Episode_02.03 医務室の密談
それより少し前に、医務室に辿り着いた二人は、医務官の治療を受けていた。強めの打撲のみのユーリーに比べると、ヨシンは重傷であり診察の結果、鼻の骨が折れている事が分かった。筋骨逞しい身体に坊主頭のという、凡そ医者には見えない外見の医務官の指示通りユーリーがヨシンを押さえつけると、医務官は問答無用で金属製の棒をヨシンの鼻に突っ込むと曲がってしまっていた骨をグイッと元の真っすぐに戻す。余りの激痛にヨシンの上げた悲鳴が廊下に木霊する。
「ギャーーー」
その後、鼻に木製の当て物をして包帯で顔をぐるぐる巻きにされたヨシンと、剣の跡が肩から背中にくっきり残る程の打撲跡に湿布を貼られたユーリーがぐったりしている所へ、第十三哨戒部隊の隊長ハンザがやって来たのだった。
ハンザは、今朝から副長のデイルとともに哨戒騎士団の建物を訪れていた。目的は来月からの哨戒任務の予算が承認された事の確認と各種の準備、及びデイルの新兵訓練指導だった。ハンザとしては、昼過ぎまで待たされたが無事予算の承認を受け取ることが出来たので、そこで帰っても良かったのだが、デイルが訓練を指導する様子を見てみたいという好奇心があり、残っていたのだった。
そんな彼女は、詰め所の二階から遠巻きに訓練風景を見ていたのだが、早々に素振りを止めさせると、掛り稽古に入ったデイルに「おや?」と思う。しかし、新兵の中からヨシンが進み出たのを見て、なるほど、とデイルの意図を汲み取った。案の定、デイルはヨシンに対して、新兵に対してする稽古の範囲を超えた厳しさで稽古を付けていた。
「……大丈夫かしら……」
と思わず独り言を言ってしまう程だったが、最後の突きで跳ね飛ばされたヨシンの盾が顔面を直撃した時は、流石に「しまった!」という顔をデイルがしたものだから、笑ってしまったハンザであった。
ヨシンの後はやっぱり、あの子だろうと思って見ていると、やはりユーリーが次に進み出て対峙する。ヨシンの、突進して力いっぱいぶつかっていく戦い方と比較すると、ユーリーは頭を使って相手の裏をかこうとする戦い方である。デイルの左へ左へと回り込みながら、不意打ちに右足の蹴りを入れる戦法は中々のものだと思った。そして、どちらも「見込みがある」と思うハンザであった。
そんなハンザが医務室に入って来ると、負傷した新兵二人は慌てて直立し敬礼する。それを止めさせると、手近にある椅子に腰かけたハンザは二人に先程の稽古の感想を聞いてみた。
「お前達、デイルに相手をしてもらってどうだった?」
「デイルさんが強いのはよく知ってますけど、もうちょっと手加減してくれてもいいと思いました」
とは、素直なユーリーの意見である。横で喋り辛そうなヨシンが頷いている。
「ははは、二人とも、戦場では手加減してくれる敵など居ないぞ。弱い者から順に殺されていくんだ。今の状態で戦場に放り出されれば二人とも確実に死ぬと言う事だ。デイルは、そう言う事を二人に教えたかったのだろう」
以前のハンザならば、「馬鹿者! 戦場で手加減してくれる敵など居るものか!」と凄い剣幕で怒鳴り付けただろうが、この一年でまるで別人のように角が取れてしまい、まさに子供を諭す母か、弟に言って聞かせる姉のような語り方である。現に、二人の治療を終えて机に向かっていた厳つい顔の医務官が、驚愕の表情で会話する三人をチラッと見た程の変りようなのだ。
「でも……」
と、まだ何か言いたげな様子のユーリーの肩に手を置くと、ヨシンが
「ふぁかりまひた。もっとしょうちんひまふ(分かりました。もっと精進します)」
と言う。
その返事にハンザはウンウンと満足気に頷く。そこへユーリーが質問した。
「ハンザ隊長もデイルさんも、とても強いですけど、どうしたらそんなに強くなれるんですか?」
横で、ヨシンがしきりに頷いている。
