Episode_01.12 融合


 デイル達が街道から遠巻きに地滑り跡を眺めている内に、辺りはすっかり夕暮れ時となっていた。黄昏時の夕日の光が、生き物の気配が無くなった静かな森から色彩を奪い周囲は濃い朱色の光に包まれている。秋の夕暮れはあっという間に過ぎ去る。もう間もなく周囲は暗くなるという頃に変化が現れた。


「あ……」


 最初に変化に気付き声を上げたのはルーカだ。その声に反応し、他の面々はルーカの見つめる先に目を凝らす。沈みゆく夕陽に照らされた、地滑り跡地に何かが動くのが見えた。それは生命を持たず、この自然の摂理の外に存在する者達 ――亡者の集団―― であった。


 ルーカの目には生命力のオーラの代わりに、穢れた薄黄色の瘴気に包まれた彼らの姿が見える。より良い見晴らしを得るために、ルーカは素早い身のこなしで近くの木に登る。アッと言う間に高い杉の木の半ばまで登ると枝に足を掛け注意深く観察する。夜の闇が辺りを覆うまでの短い時間であったが、ルーカの目はその集団をハッキリ捉えていた。


「冒険者の姿も見えた。しかし、理由は分からないが私の目には命のある者ではなく瘴気に塗れた亡者のように見えた!」


 一行のところに戻ってくると、ルーカは興奮気味に言う。


「数十体の死者と、それらの周りに例の黒屍犬デスハウンドが集まっているようだ」

「なんて事だ……」


 その言葉にデイルは唖然とする。


「ここから近いのは、樫の木村の方だな。その集団が村を襲いでもしたら一大事だ」


パーシャはそう言うと、自分の馬に跨った。それほど遠くない所から狼にしては野太い遠吠えが聞こえてくる。一つの遠吠えに呼応するように、幾つもの遠吠えが聞こえる。


「デイル、お前は樫の木村の人たちにこの事を伝えるんだ。俺は、隊に戻って応援を呼ぶ」


 そう言うと、パーシャは愛馬に拍車を掛け「急げ!」と掛け声を発し、見習い騎士を引き連れ楡の木村へ戻って行った。


 デイルは、近くに繋いでいた馬の手綱を解くと一頭をルーカに渡し、素早く乗り込むと樫の木村を目指す。後に続くルーカも存外に手慣れた風に馬に跨りそれを追う。


(なんてことだ……)


 暗くなり始めた森の中の道を進むデイルは懸命に馬を急がせるのだった。


**********


(私は、どうなってしまったのだろう)


 自分が喋っている言葉や見ているもの、身体の動きなどがまるで薄い紙を通したように現実感無く感じられる。それらは、アンナ自身の思考に基づいて行っていることではない。今の彼女は、自分以外の何者かの意志によって動かされている。残された五感は間接的で不明瞭なものになっているが、その何者かの思考は明瞭に、且つ強力にアンナの意識に流れ込んでくる。


 ほんの少し前、自分の身体を操っている何者かが、三人の冒険者を血祭りに上げた。アンナの知らない系統の術で死人を操り、見知らない魔術 ――相手の生命力を奪い取る「吸命」の術―― を使って見せた。今は、三体の死体を前に、抑え切れない程の愉悦を感じている。


「これより、我が秘術を用いて、お前達を我が下僕に加えてやろうぞ」


 物言わぬ屍人兵を前に、私は演説するように声を上げる。


 私は、ドバンという大柄な戦士の死体の懐に手を入れると、通路に仕掛けてあった魔石を取り出す。ダーツというスカウトが持っていた他の三つは既に手元に回収している。これから、かなり魔力マナを消費する術を使うのだ。私は、今の身体がどれだけの魔力を使う術に耐えられるか、微かに不安を感じている。


 四つの魔石を眺めて満足気に頷くと私は精神を集中する。そして、見知らぬ魔術陣を起想する。薄黄色に浮かび上がる大きな魔術陣は、私がこれまで習得したどれと比較しても比べ物にならないほど巨大で複雑なものだ。それを確認した私は、更に幾つかの魔術陣を同時・・に起想する。


