Episode_01.16 樫の木村攻防戦Ⅱ


 村の西口で待機している木こり衆は、チラチラと川縁の方を気にしている。彼らの持つ長い木槍の先端がユラユラと動いているのが見える。先ほど送り出した三十人の応援は川縁に到着した頃だろう。ロスペもそちらの方がとても気になっているが、


「おまえら! 余所見するんじゃねぇ! 俺達の持ち場はここだ!」


 敢えて大声で怒鳴ると、気合いを入れる。兵士時代の経験から、兵の不規則な動きは隊に伝播し士気や統率に悪影響を与えることを知っているのである。十人一組で班として、七班七十人の木こり達に対して号令する。


「整列だ! 点呼始め!」

「応!」


 ヨームの訓練が行き届いているためか、ロスペの怒鳴り声が強烈だからか、木こり達は整列すると点呼を始めた。


 そんなやり取りの後ろで、メオン老師は一旦中断した術に取り掛かる。「城壁ランパート」の術である。付与魔術系統と変性魔術系統の複合術で、文字通り城壁等の壁に不可視の魔力壁を生成し物理的に強化する術だ。彼の使える術の中でもかなり強力な部類で、従って魔力の消費量も飛び抜けて多い。そのため、今回は魔石に閉じ込められた魔力マナを消費して発動する。


 起想を終えたメオン老師の眼前には、複雑で大きな魔術陣が展開している。複合術は複数の魔術陣を同時に起想し、其々別の魔術理論ロジックによって展開し発動に漕ぎ着けるものである。複数系統の術を合わせて非常に有効な効果を発現できるが、言うまでも無く非常に難解で高度な術である。


 やがて、ズゥゥンと低い振動を響かせて「城壁」の術が無事発動する。魔力を見ることが出来る者には、村の土壁が白っぽい燐光を放って見えるはずである。


「ふう」


 メオン老師は溜息を付くと、左手に握った魔石を見る。先ほどまで紫色の光沢を持った石であったが、今は砂を押し固めてできた、石ころ同然の外見になっていた。そこへ、ヨーム村長が近寄ってきて声を掛ける。


「何かの術ですか、老師?」

「うむ、村の土壁を強化したのじゃ。これで、攻城槌で突かれても一晩は持ちこたえられるぞ」


 こんな、辺鄙な開拓村に攻城槌を持ちこんで攻めてくる酔狂な者など居ないだろうがな、とメオン老師が付け加える。しかし、そんなメオンの冗談めかした言い回しに、


「このまま、黒屍犬デスハウンドの襲撃だけで終われば良いのですが……」


 と、答えるヨーム村長は心配気な様子だった。


**********


 ルーカは樫の木の上に留まりながら、農夫達の投石隊に指示を出しつつ弓による攻撃を続けている。もう一匹を屠り、六匹にまで数を減らした黒屍犬デスハウンドの一団は、既に間接射撃が可能な地点を通過して土壁の切れ目に到達している。足元がしっかりした地面に代わってからは、けものの俊敏さを取り戻し、投石による曲射はなかなか命中しなくなっていた。


「投石を一旦中止! 直接射撃に切り替える。合図をしたら一斉射し、その後は後退しつつ射撃を続ける!」


 ルーカは樫の木の上に留まるつもりである。四つ足の獣ならば、簡単にここまで登ってくることは無いだろうし、自分が留まり注意を引き付ければ、農夫達の被害を減らせると考えたのだ。


「見えたぞ!」


 農夫の一人が叫び声を上げて指さす場所 ――壁と川の境目―― に、六匹の黒屍犬デスハウンドが姿を現した。馬ほどの黒い巨体、大きな頭部にはそれに見合う大きな黄色い犬歯があり、それらを剥いて此方を威嚇しながら近づいてくる。


 そんな恐ろしい魔獣の姿に農夫達の間にどよめきが起こる。やはり、間接的に見えない目標へ投石するのと、直接姿が見えるのでは、恐怖の度合いは大きく違うのである。


「怯むな! 放て!」


 ルーカはそう叫ぶと、先頭の一頭目掛けて矢を放つ。矢は魔獣の肩口に突き立ち、その様子に魔獣達は一瞬怯んだように歩みを止める。そこへ、ルーカの攻撃が呼び水となった他の農夫達も次々に投石を開始する。先程までの高い弾道ではなく、低い弾道で直接相手を狙うのである。


 数十発の石が一斉に殺到するが、魔獣達はパッと散開した。肩口に矢を受けていた一匹だけが、反応が遅れて数発の石の直撃を受けてその場に倒れ込む。しかし、他の五匹は石を投げ終えたばかりの農夫達目掛けて突進してきた。


 三十人の木こり達を率いたデイルが駆け付けたのは、そんな瞬間だった。


「うおおぉ!」


 寸前のところで間に合ったデイル達応援部隊が、気勢を上げながら魔獣達へ右側から突っ込む。四メートル近くの長さの木槍を構えた三十人の木こり達に肉迫され魔獣達は慌てて距離を取った。


「投石隊は後ろで隊列を整えろ! 槍隊は二列横隊で投石隊の前へ!」


 デイルは指示を飛ばすと、自分も木槍を構えて隊の最左翼に立つ。木こり達はデイルの指示に従うと、一列十五人の二列横隊を完成させる。


「構え!」


 デイルの号令で、一列目が槍を腰の高さに構え二列目が槍を振り上げた状態で保つ。規模は小さいが立派な槍衾やりぶすまの隊列が完成していた。


(……哨戒騎士団ウチの歩兵より錬度が高くないか? 流石はヨーム村長だ!)


