Episode_02.05 若君暗殺計画?


 翌日の午前にウェスタ城を訪れる者があった。昨日侯爵へのお目通りが許された、リムルベート王都の豪商ジャスカー・アントである。お目通りが許されたという知らせを聞き付け、予定を前倒しして今朝早くにウェスタの街へ到着していたのだ。折からの晴天で、午前から気温が上昇しているウェスタ城内の坂道を夏用に仕立てた上品な上着を羽織り、恰幅の良い大きな身体を揺するように進むと、ウェスタ侯爵ガーランドの執務室に辿り着いた頃には汗まみれとなっていた。


 ジャスカーは、父の代から引き継いだアント商会を率いる会長である。アント商会は今では西方辺境地域で随一の規模を誇る商会である。先代は陸路を使う隊商から身を興し、陸路を中心とした中原地方と西方辺境地方の交易で財をなしたが、それに対してジャスカーは若い頃から海路の開拓に力を入れていた。現在では陸海の交易路を牛耳り、西方辺境地方を出入りする物品の半分はアント商会の取り扱いとなっているほどである。そんな豪商であるが、先代が未だ小さな隊商として商いをしていたころから、侯爵ガーランドとは親交があり、その後援を受けて立身出世が叶ったという恩義を受けている。

 

 侯爵ガーランドとしては、最新の中原地方の情勢を知る独自の情報網を得ることや、表には出せない様々な裏方の仕事を引き受けてくれる連中への伝手を得るために、存分にアント商会を利用しており、それに見合うだけの商いにおける権益をアント商会に与えてきた。ウェスタ侯爵領産の農産物や材木類の六割強をアント商会が捌いているのは言うに及ばず、リムルベート王家の直轄領や伯爵・子爵領との取引も斡旋してやり、約四割はアント商会の取り扱いとなっているほどだ。


 そのように、長年両者両得の関係を続けてきた侯爵ガーランドとアント商会なだけに、秘密を保っておきたい件や、貴族や騎士として外聞の良くない仕事はアント商会会長のジャスカー自らが一手に引き受けている。昨日手元に届いた息子ブラハリーからの手紙には、父子の間で取り決めた、ある「徴」があり、それが意味することは、「何事か変事が起こりジャスカーの助けを借りている」と言う事であった。


 汗だくの格好で、執務室に通されたジャスカーは侯爵への挨拶もそこそこに水差しから水をグラスに注ぐとそれを一気に飲み干した。冷えた水は、柑橘類により薄く味付けされており、身体に籠った熱を取り去ってくれるようである。ふぅ、と人心地ついた恰幅の良い客人を眺めつつ侯爵ガーランドが口を開く。


「まったく、お主は相も変わらずブクブクと太って、少しは亡き父君を見習い節制したらどうじゃ」


 呆れ顔である。


「いやいや、ガーランド様。この歳になりますと、太っている事こそが健康の証しですぞ。身体健やかなればこそ、腹が減り、飯も旨く感じ、肥えることが出来るのです」

「ふむ、そんなもんかのう」


 今、侯爵の執務室にはこの二名のみである。家宰のドラウドも席を外した会談だ。ひとしきり水を飲み終えたジャスカーは、居住まいを正し、本題に入る。


「ガーランド様の耳には既にお入りと思いますが、若君アルヴァン殿の件です」

「うむ、何事か変事があったのか?」

「はい、単刀直入に申しますと、お命を狙われております」

「ほぉ……どのような手合いの者から命を狙われておるのじゃ?」

「確かな所ではノーバラプールで最近勢力を拡大している盗賊ギルドが動いているようですが、果たして誰の差し金なのか掴みかねております」

「ノーバラプールに盗賊ギルドとな……陛下がお聞きになればさぞお嘆きだろうな」


 盗賊ギルドというのは、ギルドと名乗っているが勿論非合法集団である。喰い詰め者やならず者、盗賊、野盗の類を取り纏め、無法者共にある程度の秩序と統制を与える組織で有るため、国や地域によっては「必要悪」として黙認されているところもある。リムルベート王国もかつてはそのような方針であったが、現国王ローデウスの治世にそれは改められた。ウェスタ候を筆頭に有力諸侯に命じ、そのような地下組織は一掃されて久しいのだが、


「近年、ノーバラプールが四都市連合に接近するにつれ、国王陛下の御威光も届き難くなり、そのような者共の跳梁跋扈ちょうりょうばっこを許す事態となっておるようですな」


 ウェスタ侯爵は、すっかり禿上がった頭に僅かに残る綿毛のような白髪を撫でつけると物憂い気に問い掛ける。


「して、その盗賊ギルドがアルヴァンの命を狙っておると言う訳か……」

「はぁ、しかし、盗賊共はあくまで手先。後ろに居る黒幕が分からないため、根本的に打つ手が無く、ブラハリー様も思い悩まれたようですが……」

「それで、『廃嫡』という訳か……お主の入れ知恵であろう」

「畏れながら」

「『廃嫡』により命を狙う者が居なくなれば、恐らくウーブル候周辺が黒幕。それでも命を狙われ続けるならば……」

「それでもお命を狙う者が有るならば、恐らく第二王子ルーカルト殿下周辺の差し金かと……」

「敵の多い事じゃ……」


 ウェスタ侯爵は現国王の信任も厚く、また多くの功績を持つ名実ともにリムルベート王国の重鎮である。しかし、侯爵が遣り手であるが故に、内心快く思っていない人々も多い。今上がった二者はそれらの中でも、特に「大物」である。


