Episode_01.05 朝稽古


 ヨーム村長の自宅は村の西口、小高い丘の上の集会所に続く上り坂の隣にある。自宅の前は広く開けた場所になっており、村人達に「西口の広場」と呼ばれている。その広場に早朝から五十人近くの若者が集まっていた。


 手に木製の剣を持ち、或る者は素振りをし、或る者は相手を見つけて打込み稽古をしている。その脇には十人程の年少者の集団があり、二列に分かれ向かい合って素振りをしている。ヨーム村長がそれを見ながら、構えを直したり、手本を見せたりしている。その集団の中に、ユーリーとヨシンの姿があった。


 これは、村の自衛力を育てるため、いつごろからかヨーム村長が始めた「訓練」である。哨戒騎士団の部隊が年に数度は巡回警備のために村を訪れるが、それ以外の時は基本的に樫の木村は無防備な状態である。


 その無防備な状態をこれまで数回、野盗やオークの集団に襲われ略奪の一歩手前という状況を経験しているため、村人達に乞われ、経験者のヨーム村長が指導する形で始められたものである。


 今回の訓練に参加しているのは、村の少年から青年の年頃の男子である。取り組む姿勢に真剣度の違いはあるが、全員一様にこの後出される朝食を目当てに参加しているのは間違いない。


 訓練は月に二回行われ、今回は若い男子のみであるが次回の訓練は大人も参加する。その訓練では今のような接近戦とは別に、投石を訓練する場合もある。開拓村の自衛にしては本格的なものになっているのは、哨戒騎士として実戦経験豊富なヨーム村長が指導しているためだろう。


 ユーリーとヨシンは組になって、交互に打込みの素振りを行っている。昨日の「決闘ごっこ」の時と違い、手に持っているのは全長八十センチの木製の小剣ショートソードである。実際の剣を模したもので、重さも実物と同じか少し重い程度に作ってある。


 ユーリーもヨシンも初めて手にした時に、その重さに驚いたものだが、今では難無く振り回している。年少組でも一番幼いユーリーとヨシンだが、その素振りはなかなかしっかりしたものである。


「よし! 素振り止め!」


 充分時間が経った頃合いで、ヨーム村長は号令を発する。広場に集まっていた青年達がヨーム村長を囲むように集まってくる。訓練の仕上げとしてヨーム村長が直接稽古を付けてくれるのだ。この頃になると、村の大人達も見物に広場に集まってくる。


 ヨーム村長が広場の中央に進み出て木剣を構えると気合いの入った声で


「来い!」


 と発する。野次馬と化した村の大人達は「やんや、やんや」と声を掛ける。その声に押されるように、


「応!」


 と年長の青年が応じると、ヨーム村長の前へ進み出る。対峙した二人は礼をすると剣を構える。


 このときは、ヨーム村長からは仕掛けないのがある種の決まりになっている。


 青年はジリッと間合いを詰めると、上段目掛けて切り掛った。それをヨームは剣の根元で受け止めると、左側に払いのける。それほど力が入っているように見えないが、青年はヨームのその動作で左側に振り飛ばされる。ヨームはそれを追い、体勢を直しヨームの方へ向き直る青年の喉元に木剣の先をピタリと付ける。


「次!」


 そんな具合に、年長者で腕に自信のある者や、真剣に稽古を受けている者が中心になり、入れ替わりにヨーム村長に挑みかかる。或る者は手首を軽く打たれ、或る者は地面に転がされ、或る者はどういう訳か、投げ飛ばされたりしている。その度に、大人達が歓声を上げたり、落胆したりしている。


 一方、その光景を残りの少年達は引きった表情で見ている。勿論ヨーム村長が手加減をしていることや、大怪我をさせないように注意していることは分かっている。しかし、たまに活きの良い・・・・・攻撃が来ると、青痣が出来る程度に木剣を打込むことがあるのだ。


 訓練は、ヨーム村長に直接打込むこの稽古が終るとそのまま終了になる。その後は川で汗を流した後に、村の母親達が準備した朝食を皆で食べるのである。


(おなか空いたなぁ……)


 ユーリーは、稽古の事よりもこの後出される食事のことを考えていた。昨晩は、遅くまでメオン老師の魔術講義を受けていたせいで、いつもより空腹を感じる。


 開拓村の食事は質素である。しかし、普段の質素さの反動か、今日の訓練などの行事の時は豪華になる。そんな時は焼き立てのパンもあるし、少しだが肉も出される。


 ユーリーは自分で狩りをして獣肉類を獲るが、その肉は普段の食事には回ってこない。村の役割として狩りをしているので、獲物は村の共同所有物になる。それらは塩蔵や燻製といった保存食になり、少しずつ村人全員で分け合うのだが、こういった行事の時には豪勢に振る舞われるのだった。それだから、ユーリーの脳裏には、さっきから皿に盛られた鹿肉の燻製の姿が目の前をチラチラしてしょうがない……


