Episode_02.04 異変の報せ
第一城郭内の一際高い建物は、白色の漆喰で内外を塗られており、赤茶色の焼きレンガの屋根を頂く、美しい景観を持っている。城の中心部でもっとも防御の堅いこの建物の主は、数年前に家督を譲り受けた当主のブラハリー・ウェスタであるが、長らく留守を続けている。ウェスタ候領の当主は、その大きな軍事力をリムルベート王国へ提供しており、先代から当主はリムルベート王国第二騎士団の司令官に任じられている。当主のブラハリーもそう言う理由で、所領のウェスタ城へは滅多に帰ることが出来ないのだ。近年はノーバラプールが都市を挙げて、リムルベート王国から離反する動きを見せており、軍事的な緊張が高まっているため、尚更多忙なようであった。
そう言った事情で、当主ブラハリーの留守をしているのが先代当主で周囲から
七十一歳の高齢故に最近は馬に乗る事も甲冑を身に着けることも無くなったが、頭脳はシッカリしており、息子の留守をしっかりと守っている。未だに爵位を冠しているのは、家督をブラハリーに譲る際に爵位の移譲もリムルベート王ローデウスに願い出たところ、
「ウェスタ候は、同じ年寄りの儂を残して、先に隠居するつもりか? それは不公平だから、爵位の移譲は認めんぞ。儂が無事に息子へ王位を譲るまでは、爵位くらい持っておれ」
と、はっきり拒否されたためである。
ローデウス王との逸話が示すように、ウェスタ侯爵ガーランドとローデウス王は昔から非常に親密な関係を保っている。ローデウス王が幼い頃より親交があり、即位前の王を大いに助け、更に即位後は東の隣国コルサス王国の動乱を受け、俄かに動揺が広がる東部の独立都市に対する軍事支援の先頭に立つことで即位間も無い王を助けたのだ。細かい功績まで数え上げると切りが無い程である。
そのウェスタ侯爵が執務を行う部屋で、素朴ながら頑丈な造りの樫の執務机に向かう侯爵ガーランドは部下の報告に耳を疑っていた。
「もう一度聞くが、『廃嫡』と言っておるのじゃな?」
普段は温和な老人という風情の侯爵ガーランドには珍しく、その声には詰問するような厳しい響きが籠められている。執務室には、家宰ドラウドともう一人、甲冑姿の老年騎士が直立不動で立っている。ガーランドの質問は、この老騎士に向けられたものだ。
「はい、殿はハッキリと若君を『廃嫡する』と仰られ、その許しを大殿から頂戴するようにと仰せでした。すでに、若君アルヴァン様は王都を出立されこちらに向かっております」
そうハッキリと報告するのは、ウェスタ領正騎士団の実力者ガルス・ラールスである。
ブラハリーの書状を代読した家宰ドラウドはガルスへ疑問をぶつける。
「しかし、ガルス様。この書状には、『品行悪く礼儀をわきまえること覚えず、勉学に興味を示さず、よろずの事に粗相なれば、末はウェスタ家の家督を継ぐに能わず』云々と書かれているが、具体的にどのような『しくじり』事が有ったのか分かりませんな」
対するガルスも
「私も、正直思い当たる所が無いのだ。若君はまだ十五、若さゆえに力が余って殿のご不興を買う事もあったかもしれぬが、その性情は芯の所で極めて明朗。若いながらに家臣を思いやる心根は優しく、王都の邸宅では大変な人気であった。そのことは当然殿もご存じであり、一人息子の若様の成長を日々楽しみにされていたのは紛れも無い事実。今回の事は、私にはさっぱりわからんのだ……」
と答える。
二人のやり取りを聞きながら、侯爵ガーランドは皺立った両手で眉間の辺りを揉み込むようにしている。
