第18話 先輩の写真
最寄り駅に着いた頃にはすっかり日は暮れて、辺りは暗くなっていた。帰り道の途中で、ちらほらと街路灯が点り始めた。
私はさっき大泣きした恥ずかしさもあり、あの後はあまり積極的に話す気にはなれなかった。
もしかして、宇佐美先輩に嫌われてしまうんじゃないかという怖さも多少残っていた。
だから、やっぱり宇佐美先輩は少し私の先を歩く。
面倒……ですね、本当に。自分の気持ちって、どうしてこんなに面倒なのか。
このまま別れてしまうのはイヤなのに……
少し前を歩く宇佐美先輩の背中を見つめた。
連続するLEDの明るい街路灯の下で、ハッと、思いつくことがあった。
私はリュックから慌ててカメラを取り出した。
「宇佐美先輩!」
先輩の名を呼んで、振り返った先輩にレンズを向けた。
部長と呼ばず、宇佐美先輩と口にすることは、私には勇気がいることで……まるで、告白にも似てる。
何だか、カメラを持つ手が震えた。写真を撮ろうというのではなかった。ファインダーの向こうにいる、宇佐美先輩を見たかった。
そこにいるのは……最後に見た高久さんじゃないことを、祈って……
ちょうど街路灯の真下に
「ちょっと待て」
怖い顔ではないけど、ファインダー越しに見る宇佐美先輩は突然真面目な顔をしてレンズを睨んだ。
そして、手にした荷物を下に置き、制服のシャツのボタンをきっちり留め直し、髪を手で押さえつけたり分け目を整え始めた。
「これでええ」
「……は、はぁ」
私は、カメラを半分ずらして自分の目でそれを確認した。
「ほら! ちゃんとカメラ持って! ピント調節!」
「は、はい!」
一瞬気が緩みそうになったけど、カメラを構えてファインダーを覗いた。
そこには、写真部の部長としての宇佐美先輩がいた。口を真一文字に結んで、緊張した面持ちでレンズを睨む、先輩。今までよく見知った、あの部長だ。
宇佐美先輩は、ここにいる。今までの部長も、ここにいる。これが、先輩の
私はシャッターを切った。
「俺、写真部に入って、面と向かって写真撮られたの初めてや」
宇佐美先輩は少し照れくさそうに俯きかげんに言った。
「それに……もうすぐ受験やし……部長も、終わりや」
そう……だった。
「記念に、ちゃんとした写真あってもええもんな」
そして、そんなことを言って、笑う。
その笑顔は、シャッターを切る直前にほしかったのだけど……でも、いいや。
再び歩き出した帰り道。今度は宇佐美先輩と並んで。
「あの写真……使ってもいいですよ」
「え……? あの、松山が写ってる写真か? ……文化祭に出展して……ええんか?」
私は小さく頷いた。
「ま、町の文化展には……?」
「文化展にも」
「ほ、ほんまか!」
宇佐美先輩は驚きと嬉しさが入り混じったような笑顔を見せた。
「あ、そや! さっきの……後ろから松山を撮った写真は……?」
「それも……使っていいです」
「よっしゃー!」
宇佐美先輩は私に背を向け、ガッツポーズをとった。
その喜びは、あくまで「写真のため」なんだな。
「でも、他の部員にいろいろ言われるかもしれませんよ。その覚悟できてます?」
「覚悟って……」
「例えば、真壁と水原さんみたいに……ほら、神谷先輩が……あることないこと言ったり……」
私は少し言い
「ああ……そっか、神谷な……。でも、あいつ嘘は言わへんで。ないことは、言わん」
宇佐美先輩が神谷先輩の肩をもつようなことを言ったので、少し意外だった。
「ただ……口は軽いのが玉に瑕やけどな」
知ったふうに、宇佐美先輩は顎に手をやってぼやいた。
「部長、神谷先輩と仲いいんですか?」
おずおずと、尋ねる。けっこう、私にとって根源的な疑問。
「仲がいい、というか……たぶん、俺が関西弁話すの知ってるのあいつだけや。俺がこっち引っ越して来て最初に話したヤツって、あいつやったから」
宇佐美先輩の関西弁に次いで、今日二つ目の意外な事実。
「おれんちの隣の団地に住んでたからな」
「そうだったんですか!? 私、部長がずっと神谷先輩にいじめられてるかもって……」
つい、心の声をそのまま口にしてしまった。でも、宇佐美先輩は声を出して愉快そうに笑った。
「確かにな。あいつは俺に関西弁使わせたいんや。だから、いろんなちょっかい出してくる」
本来の宇佐美先輩の姿を知ったら、そうしたくなるのもわかるような気がする。