 デイルは場違に、感心していた。その隊列の後ろでは、投石部隊が体勢を立て直しつつあった。魔獣の突進に驚いて転倒した者が数名負傷したようで、負傷者は広場の方へ後退していく。


 一方、五匹の黒屍犬デスハウンドは槍衾と距離を置くように対峙する。そこへ槍隊の後方から態勢を立て直した投石部隊の投石が再開される。投石と背後から撃ち込まれる矢、目の前の大勢の人間、本来ならば獰猛な魔獣でも逃げ出すはずの状況だ。しかし、魔術的な拘束力によって前進することを強制された魔獣達は一斉に槍衾に飛び込むように突進してくる。


 先頭の一匹が木槍二本をまともに身体の正面に受けながら更に前進を続ける。その突進力に前列の押し込まれて後退するが、その後ろからは、後列の槍が魔獣の黒い身体に叩き付けらえる。バンッ、バンッ、と鈍い音を響かせながら、繰り返し叩き付けられる打撃を受けて、とうとう先頭の一匹はその場にへたり込んだ。


 しかし、その一匹が隊列を崩した箇所に残りの四匹が突進してきた。四匹の魔獣は、再度木槍を構えようとする前列の木こり達を次々に薙ぎ倒すと、牙をむき、後列を威嚇する。そして、一匹が倒れた木こりに噛みつくと、首を振り回しその身体を前列の他の木こり達に向けて放り投げる。仲間の身体がまともに直撃し、さらに二人の木こりが吹っ飛ばされた。そんな魔獣の攻勢に、一瞬で槍隊の隊列は中央部を崩されると混乱状態に陥っていた。


「慌てるな、距離を取って包囲しろ!」


 デイルは、声を上げると最後尾の黒屍犬デスハウンドに横から向かっていく。木槍を高く振り上げて、突き刺すのでは無く上から叩きつけるように渾身の一撃を喰らわせる。木槍は唸りを上げて振り下ろされると、獣の背中に直撃し、バキッっと音を立てて折れた。


 人間ならば確実に即死となる打撃の直撃を受けた黒屍犬デスハウンドはグッと身を仰け反らせるとデイルの方に向き直った。そこへ肉迫したデイルは、既に愛剣バスタードソードを抜き放っている。


「ッ!」


 デイルが声にならない気合いを発して愛剣を獣の胸に突き込むと、黒屍犬デスハウンドは身体を痙攣させてその場で倒れる。ドス黒く熱い返り血を浴びながら根元まで突き刺さった愛剣を引き抜いたデイルは、木こり達の方を気にする。しかし、そんな彼を左右から挟み撃ちにするように二匹の黒屍犬が近寄ってくる。一方、デイルはその二匹の向こう側に居る十数人の木こり達が、何とか体勢を立て直し逆襲に出ようとするのを見ていた。


(よし!)


 なんとか総崩れになることを防げたことに満足すると、デイルは近寄って来る二匹に意識を向ける。黒屍犬デスハウンドという魔獣は本来並みの騎士では手に余る敵だ。遠距離攻撃を主体として戦ったからこそ、ここまで数を減らすことが出来たのだ。そう考えるデイルは強敵を相手に覚悟を決める。


(せめて、どちらか一匹に一撃でも……)


 二匹の魔獣は連携してデイルとの距離を詰めてくる。その様子に意を決したデイルは、盾を構えると右側の相手に狙いを定める。


(左からの攻撃は盾があるため一撃で致命傷にはならないはずだ……ならば、右の方へ攻撃する時間は充分あるか……)


 そう決心して自分から飛び込もうとするデイルだが、ふとあることを思い付いた。そして、上手くできるか分からないが、その案を試してみることにした。


 デイルと対峙する二匹の黒屍犬デスハウンドは、飛び掛かる機会をうかがっているようだ。魔犬種ハウンドという系統の魔獣は知能が高い。群れで狩りをすることが基本である彼等は、人間を襲うときも同様に連携する。


 それに対して、デイルはわざと愛剣を左側の一匹に向けると一歩踏み出した。敢えて隙を作ったのだ。突然間合いを詰められた左側の一匹は飛び退くが、逆の右側の一匹がそれを隙だと思い、飛び掛かる。獣の頭脳では、デイルの動きを誘い・・と見抜けなかったのだ。


 前足を突き出して自重でデイルを押し倒そうと飛び掛かってくる巨体を、素早く後ろへ一歩半分大きくステップしてそれを躱したデイルは、すれ違いざまに愛剣を下から掬いあげるように振り抜いた。


