第4話 喫茶店のはなし

翌朝。電子音のアラームで目を覚ました七世は、ゆっくりと体を起こした。寝ぼけた頭で、一瞬ここはどこだなどと考えるが、落ち着いてまわりを見渡して、昨日引っ越してきたことを思い出す。手で探り当てた眼鏡をかけると、カーテンを開けようと立ち上がった。

「うわ、まぶし……」

季節は秋、そろそろ冬も近いというのに、日の出はまだそこまで遅くない。住宅の屋根の合間を塗って、朝日がキラキラと差し込んだ。

冷蔵庫を開ける。あらかじめ買っておいたコンビニのサンドイッチがあり、七世はそれをつかんだ。

「今日にでもスーパー行かないとな……」

部屋を歩きながら呟く。折り畳み式の机を出すと、あぐらをかいて、サンドイッチの封を開けた。

もぐもぐと無言で食べはじめる。わけもなく天井を見上げる。寂しい感じはなかったが、空しいような気はした。自分は今どうしようもなく一人なのだと思わざるを得ない。家にいたって、別に部屋にこもり独りになるときはあったが、ここまで静かではない。明らかな人気のなさは少し怖くも感じた。

ひたすら、黙々とサンドイッチを食べ進める。






その後順調に支度をして、七世は家を出た。

―――学校が近くなったのはありがたいな。

階段を降りて、さくら荘の門を抜ける。まっすぐいけば学校までは歩いて10分ほど。だが七世は一ヶ所寄り道をするので、実際の時間は15分ほどだ。その寄り道先というのが――

「……おはよう守」

喫茶マツシマの前で掃き掃除をしていた守が、顔をあげた。

「おっ、おはよう七世!じゃあ荷物とってくるわ」

そう言って守は喫茶店の中へと消えた。土日でない限りは、こうして七世が喫茶店へ足を運び、一緒に登校するのが日課である。よく「高校生にもなって」とは言われるが、守は七世と小学生の頃からの幼なじみで、その時からずっと一緒に登校するというのを続けているので、むしろ二人にとっては一緒に行かないという方が違和感があるのだ。もちろん高校が別々になっていたならこうはならなかっただろうが、同じところに進学したのなら、一緒にいくのは当然の成り行きだろう。

