第11話 それから

 不意に、部室の扉が開いて「あー、やっぱここあっちぃ〜」と言いながら真壁が入って来た。

 扉の近くにいた私を見て、真壁がギョッとした顔をする。

「なんで松山がいんの?」

 真壁の後ろから顔を出した水原さんは、私と目があって軽く会釈をした。

 何となく、水原さんに会釈を返しつつ、

「え……、あの……」

 と言い淀んでいると、作業机を挟んで私の正面に立っていた宇佐美先輩が急に声を張り上げた。

「それはっ!」

 真壁はびっくりして宇佐美先輩に視線を転じた。背後に立った水原さんも驚いた顔をしている。私も……少しだけ、驚いた。宇佐美先輩が声を張り上げることなんて滅多にない……というか、私は今まで一度も聞いたことがない。しかも、それはよく通って、遠くまで聞こえそうな声だった。

「それはっ……わ……わすれ、もの……そ、そうやっ! 忘れ物!」

 真壁は首を捻る。

「ソウヤ? ソウヤって……誰っすか?」

 「知ってる?」などと、真壁は後ろの水原さんに小声で尋ねた。水原さんは無言で首を振った。

「い、いや……そ、それは……えっと……あ、あのだな……そ、そう! やっ、そう! ……やっと思い出した! 忘れ物! 忘れ物……だったよな? な、松山、忘れ物、取りに来たんだろ!」

「忘れ物?」

 腑に落ちない感じで真壁は私の方を向いた。

「えっと……あぁ……」

 私は頭をフル回転させ、忘れ物と関連づけられそうな何かを必死に考える。脳みそがショートしそうになった瞬間、さっき手にしていた豆カメラが脳裏に閃いた。

「あっ! ……そ、そうなの! 豆カメラ……豆カメラどこにやったかって、ずっと探してて」

「豆カメラって、おじいさんからもらったってアレ?」

「そうそう! 真壁、よく覚えてるぅ!」

 言いながら、私は両手を指鉄砲のようにして真壁を指差していた。

「な、なんか……松山、今日テンションおかしくね?」

 すれ違いざまに小さく「部長もなんか変だぞ」と真壁は呟いた。

「ここ、暑いし……ちょっと、熱中症、かな」

「みたいだな、頭、気つけた方がいいぞ」

 真壁は自分の頭を指差して、写真部専用のカメラや機材を仕舞う鍵付きロッカーから自分のリュックを取り出した。

「で、見つかったん? 豆カメラ」

 リュックを担いだ真壁が訊ねた。

「う、うん。部室に……置き忘れてて……部長が、保管してくれてたみたい」

 慎重に言葉を選んで、自分でも確認するように言ってみる。

「ふーん。ま、なくなってなくてよかったじゃん。……あ、部長、パソコン室の鍵はちゃーんと返却しときましたから! んじゃ、俺たちはお先に!」

 私たちに言い放つと、真壁が意気揚々と部室を出て行った。水原さんは、また私と宇佐美先輩それぞれに軽く会釈をし、真壁が開けっ放しにした部室の扉を静かに閉めて出て行った。

「はぁ……なんか俺、ドキドキするわ。別に、関西弁使ったっていいはずやのに、なんか……俺、まだ無理っぽい」

 宇佐美先輩は作業机に上半身を投げ出して、空気の抜けたような声で言った。そして、真壁が部室に入ってきた瞬間、咄嗟に自分の後ろに隠し持った『お悩み相談』の札を振って見せた。

「これ……さっき松山が写真のこと気にしてたから、こういうのも見られるとややこしいかな〜と思って。なんか、焦った」

 確かに、そうかも……なんて思いながらも、宇佐美先輩が発した「ややこしい」という言葉を面白く思い、私は俯き加減にクスッと笑った。

 そして、照れ隠しのように、

「さっきの真壁と水原さんって、なんだか夫婦みたいでおかしい」

 と言って今度は声を出して笑ってみた。実際、一瞬二人の様子がそんな感じに見えて面白くもあったから。

「あいつら、付き合ってるらしいけど」

「え……!?」

「神谷が言ってた……あいつらは『いい仲』らしいって」

「えーっ!」

 そんなこと……まったく知らなかった。

「だから、松山にパソコン室勧めたんだけどさ、俺。あいつらの監視役。きっとパソコン室で涼みに来ただけで、ろくに作業なんてしてねーと思うんだ。あいつら二人だけだと」

「そんなの、言ってくれないとわからないし! 勝手に人を監視役にしないでください!」

「松山、真壁と同じクラスやし、とっくに知ってるとおもてたわ。監視役ってのは……まあ、冗談やけど」

 宇佐美先輩はしれっとそんなことを言った。


 宇佐美先輩は、午後も残って現像したフィルムの試し焼き作業を続けると言う。「松山はどうするんだ?」と聞かれ、少し迷いながら、

「今はできるだけ家にいたくないんで、部室閉めるまでは……います」

 と、努めて素っ気なく答えた。

 もしかして「いっぱい話す」宇佐美先輩なら、こう言う場合もっと何か言ってくるのじゃないかと、即座に身構えてしまったけど、意外にも宇佐美先輩は「ふーん、わかった」と言っただけだった。

 宇佐美先輩といると、嫌なことを忘れられる気がする。宇佐美先輩の新たな一面は、これまでの憂鬱を一気に塗り替えてくれるくらい衝撃的だから。そんな宇佐美先輩と少しでも長く一緒にいたい、それは私の切実な願いだったけど、宇佐美先輩にそうと気づかれたくはなかった。


 そして、「ちょっとトイレ」と言ったまま部室を出て行った宇佐美先輩は、いまだに帰ってこない。

 扇風機の風に当たりながら、グラウンドで練習に励む野球部の様子を眺めた。

 子供の頃から野球少年で、一番バッターでセンターを守り、高校の頃は念願の甲子園にも出場できたと話していた高久さん。残念ながら、初戦で負けて、甲子園はそれっきりだったらしいけど……

「どうして……ああなっちゃうんだろう」

 視線の先で、この暑い中練習に励む中学生が、いつの日か高久さんみたいな大人になっちゃうのだ……なんてことを想像して溜息をつく。いけない……また高久さんだ。

 ふと、作業机の『お悩み相談』の札が『めし』となっていることに気が付いた。

 時計を見れば、普段ならもうすぐお昼休み。

(……先輩、まさか、お昼御飯を食べに帰った?)

 そういえば、昼食のことまで考えていなかった。家に帰れば食事なんてどうにでもなると思うけど、午後からも部室にいる想定ではなかったし……。

 鞄には夏の熱気で溶けかけた飴玉がいくつかあるだけだった。不安な気持ちを鎮めるように、飴にへばりついた封をなんとかはがして、それを口に入れた。

 それと同時に部室の扉が勢いよく開き、慌てた私は飴を口から落としてしまった。

 どうやら、当直教師の見回りらしい。顔を出したのは三年の英語を受け持つ益岡先生だった。とてもせっかちで早口の、顔も体も丸々した男性教諭だ。

「写真部はまだ使用中?」

「はい……」

「君は、部長?」

「いえ、部員です」

「部長は?」

「えーっと……今、トイレです」

「そうなの? 夏休みはスポーツ部以外の部室使用は午後三時までだから。必ずそれまでに帰ること! 戸締まりと鍵の返却忘れずに! しっかり部長に伝えること、いいね!」

「は、はぁ……ちゃんと、伝えます」

 益岡先生が再び勢いよく扉を閉めてから少しした後、宇佐美先輩が帰ってきた。何やら美味しそうな香りが漂うビニール袋を手に下げて。

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