カンッ


 とやや乾いた音と独特の手応えが右手に伝わってくる。そして、デイルの斬撃で左の後ろ脚を断ち切られた黒屍犬デスハウンドは着地と同時にバランスを崩しその場に倒れる。


 一方、狙い通りに相手に痛手を与えたデイルであったが、無理な体勢からの一撃で大きく姿勢を崩してしまった。そこへ、もう一匹が飛び掛かってくる。逞しい前足の体重が乗った一撃を受けて、デイルは溜まらず後ろへ吹っ飛ぶ。金属鎧がガシャッと音を立てた。


 押し倒されたデイルは、なんとか身体を起こそうとするが、黒屍犬デスハウンドの巨体が身体の上に圧し掛かかり身動きが取れない。倒れた拍子に剣を落としてしまったデイルは反撃する手段を求めて腰の予備の短剣に手を掛けようとする。しかし、左手の盾を身体の下に敷く恰好で倒れた上に、右手に黒屍犬の前足が乗っているため両手が動かせない状態だ。


 一方、デイルを押し倒した黒屍犬デスハウンドは、もがくデイルの首筋に噛みつこうとするが、鎧の襟部分ネックガードと兜に邪魔されて歯が届かない。それでも執拗に牙を立てようと、無茶苦茶に頭を振る内に兜が脱げてしまう。


 べたっとした唾液と生臭い魔獣の息を感じながら。


(ここまでか……)


 とデイルが観念しかけた時――


 ドォオオン!


 轟音とともに文字通り大地が揺れたのである。


 デイルの上に圧し掛かっている黒屍犬デスハウンドはその衝撃に驚き、デイルを押さえつける力が緩んだ。デイルはその隙を逃さなかった。渾身の力で魔獣の巨体を下から蹴り上げると、自由になった右手で短剣を抜き、魔獣の胸へ突き立てる。短剣の刃は、肋骨の間をすり抜けると魔獣の心臓を捉え、致命傷を負わせていた。


ギャン!


 という断末魔と共に力を無くした魔獣の巨体がデイルの上にもたれ掛るが、そこから何とか這い出したデイルは周囲を見渡す。残りの黒屍犬のうち、無傷で残っていた一匹は、後頭部と胴に何本か矢を受け倒されて息絶えている。そして、デイルに左脚を切られた最後の一匹は、木こり達により包囲され、木槍を何本も突き刺され絶命したところだった。


(何とか、乗り切ったか……)


 そう思う間もなく、先ほどと同じ轟音と足元を揺らす衝撃が響いてくる。


 ドオオオン!


 木槍を持った木こり達も、投石部隊の農夫達も、皆同じ風に壁の上を差して驚きの声を上げている。何かと思い、デイルも壁へ目を向けた。


「なっ?」


 一瞬、彼は自分が見ている物体が何か理解できなかった。


 篝火に照らされた「それ」は、大きな人型をした泥の巨人であった。泥の巨人は、その巨大な腕を振り上げると、緩慢かんまんにも見える動作で拳を壁に叩きつけた。


 ドオオオオン!


 再び轟音が響く。茫然とそれを見上げる格好のデイルに、ルーカが駆け寄ってくる。


「クレイゴーレムだ! 俺達では歯が立たない。みんなをつれて広場まで退却するぞ!」


 そう言うと、ルーカはデイルの腕を掴み、移動することを促す。


「お、おう。そうだな!」


 まだ、状況を理解できたわけではないが、デイルはルーカの言葉に応じる。今は後退して、態勢を立て直す必要があることは確かだ。


「みんな、広場まで戻るぞ!」


 デイルとルーカは協力して、木こり達と農夫達をまとめると広場へ向かって移動を始めた。


**********


 ――それより少し前――


 フリタは集会場の屋上の端から川縁の方を見る。風の精霊が伝える感覚だと、おそらくあの辺りにルーカが居るのだろう。そう思い、背の高い樫の木の近く、壁に焚かれた篝火の手前辺りを見つめる。すると、ルーカの姿が篝火の明りに照らされて見えた。木から下りて、矢を回収すると、その姿は広場の方を目指して走り出していた。


 一方、ユーリーは壁の外の畑を見つめている。さっき、何か動いたような気がしたのだ。良く目を凝らして見ると、森の切れ目に人が立っているように見える。


「フリタさん、あれ。あれ人じゃない?」

「ユーリー、あんまり端っこに寄ったら危ないわよ」


 そう言いながら、フリタはユーリーの指差す方を見る。確かに何かが居るようだが、良く見えない。


(ルーカだったら見えるのにな)


 と思うが、こんな騒ぎの中で村の外に居る人影というのは何であれ見過ごせない発見である。ヨーム村長に伝えようかと思う。そして、もう一度遠話の術を発動しようと精神を集中しかけた時、その人影の周囲が一瞬だけ、キラッと赤く光った。


「今光ったよね!?」

「何かしら?」


 集会場の屋上で二人が疑問を交わしたその時、異変が起こった。


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