「おまたせー」

守が喫茶店からひょいっと出てきた。とじまりの確認をすると、二人でゆっくり学校に向かって歩き始める。

「どうよ七世、はとことの共同生活は」

守が話をふった。

「だーかーらー共同生活じゃないって。アパートの部屋を貸してもらってるだけだよ」

「美人だった?」

「……あーそれは、まぁ」

「ほほぅ?」

にんまりと笑う守。

「いや、桜香さんの話はよくて」

「名前呼びか!」

「うるさい!!」

七世は一度ごほんと咳払いをした。

「いいから聞いてくれ。あのな、―――」

そして昨日の顛末、加えて桜香から受けた『バイト内容』について説明する。しばらく真面目に聞いていた守だったが、時給の話になると突然声を大きくした。

「時給1000円!?高くね!」

「確かに高いし凄いよな……っていうか違う!本旨そこじゃない!」

「わかってるよ、『依頼見つけてこい』ってやつだろ?」

頷く七世。守は一度目を閉じて空を仰ぐと唸った。

「とはいってもなぁ……そんな話そうそう……」そして目を開く守「あ」

「……あるのか?」

「……あるっていうか……。やーでもほんと大したことないしなぁ」

話を内にしまってしまいそうな守を見て、七世は焦る。なんとしてでもここで1つそれらしい話を掴みたいものだ。

「頼むよ。助けると思ってさ」

「……ほんとに、大した話じゃないってのだけ覚えておけよ」

念押しして、守は口を開いた。

「実は、―――」




「……猫ぉ?」

「はい。毎日やってくる猫にいつも餌を与えてたらしいんですが、ここ最近その猫がやってこないみたいで。」

「それを調べろと」

ところかわって櫻木探偵事務所。放課後、学校から帰ってきた七世は、さっそくデスクに付いた桜香に、守から聞いた話をかいつまんで説明していた。

「猫ねぇ……」

見つけてきた依頼内容に不服そうな桜香。七世は肩をすくめる。

「……一日で依頼を集めるには無理がありますよ。それこそ、きちんとポスターとか作成しないと」

「嫌なのはそこじゃないわ」

桜香がぶんぶんと首と手を振る。

「じゃあ何が」

「私犬派なのよ」

「……は?」

思わぬ答えに繕う前の声が出る。子供か、という本音はぎりぎりのところで唾と一緒に飲み込んだ。

「……猫もかわいいですよ」

「自由気ままじゃない。なに考えてるかわかんないわ。七世くんも付き合いづらいでしょ?そんな人」

七世の脳裏に桜香と伸一の顔が浮かぶ。自由気ままで、何を考えてるかわからない人。なるほど、確かに扱いづらくはある。

「で、どうしますか?」七世は桜香に尋ねた「断るなら、そいつ喫茶店やってるんで、今からそこに行って伝えてきますけど」

そこで桜香の動きが止まる。何度もまばたきをして、ゆっくりと七世を見つめた。

「喫茶店?まさか喫茶マツシマ?」

「知ってるんですか」

「知ってるもなにもそこの常連よ。猫ってのはリーちゃんのことだったのね……」

「……リーちゃん?」

桜香はなんでもない、と慌ててそっぽを向いた。椅子をさっと立ち上がり、いそいそと出掛ける準備を始める。

「……どこへ?」

「決まってるじゃない」

桜香が秋物のコートを華麗にラックからとった。

「喫茶マツシマよ」





喫茶マツシマはそこまで規模の大きな店ではない。本当にこじんまりとりした、昔ながらの店だ。だがだからこそ、近所の人に親しまれて、守の祖父は長年この店を続けることができた。

守もここが大好きだった。コーヒーの香りと、それを淹れる祖父の姿を、いつも近くで感じていた。これからも、感じていたかった。

―――でも。

守は磨いていたカップにそっと息を吹きかけた。くもったその部分を、また丹念に拭く。

―――じいちゃんは、死んじまった。

享年87歳。最期のころは病院に入院していたが、ほぼぽっくり、というのがちょうど良いほど、あっけなく祖父は亡くなった。

父は喫茶店を取り壊すといった。小さいとは言えど、場所を残しておくだけで費用はそれなりにかかってしまう。それは理解はしていたのだが、守はどうしても、父の発言に首を縱に振ることはできなかった。

説得して説得して説得しつくして、守が喫茶店をきりもりするところで話は落ち着いた。だが実際のところ、守が喫茶を経営して収入を得たとしても、維持費には届かない。昼間は守が学校に行くため、営業時間が短くなるのが主な理由だ。つまりどうしたって、多少の松島家からの出費が必要になる。守は払えない。つまりは両親が、だ。

しかしそれをわかっていながら、両親は守の提案をのんでくれた。守の気持ちを汲んでくれてのことだとはわかっている。今でも、感謝してもしたりないほどだった。

―――こうやってカップ磨けてるのも、父ちゃんのお陰か。

一時カップを磨くのを止め、まじまじとそれを見つめる。なんだか途端にカップが高級なものに思えて、磨く手にいっそう力がこもった。

そのとき、カランコロンという昔ながらのドアベルを鳴らしながら、一人の女性が入ってきた。

「いらっしゃい」

「こんにちは」

常連の美人だった。いつもコーヒーだけを静かにのんでいるのであまり話しかけたことはないが、顔は覚えてしまっている。さっそくいつものオリジナルブレンドを用意しようと思った矢先、守はその美人に続いて入店した人物に釘付けになった。

「な、七世!?」

「……おう」

紛れもないクラスメイト兼幼馴染みである。

「え?え?」

美人と七世をせわしなく交互に見つめる。見かねた七世が頬をかきながら説明した。

「えーっと、こちら、はとこの。櫻木桜香さん」

「は!?この美人が!?」

「自己紹介したことなかったわね、そういえば」

「え、ま、そりゃ。って、え!?」

事態をまだ完全に読み込みきれてない守。店内にいた客の一人と目があって、守は慌てて口を押さえる。

「いーのよ守くん」

その客はニコニコと笑って手をふった。

「あら野場さん。こんにちは」

「桜香さんもこんにちは。そちらは……」

「あ、林条七世です。最近こちらに越してきました。よろしくお願いします」

「七世くんね、よろしく」

呆けてる間に七世は着実に友好関係を築く。桜香はさっさか席に着くと、守にウインクをひとつよこした。

「マスター、オリジナルブレンドを」

目をしばたたく守。やがて自分がやることを思い出したように、慌てて動き出した。

「は、はい!」

豆を挽いて、サイフォンを用意する。耳に、桜香と、七世と他の何人かの客の賑やかな声が響いてきた。昔と変わらない、なにも変わらない、守の愛する風景が、そこにあった。

―――やっぱ好きだな。

自然と微笑みがこぼれる。サイフォンの音と、声とが楽しげに混ざりあって、とてもとても心地よい。守は愛おしむように、目を細めたのだった。

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