第10話 私の写真
「今、部長すごいこと言ってくれたように思いましたよっ! 続きをちゃんと話してください!」
「いや……続きなんて……ないんだ……あれ以上は」
「嘘です! まだ何か言いかけたじゃないですか! そんなむりやり変な標準語になおさないでください!」
宇佐美先輩を追いかけ暗室に駆け込んだ私は、先輩の制服の袖を掴み引っ張ったりした。
「わ、わかった、松山……ちょっと……ちょっと待ってくれ!」
薄暗い暗室で、宇佐美先輩が少し甲高い声で叫ぶように言った。私は思いがけず先輩に大接近していたことに気づき、急に恥ずかしくなって後ろに飛び退いた。
宇佐美先輩は暗室の隅に置かれた引き伸ばし機の前に行く。
「これ、後一枚だけ、焼いてみたい写真があるから……ちょっと、そこで待っといてくれ」
そう言うと、宇佐美先輩は暗室の端っこに立った私をよそに、早速作業に取り掛かった。
赤色のセーフライトの下、宇佐美先輩はフィルム画像を焼き付けた印画紙を専用のトングで掴み、あらかじめテーブルに用意してある薬液につけていく。
端に突っ立っていた私は、タイマー係を言い渡され、先輩が言う分数をセットする。
先輩が現像液に印画紙を浸し、軽く揺らし続けていると、そこにうっすらと画像が浮かび上がってくる。タイマーを握りしめながら、私は思わず身を乗り出してそれを凝視する。
そして、「あっ!」と声を上げてしまった。
その印画紙に浮かび上がった像の中にいたのは……あの日、駅で高久さんを待っていた私だった。
シャッターを切る直前、レンズの前を通り過ぎたブレた人影の奥に、ともすると、フレームから外れてしまいそうな隅っこに、しっかり狙い撃ちされたような私が写っていた。
先輩は、現像作業の最後の工程である洗浄を終え、印画紙をトングを使ってそーっとトレイに移した。
「うわ〜! 傑作じゃん!」
やっと緊張が解けたように、先輩は声を上げた。
「これ、あの時の私じゃないですか! なんでこんな写真……」
「あの日な、俺、沿線の駅をいろんな角度から撮影したろうとおもたんやけど……思いがけず、いい感じの被写体見つけてもうたから、松山の写真からスタートしたんや」
宇佐美先輩は頭を掻きながら言いにくそうに言った。
「ひどいですよ、先輩!」
「すまん! 黙って撮影するの、ルール違反やったな」
宇佐美先輩は片手を顔の前に立て頭を下げた。謝ってくれている、らしいのはよくわかるんだけど……
「違います! よりによって……何でこんな写真! ……こんな被写体……最低じゃないですかっ!」
言いながら、思わず泣いてしまいそうになる。
「そんなん言うなよ。俺がええと思って撮った写真やねんぞ!」
なぜか、宇佐美先輩もむきになって言い返してきた。
「だって、どこがいいんですか! ほら、ここ、髪もはねてるし……汗かいて、制服もべとついてて体にへばりついて……それに、こんな変な顔! 怒ってるのか何だかわからないような……どこか睨んでるし!」
何だか、腹が立って来て、私は宇佐美先輩に向かって少し怒ったように言ってしまった。
でも、そんな私に、宇佐美先輩は意外にも優しげに答えた。
「いいじゃん。必死さが出てる。……うん、見れば見るほどいい。俺は好きやけど」
「……」
思わず押し黙ってしまったのは、たぶん嬉しかったのだと思う。宇佐美先輩があまりにも自然に「好きやけど」と口にしたから。その「好き」が写真の出来について言ってるのだとわかっていても、その言葉は、もう一度巻き戻しして聞きたくなったほどに、嬉しかった。でも……写真の中の私を、私は好きじゃない。
「その写真、そんなところで乾かさないでください!」
宇佐美先輩が他の写真と同じように、洗面台の上に張られたワイヤーに私の写真を吊るそうとしたので、私は思わず叫んだ。
「え? 何で?」
訳がわかってない先輩を押しのけるようにして、私は自分の写真をはずし、暗室の中にある目立たない場所にあったハンガーにそれを吊るした。
「やでしょ、あんな写真、他の部員に見られたら!」
「そ、そうか……そんなもんか」
宇佐美先輩は俯き加減に顎のニキビを気にしながらボソボソと呟いた。そして、扇風機の風が当たる場所に行き、『お悩み相談』の札が置かれた作業机に直接腰掛けた。
