Episode_02.10 盗賊ランダン


 小さな明かりが灯されただけの室内は薄暗く、焚き上げられた香の薄い煙が天井近くを漂っている。所々擦り切れた動物の毛皮を敷き詰めた床にごろりと寝転んでいる男は、同じく隣でぐったりと脱力してうずくまる女の尻をペシリと平手で打つ。「うぅ」と小さく声を発する女は、薄衣を纏っただけの格好だが、その薄衣も縺れるように脱げかかっており、やたらと大きな双丘を惜しげもなく曝け出している。


 男は溜息を一つ吐くと起き上がり、部屋の隅に転がっている酒瓶を取り上げると直接口を付ける。頬と額に大きな刀傷のある顔が、強いスピリッツのせいで一瞬歪むが、口に含んだそれを飲み下すと、ぐったりしている女を追いたてるように起こして部屋から追い出した。女は不満を口にし掛けたが、男に幾らかの金を押し付けられると黙って薄衣を直し部屋から出て行った。一人残された男は、酒瓶を片手に「続きの間」になっている隣の部屋に入る。


 ふと、部屋に川風が吹き込んでいるのを感じる。ハッとして、ベッドの上に無造作に放り出したままの短剣を掴もうと手を伸ばす。


「ふふふ、もう遅い……」


 かすれた声が部屋の片隅から聞こえてくる。男が入って来た側の部屋の隅の暗がりに潜んでいた声の主がヌッと暗がりから進み出る。


「だ、誰だてめぇ!」


 声を荒げる男に対して、暗褐色のマントに同じ色のフードを被った侵入者は人差し指を唇に当てる仕草をする。


「ノーバラプール盗賊ギルド中頭、ランダンだな?」


 酷く掠れて割れた声が、まるで目の前の侵入者の他にもう一人、部屋に居るような錯覚を起こさせる。ランダンと呼ばれた男は、手に持っていた酒瓶を振り上げると侵入者に叩きつけようとする。が……


ザンッ


 侵入者の手元がサッと動く。目にも止まらぬ速さで一閃された剣が、振り上げられたままの酒瓶を真横に断ち切る。酒瓶から溢れ出る酒を浴びながら、ランダンは凍り付いたように動けない。


「だ、誰だよ、あんた……」


 恐怖に舌がもつれそうになるが、何とか声を絞り出す。その様子に満足したのか、侵入者は湾曲した剣を収める。


「お前のお頭、ギャロスの依頼でやって来た。ザクアのムエレだ……」


 お頭とは、ノーバラプール盗賊ギルドの首領ギャロスの事だ。それを聞いたランダンは安堵をおぼえる。どうやら、ザクアのムエレと名乗った侵入者は敵ではないようだ。


 ランダンはすっぱりと切断された酒瓶をぞっとする思いで見ながら質問する。


「ザクアのムエレさんとやら、頭目が寄越したってことは、ウェスタの若君のことか?」

「ああ、さっき城の中で標的を確認してきた」


 ムエレという侵入者は凄いことをサラリと言ってのける。


「なんだって? 本当なのかい?」

「嫌なら信じなければ良いが、お前達が判断に迷っている件、標的は新兵の格好をしているぞ」


 ランダンは改めて侵入者を値踏みするように見る。「ザクア」と名乗ったのは、恐らくベート地方の暗殺者集団ザクアのことだろう。首領のギャロスもベートの出身だったし、繋がりがあってもおかしくない。そのムエレが言う、判断に迷っていた件、だが、これはまさに標的が今どこで何をしているか? という点である。「廃嫡」という処分を受けて。城に居る所までは掴んでいるが、それから先の情報が定かではない。「名前を偽って新兵訓練に参加している」というのが、内通者からの情報だったが、突拍子の無い内容で信憑性が持てなかった。


(しかし、言われてみれば、ウェスタの狸侯爵が考えそうな事じゃないか……)


 ランダンはそれ程物事を深く考える方では無い。元々が、王都で標的を誘拐又は殺害する荒っぽい仕事であったので、荒事向きのランダンに白羽の矢が立ったのだった。内通者を仕立てて、ウェスタの屋敷を襲ったものの、内通者の裏切りで目的を果たし切れず、首領ギャロスの怒りを恐れたランダンは自分の手下達を連れて標的を追ってここまで来たのである。


「それで、お頭はなにか言っていたか?」

「諦めずに標的を追い続ける男気のある部下を持って嬉しいと。私に手伝いをして欲しいと頼んできたのだよ。あと女侯爵・・・は廃嫡が確実ならばそれ以上手出しをするなと言っているようだが、頭目は誘拐して身代金を要求するつもりだ」

