第5話 彼女の本領
「……まさか七世のはとこさんとは。」
喫茶マツシマ。店内には桜香と七世、そして守の三人だけ。他の客が帰ってしまってから、守はようやく腰を落ち着けて桜香と向き合った。
「改めて、桜木桜香よ。守くん、よろしく。」
文句のつけようのない完璧な微笑みを浮かべて、桜香が言った。守も柔らかく微笑んで、よろしくお願いします、と小さく頭を下げる。しかし顔をあげた直後に、
「姉御って呼んでもいいすか?あ、あと、俺のこと呼び捨てでいいですんで!よろしくっす、姉御!」
と先程までとはうってかわって随分フレンドリーな態度へと切りかわった。
実は、初対面だろうがなんだろうが、守は友達を作るときに、物怖じや遠慮という言葉を放り投げて、「前世からの知り合い」のようなノリで相手に向かっていくことがある。良いか悪いかはさておいて。
七世はこれを密かに「エブリワントモダチモード」と呼んでいて、今回も、
―――きたか……。
とひっそり唾を飲んだ。
さすがの桜香もペースを崩されたらしい。たじろぎながら頷く。
「か、構わないわよ。じゃあ、守。」
「やったぜ!!」
守がガッツポーズ。その横で七世は呆れ顔。
するとそれをめざとく見つけた桜香が、
「あ、あら、七世くんも姉御って呼びたい?」
と精一杯意地悪そうな顔をして目を細めた。
しかしその頬に若干ながら冷や汗が伝っているのを七世は見逃さない。ペースを自分に戻そうと頑張る心境が見てとれ、なんとなくかわいそうになって七世はため息をついた。
「いえ、俺はいいです。あ、でも俺も呼び捨てのほうがしっくりくるかも。」
「それなら七世、ね。」
ドヤ顔で桜香が人差し指をたてた。何をドヤ顔することがあるというのか。七世が首を大真面目に傾げているうちに、桜香のペースはもとに戻ったようだ。
ドヤ顔はひょっとすると安堵の顔だったのかもしれない。そんなことを考えもう一度桜香を見たが、もうそこには強気な桜香の姿しかなかった。
「七世、でいいでしょ?」
桜香がこちらを見ている。七世は頷いた。
むしろ今まで七世くんと呼ばれていたことが不思議な気がする。ずっと昔に会ったことがあるというか、やけに馴染み深いというか。そんな感覚を抱いていた七世にとっては、呼び捨てのほうが「七世くん」と呼ばれるよりよほど落ち着く。
そもそも、(やや失礼かもしれないが)桜香の気性を考えると、彼女は年下に対して「○○くん」と呼ぶようなタイプには思えない。
ではなぜ自分はくん付けだったのか。親戚だから?そこまで仲が深まっていないから?
そこまで考えて、そういえばまだ桜香と出会って二日であることを七世は思い出す。ほっと安心したように息を吐いてから、
―――……いやいやいや!!「ほっ」とか!安心とか?なにそれ!