 つい先日は、仔鹿一頭を射るのに躊躇ちゅうちょしていたのだが、食欲を前にした少年の思考は、すっかりその事を忘れていた。


 そうやって、食べ物の事ばかり考えていたからユーリーは隣のヨシンが緊張気味に顔を紅潮させ、木剣を何度も握り直したりして、いつもの様子と違うことに気が付かなかった。


 広場の中央では、もう稽古は終わりに差しかかっている。最後の挑戦に立った青年がヨーム村長の打込みに耐えかねて、木剣を取り落とした所だ。普段ならば、これ以上ヨーム村長に挑戦するものは現れないが、今日は違った。


「そろそろ終わりに……」


 と言いかけたヨームの言葉を遮って


「お、お願いします!」


 と言った者があった。ヨシンである。


「えぇー! ヨシン止めなって、怪我するって……」


 と言うユーリーの制止を振り切ってヨシンが中央に進み出る。


 野次馬の一部が異様に盛り上がっている……ヨシンの父親と兄貴達である。


「ヨシン! がんばれー!!」


 当の本人ヨシンには、そんな声援が耳に入っていないようだ。口元をギュっと締めると睨みつけるような目でヨームを見ている。


「よし、来い!」


 と応じつつも内心


(困ったな……)


 と思うヨームである。


 ヨシンは木剣を身体の前で構える。本来片手持ちの剣だが、十三歳の身体では両手持ちにして丁度良い。その体勢で徐々に間合いを詰めていく。ヨーム村長の武器も同じ木剣だが、体格の違いでリーチの差が出る。その事を察知するヨシンは、ヨーム村長の間合いの少し手前で一旦間合いを詰めるのを止めた。


(ほぉ……)


 ヨームは感心した。稽古を始めたての少年達は武器の間合いというものに無頓着だ。大体が、相手に対する恐れから必要以上に遠くから打込み、距離が余るのが普通である。既に素振りや、打込みを教えてあっても、自分と初めて立ち合えば十中八九間合いは遠くなるものだ。しかし、ヨシンはかなり正確にその間合いを測っているようだ。一動作で届かないギリギリに位置している。


 ヨームは正面に構えた木剣を少し寝かすと、自分の右肩に隙を作る。打込みを促しているのだ。ヨシンはそれに反応すると ――ヨームの思っていた以上に早い反応で―― 思い切り良く打ち込んできた。良い太刀筋である。


 ヨームはそれを、身体を開いて後ろに下がりかわす。ヨシンは、目標を失った剣を止めると、後ろに下がったヨームを追うように、もう一歩飛び込み距離を詰め、左から胴を狙い突いた。ヨームは、この突きに対して上から剣を打ち込む。ヨシンは剣を強く打たれたことで、たまらずそれを落としてしまった。


「おおー、いいぞー」


 野次馬は、少年の意外な頑張りに声援を送っている。


 ユーリーは、ハラハラしながら今の立合いを見ていた。一撃目を躱された時に、構わず突っ込んで行くのはヨシンのいつものやり方だった。ただし、二撃目はユーリーとやっているよりも、目標が遠かったと思う。


(やっぱり、大人は大きいな)


 というのが、感想である。


「がんばれー、ヨシンー」


 広場では、再び歓声が上がる。どうやら、ヨシンが剣を拾うともう一度挑みかかろうとしているようだ。


「ヨシンがんばれ!」


 思わずユーリーも声を上げていた。


 二回目の立合い、ヨーム村長とヨシンの構えは同じである。ヨシンはヨーム村長の間合いギリギリまで進むと打込むタイミングをはかる。ヨームはここで、間合いを変化させてヨシンの出方を見てみることにした。


 右手に剣を構えたまま、右前の姿勢から、左前 ――剣を引いた姿勢―― に変化する。こうすると、一動作で攻撃出来る範囲が遠くなる。ヨシンはそれに合わせて距離を取る。ヨームは更に、相手の右に回り込むように動きながら、徐々に距離を離すようにする。


 ヨシンはその場で回転しながら、半歩前へ出ると同じ間合いを保つ。対するヨームは回り込む動きのまま、今度は間合いを少し詰めるように動く。ヨシンは間合いを詰められている事に気付くことが出来ないようで、その場で回転する。


