Episode_01.08 魔術の芽生え
その夜、ユーリーは自宅でメオン老師の手ほどきを受け簡単な魔術に取り組んでいた。メオン老師とユーリーの住む家の半地下からはそんな二人のやり取りが聞こえてくる。
「ユーリー、瞑想の時に魔力を思い描いて動かすことはやっておるな?」
「うん、やってるよ。形も三角だったり四角だったり丸だったり……思い付く形に変えてるよ」
メオン老師の問い掛けにユーリーは「ちゃんとやっている」と言わんばかりに答えている。
「では、その魔力を指先に持って来てみるのじゃ」
メオン老師の言葉でユーリーは軽く目を閉じて身体の中の魔力を意識する。ポッと灯った白い光がユーリーの念想上の「魔力」である。
「出来たか?」
「うん」
「じゃぁ目を開けてみるんじゃ……まだ魔力を感じるか?」
「大丈夫だよ」
メオン老師は少し反省していた。昨晩は一足飛びに「転写法」というかなり上級者向けの方法をユーリーにやらせようとしていたのだった。思い描いた魔術陣を
(しかし、あの男の血筋なら……出来ると思ったんじゃがなぁ)
と、自分に言い訳をするメオン老師であった。実際、十回に一度は成功していたのだから、あながち「間違い」とも言えないのである。しかし、教え子の側に「堪え性」が無かった。
「あーもう! 面倒くさい!」
と昨晩はユーリーが頑強に抵抗したので、そのまま「お開き」になったのだった。そんなユーリーだったが、今朝の稽古での「
そんなメオン老師の目の前で、ユーリーは一本突き出した右の人差し指に意識を集中している。そこには魔力が集中しているのだった。これは「補助動作法」という一般的な魔術の手法であった。
「では、この図形を空中に描いてみるんじゃ」
メオンが掲げた羊皮紙に描かれた簡単な図形は「加護」という付与術である。それを見るユーリーは、その図形をなぞるように指を動かす。そして――
「あれ!? 目の前に浮かんでる……」
「ほお、もう出来たか」
ユーリーは目を丸くして、虚空を見詰めている。その視線の先には白い輪郭で描かれた魔術陣が宙に浮かび上がっているのだった。今ユーリーが成功させたのが魔術の初期動作である「起想」の段階である。
教え子が成功したと言うので、メオン老師は自分自身に「
「ふむ、ちゃんとしているな。それでは次に――」
次にメオンが出した図形は少し難しい物だ。その行程は「展開」と呼ばれるもので、元の図形からその一部を順序正しく動かして変形させて行く段階であった。流石にこの行程では何度か躓くユーリーである。しかし、指の先から白く光る線が描けることが面白いらしく、今晩は根を上げることも無くやり直しを続けている。やがて――
「あ、出来たみたい……」
「どれどれ……ほぉ、出来ておるな」
これにはメオ老師は驚いた。「展開」の行程は「
(出来るかもしれんとは、思っておったが……本当にやるとはなぁ、魔術との親和性は
というのがメオン老師の素直な感想である。「展開」の行程を潜り抜ければ発動までは「直ぐ」である。
「ユーリー、その魔術陣はまだ見えておるか?」
「大丈夫だよ! ちょっとユラユラしてて崩れそうだけど」
「よし、そうしたら、その魔術陣に対して身体の芯から魔力を送り込むのじゃ」
メオン老師の次の指示は簡単な物だった。もう三年近く「瞑想」を続けているユーリーは魔術陣に対する意識集中を途切れさせる事無く、別の魔力をその魔術陣に注ぎ込む。
そして……
「お爺ちゃん……出来たみたい」
「うむ、出来ておるな。どうじゃ?」
「うーん、体が少し軽く感じるかな? ちょっと力が湧いてくる感じもする……けど
「まぁ、初級の術だからな。それは加護という術じゃ。付与術という良い効果を上乗せする術の基本のようなものじゃ」
「ふーん」
メオン老師の説明に返事をするユーリーは引っ切り無しに身体を動かして術の効果を確かめている。
実際「加護」の術はメオン老師の言う通り、付与術と呼ばれる系統の基本的な要素を備えた術である。身体能力の強化に物理と魔力の両方への耐性をかさ上げする万能な術である。その「加護」術は少しの変化で属性防御や純粋な身体機能の強化へ変化するのである。