 ウーブル侯爵家は、ウェスタ侯爵と並んで「三大侯爵」の一つに数えられ、その領地はテバ河を挟んだ東側に広がっている。ウェスタ侯爵ガーランドの腹違いの兄が婿養子に入っており、現当主はその息子である。そのため現ウーブル侯爵は、ガーランドから見れば甥で、ブラハリーから見れば従兄である。しかし、


「ウーブルの鬼婆の差し金か……」


 ウーブルの鬼婆とは、侯爵ガーランドの腹違いの兄の妻であるが、その腹黒さからガーランドが進呈した渾名である。ウェスタ侯爵の異母兄は既に他界しているが、その妻 ――ウーブルの鬼婆―― は今も健在である。


「ウーブル候とはテバ河東岸の森林地帯の領有権でいささか揉めているとお聞きしております」

「あれは、先代の兄の時代に決着が付いておろう。それをあの鬼婆が蒸し返しておるだけじゃ」

「それとは、別に、現ウーブル候にはお亡くなりになった前妻との間にもうけた御嫡男と、後妻との間に設けた御次男が居られるそうで、その後妻殿は昔からのウーブル家に繋がる御血筋、その……ウーブルの鬼婆の強い後ろ盾があるようです」

「なるほどのう、嫡男に後を継がせたいウーブル候に対して、より血縁の濃い次男に継がせたい鬼婆の思惑か。お主の見立てでは、ウェスタ家の跡取りを亡きものにした後、親戚筋に当たる長男か次男を養子に押し込んでくると見ておるのじゃろう」

「もしもウーブル候周辺による差し金ならば、そのような筋書きかと……」


 一方、ルーカルト第二王子周辺が差し金で有った場合は、領土欲ではなく個人的な怨恨が強いのだろう。ブラハリーが第二騎士団長を拝命した際に、この王子周辺が横槍を入れて来た事があった。元々、この任命は現国王ローデウス陛下の意向によるものであったが、


「自分こそ、第二騎士団長に相応しい」


 とルーカルト第二王子が国王に意見したために、一時ややこしい状況になり、宮中には剣呑な雰囲気が漂ったという。結局はローデウス王の意向は翻ることなく、ブラハリーが第二騎士団長に就任した。一方、第二王子とは言え、表立って国王の決定に異を唱えたルーカルトは、その後、国王である父や第一王子である兄ガーディス王子から、かなり強く叱責を受けたようで、現在は王都衛兵団の長官という閑職で燻っている。


「ルーカルト王子というのは、儂も余り面識は無いが、相当難しい御仁のようだな」

「如何にも。日頃から声高に、ブラハリー様を批判しているとか。しかし、御本人もさることながら、取り巻き連中が良くありません。以前、行政各部を担当しながら汚職により失脚した子爵連中が頻繁に御屋敷に出入りしているようで、これらの者共は四都市連合ともなにやら繋がりが有るようです」


 はぁーっと深く溜息をつくガーランドである。


「陛下も、もう少し御健康な内に、聡明なカーディス王子に王位を渡しておればよかったものを……」


 出来が悪い子供ほど可愛いと言う、その気持ちが分からないでもない侯爵であるが、ルーカルト王子の周辺には国を揺るがしかねない闇が巣食っているように感じる。


「とにかく、黒幕を探り当てなければ対応の仕様がありません。それ故、今回は『廃嫡』という動きで相手を揺さぶってみようかと、そう建策いたしました」

「しかし、あの堅いブラハリーが良くそのような案を受け入れたな……」

「いやいや、ガーランド様。最近のブラハリー様は、以前と比べると大分に、なんと言いますか、かたくなな所が解れて来ており、融通のきく御気性になって来ております。それこそ、亡き父から聞かされた、ガーランド様のお若い頃のように感じる次第であります」

「そうかい、そうかい。ブラハリーめも齢四十を過ぎてようやく『余裕』めいたものを身に付けだしたか……結構、結構」

「はい、結構な事でございます。しかし、結構とばかり言っておられないのがアルヴァン様でございます。御親友を賊の襲撃で亡くされた上に、その悲しみが癒える間もなく今回の騒動でございます。御気丈に振る舞ってはおりますが、内心をお察しするに……」