きっと神谷先輩は、私よりもずっと宇佐美先輩のことを知っているに違いない。
「部長……みんなの前でも関西弁話せばいいのに」
う〜ん……と先輩は返事とも唸りともつかない声を上げた。
そして……
「だって、俺、モテたい……」
「は?」
「モテたいもん。しゃべりと関西弁は、こっちではモテへん」
「そんな……理由で?」
今日一日と、私の涙を返せ! と思ったけど……
ぷいと背を向け、歩き出した先輩が首を傾げて頭をかいたのを見ると、やっぱり、ただただ付いて行きたくなる。
今日一日の終わり。空にはうっすらと星が出ていた。
「松山って、何で写真部入ったんや?」
不意に先輩がそんなことを訊ねてきた。
「誰も使わない、おじいちゃんのフィルムカメラがあった……からかなぁ」
「ふーん……」
どこか、気のない返事。
「松山はもともとカメラとか写真とか、あんまり興味なさそうやしな」
「そ、そんなことないですよ! 興味あります!」
「嘘つけ」
「嘘じゃないですっ!」
「いや、嘘だね。俺は人の心読めるんや、なんせお悩み相談屋やから」
「嘘!」
「嘘やけど、もちろん」
「ば……」
とだけ声にして、口をつぐむ。思わず、「バカみたい」と言ってしまいそうになった。
「じゃあ宇佐美先輩は?」
何となく、流れでぶっきらぼうに聞き返してしまったけど、言ってから、あっと思う。宇佐美先輩と呼んでしまった。しかも、今度は意図せず。
フフッ……と、息を吐くような……それは宇佐美先輩の笑いだろうか。
「松山はええな」
「何がですか?」
「自分を自由にさせてるから」
「自分勝手……ってことですか?」
「ちゃうよ。俺も……うまく説明できひんけど、でも、たぶん自分を自由にさせるって、難しいことやってのは、わかる。だから、それができるってええなと思う。俺も、見習いたい」
「はぁ……」
「それにな、たぶん、俺が撮りたいのって、そういう人やと思うねん。自分を自由にさせてる人。……そういう人って、正直な顔してると思うんや。あの改札のとこで撮った松山みたいにさ。必死な感じやったり、どことなく不安やなぁ〜っていう。俺が撮りたい写真って、そんなんばっか……そんなんだけちゅうてもいいな。それしかないんや」
まるで迷いなく語られた宇佐美先輩の言葉は、私が今まで聞いたことが無い言語のようだった。そして、私はそんな言語を勉強した覚えも無いのに、なぜか全て理解できるような感じで……
「誰か言ってたけど……カメラいうんは、そこにあるもんそのまま撮ってしまう。だから、もちろん、そこにあるのが嘘で覆い隠したもんやったら、そのまま嘘もひっくるめて写真に封じ込めてしまう。写真見る側はそういうの考えんと、そこに写るもんがみんな真実みたいに見てしまうけど……わかるヤツにはわかるらしいんやな、そこに何が写ってんのか。それで、カメラマンが何を撮りたかったかまで、ヤツらは見抜くらしいわ。俺、その人の写真見たとき直感でわかったことがあるんや。それで、後でその人のコメントみたいなん読んだんやけど、俺が感じたことと同じこと言うてた。写真一枚やった。言葉にすれば長たらしいことやけど、たかだか写真一枚や。話は早かったな。俺一生忘れへんわ、あの写真。『ファインダーの向こうを覗く瞬間、その瞬間には真実しかない』……名言やな」
あ……私、それ知ってたな……
思い出した。宇佐美先輩が写真部の部長になったとき、みんなの前で話したことだったと。今思えば、あの時は顔を真っ赤にして、たどたどしい標準語で一生懸命しゃべっていた……部長。
私の胸に突き刺さって、後に残る言葉……
「私も……そういう言葉聞きたかったのに」
「へ?」
「……正直な言葉……ってやつ」
「正直な顔って言ったんだけど」
私はぷるぷると頭を振った。
きっと今のは、私が高久さんへ言いたかったことなのだと思う。
「先輩なら、いい大人になれそうですね」
私はこっちで、宇佐美先輩はあっち。そんな分かれ道で私は言った。
「いい大人じゃなくてええから……俺も、自分で自分を自由にしときたい。それに、もっと関西弁使えたらな……」
笑顔で、「じゃあな!」と手を振って、宇佐美先輩は駆け出した。
街路灯の灯りの下、宇佐美先輩の姿が見えなくなるまで、先輩を見送っていた。
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