第14話 アクシデント

 宇佐美先輩は今、私の十メートル程先を歩いていた。

 思いがけず、宇佐美先輩と放課後のデート……

 なんて、内心喜んだのも束の間の話だった。


 校門を出てすぐの信号を渡り、駅まで通じる商店街を宇佐美先輩と並んで歩いていると、友達と話しながら歩いてくる神谷先輩と遭遇した。

「あれ? これはこれは我が写真部の宇佐美部長じゃないっすか! お日柄もよくって感じっすか? ……おっ! そちらにいらっしゃるのは……我が写真部のアイドル予備軍、松山さんではないですかっ! 夏休みにお二人揃って制服姿でツーショットって……いったい何事でしょうねぇ?」

 神谷先輩は宇佐美先輩より頭一つ分背が高かったので、宇佐美先輩の正面に立つと、腰をかがめて先輩より視線が下になるようなポーズをとり、わざとらしくへりくだった態度で言った。私の方にも意味ありげな視線を向けてくる。

 神谷先輩は、自分好みの女子生徒はアイドルで、それ以外はアイドル予備軍と呼ぶ。神谷先輩は見た目がいいから多めに見る女子生徒は多かったけど、私にとっては感じの悪い先輩だった。

「写真部の電子掲示板見なかったのか? お前にはメールも送ったぞ」

 宇佐美先輩はいつもの感じで素っ気なく言い放った。

「そうでしたっけ? まあ、見ての通り、俺は今日はイベントがあったんで、部活なんて二の次三の次……ですけどね〜!」

 神谷先輩も一緒にいた友達も、アイドルのイベントに出かけた帰りなのか、何やらカラフルで派手なロゴが入ったお揃いの袋を下げていた。

「あっそ。そりゃよかったな。俺は夏休み前に撮った写真の試し焼きだよ」

「ほ〜! 夏休みの部室にねぇ……二人きりで?」

 また神谷先輩は私の方にチラッと視線を向けた。

「松山は……忘れ物をとりに来ただけで……たまたま……」

 宇佐美先輩はボソボソと早口に言った。

「へぇ〜……たまたまねぇ〜……」

「俺は駅に行くから……松山は……あそこ、ほら……あの……本屋、行くんだろ?」

 宇佐美先輩が小刻みに顎をしゃくり、ふわりと手を上げ、前方を指差した。

 商店街に並んだ店、少し先に本屋の看板が見える。

 そうか……

「はい……私、本屋、行きます。……えっと……部長、お疲れさまでした」

 私は宇佐美先輩にペコリと頭を下げ、少し先の本屋に走った。

 本屋に入ってすぐ、ガラス張りの壁際に置かれたワゴンには、新刊の文庫本が詰まれていて、ワゴンの奥に張られたワイヤーネットには広告や手書きのPOPが貼られていた。その広告やPOPの隙間越しからは、わずかに外の様子がうかがえる。

 私は興味もないのに、ワゴンの文庫を物色するふりをして、半ばワゴンに乗り上げる感じで、広告とPOPの隙間を覗きこみ、小さく見える宇佐美先輩と神谷先輩の様子をうかがった。

 神谷先輩が宇佐美先輩の肩に腕を回した。宇佐美先輩の耳元で何やら言ってるようだ。宇佐美先輩は大きなトートバックが肩からずれないようにしっかり片手で押さえていて、あまり身動きできないようだ。それをいいことに、神谷先輩が宇佐美先輩のお腹を殴る……フリをする。