「そうじゃな、そちらの方は儂が何とか手当をしてみよう。ところでジャスカー、お主はこれからどうするのじゃ?」

「間もなくアルヴァン様がこちらへお着きになります。相手方から何か動きがあるかもしれませんので、しばらくの間、手の者を城下街に潜入させておきますが、私は長居すると目立ってしまいますので、明日にでも王都へ戻ろうかと……」


****************************************


 ウェスタ侯爵家の若君アルヴァンを乗せた馬車の一行は、厳重な正騎士団の警護を受けつつ、その日の夕方近くにウェスタ城に入城した。物心つく頃からずっと王都暮らしだった若君の帰郷は、本来盛大な歓迎を受けるべきであるが、今回は目立たず密やかに何事も無かったかのように行われたのである。


 そして、入城後直ぐにアルヴァンは祖父である侯爵ガーランドへ挨拶に出向いた。


 御側係りのゴールスのみを連れて祖父と面談した訳だが、部屋に入ると、突然その御側係りのゴールスが侯爵の前に両膝を付く。慌てて止めさせようとするアルヴァンの制止を振り切ると額を石の床に打ち付けるように擦り付けると


「大殿様! 今回の件、責は全てこのゴールスにありまする。まだお若い若君が殿の不興を買ったとあれば、それは御側係りの私の責任であります! 私めも愚妻共々、どのような御処分を頂いても構いません故、何卒殿の御不興をお執成とりなし頂きたくぅ。お願い申しあげます――」


 後半は涙声である。ゴールスの妻は元々アルヴァンの母親の侍女であった。それに対してゴールスは一介の兵士であったのだが、二人の恋仲に気付いたアルヴァンの母親は、その二人の仲を取り持ち、夫婦となる事を認めてくれた。以来ゴールス夫妻はアルヴァンの母親に忠義を尽くすが、そのアルヴァンの母親はアルヴァンを産んだ後、産後の肥立ちが悪く、そこへ折からの流行り病に襲われ若くして亡くなってしまった。


 同じ時期の流行り病で我が子を無くしたゴールスの妻は、赤子のアルヴァンの乳母となり、夫である自分も御側係りに取り立てて貰った。それ以後、アルヴァンの母親への忠義心はそのままアルヴァンへの忠誠心へ変り、我が子を愛するような愛情を持って仕えてきた。その御恩をこのような最悪の形で返してしまった自責の念から、その顔は憔悴しきっている。


「止めないか、ゴールス!」


 一旦制止を振り切られたアルヴァンは、額を床に押し付けたまま号泣するゴールスの襟首を掴むと、グイと引っ張り上げる。その様子を見ながらガーランドが口を開く。


「ゴールス……お前がそんな風では、我が孫アルヴァンは誰を頼みにすれば良いのじゃ? しっかりせんか! 今回の件、ブラハリーの意図は儂もさっぱりわからんが、当主が『廃嫡』すると言っておるのじゃ、従うのが臣下の務めであろう。その上で御側係りとしてアルヴァンを支えるのがお主の勤めじゃ、忘れるでないぞ」


 侯爵の言葉に平伏するゴールスであった。ガーランドとしては、ゴールスに言って聞かせる他にも、扉の向こうで聞き耳を立てているであろう家臣達にも聞こえるように、と話している。昨日の内にも、この話は一部には伝わっているだろうが、これで決定的に城内に伝わるだろう、と思う侯爵であった。


「さて、アルヴァンや、暫く見ない間に大きくなったな。王都の話など色々聞かせておくれ。疲れたであろう、夕食の支度をさせてある、一緒に食べようではないか」

「……はい、おじい様」


 ブラハリーの嫡男アルヴァンは今年で十五歳、今回の騒動が起こる迄は王都のアカデミーに通い文武等しく研鑽を積む日々であった。父親譲りの生真面目な性格であり、文武の才に秀で周囲からは未来のウェスタ候領を背負って立つ若君と期待されていた。一方で祖父の血を引く影響か、情に篤く、没落してしまった貴族の子弟らや、平民らとも分け隔てなく接し、その人柄はアカデミーの他の学生からも信望を集めていたのだった。


 そんなアルヴァンであるから、家中の者からの人気も高く、今回突然当主のブラハリーがアルヴァンを『廃嫡』にすると言いだしたものだから一同騒然となったものである。当のアルヴァンは、事前に父やジャスカー等ごく限られた数名と今回の件の筋書きを打ち合わせしていたのだが、その胸中でどういう感情の動きが有ったのか誰も分からない。ただただ、腑抜けたように塞ぎこんでいる状態である。


 この日の夕食で、我が孫のそんな様子を見て取った老侯爵は、


(やはり、若いうちは小難しいことを頭で理解するよりも、身体を動かして発散するほうが良いな、儂もそうだった。それに、その方が相手の出方を掴みやすいわ……)


 そう決心すると、夜遅くにも関わらず自書した手紙をアント商会のジャスカーが残していった「つなぎ」へ届けさせたのだった。

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