Episode_02.11 兵士の苦悩


 ヨシンに「忘れているのでは?」と心配されていた騎士デイルは、数日前から哨戒騎士団の詰め所に通っていた。二週間後から始まる、哨戒任務の準備状況を確認するためである。五カ月に渡る任務のために準備される物資は多岐に渡る。勿論、全てを一度に持ち運ぶのは効率的では無いので、今準備しているのは最初の二カ月分である。それ以後は消耗状況によって追加調達していくのだ。それでも、装備品類の準備から、医薬品・食糧・野営装備等とそれを運ぶ荷馬車の手配状況等、確認することは多岐にわたる。デイルは、事務官セドリーと共に物資の目録や伝票の確認を行っていく。


「デイルさん、一応今のリストで全部ですよ。準備状況は概ね良好ですね」

「いつも助かります。セドリーさん、実物の確認はいつ頃できますか?」

「えーと、出発の二日前には完品の予定ですから、その日の午後には確認できますね」

「そうですか、じゃぁ受取書はその時で良いですね?」


 騎士デイルと事務官セドリー、身分的にはデイルのほうが上だが、年齢は二歳ほどセドリーが上である。その為、両者とも丁寧な言葉遣いになっている。


 仕事を終え、詰め所を出たデイルは城下へ帰る方向では無く、裏の練兵場の方へ向かった。今の時間ならば、まだ午後の訓練前の休憩時間だろうと思い、練兵場を見渡すと、果たして、兵舎の横にお目当てのユーリーとヨシンの姿を見つけてそちらへ近付いて行く。


「よぉ、二人とも」


 そう言うデイルは、見掛けない新兵に気付く。


「あぁ、デイルさん、こっちは同じ新兵のアーヴです」


 ユーリーの紹介を受けて、アーヴはデイルに挨拶する。


「はじめまして、アーヴと言います」


 アーヴの簡単な自己紹介に頷くだけで返事をすると、デイルが切り出す。


「ハンザ隊長が、お前らをお詫びの為に食事に連れて行けと言うのだが、明日で大丈夫だな?」

「デイルさん、アーヴも一緒に行って良いですか?」


 と聞くヨシンである。デイルにしてみれば一人増えようが些細なことである。寧ろ


(金だけ渡すから、三人で勝手に食べて行ってくれ。俺はハンザ隊長と二人きりで……)

と内心思うのだが、流石にそんなことは言えないし、度胸もない。結局、


「ああ、構わないさ」


 と言うのである。若いながらに哨戒部隊の副長に抜擢されたデイルの給金は年老いた母親の面倒を見ながら暮らして行くには充分の額であり、真面目な性格と相まって相当蓄えも出来ている。目の前で、「やった!」と喜んでいる三人を見ながら、


(こんな時には、パアッと使うのも悪くないだろう)

と思う事にした。


「明日は、城下の繁華街の入り口で四時位に待ち合わせでいいな?」


 と言うデイルに、三人は「ハイ」と敬礼して返すのだった。


 騎士デイルが立ち去った後、午後の訓練開始の合図が鳴らされる。三人の新兵は、他の新兵らと共に、練兵場の中央に走っていった。そうすると、新兵が去った後の兵舎の陰から姿を現した兵士がいた。中年の兵士は、今の三人と騎士のやり取りを盗み聞きしており、その内容に自然と口元が緩む。


(これでようやく、俺も解放される……)

そう思うと、その中年の兵士は足早に詰め所の方へ立ち去っていったのだった。


****************************************


 その日の夜、勤め時間を終え帰路についた中年の兵士は、一人住まいの汚い長屋ではなく、繁華街の方へ足を向ける。繁華街を抜けると、船着き場付近へ向かう大通りを更に進む。大通りの両脇には、安い食べ物や酒を提供する屋台や旅人向けの安宿が軒を連ねるが、彼はそれらに目もくれず、一本の路地へ入っていく。


 明りが少なく、雑然と色々な物が積み上げられている路地沿いには、所々に入口に明りを灯した建物があり、それほど遅くない時間ながら、既に酔っ払いの船乗りや人足どもが騒ぐ物音が聞こえてくる。