慌てて首を振る。守が見てやしないかと横を見ると、幸いなことにそんなことはまったくなかった。
守は七世のことなど眼中にないように桜香と楽しそうに話している。心配は特にしていなかったが、二人が無事打ち解けたようで何よりだ。
ならば、いよいよここに来た目的に移らなければなるまい。
「桜香さん、本題。」
対面して座る桜香に七世は一言。あぁそうだったわね、と桜香はパンと手を打って、居ずまいを正す。
「えーっと、依頼内容はリーちゃ……ごほん、猫の捜索で良かったかしらね。」
「うっす。まぁ猫なんで、どっかいっちゃっただけかもしれないんすけどね。そういや姉御もクロのこと可愛がってくれてましたよね!いつも猫パンチされてましたけど。」
ケタケタと笑う守に桜香の怒気を察する能力はない。
なるほどと七世はひとり頷く。桜香の猫嫌いは、猫好きだけど猫には嫌われる、の誤りだ。もともと猫のことは好きなのだろう。ただ何故か嫌われている、というだけで。
だから喫茶マツシマの猫だと言った途端にやる気になったのか。本心はは可愛がっていた……否、可愛がりたかったに違いない。
桜香がこちらをなにか言いたげに睨んでいるが、もう遅い。七世は肩をすくめた。
「それは置いといて。リーちゃ……そうよリーちゃんを最後に見たのはいつかしら?」
桜香の方もなにか吹っ切れたらしい。
「一週間前、かな。昼間にご飯食べに来て、そのあとさっぱり。」
「一週間前か……」
思ったより前である。
「俺の飼い猫ってわけじゃなかったんで……。名前も本当にクロかわかんないし。」
「首輪とか、名札とかはついてなかったのか?」
七世が尋ねると、守は「そうだ」と頷いた。
―――どおりでさっきからリーちゃんだのクロだのと呼び方が錯綜するわけだ。
七世は一人納得する。
「リーちゃんが来てたのは昼だけ?」
「そうっすね。だいたい正午過ぎたぐらいに、いつも。一回だけ三日空いた日があったけど、あとはほぼ毎日来てたかな。」
「何かリーちゃんが居なくなる前に不自然だったことってあった?」
「特には。」
「なるほど……」
桜香はいつのまにメモ帳を出して、今聞いたことを書き込んでいた。こうしていると随分探偵らしい。少なくとも、安っぽいコスプレに身を包んでいるよりはずっと。
「よし、来なくなった日と来ていた頻度はわかったわね。これならきっと調べてもらえる。」
桜香が独り言のように言った。
「調べてもらえる?」七世が繰り返す「桜香さんが調べるんじゃないんですか。」
バカね、とでも言いたげに、というか殆ど言っているのと同じような他人を小馬鹿にした笑みを浮かべて、桜香はふんと鼻をならした。
「得意なひとがいるなら、誰かに頼むのも知恵のひとつよ。自分で動くしかないときもあるけど。」
「いるんですか、得意な人。」
「ええ、すっごく身近にね。守、時間とってくれてありがと。何かわかったらまた連絡するわ。」
颯爽と立ち上がり、桜香は机に一枚の紙切れを置く。名刺だ。
「あなたも何かあったら連絡なさい。七世経由でもいいから。」
桜香の言葉に、守はこくこくと頷く。
だが何かを思い出したらしい、小さく「あっ」と呟くと、桜香と同じように立ち上がった。
「代金とかって、その……」
最後の方は口ごもってしまったが、言わんとしていることは七世でもわかった。ちらりと横目で桜香を見る。
「……」
なにも言わない。しかしやがて呆れたように息を吐くと、
「今のコーヒーの代金。」
「え?」
「依頼料よ。それでいいわ……」
さながら映画の善意ある探偵のように―――恐らくは桜香自身それを意識して―――よくあるCMのように桜香は長い髪を揺らした。
絵になる。美しいので絵にはなるのだが、台詞のあとのドヤ顔が、完全に自己演技に浸ってるそれだ。
「……っ!姉御、クロのために!!感謝しかないっす!」
守は守で神を崇めるような目で桜香を見つめる。
二人の間で漂う火曜サスペンス感。
しかし、出遅れた、というかもともと溶け込む気もない七世は、口を出すこともはばかられひとりで絶句。
黙っている間にも、二人の演技(ただし本人はいたって真面目)は続く。
「いいのよ。私もリーちゃんのこと心配だしね。」
「……クロ、元気にしてるかな。俺も何かわかったら連絡します。」
「もちろんそうして。リーちゃんのためにも。」
「そうですね、クロのために。」
