第15話 ささいな衝突も……

 ふと、リュックの中で通信端末が振動してるのに気がついた。そういえば、今日は随分長い間通信端末の画面を見てない。

 それは母さんからの電話だった。

『今どこにいるの!』

「どこでもいーでしょー。学校帰りだよ」

『何度もメール送ってるのに、何してるの!』

「はいはい……」

『こんな遅い時間まで学校なわけないでしょ! 夏休みなのに!』

 全て怒鳴り口調……うんざりだな。この暑い中で聞くには辛い。

「あー、もう充電切れそう〜。何? 用事なら早く言って」

『今日も少し遅くなるわよ』

 今日も……か。毎日のことじゃん。しかも、お姉ちゃんがらみ。それならいちいち連絡はいいよ。

「はいはい」

『ふざけてるの? ちゃんと聞きなさい!』

「はいはい。じゃ〜ね〜」

 ふざけてるのは誰? いつも、ちゃんと聞いてるのか問い質したいのは私の方だけど……そんなことを思いながら電話を切った。

 通信端末には友達からのショートメッセージが数件入っていた。最新のものには、早くも神谷先輩が流した情報に反応した噂好きの女子部員からのものがある。

〈部長と部室デートってマジなの?〉

〈それは私じゃなくて真壁と水原さんのことだよ。これはマジ〉

 そう返しておいた。

 気怠げに通信端末を鞄にしまいながら歩き続けていると、

「歩きながらは危険やぞ」

 突然宇佐美先輩に声をかけられた。顔を上げると、目の前に先輩が立っている。

 宇佐美先輩から歩み寄ってくれた! ……と一瞬喜びそうになったけど、先輩はただその場に足を止めて、私が追いつくのを待っていただけだった。

 しかも……

「これ食っていかへんか、ここから先は腹減ってたらきついから」

 なんて、勧められたのが激安ラーメン。その店先で宇佐美先輩は待っていた。

「ラーメン……ですか……」

 外から店内を覗けば、けっこうお客さんが入っている。若い男性もいれば年配の男性もいて……って、全員男じゃん!

「私、いいです」

 きっぱりそう答えてしまった。

「ええの!」

 なぜに嬉しそうにするのか宇佐美先輩は……と思いながら、

「あの、いらないって意味です」

 と即座に言い直した。先輩とのやりとりで、自分が勘違いしそうになった言葉の微妙なニュアンス。英語も苦手なのに、日本語もダメっぽい、私。

「えぇ〜……」

 急に落胆する宇佐美先輩。宇佐美先輩の「ええ」はまるで英語みたいにバリエーションに富んでいる。

 私はきょろきょろと辺りを見回した。駅前のロータリーを抜けて正面の大通りをしばらく歩き続けた地点だった。ラーメン屋の他に店がないか探してみる。手近な所で、パン屋、コンビニと、クリーニング店。それと……カフェ?

「あ、ほら、あそこにカフェがあるじゃないですか! あそこがいいです!」

「えー、カフェなんかにあるもんで腹膨らまんやん。……それに、ここのラーメンより絶対高い……」

 最後の言葉をボソボソと呟きながら、宇佐美先輩がふてくされた感じで言う。

「そんなことないですよ! カフェの方がラーメン屋よりメニューも豊富だし!」

 私はお姉ちゃんとのテレビのチャンネル争いの時みたいな勢いで言っていた。

「メニューより腹や!」

 それに負けじと宇佐美先輩も声を張り上げた。

 その先輩の言い方があまりにも子供っぽくて、ついムッときてしまう。

「こういう場合はね、男は女性の意見を尊重するものさ」と、お姉ちゃんと意見が分かれた時には、優しく笑って一歩譲るのが高久さんだった。いつもスマートな対応が板についていた。だから、憧れた……

 こんな時、高久さんなら……

 何か、チクリとする。

「じゃあ、部長一人で食べたらいいじゃないですか! 私、男の人ばっかの、あんなムサ苦しいとこで食べるのヤです!」

 ひどい。ひど過ぎる、高久さん、宇佐美先輩……じゃなくて、私。

 遠くで、五時を告げる町の音楽が鳴る。昔の童謡。小学生の頃、音楽の授業で歌ったこの曲は、もっと楽しげなメロディだった気がする。でも、この時間帯に流れるこのメロディは、どうしてこうも物悲しいのか……

 この曲、嫌い!

 そう思った途端、なぜだか目を閉じることにひどく抵抗を感じ、私は先輩に背を向けた。必死に頬を拭ったのは、汗ではなく、涙がこぼれ落ちたせいだ。俯いて、スポーツタオルで顔を覆う。

 ラーメン屋でも、別によかったんだ。宇佐美先輩に勝手について来たのは私だし! それに、宇佐美先輩は昼間、私に唐揚げ弁当を分けてくれたのに!

「じゃ、じゃあ、こうしよう! 今所持金が多い方が好きな店を選んで、相手におごるってのはどうや?」

 少し焦りながら口にした宇佐美先輩の提案に、私は無言で頷いた。頷くしかできなかった。

 財布の中のお金を黙って宇佐美先輩に見せた。千円札二枚といくらかの小銭が入っている。

 宇佐美先輩はスボンのポケットをまさぐったけど、出てきたのは百円玉三枚だけだった。

「あ、あれ……これっぽっちか。じゃあ、ラーメンは無理やな、ハハッ。松山、金持ちやなぁ。俺の分も頼むで、カフェでうまいもん食わしてくれよ」

 その後、宇佐美先輩と一緒に食べたオムライスの味は、美味しいけど、どこかほろ苦く感じ、会話も部室にいたときより弾まなかった。

 部室を出た頃と随分違って、少し複雑な気分。

 夏の日没は長いと思っていたけど、確実に、日は沈む。

 宇佐美先輩が窓から空を眺めながら、

「ちょうどええ感じや」

 と独り言みたいに言った。

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