(まぁ……上出来だな)


 間合いの距離を変えながら対峙するのは、熟練者同士の試合では定石だが、今年初めて剣を持った少年がその重要性に気付き不完全ながら実践してみせるのは、なかなか大したものだといえる。


 一方のヨシンは、いつの間にか半歩分も近づいている相手に驚き、追い詰められた気持ちになると、意を決して打ち込む。下から掬いあげるように、ヨームの脛を狙うのだ。躱されたら、そのまま踏み込み上段から切り下ろすつもりだ。


「えい!」


 自然に気合いを発しながら打込むが、ヨームはその一撃を避けずに、更に下から掬いあげるように強烈な一撃を見舞う。勿論、剣に対してである。


カン!


木製の剣にしては、良い音をさせてヨシンの剣が宙に舞う。


「あっ」


 ヨシンの声が上がる。そこでヨームはすかさず、体勢の伸びきったヨシンの背中を剣の腹で軽く打つ……つもりが結構力が入ってしまった。バチンと鈍い音がした。


「いってぇー」


 と言って地面に倒れたヨシンは海老反りになって痛がっている。


「いいぞ、ヨシン! おしかったー」


 野次馬や、ヨシンの家族が矢橋立はやしたてる中、ユーリーは流石に心配になってヨシンに駆け寄る。


「大丈夫?」


 ユーリーの手に掴まりながら立ち上がるヨシン、目に涙をためている。相当痛かったのだろう。


「だ、だいじょうぶ……」


 半分泣き声になっているが、大丈夫そうだ。そこに、ヨーム村長が声を掛ける。


「ヨシン、もっと練習すればもっと強くなるぞ! 頑張れよ……ところで、ユーリーもか?」


 え? とユーリーはヨーム村長を見る。その視線が自分の手に持っている木剣 ――ヨシンの飛ばされた木剣―― を見ている。

 

「いいぞ、かたき討ちだー! 仲良し二人組がんばれー!」

 

 野次馬の中で、主にヨシンの家族を中心とした一団が、やたらと盛り上がっている。


(お酒でも飲んでるのかな?)


 と疑問が一瞬頭をよぎるが、今はそれどころでは無い、否定しなければ。しかし、


「あ、いやいやいや、そうじゃなくて……」


 とユーリーが言いかけるのを、ヨシンが遮る。


「ユーリー、頼む!」

(えーーーー!!)


 意に反して、ヨーム村長に挑戦することになってしまったユーリーの頭の中は混乱しかけたが……


(ヨシンだってやったんだから、僕だって!)


 という思いになるところが、男の子である。

 

 二人は、広場の中央で向かい合うと距離を置く。ユーリーは右手に木剣を持ち、右前の構えだ。対するヨーム村長も同じ構えになる。ユーリーは相手の右側へ回り込もうとゆっくり動きながら距離を測る。ヨシンもそうだったが、ユーリーも間合いに関する感覚が鋭い。


 この二人の間合いに関する突出した感覚は、種を明かすと、メオン老師の持っている『剣術総覧』という本を読み書きの練習に使っていたユーリーが、その内容をヨシンに教え、


(強い騎士になりたい)


 と思っていたヨシンがそれに飛びついた結果、三人 ――マーシャも含まれる―― で意味も分からずその本に書いてあった「間合いの訓練方法」という練習法を真似していただけである。


 『お互いに持ったロープが弛まないように張った状態で距離を保つ』といった練習法は本来剣を学び始めたばかりの者に対して、間合いへの慣れと真剣への恐怖を取り除く事が目的の可也厳しい訓練方法だ。しかしこの少年少女に掛かれば、厳しい訓練方法も、ロープを持ちあって走り回るという遊びに変化してしまう。そして、新しい遊びが人知れず誕生していたのだ。


(相手の攻撃距離の外にいれば安全だけど、こっちの攻撃も届かない……しかも、僕の方が背も低いし手も短い……)


 普段ヨシンと決闘ごっこ・・・・・をやる時は、ほとんど同じリーチの者同士だから余り意識しないが、自分より大きい相手はこんなにやり難いものかと思う。


(村長から打ってこないし、一瞬だけ僕の攻撃が届く間合いで止まってみようかな)


 そう考えるユーリーは、ギリギリヨームの剣が届く距離まで近づく。あと、半歩進めば自分の間合いになる。


(よし、打ってこない!)


 ユーリーは、軽く半歩分のステップで更にヨームの右側に回り込み、剣を持つ右手を狙った一撃を試みようとするが――


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