Episode_02.06 新兵アーヴ


 翌朝、いつも通りの時間に起床の号令がかかると各自ベッドの周辺を整理し、点呼を取る。点呼するのは、ヨシンである。鼻の骨折はユーリーの治癒魔術の効果を得て劇的な回復を見せているが、余り早く治ると不自然なため、ユーリーに言われて未だ添え木と包帯を巻いたままである。


 ユーリーら同室の新兵は全員の点呼が終わると、訓練服に着替えて食堂へ向かう。他の部屋からも続々と同僚の新兵達が集合してくる。普段は、全員で席に着くとその日の訓練内容を担当の兵士から聞いた後、食事開始であるが、今朝は少し違っていた。普段は顔を見せない哨戒騎士団長が出てきたのである。


「諸君!訓練御苦労である。少し異例であるが、本日より新たに一名が領兵団の訓練課程に加わることになった」


 そう言うと、脇に立っていた少年が全員の前に進み出て挨拶する。


「アーヴと言います。よろしくお願いします」

「と言う訳だ、歳は最年少の十五歳だから、四班の所属になる」


 四班とは、ユーリーとヨシンのいる組である。新兵達は歳がバラバラなため、歳の近い者同士で、部屋毎に班となっている。ユーリーとヨシンの四班は、現在八人が所属しているが、アーヴを加えて九人となる。全員が十五歳である。


 他の兵士に促されて、四班が陣取るテーブルに来たアーヴは何処か暗い印象を与える少年である。「よろしく」と呟くように言うと十人掛けのテーブルの端の席に着く。前の方では、今日の訓練内容が別の兵士から告げられている。哨戒騎士団長はいつの間にか退室しているようだ。


 ヨシンとユーリーはチラチラとアーヴと紹介された新入りを観察する。アーヴはその様子に気付いているのか分からないが、じっと足元を見つめている。やがて、食事開始の号令がかかると全員一斉にテーブル毎に置かれた食事に手を伸ばす。ユーリーやヨシンもアーヴの事は気になるが、それよりも先ず食事である。この食事で夕方まで持たせないといけないのだ。


 ユーリーは先ず、篭に盛られた大きな黒パンを四つ確保すると、大きな木の椀に盛られたマッシュポテトに手を伸ばす。寸前のところで、他の少年兵に木の匙を奪われてしまい仕方なく、隣の大皿から青菜の塩ゆでを一束掴みあげると、自分の手元の皿と隣のヨシンの皿に放り込む。「チッ」とヨシンが軽く舌打ちしたのが聞こえる。彼は青菜の塩ゆでが嫌いなのである。


 一方のヨシンは、真っ先に「本丸」の豚の塩漬け肉を茹でたものが入った鍋から肉塊を二つ取り出すと一つをユーリーの皿へ投げ込む。「ありがと」と短く言ったユーリーは、ようやく順番のまわってきたマッシュポテトを「これでもかっ!」と言うほど自分の皿に盛る。そして、隣のヨシンに匙を渡す。ヨシンは同じくマッシュポテトを掬い上げると、苦手な青菜を隠すようにその上に盛った。


 その皿にはいつの間にかユーリーが確保した黒パンが一つ抜き取られて、全部で三つ乗っていた。「ちょっと!」と抗議するユーリーを無視すると、ヨシンは黒パンを二つに千切り、器用にマッシュポテトを乗せると頬張りはじめた。ヨシンから黒パンを奪い返すことを諦めたユーリーはテーブルの上を見る。


(何か残ってないかな……)


 豚肉の塩漬けが入った鍋は既に空である。マッシュポテトは大きな木の椀の底に少しこびり付いて残っているだけ、青菜の塩ゆではいつも通りで、少し残っている。パンを盛った篭は、中身を空にした状態で転がっている。その惨憺たる光景越しに、アーヴの茫然とした表情が見えた。アーヴの皿には黒パンが一つと少量のマッシュポテト、鍋の底から掬ったような塩漬け肉の屑と青菜が一本盛られているだけである。


****************************************


 アーヴこと、アルヴァンは茫然と目の前の光景を見つめていた。


(まさか、これほどとは……)


 昨晩、祖父の侯爵ガーランドと食事をしている時に、突然


「そうじゃ、アルヴァン。しばらく身分を隠して領兵団の新兵訓練に加わってみんか? きっと勉強になることが多いぞ。それに、城の奥に閉じこもっておるよりよっぽど気も紛れるじゃろ」