「最近、殿になにか変った所は有りませんでしたか?」
と聞くのはドラウドである。
「さぁ、しかし、若君に冷たく接するようになったのは丁度今年の冬頃からだったな。王都の邸宅に賊が侵入した事があったであろう。丁度その後からだな」
ガルスの言う出来事とは、今年の初め頃にあった事件のことである。真夜中近くに十名程の盗賊が、王都にあるウェスタ侯爵家の邸宅に押し入ったのである。丁度居合わせた下男と、折り悪く邸宅に滞在していた若君アルヴァンの親友が斬殺されたが、アルヴァンは寸前の所で難を逃れ、異変に気付いた護衛の騎士達によって賊は返り討ちにされたのである。
取り逃がした数名を除き、賊はその場で討ち取られている。
ドラウドとガルスの問答を聞きながら、懐から眼鏡を取り出した侯爵ガーランドはドラウドから手紙を受け取ると、目を通しはじめる。如何にも我が子ブラハリーらしい実直さが滲み出る文面である。
(なるほど、確かに決定的な理由が書かれておらんな……ん? これは……)
ガーランドは、手紙の末尾にあるブラハリーの署名に「ある徴」を見つけると、そのまま固まったようにしばらく思考を続ける。
特に思い当たる出来事を聞き出せないドラウドと、思い当たる出来事が無いガルスは会話を止めると、侯爵の様子に注目する。
やがて顔を上げたガーランドは、
「『廃嫡』云々の件は暫く儂が預かり置くと伝えよ。良いな」
眼鏡を外しつつ、そうガルスに命じる。姿勢を正し「御意」と答えるガルスに
「お主も、久々にこちらへ帰って来たのであろう。屋敷には顔を出したのか、娘子にも久しく会っておらぬのではないか?」
と気遣う声を掛ける。対してガルスは、照れ笑いを浮かべつつ、
「いやはや、勿体ないお言葉を頂戴しました。城下の屋敷には少し顔を出した後に、王都へ向かうつもりであります……しかし娘に会えば会ったで、いつまで一人身のままのつもりか、嫁げ、嫁がぬで喧嘩になるのがオチでございまして……最近は益々亡き妻に面影が似て来て、行き遅れでもありますので、このまま手元に置いておこうかと半ば諦めの境地でございます」
普段は質実剛健を是とするガルスが相好を崩して語る娘とは、第十三哨戒部隊の隊長、ハンザ・ラールスのことである。厳めしい顔つきで、他家の騎士達からも「中将」と綽名される豪胆な騎士であるが、愛娘ハンザの事となると饒舌になる。
「ハハハ、猛将と名高いガルス中将と言えども、娘子には手を焼くか、ハハハ」
その後、しばらくしてガルスは執務室を後にした。執務室に残されたドラウドも、若君アルヴァンを迎え入れる準備のため退室しようとする。
「それでは侯爵様、若君の受け入れ準備に掛りますので失礼します」
「ああ、待てドラウド。ジャスカーから何か……そうだ面談の申し入れ等は無かったか?」
そう尋ねられ、ドラウドはすっかり髪が薄くなった額に手をやると、ポンっとそれで頭を叩く。
「申し訳ありません侯爵様、実は今朝ほどアント商会から遣いの者が参りまして、ジャスカー殿が明日から数日城下に滞在するとのことで、折を見て侯爵様にご挨拶なさりたいとのことでした。しかし、何故それを?」
それを聞くと、ウェスタ侯爵は満足気に真っ白になった口ひげを撫でつける。
「いやいや、歳を取ると勘が働くようになるのじゃ。そうか、来るか……ジャスカーの遣いの者には、いつでも会うと伝えよ」
「ははぁ」
執務室を後にしたドラウドは、らせん状の石階段を降りながら
(それにしても、なんで面談のことを知っていたのだろう?)
