第16話 町の風景

 腹ごしらえが済んで、そこからは本当にちょっとした登山みたいだった。歩道も設けられ、車も十分に通れる道幅の普通の道路だったけど、けっこうな傾斜の坂道を延々登る。

 自分で決めたことだったけど、私は宇佐美先輩について来たことを後悔しはじめていた。

 今、宇佐美先輩と私に距離ができてしまうのは、私の歩く速度が遅くなってるからだ。それは体力的な問題でもあるけど、気持ちの問題でもあるようで、縮まらない距離が歯がゆかった。

 少し先を行き、立ち止まっては後ろを振り返り、私が追いつくのを待つ宇佐美先輩。

「もうすぐや!」

 先輩は私を元気づけるように声をかけた。その「もうすぐや」はこれで三度目。いったい、先輩のもうすぐはどれほどの距離を指すのかと思っていたけど、それは、三度目の正直だったようだ。

 宇佐美先輩が立っていた場所をすぐ左に曲がれば、瀬野寺院というお寺があった。そのお寺の脇には石畳で舗装された小道があり、宇佐美先輩は「こっち」と言って、その脇道に入っていった。道の両側に低木が植わっていて、その先は竹林になっていた。間を通る小道はちょっとした遊歩道という感じだ。

 竹林の間を、サワサワと笹の葉を揺らしながら風が通り抜けてゆく。それは昼間の太陽に熱せられて淀んだ空気を、一気に吹き払ってくれるような風だった。とても気持ちがいい。

 さっきの坂道と比べれば緩やかな勾配の小道を進み竹林を抜けると、公園のように開けた一角に出た。山肌を削って作られたその広場には屋根付きベンチが置かれていて、散歩の後には休憩ができるようになっているらしかった。

 山側と反対を向けば、街の景色が遠くまで見渡せ、さっき降りた駅の屋根が少し先に見下ろせる。

「ここは、まだ上に行けるんだ」

 宇佐美先輩はそう標準語で言った。

 先輩の関西弁を聴き慣れてくると、その言葉遣いには違和感しか感じなくなってしまう。

 宇佐美先輩が指差した広場の山側、石垣でできた斜面には、少し急な階段が設けられていた。

 一段の段差が高く、そこそこ段数もあり、何より、かなり急角度の階段だった。宇佐美先輩は大きなトートバックは邪魔になるからと階段の脇に置き、リュックから取り出したカメラを首に下げ、その急な階段を登る。

 私もカメラを下げて宇佐美先輩の後に続いたけど、途中で不意に後ろを向いてしまい、その高さに一瞬足がすくんだ。それ以降は、横にあった手すりにしがみつきながら、宇佐美先輩の背中だけを見つめてなんとか登りきり、おもいっきり息を吐いた。

 そこは、下の公園よりはずっと狭くて、人が二〇人もいれば定員オーバーになりそうなスペースだった。

「あんまり知られてないみたいやけど、ずっと昔からここにある仏像をまつってる場所らしい」

 階段を上り終えて肩で息をしていた私に宇佐美先輩が言った。

 山の側面に大きな岩が埋まっていて、その一つに穿たれた穴ぼこに祠が埋め込まれるように作られてあり、その前には目立たないけど賽銭箱さいせんばこらしき物も置かれている。

「バチ当たらんように、今日は俺と松山の分で奮発して百円や」

 宇佐美先輩はそう言って賽銭箱らしき箱に百円玉を入れた。

「ほら、松山も一応おがんどき」

 言われるままに、私も祠の前で手を合わせた。

 そして、祠の反対側を向けば……一気に開ける視界。

 まさにそこは人知れぬ丘の上の展望台という感じで、そこから見る町の風景は、圧巻だった。

「これが……」

「ええやろ。絶景のポイントやと思わん?」

 さっきの広場から見るより遠くまで見渡せるし、上から見下ろせる分、より多くの建物が密集して重なり合い、奥行きが感じられる風景だった。

「やっぱりや! 今日もあの時みたいな夕日や!」

 宇佐美先輩は歓声にも近い声を上げた。

 空の下半分が薄いオレンジで、上半分が水色で、その境界線は透明水彩で溶いた絵の具のように澄んだピンクで、雲のお腹は薄く黄色に染まり、その上部はさらに薄いピンクで覆われている。

 この夕暮れと、夕日に照らされた町の景色が、宇佐美先輩の撮りたかった風景なんだ……

 そう思いながらも、私はこの夕暮れの中で立っていると、落ち着かない気持ちになった。なんだろう、この焦燥感。

 ふと、私の後ろで、カシャッ、カシャッ、とシャッターを切る音がした。

 振り返ると、いつの間にか私の背後でカメラを構えた宇佐美先輩が立っていた。

「松山……後ろ姿なら、撮ってもええかな。……というか、もう撮ってしもたけど」

「夕日を撮るんじゃなかったんですか? なんで私なんか撮ってるんです?」

「夕日も、撮ったよ。町の風景も入るように撮ったけど……モノクロのときより引きになってもうた……でも、はしっこに、松山が立ってる」

「私はいいから、町の写真をちゃんと撮ってください」

「でもなぁ、俺の撮りたい景色の中に松山がおったんや」

 少し荒げた私の口調に対し、宇佐美先輩はのんびりした感じで返す。

 手にしたカメラを下ろして、私の横に並び、丸太を模した柵に手をかけ、身を乗り出す感じで宇佐美先輩は遠くの景色を眺める。

「今俺が写真に撮った松山って、さっきまではおったんやけど……もう、おらん。あの日、あの駅の改札のとこで突っ立ってた松山も……もうどこにもおらん。……でも、あの瞬間には、確かにそこにおったやろ?」

 宇佐美先輩は確認するように私の方に顔を向けた。先輩が何を言わんとしてるのかよくわからなかったけど、私は頷いていた。顔の半分を夕日に染めて語る宇佐美先輩は、楽しげだった。

「……俺は……俺はそんな瞬間を……」

 ほんの少しの間だったかもしれないけど、十分すぎるほど時間があったようにも思う。

 まただ。また、宇佐美先輩はあの顔をする。お悩み相談の時に見せた、私をドキリとさせる顔だ。

 それはきっと、考えてる人の顔なんだと思う。そして、次の瞬間には、答えが見つかったというように、宇佐美先輩は一瞬ニコッと笑った。

「つかまえたいんや」

 そんなことを言って。

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