第19話 後日談

 写真部で一番浮いてるただの部長はもういない……と思ったのも、夏休みが明けるまでの話で……

 普段の部活が始まれば、宇佐美先輩はやっぱり今までの宇佐美先輩だった。それはそれで、また不思議でもあり、少し嬉しくもあった。私はあの日、もうあの無口でぶっきらぼうな先輩がいなくなってしまったような気がしたけど、宇佐美先輩は以前の部長像を手放していなかった。

 宇佐美先輩から関西弁を話すことを秘密にしてくれと言われたわけでもなかったけど、あの神谷先輩が知っていて公言しないことなら、私もそれに倣おうと思った。



 文化祭が近づいたある日——

 宇佐美先輩が撮った私の写真を目にした部員たちは、案の定……ざわついた。

 私と宇佐美先輩が付き合ってるという噂は、写真部だけにとどまらず……先輩が変身を果たすその日まで続いた。


 文化祭に出展する写真を完成させた部員は、作成が遅れている他の部員たちをフォローをするようにという顧問の先生の伝言を、部活のミーティング時に宇佐美先輩が話している時のことだった。

 宇佐美先輩の話を無視して、例の噂話で盛り上がっていた部員に対し、ついに宇佐美先輩が、

「お前らっ! 人が話してるんやから、ちゃんと話を聞けっ!」

 と、いつか聞いたことのある、よく通る大きな声で叫んだ。

 一瞬、部室がしんと静まり返った。顧問の先生でも、一喝してここまで静かにさせるのは難しいというのに……

 それで、部員の視線が一斉に正面の作業机に目がいったのだけど、そこに宇佐美先輩の姿はなかった……

 と、思ったら、作業机の後ろに身を屈め、そこから顔半分だけを出し、部員達の様子をうかがう宇佐美先輩がいる。

 まるでモグラ叩きのように、宇佐美先輩は再び頭を机の裏に引っ込める。部室に乾いた咳払いが聞こえた。

 そして、宇佐美先輩は立ち上がって、私たちを見据えた。

 宇佐美先輩の顔が赤い。

「……それでええねん。それが人の話を聞く態度っちゅうもんや」

 その間に声を発する部員はいなかった。普段話さない先輩が叫んだという驚きと……きっと、あまりにも自然で当然のように吐き出された関西弁のなせる技だったに違いない。

「それから……俺の写真見て陰でこそこそ言うとるヤツな、ここに出てこい! ちゃんと俺の前で言うてみろ」

 普段の先輩の睨みが、別の意味で迫力を見せる。

 でも、私は口元がにやけてしかたがなく、思わず手でおおった。宇佐美先輩の変身を目の当たりにした部員達みんなの様子がおかしかったのだ。それと同時に、自分が宇佐美先輩の秘密を知ったあの日のことを思い出していた。

 でも、にやけて仕方がない人物が私以外にもいて、その人物はすぐにこらえきれなくなり、大声をあげて笑い出した。そして、前に出て行く。

「はいはいはい……部長、お気持ちはよくわかりますけど、あんな写真出されたんじゃ、言い逃れできないでしょ? しかも、何ですその言葉遣い……乱暴な!」

 神谷先輩だった。

「……お前か、しょうむない噂流してるの」

「まさかぁ〜」

「お前のこと信用したいけど……お前は誤解されるようなことしか言わへん」

「僕がそんなことするわけないでしょ〜」

 神谷先輩のわざとらしい態度は見慣れているけど、相手が部長だという面白さが部員たちを引きつける。

「……それに、もし他に噂を流した部員がいたとしても、今の部長の物言いじゃ、恐ろしくっておちんちんも縮み上がって、誰も出てこれないでしょ?」

「噂流してるやつ、男子とはかぎらんやろ」

「あ……それもそうか!」

 一斉に笑いが起こった。私も笑ってたけど。

「でも、この際部長も苦しい言い訳をせずに、いっそ認めた方が身のためですよ、松山は俺の彼女だって!」

 一呼吸置き、誰かが口笛を吹いた。一斉に「そーだ! そーだ!」と声を上げ、私の隣に座っていた噂好きな女子部員が「やっぱりじゃん!」と私の腰を肘でつついた。

「あのなぁ、神谷……みんなもよく聞けよ。俺にもし、今付き合ってる彼女とかおったら、自分の彼女の写真撮ってドヤ顔するとか、そんなこっぱずかしいこと、すると思うか? そんなヤツ、アホやで」