「そうだな、デイルの場合は、パーシャに聞いた話では、哨戒部隊に兵士として配属された頃はそれほど強いという訳では無かったらしいが、とにかく、練習ばかりしている上に、暇さえあれば稽古を付けろと付き纏ってきたそうだ。それだけ、真面目に練習したと言う事だろう」
素直な二人は、「強くなるには練習第一」と心に刻み込むと、お互いを見合わせて頷き合う。一方、扉の向こうで聞き耳を立てるデイルは赤面しつつ、
(パーシャさん……そんなことをハンザ隊長に言ってたのか)
と恨めし気に思う。隊長に、いや隊長だろうが何だろうが、好意を寄せる女性に変な事を吹き込まないで欲しいと抗議したいところだ。恥ずかしくて、これ以上立ち聞きするのは無理だと感じたデイルは、医務室の扉前から立ち去っていった。
一方、室内では更に会話が続いている
「しかし、訓練課程の新兵を怪我させたのは問題だな……そうだな、デイルには今度お前達が休みの日に食事でもご馳走
ハンザの言葉は、ちょっとした悪戯心からであるが、デートの口実を作ったわけだ。案の定、ユーリーが
「それじゃ、ハンザ隊長もご一緒してください」
と言う。隣でヨシンが無言で万歳三唱している。
「……そうか? うん、仕方ないなぁ」
と渋々承知するように見せかけつつ、内心はガッツポーズのハンザである。
(ほんと、私この子達好きだわ)
と思うのであった。
それからしばらくして、ハンザ隊長が医務室を後にする。デイルは既に、詰め所のある建物の入り口でハンザを待つ格好を取り繕っている。そこへハンザがやってくると。
「あ、デイル副長。私を待っていたのか?」
「まだ、お帰りで無いとのことでしたので……お嫌でしたか?」
「い、いや……いやいやいや、嫌と言う事ではない」
と、少し慌てるように言う。頬が赤くなるのを感じるハンザは、今が夕暮れ時で良かったと思う。
(任務中は良いのだ、任務があるから普通に喋れるのに、それ以外で会うとホント私って駄目だな……)
というのが彼女の本音だ。二十五歳にもなって、乙女のように照れる自分を非難したい気持ちなのだ。
「あの、どうかしましたか?」
一方のデイルも、内心はハンザと似たようなものであるが、任務以外でも「副長」という立場に徹することで平静を保っている。
「いや、何でもない、さぁ帰ろうか」
勿論、帰る先は別々の場所である。
第二城郭の正門をくぐり、ウェスタの城下街へ向かって伸びるなだらかな坂道に二人の長い影が伸びている。前を歩くハンザは斜め後ろから付いてくるデイルに声を掛ける。
「今日の訓練だが、あの二人はどうだった?」
「周りに新兵や教育課の兵士しか比較する者が居ないので、さぞかし増長しているだろうと思い、少し痛めつけてやろうと思っていたのですが……」
「うん」
「元々がヨーム村長の剣の教えだからでしょうか、増長している様子はありませんでした」
「ほお」
「見習い騎士の中にも、あれくらいの腕前の者は居ると言える程度に上達していました」
「それで、手加減を誤り、やり過ぎたのだな……」
「はぁ……見ていたのですか……申し訳ありません」
「いいさ、領兵団が文句を言ってきても構う事では無い。だが、厳しく叩きつけるような指導だけでは片手落ちになるぞ、上達したと言っても中身は十五の少年だ」
聞いているデイルは、全くその通りだと思う。しかし、もしもこの発言を他の第十三哨戒部隊の古参の面々や元副長のパーシャが聞いていたら。
「お前が言うな!」
と全員で抗議するところであろう。しかし、この場にはお互いの想いを秘め合った男女しかいない。ハンザは意を決するように、一度肚に力を入れるとまるで決闘を申し込むようにデイルに声をかける。
「そ、そこでだな、デイル副長の深い考えを彼らに説明する機会を設けたいと思いだな……その、今度彼らの休日に食事に誘ってやれ。あと、彼らがどうしてもと言うから私も同席するが、良いな?」
