Episode_01.15 樫の木村攻防戦Ⅰ


 樫の木村の西口広場から更に西を見ると、広大な森林地帯が連なるなだらかな丘陵が広がっている。丘陵はやがて、北の方へせり上がり天山山脈の稜線に連なるが、その山々の頂きは遥か遠くに霞んでしまい大森林の縁にある樫の木村からは見ることが出来ない。月明かりの夜には銀色の光に照らされた木々は、弱くその光を反射して鈍い鉛色に見えるのだが、今夜のような新月の夜には、墨汁の塗り込めた暗黒の空間が圧迫感をもって迫ってくるように感じられる。


 もはや、山々の稜線と漆黒の夜空は境目を無くし、ただ目の前に暗黒の空間が広がっているようだ。夜目の利くフクロウでさえ羽を休める夜空で、黒いローブが風になびいたとしてもそれに気付く者は誰もいなかった。


 女魔術師アンナの身体を乗っ取り現世に蘇った古代の死霊術師ネクロマンサラスドールスは、浮遊レビテーションの術を制御すると森の木々の梢より高く浮かび上がり、眼下の小さな村を観察する。


 村では篝火かがりびかれ百人程の人間が動き回っている。明らかに襲撃を察知して警戒しているようであるが、アンナの記憶から、洞穴の外に立合い人が居たことを知っているラスドールスは特に驚く事も無い。どうにかして異変に気付き村に報せたのであろうが、百人程度の蛮族が守りを固めたところで、彼には特に障害と感じられなかった。


 彼の眼前、左手側は小高い丘になっており、どこか見覚えのある石造りの建物が見える。その建物から右手側の川に向かって土壁が連なっており、川縁で途切れている。土壁の途切れた箇所から川までは幾らか隙間があるようで、その隙間を警戒するように数十人の人間が配置してある。そこから視線を正面に向けると土壁の切れ目があり、そこが村の入り口のようになっている。障害物が設置されており、大人数がその後ろに待機しているのが見える。


(ふむ……やはり土人形クレイゴーレムで攻めるか……よし、そうしよう)


 彼は暫く考えた後、自分の立てた作戦に満足すると足元の森を見下ろす。森の木立が途切れ麦畑が始まる場所に、彼の忠実な死人の軍団と、強力な魔術で押さえつけられた魔獣の群れが潜み、彼の命令を待っている。


(それにしても……寒いな)


 晩秋の冷たい夜風が、遮るもののない上空にいる彼に吹き付ける。肉体を持っていた頃のわずらわしさをふと思い出すと、彼は苦笑いを口元に浮かべながら高度を下げ森の木々の中に消えていった。


**********


 ルーカは、川縁の大きな樫の木に登ると壁の外に広がる畑と森に視線を凝らす。村の壁よりも遥かに背の高い樫の木の中程で丈夫な枝に足を掛けた彼の視線は、先ほどから森の切れ目に釘付けになっていた。何かが動いたような気がしたのだ。微かに薄黄色の例の「瘴気」が漂っている気がする。


 ふと、森の暗闇が端から崩れるように動き出した。暗闇と同化した影がすっとバラけると、疾走する獣の輪郭になった。黒屍犬デスハウンドの群れが一斉に動き出したのだった。


「現れたぞ! 川縁に向かってくる!」

 

 ルーカの声を受けて、広場の方で半鐘が鳴らされる。


 ――カンカン、カンカン――


 足元からは、農夫達のざわつく気配が伝わって来た。彼らは投石紐スリングを準備して待機している。夜目の利くルーカの号令で投石を開始する手筈になっているのだ。


「まだだ、合図をしたら一斉に放つんだ」


 ルーカは黒屍犬の群れを視線で追いながら、木の下に向かってそう言うと、自分も弓に矢を番える。ルーカの視線の先にいる十匹の魔獣は、村の壁と距離を保ちながら畑を迂回するように進むと川に沿って此方に向かってくる。しかし、水位が下がりあらわになった川床のぬかるみに足を取られたようで、向かってくる速度はそれほど速くない。


(もう少し引き付けてからだ)


 農夫達の投石は壁の内側から外を直接狙うことが出来ないため、予め決めてある投擲目標に向けて投石する簡易的な曲射をすることになっている。ルーカは黒屍犬デスハウンドの集団がその目標地点に差し掛かるタイミングを見計らっている。