「そうか、そうか……分かった、あんたは暫く休んでいてくれ。それほど上等の宿ではないが、ここら辺りでは一番女が上等なところだ。酒も食い物も何でも言ってくれ」


 先程まで、侵入者に恐れおののいていたとは思えない調子で、機嫌良くムエレを迎えようとする。よっぽど頭目から「男気のある部下」と呼ばれて嬉しかったのだろう。


(単純なことだ……)

とムエレは心の内で呟くのだった。


****************************************


 この日の午前の訓練は、練兵場にて木槍を使った隊列の組み方についてであった。新兵が入隊して四カ月経過し、充分に体力がついて来たところで訓練は実戦的なものに移行していく。既に一年前に同様の過程を経験しているユーリーとヨシンにとっては二回目の事であるが、他の新兵やアーヴにとっては、槍を構えて隊列を組み行進をしたり方向転換をするのは初めての経験である。訓練用の木剣を腰に差し、円形盾を背中に背負った状態で四メートル以上ある木槍を構えて行進を続けるのは、かなりキツイ訓練なのだ。しかし、歩兵の基本である槍による密集隊形は新兵達にとって必須の課目である。


 前列が木槍を水平に構え、その一列後が振り上げた状態を保つ。槍による歩兵の密集隊形で基本的かつ重要な点は、其々の列が歩調を合わせて隊列を乱さない点である。それを徹底的に叩き込まれる。


「全体進め!」

「駆け足始め!」

「中央基準、左向け左!」


 訓練を指導する訓練課程の兵士が声を張り上げ号令を掛ける。それに応じて新兵達は、走ったり、止まったり、方向転換したりを繰り返す。


「そこ! 前に出過ぎだ!!」


 隊列を乱し、遅れたり前に出過ぎたりする者には叱責が飛ぶ。


 隊列の左端で槍を構えるアーヴは、歩兵の大変さを噛み締めていた。将来は騎士達の指揮官を務めるべく、父ブラハリーを始め周囲の騎士達から英才教育を受けてきたアーヴであるが、槍を構えて隊列を組むのは初めてである。このような密集隊形の歩兵を、どのように運用するか、は用兵の基礎として学びはしたが、実際自分でやると色々と分かる事がある。


 第一に移動速度が遅いこと。第二に方向転換が苦手なこと。第三に前面以外からの奇襲に弱いこと。これらは歩兵用兵の基本として書物に書かれていたが、実際体験すると、なるほど、と思うのである。祖父である侯爵ガーランドの思い付きで新兵として訓練を受けているアーヴにとって、この時の経験が将来彼の助けになるのであるが、そんなことは露とも知らない今のアーヴであった。


 キツかった午前の訓練が終わり、午後の訓練までの休憩時間に兵舎の屋根が作る日陰で、ユーリー、ヨシン、アーヴの三人が固まって座っている。アーヴが素性を明かした夜から数日経過しているが、ユーリーもヨシンも、まるでアーヴの話を忘れてしまったかのよう普段通り過ごしている。アーヴとしては、二人の態度がこれまでと変ってしまうのではないかと心配していたが、無用な心配だったようだ。


 ユーリーは「友達」のアーヴが、変らない付き合いを望んでいると理解しているので、そのように接している。実際、同じ服装をして同じ様に訓練を受けているアーヴには、偉ぶっているような雰囲気が全くないので、よっぽど(あの夜の話は作り話だったのでは?)と思っているほどだ。


 一方ヨシンは、その話の内容をどれほど理解しているのか不明だが全くこれまでと同じ様子である。変ったことと言えば、最近の「特訓」は三人でやるようになったことと、ヨシンの思い付きで、二対一のやり方が追加されたことくらいである。


「なぁ、ユーリー。明日が休みの日だよな」

「そうだね、ヨシン」


 二人の会話にアーヴが割って入る。


「えー、休みなんてあるの?」

「そうそう、月に一回一日だけだけどね。でも僕達実家が遠いから帰れないし、城下街をブラブラするだけだよ」


 とユーリーが言う。それに、ヨシンが続ける。


「でも、ハンザ隊長が言っていたけど、デイルさんがご馳走してくれるんだろ?」


 ヨシンが言っているのは、二週間ほど前に騎士デイルが訓練の監督で来た時の話である。


 その時、顔面に大怪我を負ったヨシンだが、今ではすっかり治っている。


「へーいいなー。僕も城下街を見てみたいな……」


 そう言うアーヴにユーリーが


「いいね! アーヴも一緒に連れて行ってもらおう!」


 と応じる。


「でもさ、デイルさん忘れてるんじゃない?」


 あの後ちっとも姿を現さないデイルに、ヨシンは食事の約束が果たされないのでは? と心配しているようだ。


「まぁ忘れてたら、三人で城下街に遊びに行こうぜ!」


 ヨシンの提案に賛成!と答えるユーリーとアーヴである。


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