 宇佐美先輩が、バンッ! と大きな音を立てて両手で机を叩いた。

「もし俺に彼女がおったら……もっと、こそっと付き合う。他の連中にばれんようにするわ」

 宇佐美先輩の横に立った神谷先輩は軽く手を叩きながらも、声には出さずに後ろを向いてお腹をよじる。

 でも、正面に向き直った神谷先輩は笑顔を消し去り、極めて冷静な顔になっていた。

「そもそも、この俺を差し置いて、部長に彼女ができると思うか? おまけに、本性さらけ出したらこの関西弁! こそっと付き合うとか言ったけど、でしゃばりの関西人が誰にも知られずこそっと付き合うなんて、できると思うか?」

 シンとして、神谷先輩の話に聞き入る部員。でも……

「いや……俺かて、本気になったらお前より凄いと思う」

 と、絶妙な間を置いて、今までの、無口でぶっきらぼうな物言いで宇佐美先輩がボソボソっとつぶやいたときには、部室中に大爆笑が起こった。

 それは、隣の美術部の顧問からお叱りを受けるほどのものだった。


 その日を境に、宇佐美先輩が撮った私の写真よりも、話題は宇佐美先輩自身に移り、神谷先輩を取り囲んでいた部員の輪の中に、徐々に宇佐美先輩が加わるようになった。

 部活以外での私と宇佐美先輩の噂においても話は簡単だった。本当のことを言えばよかっただけだから。

 本当のことは、『お悩み相談』で宇佐美先輩に話した通り。それ以外にはないのだ。

「むしろ、私は失恋したし、失望したの! いっそ、恋愛の対象が宇佐美先輩ならよかったよ」

 そんなことまで、言えてしまえる。それも、事実だったから。

 ただ、今後の恋愛の対象については……話す必要は無い。



 結局、お姉ちゃんと高久さんの結婚式の写真が撮れなくなった私は、カナダ留学を決めたお姉ちゃんが空港から旅立つ日に見送りに行き、大きなスーツケースを引っ張ってエスカレーターを降りていこうとするその後ろ姿を写真に撮った。

 モノクロで撮ったその写真は、わりといい感じに撮れたと思う。こんな写真を撮ったのは、お姉ちゃんには内緒だけど。



 そして、宇佐美先輩の『夕暮れを追いかけて』という写真の連作は、町の文化展で「佳作」に選ばれ、しばらくの間、市の大きなホールで展示されることになった。

 八枚立ての、お手製の額に飾られた、宇佐美先輩の連作。その最初と最後に私が写っている。

 高久さんを待ち、改札でたたずむ私から始まり、最後の写真は、モノクロとカラーで撮った町の風景を縦に並べて一枚仕立てにしてある。同じような構図に景色だけど、カラー写真の隅に写ったセーラー服の後ろ姿は私だ。手にしたカメラも少し入るようなアングルで撮られたそれは、まるで他の風景写真を撮っていたのが私だったかのように思わせる。夕日の色は見事に再現され、半ばシルエットと化した私の後ろ姿は、とても自分だとは思えず、私の知らない何かを物語っているようだった。

 最後の写真について宇佐美先輩は、

「ちょっと、欲張ってみたくなった」

 と私に言った。

 モノクロかカラーかで迷うぐらいなら、その両方があってもええとおもた……と。

 客観的に、写真だけ見ててもストーリー性を感じるかもしれない宇佐美先輩の連作。でも、私は実際のストーリーを知っている。誰も知るはずもないストーリーがその向こうにあったことを。

「俺の写真の腕ちゃう……被写体が、偶然にもできすぎやった」

 「佳作」の表彰状を手にした宇佐美先輩は、そんなことを言って照れ臭そうに笑った。

 今では、みんなにも、私にも向けてくれる、宇佐美先輩の笑顔だった。

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