 その時ルーカは、不意に周囲の風が自分を中心に渦を巻く感覚を察知する。それは、彼の良く知った感覚であり、戦場でも日常でも最も信頼できる「相棒」の気配である。


『ルーカ、聞こえる? そっちはどうなってるの?』


 少し慌てた感じのフリタの声が耳元で聞こえてくる。フリタの使う精霊術の一つで、風の精霊の力を借りて離れた距離で会話をする「遠話テレトーク」だ。


黒屍犬デスハウンドが十、川沿いに此方へ向かってきている。こっちに人数をまわしてほしい」

『わかったわ』


 フリタはそう返事すると、一旦「遠話」を解く。ルーカの周りの風の動きが治まった。おそらく、メオンかヨームに連絡するのだろう。


 戦場では、状況の把握と伝達が非常に重要である。特に昔のルーカやフリタのように傭兵として戦場に参加している者達は、正規兵よりも戦況の変化に取り残されやすい。雇い主によっては、わざと、傭兵部隊を囮に使ったりする者もいるほどである。


 そんな戦場にあって、フリタの「遠話」によって危険な状況を伝達したり、同じ傭兵同士で連携し合ったりして、何度も危機を脱してきたものだった。


「ほんと、頼りになるよ……」


 ルーカは誰に語るでもなく呟いていた。


**********


 ルーカの「敵発見」の報せを受けて半鐘が鳴り響く村の広場では、ロスペを中心とした百人程度の木こりの男達とメオン老師、ヨーム村長、騎士デイルが待機している。


「ついに来たか」


 ヨーム村長はそう呟くと、川の方を見た。広場から川縁まで約二百メートルの距離がある。川縁の投石班がまだ動いていないところを見ると、もう少し敵と距離があるのだろう。すぐ隣に立つメオン老師は、革袋の中から適当な大きさの魔石を取り出すと、何かの術を掛けようと準備しているようだ。


 そこに、突然フリタの声が聞こえてきた。


『発ルーカ。宛てメオンとヨーム村長。川縁に黒屍犬デスハウンド十体、応援求む』


 いつも以上に凛とした声だが、突然耳元で聞こえた声にヨーム村長は思わず辺りを見回していた。そんな驚くヨームを尻目に、メオンは術の準備を中断すると応じた。


「了解じゃ」

『ありがとう、無理しちゃ駄目よメオン』

「余計な御世話じゃ」

『じゃぁ、またね』


 そう言ってフリタの「遠話」が切れる。しかし、聞いていたメオンには、途切れ際に子供の声が聞こえた気がした。


(ユーリー? まさかのう……)


 メオンの脳裏に一瞬だけ「家にいる」はずのユーリーの姿が浮かぶが、ヨーム村長の質問に掻き消されてしまう。


「老師、今のは?」

「聞いての通りフリタから、川縁へ援軍要請じゃ」


 なんで、ここに居ないフリタの声が聞こえてきたのか聞きたかったヨームだが「援軍要請」という言葉で、頭の中が騎士時代の思考に切り替わった。黒屍犬デスハウンド十匹は、手強い数だ。農夫達では太刀打ちできないだろう。そこまで咄嗟に考えたヨームはロスペに声を掛ける。


「ロスぺ! 三十人程川縁へ応援出してくれ!」


 ヨームの呼びかけに、少し離れた場所に立っていた、木こりの棟梁ロスペが応じる。


「応! 一班から三班、川縁に応援だ!」


 そのやり取りが聞こえたデイルは、ヨームに駆け寄ると


「私も応援に回ります」


 と申し出ていた。村人は百数十人居るが、まともな装備をしているのは、デイルを含めほんの数人である。デイルは自分が先頭に立たなければと咄嗟に思ったのだ。


「頼む!」

 

 そのデイルの申し出に、ヨームが簡潔に応じる。そして、デイルを先頭に三十人の木槍を装備した木こり衆が川縁へ応援に動き出した。


**********


 集会場の屋上に陣取るフリタは、遠話の術を解くと、ふぅと息を吐く。精霊に働きかける事により幾らかの魔力を消費したことで若干の疲労を感じるが、状況は始まったばかりである。