「え、隊長もご一緒ですか? 喜んで!」
斜め後ろから、デイルが弾んだ声で応じる。
「そ、そうか。じゃぁ、段取りはお前に任せるぞ」
そう言うと、スタスタと先に進んで行くハンザである。
第十三哨戒部隊において、隊長と副長を除くほぼ全部隊員の最大の関心事は、この如何にも朴念仁な二人の不器用な恋の行方である。これは、前任副長のパーシャから厳命されていることだが、
「決して、あの二人をその手の話でからかってはならない。極力そっとしておくように」
という命令を全員忠実に守っている。だが一方で、「今回の休暇期間中にあの二人がどれだけ親密になるか」が部隊内で賭けの対象になっているのである。
参加した人数の約四分の三が「変化無し」に掛けたが、残り四分の一は希望を籠めて「口づけ位はするだろう」に賭け、大穴狙いの数人が「男女の仲になる」と賭けたのだった。賭けの行方を左右する休暇は残り一月を切っていた。
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医務室を後にした、ユーリーとヨシンは兵舎に戻ると他の新兵達と合流していた。何人かの新兵が、特に大げさな包帯巻きになって帰って来たヨシンを心配して話かけてくる。ヨシンは、喋り辛そうにそれらに応じるが、酷い鼻詰まり声が周囲の笑いを誘っていた。
それから、兵舎の食堂で全員一緒の夕食を済ますと、基本的に翌朝の起床時間までは各自の自由時間となる。自由時間といっても、城郭の外に出ることは許されておらず、各自割り当てられた兵舎に戻ると消灯時間迄過ごし、その後は就寝である。厳しい訓練に疲れ切った新兵達の中には、消灯時間前に眠りはじめる者も多い。
ユーリーとヨシンは、割り当てられた十人部屋に他の新兵達とともに寝起きをしている。夕食が終わった今は、大部屋に戻り、他の者と談笑しているか自学しているかという時間である。
「ヨシン、鼻どう?」
ユーリーは、最近村から届いた養父直筆の魔術書を読みながら尋ねる。
「うん、大分良くなった」
そう言うヨシンは、先ほどに比べると随分楽そうに話している。皆の見ていないところで、ユーリーに「治癒」の術を掛けて貰ったのである。神蹟術の治癒と異なり、魔術による治癒は、本人の持つ自然治癒力を増強する付与魔術の一種だ。ユーリーが使えるのは、その極初歩的な物であり、村を旅立つ前に「これくらいは覚えておくのじゃ!」と養父のメオン老師に叩き込まれた術の一つである。
ヨシンは、腕を枕にベッドに仰向けで寝転んでいる。何事か考えているようだが、ガバッと突然起き上がる。そして、
「あー! 悔しいっ」
突然の大声にユーリーはびっくりした表情で親友を見る。近くのベッドの相部屋の仲間も同様の表情でヨシンを見ている。
「なぁユーリー、ちょっと……」
そう言うと、ユーリーを連れて大部屋を出る。多分、稽古をやり足りないから付き合えって言ってくるだろうな、と予想するユーリーの想像通りに
「まだ、消灯時間まで時間があるから、ちょっと稽古に付き合ってくれよ」
とのことであった。
屋外の練兵場を取り囲むように哨戒騎士団の厩舎が並んでおり、その奥の城壁に張り付くように建っている建物が屋内の訓練所である。基本的に昼間のみ使用されているのだが、それは灯りとなる燃料を節約するためであり、夜に使用してはいけないという決まりは無い。二人は人気の無くなった屋内訓練場に入り込み、これまでも何度か「特訓」と称して二人で稽古をしていたのだった。
昼間の訓練で使用した木剣と円形盾が壁際に並べられており、それを其々に持つと、深めに砂を敷き詰めた訓練所に入っていく。ユーリーが灯火の術を発動すると、明るい光の玉が空中に浮かび上がる。