 空間に浮かび上がる数々の魔術陣は「付与系統」の身体機能強化や「変性系統」の物理防御強化等、私の知っている物もあれば、見たことも無い物もある。それらを満足気に眺めると、理解不能な展開行程を駆使して、その魔術陣を展開していく。これは、魔力をかなり消費する死霊術であるが、先ほどの魔石の魔力を使えば問題無いことを私は知っていた。


 やがて術が完成すると、素早く効果が現われる。目の前に横たわっていた三体の冒険者の死体は、まるで眠りから目覚めたかのようにゆっくりと立ち上がる。精気の無い死人の瞳が此方を見ている。私は、一体ずつ顔を覗き込むように、出来を確かめるように確認して行く。


(……私って誰だろう?)


 アンナは自分の身体を確かめる ――それは本当の身体ではなく、アンナの意識の輪郭が物理的な「身体」として意識されているだけであるが―― 一糸纏わない裸体に、まるで罪人対してするように縄が巻きついている。その縄は、赤紫に明滅するルーン文字だった。


 それが、アンナの白い肌に徐々に食い込んでいく。アンナは慌てて、そのルーン文字の縄に抵抗しようとするが、もがいても身動き一つ取れない事を知り絶望する。その絶望によって、縄は一層深くアンナに喰い込んでいく。


(そうだ、意識をしっかり持たないと存在が消滅してしまう……)


 アンナは直感的にそう思うと、意識を自分の身体の輪郭に集中する。縄の喰い込みを押し返すことをイメージする。幾分か楽になったようだ。そこへ、何者かの意識が声となって響いた。


「女よ、そのような虚しい抵抗は止めるのだ。そなたの魂は我が術に捉えられておる。しかし、喜ぶのだ。そなたが欲していた、『古の魔術師達の叡智えいち』とやらを吾輩は持っておる。そなたの魂が我が意識と同化した時、もはやそなたと吾輩を分ける必要は無くなる。我が叡智はそなたの物ぞ」


 声はそう言うと、ハハハと高笑いをする。


 意識体のアンナは声のする方へ苦労して首を回す。視線の先には、ルーン文字の縄を持った老人の姿があった。老人はその手を伸ばすと、アンナの胸を掴む。強く掴まれた感覚に身震いし、アンナは身を竦めた。


「どれ、お前の記憶を覗いてみるとするか」


 そう言うと、老人は皺枯しわがれた腕を伸ばしアンナの頭を押し包む。ザラザラした不快な感触が頭の中を弄るように動きまわる。苦痛極まりない感触なのかもしれないが、今のアンナは呆けたような表情で焦点の定まらない視線を虚空に彷徨わせるだけだった。


 ――机に向かう私が見える、幼い頃だ。両親が下の階で言い争う声が響いてくる。私は、その声が聞こえないように、目の前の魔術書に没頭していく――


 ……のっぺりとした大理石の床に自分の姿が映っている。豪奢なローブを着た少年の姿をした自分は視線を上げると目の前の空間に浮かび上がる無数の魔術陣を睨みつける……


 ――父の声が聞こえる。その声ははずんでいて、しきりに私を褒めている。アカデミー入学が認められたことで、これほど父が喜んでくれると思わなかった私は素直に嬉しかった――


 ……魔術的な閉じ込めをした空間に数匹の魔獣が放されている。自分は思い浮かんだ複数の攻撃魔術陣を起想する。発動された光の矢や、冷気の嵐が眼前の魔獣に襲いかかり、それらをなぎ倒していく。ふと、人間ならばもっと反応が面白いのに、と思う……


 ――血の付いた下着を見つめて私は茫然としている、今朝からお腹が痛かったが病気になってしまったのだろうか。私は泣きながら乳母の名前を呼んでいた。母はもうこの家を去っていた――


