか? 来て貰えないか?」


 ハンザにとっては五月蠅い父親だが、デイルにとっては「ウェスタ候領正騎士団筆頭騎士ガルス・ラールス中将」である。正騎士団二百人の実務上のトップであり、平民出の多い哨戒騎士とはそもそも身分が違う。デイルは、一気に口の中が渇くのを覚えながらなんとか言葉を捻り出す。


「ちゅ、中将からのお呼び出しならば……」

(父からの呼び出しなら来る、私の誘いなら来てくれるのかしら?)


 すこし寂しい感情が起こるが、仕方ないのだろうと言い聞かせるハンザであった。


 ハンザの屋敷は、城に近い山の手にある。街中の喧騒とは無縁の静かな区画であり、ハンザの家であるラールス家のような譜代の家臣達や、裕福な商人等が居を構えている落ち着いた一帯である。その中では、ハンザの屋敷はそれほど大きくも瀟洒な造りでも無い。持ち主のガルスの性格が反映された屋敷は落ち着きがあり、言い方によっては地味な佇まいであった。


 ハンザに促されたデイルは、玄関に当たる門を潜り抜ける。屋敷の内側は思ったよりも広く作られており、左端に小さな厩が建っている。豪華さを嫌うガルス故に、敷地の割に屋敷の建物は小さいため、かえって広く感じるのであろう。


「お嬢様、お帰りなさいまし。デイル様ようこそお出で下さいました」


 門を潜った二人を待ち構えていたかのように、下男の老人が玄関先で出迎える。


「お父様に、デイル殿をお連れしたと伝えてくれ」


 はい、と言って奥に引っ込む下男と入れ替わりで今度は乳母である老女が表に出てくる。


「まぁまぁ、なんとも男前な……お嬢様もお目が高い」

「こ、こら、やめないか……」


 出て来て早々に、失礼とも取れる調子で喋りはじめた乳母をハンザが慌てて嗜める。


「まぁ、失礼いたしました。さぁ、デイル様こちらへどうぞ」


 こうして、デイルは玄関に続く客間へ通されると、冷やした飲み物と硬く絞ったタオルが供された。ハンザは、着替えの為だろうか、途中で自室に戻ると言うとスタスタと行ってしまった。また、老女も「準備がありますので」と告げると客間を出て行ってしまった。


 一人客間に残されたデイルは、手持無沙汰に客間を眺める。革張りの豪華というより頑丈な造りの長椅子が四脚、背の低いテーブルを囲むように設置されており、そこに座っているのだ。壁際には飾り気の無い暖炉が設えてあるが、季節的に今は使用されていないようだ。調度品の類は、壁に掛けられた何処かの田舎の風景画と、暖炉の上に掛けられた刀剣類や盾のみであった。地味を通り越して殺風景な客間であるが、デイルからすると独立した客間があるだけでも、豪邸、という印象だ。忘れていた口の渇きを思い出し、出された飲み物に口を付ける。ほど良く水で割られたワインが、何とか渇きを癒してくれそうだ。


 しばらくすると、下男の老人が酒と酒肴を盛った皿を載せた盆を持って客間に現れた。下男は会釈すると、チーズとベーコンの薄切りが盛られた皿をテーブルに置き、主のガルスが座る席の前に酒瓶と杯を並べる。その作業が終わらない内に、ガルスが客間に現れた。慌てて席を立つデイルを、まぁまぁと手で制すると自分はデイルの座る長椅子の左横の長椅子に腰かける。


「哨戒騎士団第十三哨戒部隊副長のデイルです。本日はお招き頂きありがとうございます」


 なんとか、頭の中で準備していた挨拶を言い切るデイルに、


「ハンザの父のガルスだ。この度は娘が危ないところを助けて頂いて、この通りお礼申し上げる」


 そう言うとガルスは深々と頭を下げるのだった。


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