 と言われたのである。祖父であり、大殿のウェスタ侯爵にこう言われては、幾ら孫のアルヴァンでも「嫌です」とは言えない。しかも、少し興味も感じてしまった。なにより、王都での一連の出来事ですっかり気分が落ち込んでいたアルヴァンは、


(このままではいけない)


 と強く自覚していた。色々な思いに囚われて、憂鬱に過ごしていた日常を変えなければならない、という自覚だ。こういった自覚を持てるところが、アルヴァンという少年の聡明なところである。だから、


「わかりました」


 と返事をしたのだ。そして、その結果、今自分がここに居る訳だ。


 しかし、目の前で展開された光景は、飢えた亡者の群れに餌を投げ込んだような争奪戦。


「食事は、ゆっくりと品よく頂くものです」


 と、ゴールスから教わっていたアルヴァンにとって別世界の出来事のようである。仕方なく、何とか確保した黒パンを千切って食べようとするが、ズシリとした重さと、余りの堅さに驚く。指先で軽くつまむ程度では、このパンは千切れない……。改めて、大き目につまむと、ようやく指先に残る程度の大きさが千切れて残った。それを口に運ぶ。


(なんだこれ、酸っぱいし、塩辛い……)

黒パンは若干酸味があるものだが、これは特別に酸味が強く塩辛い。何とか飲み込むと、気を取り直してマッシュポテトを一口掬って口に含む。濃厚な獣脂の香りが鼻に抜け、すり潰した芋の食感が舌の上に残る。


(これと一緒なら、或いは……)


 そう思い、マッシュポテトをパンに付けてもう一口。


(これは、そこまで悪くないな……)


 一口、一口確かめるように食事をするアーヴ、今はグズグズに煮込まれた青菜の塩ゆでを口に運び眉を顰めている。斜め向かいに座るユーリーはその様子をチラチラ伺いながら、バクバクと食べ物を口に運んでいる。そんな隣のユーリーの仕草に気付いたヨシンが、向かいの席のアーヴを見る。ちょうど、ユーリーが話し掛けるところだ。


「……君、それだけしか食べなくて平気なの?」


 自分に話しかけられていると気付くまで時間のかかったアーヴが顔を上げる。


「……ああ、あんまり慣れなくて……」


 そう言うと、力無い笑みを口元に浮かべる。


「僕はユーリー、こっちが友達のヨシン、よろしくね」

「よろしくな!」


 ヨシンは、口の中に食べ物が残っているままに挨拶する。


「よ、よろしく……」


 アーヴの返事を聞く前に、その場で立ちあがるヨシン。


「これは、お近づきのしるしだ」


 そういって、自分の皿の底に残してあった青菜の塩ゆでをガバッとアーヴの皿へ移す。アーヴはそれを見て一瞬「えぇ……」という顔をするが、ヨシンが悪気無さそうにニコニコ笑うものだから、仕方なく調子を合わせる。


「あ、ありがとう」

「ダメだよヨシン! 野菜もちゃんと食べないと、ここの食事は野菜が少な目なんだから……」


 最後の方は小声で言うユーリーに


「何言ってるんだよ、ちゃんと芋を食べてるじゃないか。芋は野菜だろ、知らないのか?」


 そう言うヨシンは、残ったパンの欠片で皿の底を拭い取るようにすると、それを口に放り込むと、「ふぅ」と満足気である。このやり取りを聞いたアーヴは溜まらずに吹き出してしまった。


「アハハハハ」


 数か月振りに声を出して笑った気がした、アルヴァンだった。


****************************************


 厳しい訓練の上、年齢的にも育ちざかりの新兵達は、旺盛な食欲を満たすと午前の訓練へと向かっていく。兵舎の横に生えている立ち木の陰からその様子を見守るのは、御側係りのゴールスである。周囲を行き交う兵士達に二度見されるほど不自然な様子で、立ち木の陰から、練兵場に向かうアルヴァンの後ろ姿を見つめている。


(若様、今しばらくの御辛抱ですぞ……)


 もう一人、こちらは険しい視線を彼らに送る者がいた。哨戒騎士団の詰め所一階の窓から、新兵達に混じるアルヴァンの姿を見つけると、ギリッと音がするほど奥歯を噛み締める。その目は一睡もしてないのだろうか、落ち窪んでいるがギラギラとその姿を追い続けるのだった。

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