「兵士になるのじゃろ、覚えておいて損の無い術じゃ」
ピョンピョンと飛び跳ねているユーリーにそう言うメオン老師は内心では
(勿体無いのう……これだけの才能なのに)
と思う。流石に習い始めて二日目で魔術を発動すると言うのは「かなり早い」部類に入るのだ。それだけ才能があるという事なのだが、当のユーリー本人は「兵士になって騎士になる」と言っている以上はメオン老師には他の道を無理強いする気持ちは湧いてこない。
「本当はなぁ、もっと基礎的な事から教えたいのじゃが……」
「基礎的ってどんな?」
「例えば魔術の区分け。今お主が使ったのは『魔術』若しくは『ロディ式』とか『古代魔術』と呼ばれるものじゃ」
「うん……他にもあるの?」
「そうじゃな、風や水、火や地の精霊に働きかける『精霊術』や、神と呼ばれる高次元の意識に助力を願う『神蹟術』は有名じゃな」
「そんなにあるんだ?」
「いや、もっと沢山有るんじゃ。有名ではないが『生命力』を使う魔術や、言葉を発するだけで効果のある術……世の中には色々あるのじゃよ」
そう言うメオン老師は、もっと多くの事をユーリーに語り聞かせたい気持ちを抑え込む。古代の塔と深き森の秘密、竜の物語、遺跡に眠る財宝の話、エルフやドワーフと言った亜人や森の奥に住むドルイドの暮らし、未来を見通すエルフの女王の話、そして悲惨な戦争の戒め、何よりも今は亡き北の小国の話など……語り切れない程の知識をメオンは持っている。
(だが「これ」は「こう」だ。と言われて教え込まれる知識には意味がないか……当然じゃな)
自分がそうだったように、本物の知識は自分で体験しなければ身に付かないものだと思うメオン老師である。だからこそ、ユーリーがそんな知識へ辿り着けるように、手助けとなる術として魔術を教えようと思うのだった。
そうやって一人で納得しているメオン老師にユーリーが話しかける。
「ところで、お爺ちゃん」
「なんじゃ?」
「空飛ぶのは、まだ?」
「……」
樫の木村の老師の家は今晩も明りが洩れている。そして今晩も、かすかに子供の不平を表す声と、老人の叱責する声が聞こえてきた。そうして一日は終わり、夜が更けていく。天上にはますます細く頼りない光を放つ月が昇っていた。明日は新月になる。
**********
翌朝早くに、遺跡調査の一行は猟師のルーカに案内されて樫の木村を出発した。騎士デイルも見届け役として一行に同行している。徒歩は冒険者三人とルーカ、その後ろに騎乗でデイルとアンナが続いている。
晩秋と言うには少し早い時期だが、今朝は肌寒く感じる程冷え込んでいた。周囲の木々の葉は少し色付き始めており、もう一月もすれば広葉樹は葉を落としてしまうだろう。
三人の冒険者は村を出た頃は、朝が早いとか、食べ物が粗末だったとか不平を言っていたが、今は昨晩の掛けの結果について大柄な戦士と小柄なスカウトが何やら揉めている。王都に帰ってから酒を奢るのはどちらかを掛けて、小柄な方が勝ったようだった。
大柄な戦士はしきりに、相手の手先の器用さからイカサマだったのではないかと訝しがっているが、小柄なスカウトの方は相手にせずに、何処の酒場で何をどれだけ飲むかという話を女戦士としている。女戦士はちゃっかり勝ち馬に乗ったようで機嫌よく相槌を打っている。
この三人組みの冒険者は、リムルベート王都のギルドでも名の通った者達であると言うことであった。大柄な戦士の名がドバン、小柄なスカウトの名前がダーツそして女戦士の名前はウレアという。これから未発掘の遺跡に挑もうというのに
(呑気なことだ)
とデイルはぼんやりと彼等のやり取りを聞きながら思っていた。
デイルの斜め後ろを進む女魔術師は沈黙を守っている。ちらっと様子を伺ったが、
想いを寄せる女性は別にいるのだが、そちらは
**********
先頭を行くルーカの話では、目的地迄はまだ距離があるという。ただ馬に揺られるだけの時間に、デイルは昨日のことを思い出していた。