 ……生きとし生ける者には命があり、それはやがて燃え尽き消えてしまう。偉大で恐ろしい存在だった父親も生物としての定めから逃げる事が出来なかった。葬られる父の棺を見ながら青年は命の儚さに絶望していた……


 ――ベッドに入った私は眠れずに寝がえりを繰り返している。昼間に校舎で見かけた青年の顔がチラチラと脳裏をよぎる。あんな素敵な青年に抱きしめられ口づけされたら、どんな気分になるのだろうか。そう思うだけで鼓動が早くなる――


 ……都は阿鼻叫喚の地獄になり果てている。何かの手違いか、大気中の魔力マナが感じられない日々がもう数カ月続いている。強力な魔力による抑圧が解かれた蛮族どもは、すでに都に進入しているようだ。あちこちで黒煙が上がっている。呼ぶ声に振り返ると我が子らが控えている。我が研究も道半ばであるし、我が一族を導く責もある。この都を去るのも良い頃合いであろう……


 ――その青年の声を聞いて思わず廊下の角に身を隠す。青年は同年代の女生徒と歩いている。教授の娘である年下の少女に告白された経緯を面白おかしく話しているようだが、それだけで自分の自尊心が音を立てて打ち砕かれた気がした。持っていた本を地面に叩きつけると反対方向へ歩き出していた――


 ……地元の蛮族は我が目を疑う程我々を警戒せず、哀れな旅人を迎えるように受け入れてくれた。彼らの住む土地の端に居住区を与えてくれた。我が一族の子らはそのことを非常に恩義に感じているようだが、所詮蛮族のすることである。吾輩は、自らの研究を完遂する為の実験対象を捕えてくるよう我が子らに命じた。彼らの目の奥にある反発が吾輩を不愉快な気持ちにさせる……


 ――第四階梯承認のしらせに、私は喜びを噛み締める。周囲からの冷たい視線はもう慣れっこになっている。学長たる父から、学長室に呼び出しを受けると周囲の年上の魔術師達に会釈をして部屋を後にする。露骨に憎しみの籠った視線を投げかけてくるのは、あの時青年魔術師と談笑していた女だ。我ながら嫌味な仕草だと思うが、もう気にしない。想いを寄せた青年も遥か遠くの領主付け魔術師となってから音沙汰が無い――


 ……一族とともに連れてきたドワーフの魔術鍛冶師は良い仕事をしている。ついに我が秘術の受け皿となるべき魔術具が完成したのだ。吾輩の研究は最終段階を迎えている。仮死状態で寝かされた蛮族の若い女に向けて秘術の第一段階を実行すると、不可視の力に引き裂かれた胸から未だ鼓動を続ける心臓が姿を現す。魔力マナ生命力エーテルが交差する生物に与えられた神秘の臓器である。火床で熱せられ白熱化した紅血石は吾輩の術の通り、空中を導かれると、胸を開かれた蛮族の女の上で制止する。一拍の合間を置いて、白熱した石は鼓動を続ける心臓に飛び込む。蛮族の女は身体を痙攣させ声にならない悲鳴を上げている。それを見ながら吾輩は成功を確信していた……


 断片的なもの、連続的なもの、深層的なもの、表層的なもの、形を問わず内容を問わず、自分の頭から記憶が流れ出していく。同時に何者かの記憶が流れ込んでくる。想像を絶する苦痛にアンナの意識体は小刻みな痙攣を続ける。一方の老人も同様の苦痛を感じているようだが、苦悶の声を漏らしつつも平静を保っている。


 やがて、奔流のような記憶の流れは落ち着きを取り戻した。その後には、ルーン文字に縛り付けられたまま失禁し、その顔を涙と鼻水と唾液に塗れさせたアンナの意識体が残されていた。


「辛かったであろう、だがもう直ぐ楽になる。それまでは大人しくしておるのだな」


 そう言うと、視界の遥か上方へと続くルーン文字の縄を残して老人は姿を消した。残されたアンナは、絶望に苛まれる。縄が一層強く喰い込む感覚だけが残された。


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