(嫌だわ、歳かしら……まだまだ、気は抜けないわ)


 そう思い腹に力を込める。すると唐突に、フッと身体が軽くなるような、五感が少し鋭くなるような、何かに包み込まれるような感覚を覚える。反射的に後ろを振り向く彼女

の先には得意顔のユーリーが立っていた。


(そういえば、ユーリーのこと忘れてたわ)


 ついさっき、気配を殺して付いて来たユーリーを見つけて直ぐに家に帰そうとしたところで襲撃を知らせる半鐘が鳴ったため、連絡を取り合うことに集中しユーリーの事を失念していたのだ。


「えへへ、どうフリタさん? お爺ちゃんに習った加護って術だけど?」

「あ、あそうね。ありがとう」


 さっきは、魔術も使えるとか言っていたユーリーだが、本当に使えることにフリタは少し驚いた。ユーリーは嘘を付く子では無いとは知っていたが、話半分に聞き流していたのだ。それにしても、魔術の援護を受けるのは何十年振りだろうか……


(こういうの、蛙の子は蛙って言うのかしら……いやちょっと違うか)


 と考えている内に、ユーリーは加護の術を自分にも掛けている。


「ユーリー!」


 フリタは敢えて語気を強めて言う。


「今から家に帰ったんじゃ、逆に危ないからここに居なさい。でも、危ないことは一切しないでよ!」

「はい! わかりました」


 ユーリーは、嬉しそうにニッコリ笑う。


(分かってるのかしら、この子……)


**********


 ルーカは迫り来る黒屍犬デスハウンドの一団を見つめている。それらは、予め決めてある投擲目標の地点に今まさに差し掛かろうとしていた。ルーカはそれを見計らうと、下で待機している農夫達投石部隊に合図を出す。


「今だ! 放て!」


 それが、戦闘開始の合図になった。数十発の投石が一斉に放たれると、ぬかるみに足を取られている魔獣の頭上に降り注ぐ。農夫達の視線からは、壁に遮られて投石が命中したか分からないが、ルーカの目には数匹が直撃を受けてその場で立ち止まるのが見えた。


「次々放て!」


 ルーカはそう号令を掛けると、投石の打撃で立ち止まった一匹に狙いを定め、矢を放った。狩猟用の弓とは違い、戦闘用の複合弓は力強い手応えで矢を撃ち出す。矢は真っすぐ飛ぶと標的の首元に突き刺さり、魔獣を仰け反らせる。


(流石に一発では仕留められないか!)


 ルーカは素早く次の矢を番え放つ。二発目の矢が仰け反った獣の喉に突き立つと、魔獣は動きを止め、ドウッと倒れた。しかし、その他の黒屍犬デスハウンドは此方に向かって進むのを止めない。


(やっぱり、普通じゃないな……)


 ルーカの狩人としての経験では、突然の攻撃を受ければ大抵の獣はその場から逃げだすのが普通である。獰猛どうもう黒屍犬デスハウンドであっても、獣の習性はあるだろうから同じ動きをするはずだ。しかし、目の前の一団は進むことを止めないのだ。


(何者かに操られているのか?)


 一瞬そういう考えが頭をよぎったが、今はじっくり考える時間が無い。接近されるまでに一匹でも数を減らしたい。


「目標変え! 次の目標に向けて放て!」


 投擲目標を一つ村に近いものに切り替えさせると、自分も弓を引き絞り放つ。三発の矢を射込んで更にもう一匹を倒した。


 投石の打撃と矢の攻撃、更に足元のぬかるみに邪魔されて黒屍犬デスハウンドの進む速度はさらに遅くなったが、それでもじりじりと距離を詰めてくる。もう少しで、川床のぬかるんだ場所を通り過ぎる。そうすれば、壁の切れ目まで一気に距離を詰められるだろう。接近戦になれば、農夫達の投石部隊はかなり不利になる。彼らの武器と言えば農耕に使う鋤や鍬の類であるからだ。


 投石の直撃を頭部に受けて、もんどり打って倒れ込む黒屍犬デスハウンドの一匹へ矢を射かけるルーカは、農夫を鼓舞するように樫の木の上から声を上げる。


「三匹倒したぞ!」


 つまり、敵の魔獣はまだ七匹も残っていることになる……


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