第3話 待ち人現る

 こんなことして駅で高久さんを待ち続けているけど、私が高久さんに会って、いったいどうなるんだろう? 気まずいだけで、何もならないような気がする。でも、どうしてあんなことになったのか、知りたかった。

 高久さん……私が庭で話を聞いてたって知らないんだから、もしかして、いつもみたいに笑って「やあ、文夏ふみかちゃん」って言ってくれるかもしれない。

 シラを切ればいいんだ! そんなふうに考えてもみるけど、それじゃあ、暑い中びしょ濡れで駅まで走ってきたさっきの自分が、バカらしく思える。それに、高久さんに会えるのは、もしかしてこれが最後かもしれないんだ……

 駅で高久さんを待ってる時間、あまりに考えることが多すぎて、時間が過ぎる感覚を忘れていたように思う。

 駅に着いて三〇分を過ぎた頃、ようやく高久たかくさんが階段を上ってくるのが見えた。

 その瞬間には、私は下を向いて顔を隠すようにした。どうしようか、まだ迷ってた。

 高久さんはチャージ式のICカードを持っていたので、切符を買わずにそのまま改札に向かおうとした。私は慌てて高久さんに駆け寄った。

「高久さん!」

 心の底が、チクリとした。さっきの和室の裏で聞いていた会話が頭をかすめる。セミの声が耳鳴りみたいに遠くに聞こえる。

 高久さんは一瞬驚いた顔を見せた。言葉だってすぐに出なかったみたいだ。

「あ、ああ……。どうしたの? こんな所で」

 文夏ふみかちゃん、と言ってくれなかったことが、どこかとても悲しかった。

「ちょっと用事で……それより、家、寄りました?」

 この言葉も、少し胸が苦しくなる。

「あ……うん」

 高久さんは俯いて鼻の横をかいた。

 もし、ここで高久さんに嘘を言われると、それが嘘だとすぐにわかっちゃう。

 もうすぐですね、結婚式……

 本当なら、そう言えたのに……今は、言えるわけがない!

 高久さんは黙ってその場にたたずんだままだ。改札を抜けようと高久さんの後ろに並んでいた人が、高久さんの前に回り込んで改札を抜けて行った。それに気づいて高久さんは邪魔にならないよう、改札の脇に退いた。

 うまく話せない。普段でも、そんなにおしゃべりな方じゃないから……

 結局、思わず口をついて出た言葉は……

「もう……家に来ないんでしょう、高久さん」

「え……」

 その時、高久さんの顔なんて見られなかった。この言葉を発した直後、こみ上げるものがあって涙が出そうだったけど、必死に堪えた。自分の少し疲れたスニーカーと、モンクストラップのお洒落な高久さんの革靴を見比べていた。

 高久さんの靴を見ていると、いかにも大人の男性ひとという感じがする。こういうところにだって、憧れていた。

「ごめんなさい……さっき聞いちゃったんだ。家で……高久さん謝ってたの」

「……」

「びっくりしたから……本当に、びっくりしました」

 敬語を使ってる。私は最近になってようやく高久さんとはお姉ちゃんのようにうち解けた話し方ができるようになった。でも、今はどっちにしていいかよくわからなかった。くだらないことだったけど。

「いや……あのさ……」

「もうお姉ちゃんとは結婚はしないってことなんですか? 別れるってことですか?」

 高久さんの言葉を待たずに私は言った。どうしてか、一度口をついて出てしまうと、そんな言葉しか出てこなかった。それはまるで、さっき父さんが高久さんを怒鳴りつけていたような感じだったかもしれない。言ってから、いけないと思ったけど……

「そうだね」

 私とは対照的に、高久さんは極めて穏やかな感じで言う。

「別れるってことだね……」

 いけないと、思っているのに……

「どうして? どうしてですか? お姉ちゃん嫌いになったの? 喧嘩したんですか? それぐらいで簡単に別れるんですか? もう結婚式場も決めたのに? 友達にだって言ってるんでしょう? そういうことして、恥ずかしくないんですか?」

 私は堰を切ったように一気にまくし立てた。ここが、駅の構内だってことも、その瞬間忘れていた。数人の人が怪訝な視線を向けて通り過ぎていったけど、いちいち立ち止まるような人はいない。だから、助かったとは思ったけど。

文夏ふみかちゃん……喉、乾かない? お茶でも飲もうよ」

 高久さんにそう言われて、私の中で急に恥ずかしさがこみ上げてきた。

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