ん?、と七世の顔が曇った。どうも雲行きが怪しい。
お互い怪訝な顔をして見合う桜香と守。
「……『リーちゃん』、ゆがいたマグロが好物よね。」
突然どうでも良い話をしだす桜香。
「……えぇ。鶏のささみとかもすきですよ、『クロ』は。」
「そうね。リーちゃんよくささみ食べてたもの。」
「クロはよく食べる子なんで、食べ過ぎが心配でしたけど。」
見えない言葉のジャブが飛び交う。だんだんとそれはヒートアップし、やがて語尾に『!』がつきはじめた。
「『リーちゃん』は本当にいい子よね!!!」
「『クロ』は本当にいい子です!!!」
両者一歩も譲らず、何度か似たようなどうでも良い会話が交わされたあとで、七世は耐えかねておそるおそる手をあげた。
「あのー」
「なに七世!!」
「なんだよ七世!!」
二人が同時に七世を向く。七世は自らが考えうる最善を提案した。
「じゃんけんで、どうですかね。」
「あぁーもう!!なんでグー出したのよあのときの私!」
喫茶マツシマからさくら荘への帰途。桜香は心底悔しそうに金切り声をあげた。
「決まったものはしょうがないですよ。諦めてクロと呼んでください。」
暴れ馬を宥めるように声をかける七世。
「クロだなんて安直な名前、信じられないわ!」
そもそもクロが本当の名前かわからないし、リーちゃんという名前もたいしてセンスがあるように思えなかったが、賢い七世はそれを口に出さない。
代わりに、話題を変えなければと、努めて明るい声で言った。
「ところで、桜香さんの言ってた『得意な人』って誰なんですか?」
「……あそこにいるわよ。」
まだふてくされながらも、桜香は真っ直ぐある場所を指差した。
そちらに視線を移す七世だが、指の先には住宅の間に見えてきたさくら荘があるだけだ。
「さくら荘ですけど。」
「だからさくら荘よ。そこにいるのよ。」
「え?いるって……」
突然桜香の歩みが早まる。歩いているというのに尋常じゃなく速い。慌ててその後を小走りでついていくうちに、あっというまにさくら荘に着いてしまった。
「あら櫻木さん、七世くん、おかえりなさい」
出迎えてくれたのは庭を掃除していた田原さんだ。確か出掛けるときも同じように庭掃除をしていた気がする。
「ただいま、加代子さん。」
桜香は朗らかに挨拶を返すと、鞄の中から一枚の紙切れを取り出した。喫茶で守の言っていた内容をメモした紙だ。
「実はちょっと加代子さんにお願いしたいことがあるんだけど、頼めるかしら?」
ぎょっとする七世。まさかと思い田原をみると、いたって平然とした風で、彼女は微笑んだ。
「えぇ、桜香さんの頼みならなんでも。今度は何をお探しですか?」
この人だ、と七世は確信する。田原こそ、桜香の言っていた「得意な人」なのだ。
驚いている七世をよそに、二人の会話は続く。
「黒猫なんだけどね、メスの。」
「猫ちゃんですか。ちょっとお時間かかるかもしれないですけど、多分わかりますよ。」
「本当?じゃあお願いできます?」
「おまかせください。」
恭しくお辞儀をする田原。メモをなれた手つきで胸ポケットにしまうと、また掃除を再開した。
桜香も何事もなかったかのように、事務所に向かう。途中で七世が付いてきていないのに気づいて、振り返り声をかけた。
「七世!なにぼーっとしてんの!」
「あっ、はい!」
弾かれたように七世は動き出す。すれ違い様に田原をちらりと見たが、どこからどうみても普通のおばさんだ。
―――本当に、田原さんが得意な人…?
確信が疑問に揺れる。
桜香に追い付いたあと、ため息をつく彼女に七世は尋ねた。
「得意な人って田原さんですよね。あの、本当に……?」
その問い自体が新鮮だったのだろうか、桜香は一度大きく瞬きをしてから、片頬をあげた。
「三日もすればわかるわよ。」
意地悪な笑みだ、と七世は思った。しかし嘘をついている顔ではない。
―――今いろいろ考えても仕方ない。
七世は気持ちを切り替えると、その後は情報が入るまで、探偵事務所の掃除(桜香命令)にいそしむことにした。
そして約束通り、田原加代子は三日も経たないうちにクロ―――もとい「ノワール」の情報を集めてきたのである。
吾輩ハ探偵デアル みの @minono-musi
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