と首を傾げるのだった。
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ウェスタ候の城下街 ――ウェスタ―― は、近年の流の民流入もあり、近隣の農村を含めると優に七万人の人口を抱える大地方都市である。王都に続くテバ河の水運と東西に続く大きな街道が交差する場所にあり商業が活発であるが、南には肥沃な農地が広がっており穀物の生産高も大きい。街は、テバ河の西岸の天然の丘に聳えるウェスタ城を中心に河岸へと続く土地に広がっている。城に近い丘側に身分の高い者や、裕福な者の住居が広がり、河岸に近付くにつれて、各神殿、商家、一般の住宅、長屋、市場、繁華街、人足寄場、船着き場と広がっている。
第一城郭の侯爵居館を後にしたガルスは、一旦正騎士団詰め所に寄ると幾つかの件の報告を受ける。元々、当主のブラハリーに帯同して王都勤めをしているガルスであるから、ウェスタ城下の正騎士団本部には余り仕事が無い。早々に切り上げると詰め所を後にしたのが正午を幾らか回った時間帯であった。
(昨日は、哨戒騎士団に顔を出していたということだが……まぁハンザのことだ、どうせ屋敷で剣の稽古でもしているだろう)
と思い、丘側の道を進むガルスである。親の心子知らずな娘であるが、可愛い我が子である。右手に抱えた土産の包みを持ち直しつつ、丁度良く哨戒部隊の休暇期間に家に帰れて良かったと思う。
そうこうするうちに、屋敷に着いたガルスは、門を潜ると中へ入っていく。
「いま戻ったぞ」
その声に反応して、年老いた下男が表に出てくる。
「これは、これは、旦那様。いつお戻りでしたか?」
「ああ、今朝早く着いたのだが、お城に用事が有ってな。だが、直ぐに王都へ戻らねばならない」
下男の後ろからは、同じ程歳を取った老女がやってくる。
「旦那様、お帰りなさいまし」
「おお、いま戻ったぞ。お前達も元気そうで何よりだ……ところでハンザは居るのか?」
「はい、お嬢様でしたら、裏庭で何時ものように……」
ガルスは、屋敷の周りを回ると、裏庭へ出る。
「おーい、ハンザ。いま戻ったぞ」
相変わらずに剣の素振りをしていたハンザは、その声に気付くと振り向く。
「まぁ、お父様。お帰りなさいまし」
「まったくお前は、幾つになっても剣、剣、け……」
お決まりのセリフを言い掛けて途中で止めてしまったガルスの目が点になっている。その視線に気付いたハンザは、照れ隠しのように俯くと、
「なにか、変でしょうか……やっぱり?」
ガルスが驚き、ハンザが照れているのは、ハンザの髪型である。以前は、すこし伸びると「邪魔だ」といって切ってしまっていた髪が、今は伸ばされ、丁寧に櫛も当てられているようである。それを朱色の紐で束ねている。
「いやいやいやいや、変では無いぞ、変では無い……」
実際、初めて見る女らしい我が子の姿に面喰ったガルスは、土産物の包みをハンザに差し出す。中身は、王都で買い求めた絹の生地である。これまた、これまでは「父上、私はこのような物は好みません。同じく金貨をお使いならば、いっそ山ドワーフ国製の短剣等の方がよっぽど嬉しく思います」と散々なことを言うのであるが。
「まぁ、綺麗な青色。父上、ありがとうございます」
そう言うと嬉しそうに、屋敷の中に入っていったのだった。
「……なんだ、あれは?」
茫然と呟くガルスの後ろから老女が答える。
「ここ、一年位ですかね。丁度、お嬢様が北の樫の木村の事件でお手柄を立てられた頃から、徐々にあのように……」
「い、医者には診せたのか?」
「何を申されますか、お嬢様はもう二十五歳。普通ならば、嫁いでお子の一人や二人はもうけている年頃でございますよ。お母君がいらっしゃらないから、女子の身を自覚されるのに時間が掛っただけでございます」
この老女、中々ズバズバと物を言う。
「……もしや、誰ぞ好いておる男がおるのか!」
「旦那様、そのような詮索はよろしくありません。色付き始めたといえ、まだお嬢様は新芽のようなもの。変に詮索されると、折角の新芽が落ちてしまいます。ここは、この婆にお任せください」
なかなか、怖いことを言う。そう言われると、ガルスは続けることが出来なくなる。
(まぁ、そんじょそこらの男よりも強いハンザの事だ、何があったとしても、間違いは起こらんだろう……)
そう自分に言い聞かせるのが精いっぱいであった。
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