「なぁ、ユーリー。あの何て言ったっけ、強くなる術。それを掛けるヤツでやろう」
「えー、良いけど……その後は交代だよ」
そう言うと、ユーリーは最近覚えた「
灯火の魔術による、白っぽい明りの下で、二人の親友は対峙する。お互いに盾を前に出し、剣を腰だめに構える標準的な防御の構えである。木製の円形盾が、持ち主の身体の重要な急所を隠している。二人は同時に円周を右側へ、相手の盾の裏側に回り込もうと動き出す。先に仕掛けたのは、強化術で自分を強化したユーリーである。今日の昼にデイルに仕掛けたように、ヨシンの盾に突進すると、盾がぶつかり合う手前で、相手の左へステップする。
昼とは違い、強化されたユーリーの動きは素早いもので、アッと言う間にヨシンの側面を捉えると、木剣を突き入れる。対するヨシンは、盾の縁でその攻撃を強く弾き飛ばすとユーリーの盾の上から抉るように剣を突き入れてくる。その剣が身体に届く寸前の所で、ユーリーは盾を跳ね上げるように動かすと、ヨシンの剣の柄頭を盾の縁にひっかけて、剣を手から剥ぎ取ろうと盾をこじる。何とか剣を離すまいと頑張るヨシンの体勢は伸びきり、半ばユーリーの盾に寄りかかるようになってしまう。
「えいっ!」
ユーリーは体勢の崩れたヨシンを盾で下から掬うように持ち上げると、気合いとともに投げ飛ばした。勿論身体強化術による強化がなければ、こんな豪快な真似はユーリーには無理である。
「うゎ!」
投げ飛ばされたヨシンは、砂を深く敷き詰めた床を転がる。
双方は何も言わず、元の場所に戻ると再び構えからやり直すのだった。身体強化の効果が切れる二十分間の間に、ユーリーはヨシンを攻めまくり何度も床に転がしていた。やがて強化術が切れると少し休憩を挟み、今度はヨシンに術を掛ける。
先程と同じように構える二人だが、ヨシンが先に仕掛ける。突進するヨシンはユーリーのように手前で横に逸れずに真っすぐ突っ込んでくる。
ガンッ
木製の盾同士がぶつかる鈍い音が訓練所に響く。強化されたヨシンの突進力にユーリーは後ろに跳ね飛ばされるが、何とかバランスを保ちつつ着地する。そこへ、勢いをそのままにヨシンが肉薄する。ヨシンは勢いが乗った重い斬撃をユーリーの上段へと打込むが、ユーリーはそれを巧みに剣の腹で受けると横に滑らせるように受け流す。
右手の剣の勢いを殺がれたヨシンは、続けて左手の盾を殴るように繰り出す。ヨシンの盾による殴打を慌てて盾で受け止めようとするユーリーだが、素早いヨシンの動きに間に合わず、胸の辺りを盾で殴られる。衝撃によろめきながら数歩下がると尻もちつくユーリーに対して、ヨシンはそれ以上追わずに、元の場所に戻ると構え直す。
無言で、元の場所に戻るユーリー。両者は再び構えると、お互いに切り掛る。やはり強化術の恩恵のあるヨシンが終始有利に進めると、ユーリーは何度か剣で打たれたり、突き飛ばされたりした。そう言った激しい稽古が二十分続くと流石に両者バテてきたのか、荒い息使いが練習場内に響く。
「はぁ、はぁ、どう、ヨシン。すっきりした?」
「はぁ、はぁ、うん。でもやっぱり、デイルさんに稽古して欲しいね」
確かに、お互いを強化術で強化しても、仮想デイルという訳にはいかない。
「つぎの休みって、十日後だっけ?」
「いや、二週間後だったと思う」
「じゃぁ、その時に改めて稽古付けてってお願いしてみようか」
「そうしよう! 今度は強化術有りにしてもらったら勝てるかも」
甘い見込みを言うヨシンにユーリーは笑って
「強化術使っても勝てないだろうなぁ」
と言う。
「ハハハ、無理だろうなぁ」
ヨシンも同意する。騎士デイルの思惑通り「もっと頑張らなきゃ」とお互いを励まし合う二人であった。そろそろ、消灯時間である。
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