樫の木村の村長ヨームは、若かりし頃ウェスタ侯爵領哨戒騎士団所属の騎士であった。二十余年も昔の話であり、デイルは現役騎士だったころのヨームを直接知らないが、古参の騎士達からは、剣の強さならリムルベートで十本の指に入る腕、だったと聞かされていた。
デイルも二十代半ばながら、剣は相当に遣う。三年前の勝ち抜き戦で見習い騎士ながら、他の騎士相手に三人抜きをしてみせ、それが評価されたため騎士への昇進が叶ったのだ。だから、ヨーム村長に会うことができる点で、今回の任務は面倒ながらも、やり甲斐のある任務と言えた。ヨーム村長とは剣技について話し合い、可能ならば剣を交えたいと考えていたのだ。
そして、冒険者一行を寄宿場所に案内した後、ヨーム村長宅を訪ねてそのように申し出た。ヨーム村長には渋られるかもしれないと考えていたデイルだが、ヨームは意外とあっさりこの申し出を受け入れ「一番だけ、試合形式で」ということになった。
騎士や剣士の試合というのは色々なやり方がある。練習目的の試合ならば専ら木剣を使うことが多いのだが、ヨーム村長宅にはショートソードを模した村人の訓練用の木剣しか無く、止むを得ず真剣を使った試合になった。勿論寸止め前提であるが騎士デイルは思わぬ展開に緊張した。
彼の愛剣は
哨戒騎士達は大抵がこの鎧に加えて、各自で調達する兜や手甲、脚甲に盾等の防具と、好みの武器を組み合わせる格好である。リムルベート王家直属の第一騎士団や、各爵家の正騎士団であれば、全身の防具にもっと統一感があるのだが、ウェスタ侯爵領の哨戒騎士達はそういう部分の規則が緩いのである。
一方ヨームは、開拓村の村人然とした質素な服に革製の手袋といった身軽な格好で、
「一応試合だからな、動き易い方が勝ちやすい」
と、デイルの気持ちを先回りしたようなことを言うものだから文句が言えなくなってしまった。
二人はヨーム村長宅の前の広場 ――普段はユーリーら子供達に剣術を教えているスペース―― で対峙する。お互い剣を身体の前面に立てて構えると正式な礼の型を取る。その後、剣先を軽く合わせるとそれを合図に一旦距離を取る。
デイルは長剣を両手で持ち身体の正面に構え切っ先を相手の目に向けた正眼で構える。対するヨームは右前の半身で右手の剣を突き出すように構える。そのまま間合いを測る両者だが、武器のリーチの違いから、先にデイルが攻撃範囲に到達した。
その瞬間、ヨームの構えた剣先が僅かにフラリと揺れた。
(好機!)
デイルは素早く一歩踏み込むと、気合いを発しながら上段に振り上げた剣を相手の頭部に振り下ろす。鋭い一撃であるが、ヨームはこれを難無く左へ受け流す。重い斬撃を受け止めるのではなく剣の腹を使って横へ払ったのである。
デイルは自分の攻撃の勢いを殺し切れずにやや体勢を崩しながら、間合いを取り直そうと試みた。しかし、そこへヨームの、疾風の如き連続攻撃が襲いかかった。手首を狙った一撃をなんとか防いだデイルは続く上段への二撃目三撃目もバスタードソードで受け止めるが、剣を頭上に釘付けにされた。
続く一撃は軌道を変えると、剣を持つデイルの右手へ向かう。これは、ヨームのフェイントであったが、デイルはその攻撃をフェイントと見抜けず剣を寝かせ右手を守ろうとしてしまった。果たして、ヨームの剣は打込まれることなくデイルの頭上で半円を描くと再び軌道を変化させ、胴への一撃となる。
鎧に守られた部分への一撃であり、怪我にはならないが余りの衝撃と痛みでその場で膝をついてしまった。
「参りました……」
デイルは呻くように負けを宣言した。
その後、ヨームからアレコレと指摘やアドバイスを受け、結局酒と質素な夕食をご馳走になり、途中で「騎士になりたい」という村の少年二人の訪問は有ったが、結果的にデイルにとって、充実した一日となったのだ。
(しかし、あの最初の一手、剣先が振れたのはやっぱり
デイルがそうやって昨日の試合の事を思い返しているうちに一行は目的地の近くに到着していた。樫の木村を出発し西へ、
「あそこに見える、地滑りの跡に入口がある」
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