 神谷先輩の友達が二人のそばで落ち着きなく肩を揺らしている。その気持ちは何となくわかるけど。

 こういう光景を初めて目にした時、宇佐美先輩が一方的にいじめられてると思って私もハラハラしてたけど、今となっては部活でたまに見かける光景だった。

 神谷先輩はずっと笑っているけど、宇佐美先輩はふてくされたような表情を見せる。

 宇佐美先輩が怒らないのをいいことに、神谷先輩が調子に乗った感じで宇佐美先輩の首にまで腕を回した。

 「もうやめろよ」という感じで神谷先輩の友達がその腕に手をかけた。その隙に、宇佐美先輩が神谷先輩の腕を払い、神谷先輩が手にした袋を素早く取り上げた。

 そして、そのままそれを後ろに……

「……投げた?」

 血相を変えて神谷先輩は遠くに投げられた袋を取りに行く。

 「ボケがーーーーっ!」

 と、後ろを振り返り、神谷先輩に向かって叫んだ宇佐美先輩の声は、私のいる場所にも届いた。

 商店街を歩いていた数人の人が驚いた様子で足を止め、宇佐美先輩の方を向いた。

 注目を浴びてしまった宇佐美先輩は、周囲に何度か頭を下げながらも、本屋に向かって猛ダッシュして来る……のかと思いきや、本屋を通り過ぎて行ってしまう。

「え……ウソ……なんで……」

 慌てて私も宇佐美先輩の後を追いかけようとしたけど、店の自動ドアの前ではたと立ち止まった。

 まだ神谷先輩がこちらを見てるかもしれないし、宇佐美先輩を追いかけてくるかもしれない。私は再び新刊が山積みされたワゴンの前に戻り、しばらく外の様子をうかがった。

 なんだか、こういうのって刑事ドラマみたいだとワクワクしつつも、ふと、デジャブのような、何か不思議な感覚に囚われた。

 でも、それはちっともワクワクすることじゃなく、むしろ不安で不快な感じ……

 ああ、そうか……これは家の庭先で思いがけず高久さんと両親のやりとりを聞いてしまったときの感じだ。

 最初は少しはワクワクしていたのに、そんなワクワクを一気に吹き飛ばす不安。

 思い出すとぼんやりしてしまう。急速に回転する思考の歯車に、突然ブレーキをかけられたように。

 でも、今はぼんやりとしてる場合じゃなくて……

 そう! 宇佐美先輩だ!

 店を出て、さっき神谷先輩が袋を拾いに行った方角を看板の脇から注意深く確認し、私も駅へと走り出した。


 あの日、私が高久さんを待ちぼうけしていたような感じで、宇佐美先輩も改札脇の壁にもたれてたたずんでいた。

 ああ、なんだか全てがあの日の再現みたい……

 しばらく私が突っ立っていたものだから、肩からA3サイズの印画紙が入る大きめのトートバックを下げた宇佐美先輩がせっせと走り寄ってきた。

「何ぼやっとしてんの。これ、買っといたから」

 と宇佐美先輩が私に切符を差し出した。

「あ、あの……」

「ほな行くで」

 切符のお金を返そうとしたけど、宇佐美先輩はサッサと改札に向かう。そのまま先輩は足を止めることなく階段を駆け下り、ホームに停車していた電車の前方まで走って乗り込んだけど、私がホームに駆け下りた時に発射のベルが鳴ったので、慌てて近くの扉から車内に飛び込んだ。

 同じ車両の先頭と最後尾。その中程には中学生らしき年齢の男女の集団がいた。まだラッシュ時ではないにしろ、乗客の数も増えていた。中学生の集団は、周囲の様子も気にせず、大声で話し、何度も馬鹿笑いを繰り返していた。

 知っている子はいないけど、うちの生徒かな……

 そんなことを思いながらも、うかつに宇佐美先輩に近寄れない気がしてしまう。電車に乗り込んでから、ちっとも私の方に顔を向けない宇佐美先輩の背中が、私が近寄ることを拒否しているようでもある。

 部室では、あんなに楽しかったのになぁ……


 宇佐美先輩が降りた駅で私も降りて、それから暫く歩いてるけど……

 先輩と私、十メートル程の微妙な距離が縮められないでいる。

 宇佐美先輩は、何度か後ろを振り返って私がついてきてるのを確認するけど、呼び寄せる素振りも見せないし、声も発しない。きっと、さっき私と歩いていて神谷先輩に遭遇したのが相当嫌だったに違いない。私も嫌だったけど、宇佐美先輩も同じ気持ちなら、ショックだ。

 嫌われたくなかった。面倒なヤツだと、思われたくない。

 とぼとぼ一人で歩く道は、この暑さの中では苦痛でしかない。私も宇佐美先輩と同じように、首にスポーツタオルをかけ、それで何度も汗を拭った。

 正直、早く家に帰ってシャワーを浴びたいと思う。これもあの時と同じだ。庭先で、植木に掛かったホースの水を浴び、びしょ濡れになったあの日……。

 宇佐美先輩と一緒なら忘れられると思ったことが、再び濃度を増して押し寄せてくる気がした。

 さっきまで部室でいっぱい話してた宇佐美先輩も、また以前の部長に戻ってしまったみたいで。

 同じ一日で同じ人……なんだけど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る