 ウェスタの街は、城下街として一定の治安を保っており、比較的安定した西方辺境諸国の他の都市と比較しても治安は良い部類に入る。それでも、テバ河を行き来する商船や運搬船の荷役に従事する荒っぽい男達や、街道を陸路行き来する旅人達が集まる船着き場付近は、それらを対象とした安宿、屋台、娼館が集まっており、治安はそれ程良くない。そんな街の悪所を進む中年の兵士は、やがて一つの大きな娼館の前で足を止めると、一瞬ためらったものの意を決したようにその建物の中へ入っていった。


 中に通された中年の兵士は、そのまま奥まった部屋へ案内される。そして、ここしばらくの間、彼を悩ませている原因の人物と面談した。その男は、頬と額の大きな刀傷のある顔を歪ませると愉快そうに笑う。側に薄衣を纏った娼婦が酒の酌をしている。中年の兵士は、自然と視線がその娼婦の足の間へ向くのを何とか我慢しながら、今日聞いた話を男に伝えている。


「……そういう訳で、標的は明日の午後に城下に外出するというわけです」

「そうか、そうか。良くやったな」


 そう言うとランダンは、酒の入った杯を差し出してくる。飲め、ということだ。中年の兵士が杯を受け取り、中の酒を飲む間にランダンは懐から金貨を取り出す。


「これは約束の金貨五枚だ。首尾よく事が運べばもう五枚だ、なに忘れちゃいないぜ」


 そう言うと、金貨を放り投げる。


「あ、ありがとうございます」


 そう言った中年の兵士は、ランダンの足元に転がる金貨を拾い集める。人一倍自尊心の強い彼は、金貨を拾いながら自問する。


(……俺、なんでこんなことしてるんだろう……?)


 事の発端は一か月前、表の大通りにある屋台で夕飯の晩酌をしていた彼は、地元のごろつきに絡まれている商人風の男を助けた。腐っても領兵団の兵長である、ごろつき共を追い払うことは問題では無かった。すると、商人風の男は、礼がしたいと言い、彼を連れて繁華街にある高級な店に入った。勧められるままに、普段目にしたことも無いような豪華な料理と酒でもてなしを受け、すっかり良い気分になった彼に、商人風の男は


「自分はリムルベート王都の商店主で商売の為にウェスタに来た、あと数日は滞在するので明日も食事をご馳走したい」


 と言ってきたのだった。


 それから、数日間、毎晩接待を受けた彼は四日目の夜も同じように店に顔を出した。そこで、これまでの飲み食いのお代を払うように、すっかり顔馴染みになった店主に言われたのだった。しまった、と思ったが後の祭りである。散々飲み食いした勘定の金貨十枚など払える訳も無く途方に暮れている彼に、血相を変えた店主は、ウェスタ城に届け出る、と騒ぎ出す。そして、騒ぎが大きくなりかけた所に現れたのが、目の前にいるランダンであった。


 ランダンはその場で金貨十枚を店主に払うと、騒ぎを治め、彼を店から連れ出した。その後は、この金貨十枚を貸しにする代わり、一仕事頼まれてくれと言われ今に至るのである。


 そのランダンは金貨十枚の貸しを帳消しにして、更に金貨十枚を与える代わりに、ウェスタ城内の様子を知りたがった。その時は、未だ若君の騒動も無かったので、変ったことを知りたがる人だ、と不審に思いつつも断ることが出来ずに引き受けたのだったが……


(まさか、若君を売る・・・・・ことになるとは……)


 ランダンの企みは大体の所は察しが付いている。もしかしたら、あの商人風の男はランダンのグルだったかも知れないとも思う。しかし、元々城勤めに嫌気がさしていたのだ。侯爵だの騎士だのといった身分で偉そうにしている連中にはうんざりしていたのだ。忠誠心の欠片も無い彼は、礼の金貨十枚を貰って別の街で商売でも始めようかと考えている。


 そんな中年の兵士の内心を見透かしたかのように、ランダンは満足気にまた笑うのだった。

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