「俺な、ホンマはあの日、声かけるつもりじゃなかった。だって松山、マジに何かあった感じで、必死な顔しとったから。声かけたらあかんのかと思った。でも、あまりにも気になって……どうしたのかって思って……。俺が聞いたところで、ホンマの理由なんて話さへんやろうって思ったけど……。誰も話さへんもんなぁ〜、ホンマのことなんか。俺かて、そうやし」
宇佐美先輩は作業机に手をつき、自分の指に視線を落としながら独り言のように話した。私は、宇佐美先輩の正面ではなく、斜向かいの席に坐った。
「……俺、ほんまはめっちゃしゃべりや。関西人の大半がそうみたいに。でも、関西弁しか話されへん……。変にプライドも高いから、しょうむないことで笑われたくないし。怖がらせたくもないし。でもな、ちゃんとした標準語だけしか使われへんって思ったら、何もしゃべられんようになった。ほんなら、だんだん全部がどうでもよくなって……昔は気になってしょうがなかったことでも、いちいち問いただすのも面倒になった。……こっちのヤツらっておもろいわ。口数少ないやつ見たら、勝手にクールやって勘違いしよる。アホちゃうかとおもたで、みんな……」
先輩は最初、自分の指だけを見て話していたけど、だんだん正面の壁に視線を移していき、最後は私の目と合った。
「ま、そういうことやねん。『お悩み相談』さん」
「は?」
宇佐美先輩が作業机にあった『お悩み相談』の札を指差す。
「ほら、これな、こうやってひっくり返すやろ、そしたら、俺の方から見れば、松山が『お悩み相談』になるねん。な? だから、今のは俺の悩みっちゅ〜うわけ」
「……」
呆気にとられて、私は宇佐美先輩を見るしかできなかった。関西弁オンリーで思う存分吐き捨てたとも思えるその言葉。何だろう、この人は。無口を装う裏で、こんなにも多くの言葉を自分の中に隠し持っていたのか。
宇佐美先輩は私がしばらく黙ってるのを見て、肩をすくめて小さく笑った。そして、また立て札を回転させ、私の方に『お悩み相談』と書かれた部分を向けた。
「そんじゃ、お悩み相談としての俺の意見言うわ……」
私は黙って大きく頷いた。
「うん……なんか俺、いろいろ言うたな。なんやったっけ?」
「もしも、部長が私の立場なら……って」
「ああ、そうか。そやったな……でも、なんか、言いにくいなぁ」
宇佐美先輩はいろいろ思い出している感じで、視線を床に向け、鼻の下を指で擦った。
「松山の親のこととか、ねーちゃんのこととか、悪く言うみたいな形になるかもしれんから……」
「いいです、そんなこと気にしなくて」
咄嗟に言ったものの、宇佐美先輩がそんなことを気にしてるのが少し意外だった。
「うん……俺な、そういう自分勝手な大人に遭遇したら、とりあえず全員……軽蔑することにしてるねん。自分の親であってもそうや。いや、自分の親なら特にかなぁ。そんで、その日のことは忘れへん。俺の嫌いな大人のことと、俺が軽蔑した大人のことは、しっかり覚えとくことにしてる」
「軽蔑」という言葉が宇佐美先輩の口から出る前には少し間があり、その一瞬の間に宇佐美先輩が見せた顔に私はドキリとしてしまった。何だろうあれは……
私のためらいをよそに、宇佐美先輩はフッと軽く息を吐き、両手を突いて反動で作業机から飛び降り、体ごと私の方を向くと、
「だって、そういう連中みたいになりたくないやん。俺が軽蔑してもーた大人になんか……きっと、すっげーガッカリさせられたんやから……」
そう言った宇佐美先輩。最後の溜息みたいな言葉には、どことなく実感がこもっていた。ガッカリ、させられるようなことが、宇佐美先輩にはあったのだろうか……。
いつも素っ気なく、ぶっきらぼうな話し方で、会話が続かない宇佐見先輩……それが宇佐見先輩という人だと思ってた。でも、関西弁で話す宇佐見先輩とは、なんて活き活きとして表情豊かな人だろう。あの上目遣いは、真一文字に閉じた口は、いったいどこへ行ってしまったのだろう。
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